(第十一話) 柳生三厳 新たな指令を受ける 1

 寛永五年(1628年)四月末の某日。場所は駿河・駿府城内のとある庭先。よく晴れた春空の元、駿府城城主・徳川忠長は正眼の構えのまま呼吸を整えていた。

 手には練習用の袋竹刀。周囲には忠長と同年代の家臣たち。そして受け太刀役は柳生家家臣にして新陰流門弟筆頭・木村友重が務めている。

「ふぅ……ふぅ……」

「大丈夫ですよ、落ち着いて!……それではもう一度、行ってまいりましょう!」

「ああっ!……たあっ!」

 友重の鼓舞に合わせて踏み込む忠長。彼はまず竹刀先端部で小手を打ち、そのまま友重に体をぶつけ鍔迫り合いの形に持ち込む。

「そう!そのまま気を抜かず!」

「はあっ……!」

 忠長は一呼吸鍔迫り合いをしたのち、ぐっと力を込めて友重を押し返す。そしてその流れのまま、引き際にもう一度鋭く小手を打ち、丁寧に残心を残して距離を取った。

 一連の動作を終えて忠長が大きく息を吐くと、友重が満足そうに白い歯を見せた。

「見事な動きでした。今までの中でも随一の動きでしたよ」

「そ、そうか!いやぁ私も今のはよくできたと思ったのだ!」

 忠長は顔をほころばせ見学者の列に目をやった。そこには駿府城の部下の他に、柳生新陰流師範の柳生宗矩が座していた。宗矩が無言で頷くと、それを見た忠長は再度破顔一笑した。


 話の本筋を語る前に、まずはなぜ宗矩が駿府城にて忠長の剣を見ているかについて話しておこう。

 話の時期は坂崎家残党を鞠子宿南部の草原にて退けた(第十話)のちのことである。宗矩たちは江戸へと向かってくる残党たちを駿河領内にて迎え撃ったのだが、その際駿河を治める忠長にはいろいろと政治的便宜を図ってもらった。そこまでしてもらって『残党たちを倒したので、はいさようなら』では義理に欠けるということで、宗矩たちは残党討伐後も駿府に留まり忠長らと交流することになったのだ。

 幸い忠長は武術を好んでいたため、家格の低い宗矩であっても稽古に同席するという形で奉仕することができた。将軍の指南役という立場上直接指導することこそできなかったが、稽古場の脇に座り、時折型を見せてやるだけでも忠長は満足そうにしてくれた。

 そんな駿府逗留が十日余り過ぎたある日のことだった。この日も宗矩は忠長の剣を見学し、茶の湯や能などでささやかな交流をしてきたのだが、そこから間借りしている屋敷に戻ると家臣の一人が慌てて寄ってきた。

「殿!江戸から、讃岐守様からの使いの方がお見えになっております!」

「なにっ!わかった、すぐに向かう!」

 江戸の讃岐守とは老中・酒井忠勝のことである。そんな人物の使いが駿府にまでやってくるとは……。

(まさかなかなか江戸に戻らないことを叱責しに来たのだろうか?)

 宗矩が内心ビクビクしながら奥座敷に向かうと、そこには何度か面識のあった忠勝の家臣・前島平左衛門へいざえもんが待っていた。

「おぉ!これはこれは平左衛門様。お待たせしてしまい申し訳ございません」

「こちらこそ急な来訪、申し訳なく思っております。……旧出羽守のことは聞いております。たいそうなご活躍だったそうですね」

「いえいえ。大炊頭様をはじめとした多くの方々のご協力合ってのことですので……」

 やはり残党討伐後のんびりしているところを咎めに来たのだろうか?平左衛門の言葉を深読みする宗矩であったが、どうやらそうではないらしい。

「実は某、これより柳生庄に向かうつもりでして。その道中に宗矩様がいらしたので一言挨拶にと立ち寄った次第にございます」

「柳生庄に?……七郎の『怪異改め方』ですか?」

「さすがですな。そのとおりです」

 平左衛門は肯定の意味を込めてこくりと一つ頷いた。

 怪異改め方。幕府に仇なすあやかしや呪術といったものに対抗するための老中直属のお役目で、現在三厳が一人で勤めている。

 しかしあやかしの専門家なら江戸にもいるはずだ。それをわざわざ大和の三厳に頼みに行くとは、何かのっぴきならない事態が起こったのだろうか?

「何かあやかし関係で事件が起こったのですか?」

「ええ。まぁ起こったと言うよりは、これから起こるだろうという話なのですが……」

 平左衛門はしばし言うべきかどうか迷っていたが、やがてこそりと打ち明けた。

「これはまだ非公開の話ですが……、実は先日、沢庵和尚らを江戸に召喚することが決まりましてね……」

 これに宗矩は飛び上がらんばかりに驚いた。

「なんとっ!?和尚がとうとう……。やはり金地院様が……!?」

「ええ。金地院様はいよいよ大鉈を振るうおつもりにございます」

 深刻な顔で向かい合う両名。彼らが頭を悩ませていたのは江戸時代初期に起こった一大事件、後世で言うところの『紫衣事件』についてであった。 


 江戸時代初期に起こった幕府と朝廷の一大事件、『紫衣事件』。これを端的に説明すれば、朝廷および寺社が幕府の法令を無視して人事権を行使した事件である。

 言葉にすれば単純な事件だが、権力の一元化を図る幕府からすれば到底認められるものではなく、金地院崇伝を筆頭とした江戸御公儀はこの問題を大々的に取り上げ関係者の処分を強く求めた。しかしここで沢庵和尚をはじめとした寺社勢力が反発。事態は朝廷中枢を巻き込んだ泥沼化の様相を呈していた。――これが去年までの話であった。

 事件が動いたのは年明けすぐのことである。この事件を担当していた京都所司代・板倉いたくら重宗しげむねは、今年こそこの問題を解決しようと積極的に動き出した。

「沢庵和尚。貴殿らには先の件に関しての抗弁書を書いていただきたい」

「抗弁書?いったいどういうことですかな?」

「貴殿らの主張を明文化してほしいと言っておるのだ。貴殿らとて、このまま平行線でいていいと思っているわけではあるまい。せっかくだから思いの丈を一筆したためてみよ。何かしらの契機になるやもしれんぞ」

 宗矩は沢庵らに、裁判を円滑に進めるために意見をまとめるよう迫った。ただ一応断っておくと、この重宗という男は決して中立な立場にいるわけではない。京都所司代とは幕府が京都監視のために置いた役職である。つまり彼は初めから幕府側の人間――初めから幕府が勝つ判決しか持ち合わせていなかった。

 そんなわけでこの抗弁書の真意は決して沢庵たちの主張を受け入れるためのものではなく、彼らの主張からボロを見つけるか、あるいは歩み寄りの足掛かりを見つけられればいいと思ってのことだった。

 しかし結論から言えばこれが大失敗だった。発言の機会を与えられた沢庵たちはこれ幸いと、現行の法令の問題点や幕府の経典解釈の間違いの指摘、そしてそんな無理を押し通そうとしている幕府中枢への非難をこれでもかというほどにしたためた。当然後日これを読んだ重宗は頭を抱えた。

「このような……このようなもの……、許されるはずがあるまい……!」

 先に述べた通り重宗はこの抗弁書を足掛かりに幕府優勢でこの問題を着地させようとしていた。しかし沢庵らに歩み寄りの意思はなく、それどころか公然と幕府批判を行ってきた。そして何より手が付けられないのが、沢庵たちの抗弁書があまりに理路整然としていたことである。

 例えば幕府は法令にて『僧が出世するには三十年の修行が必要である』と定めていたが、これに対して沢庵は『年数を重ねれば悟りを開けるわけでもなく、逆に一瞬で開く者もいる。ゆえに三十年と期間を決めるのは間違っている』と反論した。他にも過去の大僧正の行跡を引き合いに出し、法の矛盾を事細かく指摘してくる。その一縷の隙も無い文章は、揚げ足を取ろうとしていた重宗ですらついつい幕府の方が間違っているのではないかと思わせるほどのものだった。

「こ、これはもう某には手に負えん!」

 もはや自分の手に余ると悟った重宗はこの抗弁書ごと江戸に回し判断を仰ぐことにした。そしてこれを読んだ崇伝が激怒したというわけだ。

「なんたる不敬!なんたる無知!このような奴らを野放しにしておくなど、百害あって一利なしだ!」

「しかし金地院殿、いかがなさるおつもりか?言いにくいことだが、この抗弁書自体はよくできたものだぞ」

「貴殿も勘違いしておられる!事の本質はそんな些事ではない!問題なのは奴らが御公儀の法に背いたということだ!」

 崇伝曰く、この問題の本質は『幕府の法が守られなかった』という点にあるとのことだった。それは支配体系に疑問を投げかけることと同意であり、到底許すことのできない行為であるといのが崇伝の主張だ。

「ゆえに罰する!罰することで江戸が何人にも侵されない絶対的な権威であることを知らしめるのだ!」

「ぐ、具体的にはどうするのですか?下手に罰せようとすれば反発するのは必然ですぞ」

「江戸に召喚する。江戸までつれてくれば奴らの後ろ盾はいない。京の連中もここまで力を見せれば口をつぐむことだろう」

「そんな無茶な……」

「何か文句でもおありですかな?」

「い、いや……」

 それはもはや意地だった。しかし意地とわかっていても、崇伝に面と向かって意見できるものなどそう多くない。そしてその数少ない権力者たちは崇伝の行動に一定の理解を示していた。

「よろしいのですか、大炊頭様(土井利勝)?金地院様の望むがままにやらせて」

「まぁ京の勢力を自由にさせないのは大事だからな。その火の粉を金地院殿が被るというのなら止める理由もないだろう」

 こうして沢庵らを江戸に呼び出すという崇伝の強硬策は咎められることなく、承認されたのであった。


 平左衛門から事のあらましを聞いた宗矩は長い嘆息を漏らした。

「そんなことがあったのですか……。それはいつ頃決まったのですか?」

「ほんの一月ほど前、三月の中ごろと聞いております。手紙を読み次第、反対意見が出る前に一気に事を運んだとのことです」

(ちょうど残党騒動の頃だな。金地院様がこの件にあまり出張ってこなかったのはこれが原因か……)

 謀略を好む崇伝が駿府での騒動にあまり絡んでこなかったのは並行してこれに取り掛かっていたためだろう。確かに十年前の残党と今の権威ある僧侶とではその重要度は比べるべくもない。宗矩は自分のあずかり知れぬところで話が進んでいたことに歯噛みする。

(和尚のために動きたかったが、完全に出遅れてしまったか)

 宗矩と沢庵は数十年来の友人だった。ゆえにどうにかしてやりたいという想いがあったが、ここ駿府ではできることも限られている。宗矩は今はぐっと堪えて成り行きを見守ることにする。

「なるほど、事情は分かりました。それで七郎にはどのようなお役目が与えられるのでしょうか?」

「お役目と言いましょうか、いつでも動けるように準備をしておいてほしいと伝えるだけですよ。なにせ今回の件、東海道全域が関わってきますからね。何が起こるかわかったもんじゃない」

 平左衛門曰く今回の江戸召喚は、朝廷・寺社よりも江戸御公儀の方が権限があると見せつけるためのパフォーマンスになるとのことだった。そのために裁判は形だけでも厳格に行われる必要がある。江戸は『正しい形式で正しく処罰した』という題目が欲しいのだ。

 そのためにも道中で問題が起こり裁判が滞るような事態は是が非でも避けたいということだ。

「なるほど。東海道上の宿場や領主は、街道の安全を確保するのに必死になるということですな」

「左様。そして危険を排除しようと動けば、根無し草の牢人やあやかしが街道脇に流れ出るのは先の上洛時でも見られたことです」

 治安維持のために監視や処罰を強化すれば、行き場を失ったはぐれ者たちがあぶれ出てくる。その中にはあやかしの力を持っていたり、逆恨みから徒党を組む者もいるだろう。そういった者の対処に備えよというのが今回三厳に与えられたお役目であった。

「事が事ですからね。こちらも万全を期すようにしなければなりません。宗矩様も折を見て江戸に御帰還なさるよう殿(酒井忠勝)より仰せつかっております」

「承知いたしました。すぐに出府の準備をいたしましょう。……ところで平左衛門様。平左衛門様が柳生庄に向かわれるのはなのではないでしょうか?本命は京都で、柳生庄は偶然近くを通るからついでで立ち寄るまでなのでは?」

「む。実を言えばその通りですが、それがどうかしましたか?」

「ならば七郎への使いは某の方から出しましょうか?ちょうど奴の元に送らねばならぬものがございまして……」

 一瞬訝しむ平左衛門であったが、柳生庄に迂回しなくてよくなるのは好都合であった。

「ん……。まぁ火急の話ではないですし、それではお言葉に甘えさせてもらいましょうかな。それでは一筆書きますので紙と筆とを貰えますかな?」

「はっ。こちらに……」

 こうして江戸から三厳への指令は途中宗矩を挟んで柳生庄へと届けられることになったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る