柳生三厳 新たな指令を受ける 2

 残党騒動が終息し一息つけるようになったのもつかの間、今度は柳生家と親交の深い沢庵和尚が江戸に召喚されることとなった。

 友人として心配ではあるものの柳生家は徳川家に仕える幕臣である。宗矩や三厳にはこの召喚が滞りなく進むよう配慮するようにという指令が下ったのであった。


 平左衛門が宗矩の元を訪れてから時は移って五月初旬。場所は柳生庄は柳生屋敷の奥座敷。三厳は駿府の宗矩からの手紙をちょうど読み終えたところであった。宗矩からの手紙には沢庵和尚召喚の顛末、およびそれに伴う街道の治安維持の命が下されたことが記されていた。

「そうか……。沢庵和尚はいよいよか……」

 三厳は複雑な心境で書を畳んだ。柳生家と沢庵和尚とのつながりは古く、三厳も紫衣事件が明るみに出る前に一度会いに行ったことがあった(第六話)。沢庵は気さくで飾り気がなく、それでいて思慮深く博識な気持ちのいい僧侶であった。そんな人物が政治の思惑に振り回されるとは……。

 一友人として何とかしてやりたいという思いはあったが、その一方で柳生家は将軍家剣術指南役の家柄である。当然御公儀からの命には従わなければならない。その複雑な心境を察して代官である頼元が気遣いの言葉をかける。

「心中お察しいたします、三厳様。ですがこれもお役目。ゆめゆめ優先順位を間違えぬよう、お気を付けくださいまし」

「わかってる。和尚も覚悟のうえで己の心情に従ったはずだ。それに横から口を出すつもりはないさ」

 悲しいかな沢庵に対して今の三厳ができることなど何もない。ならばせめて彼の道中に災禍がないよう、御公儀からのお役目をしっかりこなしてやろうと三厳は意気込んだ。

「早速明日より情報を集める。方々に出す手紙の用意をしてくれるか」

「承知しました。……ところでもう一方の荷物はいかがいたしましょうか?」

「ああ、あれか……」

 二人は奥座敷の一角に目をやった。宗矩は御公儀からの指令とは別に、個人的にを柳生庄に送っていた。

 それは現在部屋の隅に置かれている三本の刀であった。


 宗矩より送られてきた三本の刀。同封されていた手紙によれば、これらは駿府城に収められていたうちの数本を譲り受けたものだそうで、三厳にその目利きをしてほしいとのことだった。

 目利きと言っても普通の鑑定士のように「この刀は誰々が作ったものだ」と見極めるのではない。――そもそも三厳にそんな鑑定眼はない。――わざわざ柳生庄にまで運んだのだ。当然並の鑑定士では見えないものがあるということだろう。

「さて、何が出てくるか……」

 三厳は緊張しながら一振り抜いて軽く構えてみた。

「……いかがですか、三厳様?」

「『いい刀』だ。薄い肉置にくおき(肉付き)ながら左右のゆがみがない。それに……」

 三厳がぐっと柄を握ると、初めて持ったにもかかわらず、まるで吸い付いてくるかのように手に馴染んだ。

 それだけではない。重さ、バランスその他すべてが調和されており、自然と足の親指付近に重心が乗る。背すじが伸びて気道が確保され、鼻から吸った空気がまっすぐに肺に染みわたる。気付けば三厳は完璧な体勢で正眼の構えを取っていた。

「これは……マズいな……」

 三厳は陶酔にも似た心地よさを感じながら、思わず呟いた。

「マズい、とは?」

「ああ、あまりに完璧すぎる。おそらくだがこれは……」

 三厳が断言しようとしたところで庭先に下男がやってきた。

「若様。指示された通り試し切り用の巻き藁を用意いたしました」

「ん、ああ、すまないな。……とりあえず一度使ってみる。判断はそれからだ」

 三厳は言葉を濁しながら納刀し庭へと向かった。


 三厳が庭の鍛錬場に赴くと、試し切り用の巻き藁が三体立てられていた。どれも高さは四尺ほどで太さは二尺半ほど、おおよそ成人男性の胴体ほどの巻き藁だ。

 実際切った感触もそれに近くしてある。芯材の竹は脊椎の代わりであり、藁も一晩水につけると人肉に近い感触になるそうだ。ただし今回は急な話だったため軽く水を吸わせる程度で済ませている。

(まぁ構わんさ。振った感触を確かめるだけだからな)

 頼元や手の空いていた家臣、下男たちが見守る中、巻き藁の前に立った三厳は例の刀を抜き正眼に構えた。相変わらず薄いながらも均等の取れたいい刀で、その軽さに任せて思わず切りかかってしまいたくなるような衝動に駆られる。

 だが呑まれてはいけない。三厳はまるで瞑想でもしているかのように丁寧に呼吸を整え、そして機を見るや一気に踏み込み豪快に刀を振り下ろした。

「はあぁぁぁっ!!!」

 袈裟切り一閃。周囲の空気ごと切り裂かんばかりの鋭い一撃が決まった。見物していた家臣たちも思わず手を叩く。

「おおっ!お見事!さすがは三厳さ……、んんっ?」

 だが称賛していた家臣たちは拍手の手を止め目を見開いた。なにせ今しがた三厳が切ったと思った巻き藁が、変わらずそこに立っていたからだ。

(ま、まさか三厳様が切り損ねたのか!?)

 見てはいけない者を見てしまったかのように焦る家臣たち。しかし当の三厳は気にすることなく残心を解くと、切っ先で巻き藁の上の方をつんとつついた。

 するとどうだろう、先ほどまで素知らぬ顔で立っていた巻き藁の上半分がボトリと落ちた。あまりの切れ味に巻き藁の方が切られたことに気付かなかったのだ。家臣たちは今度こそ割れんばかりに手を叩いた。

「お、おおっ!さすが三厳様!まさに神域の技ですな!」

 盛り上がる面々。だが当の本人である三厳は、これが自分の力だけによるものでないことをわかっていた。

(俺はごく普通に、いつも通りに切った……。この刀だ!この刀が底上げしたのだ!)

 神業の立役者は宗矩が寄越した刀だった。その後三厳は残る二振りの試し切りも行ったが、それらも見事巻き藁を二つに切り落として終わった。観客は最後まで沸いていたが、当の三厳はその人知を超えた切り応えに背すじに寒気を覚えたほどだった。


 試し切りを終え、座敷に戻った三厳はどかっと腰を下ろし大きく息を吐いた。

「まったく、父上め……。なんてものを寄越してくれたんだ……」

 言わずもがな先の刀のことである。

 あまりにも切れすぎる刀。もちろん刀は切れるに越したことはない。だがあれは心得のない者の手にあっていいものではなかった。

 疲労をにじませる三厳に頼元が尋ねた。

「それほどまでの切れ味だったのですか?」

「切れ味……と言うよりは『切り応え』だな。刀を持った時から振ってる最中、そして振り抜いたのち……。どこを取っても淀む所がない、恐ろしい『研ぎ』だった」

「『研ぎ』ですか?」

 頼元の言葉に三厳は「ああ」と頷いた。

「ああ、『研ぎ』だ。刀身自体は平凡よりやや上と言ったところだろう。悪くはないが、このくらいならうちの蔵にも眠っている。左右の均等や重心の調整、そして何より刃の切れ味は研ぎによって作られたものだ。そして俺はこんな上等に研がれた刀を知っている」

「ということは、やはり……」

 不安そうな顔をする頼元に、三厳は今度こそ断言した。

「ああ、間違いない。この刀は小田原の包丁と同じく人を惑わす刀――妖刀だ」


 妖刀。一般的な刀と異なり、人知を超えた不思議な力を持つ刀の総称である。ただ識者に言わせるとこれはもう少し細かく、三種類に分類できるそうだ。

 一つ目は製作者や過去の使用者の『意思』や『怨念』が乗り移り、物理法則では説明できない効果が表れるタイプ。これは徳川家に仇なすと言われている妖刀・村正などが有名だろう。二つ目が長い年月を経ることで刀に『魂』が宿ったタイプ。これは『付喪神』として分類されることも多い。そして三つ目――通常以上によく切れる刀もまた時に妖刀として扱われることがあった。

「それがこの刀だとおっしゃるのですか?」

「ああ。以前小田原で研いでもらったものと同じ手応えを感じた。過ぎた力は時に人を惑わせるということだ」

 三厳は以前小田原でひそかに流通していた『よく切れる包丁』の調査をしたことがあった(第二話)。この時も刃物の切れ味によって正気を失いかけた人たちがいたが、今回はさらに人を殺しかねない道具・刀である。万が一事情を知らぬ者が手に取ってその切り応えに魅せられれば、ちょっとした大惨事になっていたこともあり得るのだ。

 宗矩が発見した刀はそんな刀であり、そして問題はこれが駿府城に収められていたという点だった。

「恐ろしいですな。もしもこの刀を大納言様が手に取っていたと思うと……」

「誰も止められるものはいなかっただろうな。本当に最悪の可能性もあっただろう。父上が見つけたのは不幸中の幸いだったということだ」

「……偶然でしょうか?」

「……訊かないでくれ。頭が痛くなる」

 忠長の複雑な立場は今更言うまでもない。そんな彼の元に妖刀が巡り巡ってきたのは果たしてただの偶然か。そしてもし宗矩がこの刀を見つけていなかったら……。

 二人は底の見えぬ闇に振れたことでしばらく言葉を失っていたが、やがて三厳は首を振って正気に戻る。

「もう考えるのはよそう。ここで頭を悩ませたところで俺たちにできることなど何もない。さっさと報告して、あとは父上らに任せればいい」

「それがよろしいかと。……それでこの刀はいかがいたしましょう?」

 こうして手元に残ったのは三本の刀。よもや駿府に送り返すわけにもいかない。安全性を考えるなら今すぐ蔵の奥底にでも仕舞っておくべきなのだろうが、何を思ったのか三厳はしばし考えたのち三本とも手元に引き寄せた。

「……俺が預かろう」

「三厳様!?まさか腰に据えるおつもりで!?」

 目を丸くする頼元。なにせこの刀は人心を惑わせるほどの妖刀なのだ。領地を預かる家柄の者が持っていていい刀ではない。だが三厳は構わず選んだ一本を腰に据えた。

「いいではないか。ちょうどしっくりくる刀を探していたところだ。道具は使ってこそだし、それとも何か?俺がこの刀に呑まれるとでも思っているのか?」

「い、いえ、そのようなことはありませぬが……」

「ならば問題ないな。それより江戸からのお役目があったな。それについて詰めようではないか」

「くぅぅ、わかりましたよ。ただしくれぐれも扱いには注意してくださいね?」

 さしもの代官・頼元も剣のこととなると三厳に意見することはできない。こうして三厳は半ば強引に、話題を幕府からの指令の話に戻したのであった。


 さて、鑑定話に話題が持っていかれてしまったが、江戸御公儀からのお役目も忘れてはいけない。

 江戸からの指令は『沢庵出府の際に不備がないように、東海道の情勢に注意を払うこと』。柳生庄は東海道上にはないが、三厳は怪異改め方としてあやかし関連の事件があれば協力するようにと言われている。現代風に言えば怪異専門のアドバイザーと言ったところだろうか。

 もちろん怪異に強い人物は三厳以外にも大勢いる。しかし関西方面で名のある者はどうしても朝廷や豊臣の息がかかっていた者が多い。時期が時期だけに、そのような者とのつながりは幕府としても容認しかねる。対し三厳は老中直属の怪異改め方にして、将軍の小姓まで務めた根っからの徳川方の人間だ。幕府にとっても相談する大名にとっても都合のいい相談役と言うわけだ。

 ただアドバイザーという立場上、相談相手が来るまでは手持無沙汰になることは致し方ない。

「仮に事件が起こったとしても、まずは自分の領内で片付けようとするはず。しばらくは暇なままなのだろうな」

「いいではありませぬか。事件など起こらぬのが一番ですよ」

 三厳たちはしばらくは暇になるだろうと高を括っていた。しかし存外早くその相談者はやってきたのであった。


 それは江戸の指令を受けてからまだ半月も経っていない五月中旬の頃だった。

 この日の三厳は折り悪く、前日からの深酒で昼前になってもまだ寝床で横になっていた。そこに礼節も無視して代官・頼元が飛び込んでくる。

「み、三厳様!起きてください!『改め方』の件で三厳様にお会いしたいという方が来ておられます!」

「む……なんだ、騒々しい……。……あぁ、昨日の飲み過ぎで気分が悪いんだ。少し待っててもらうよう言っててくれるか?」

 いつもならこれで頼元は引き下がっただろう。だが今日はそうはいかなかった。

「いえ、なりません!宇陀うだ松山からの使いの方なのです!とにかく早く起きてくださいまし!」

「うだ……?……なにっ!?宇陀松山だと!?」

 三厳はまるで雷にでも打たれたかのように一瞬で目を覚ました。

 それもそのはず、来訪者がやってきたという宇陀松山――その領主はあの織田信長の次男、一時は従二位内大臣の位を冠していた織田信雄のぶかつだったからだ。

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