柳生三厳 新たな指令を受ける 3
東海道の治安維持のため、あやかし関係の相談を受けるようにと命を受けた柳生庄の三厳。
そんな彼の元に早速相談者がやってきたのだが、訪ねてきたのはなんとあの織田信長の次男、織田信雄の配下の者だった。
三厳は急いで着替えて奥座敷へと向かった。そこでは二人の来訪者がまっすぐに背すじを伸ばして待っていた。一人は髪がすべて白くなっている老齢の能吏で、もう一人はそれより十は若い細身で神経質そうな男である。
二人とも国主格に仕える者らしく息苦しくなるほどの厳格な雰囲気をまとっていたが、三厳も里の代表である。相手に呑まれてはいけないと小さく一つ咳払いをしたのち丁寧に一礼した。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。柳生庄領主・柳生宗矩が嫡男、柳生三厳にございます」
三厳としては精一杯厳かな態度で臨んだが、相手は慣れた様子で頭を下げ返す。
「こちらこそ急な来訪にお応えいただき感謝しております。某、
二人の名乗りに三厳はひそかに緊張を高める。義方らは自分たちを国家老の家来だと名乗った。国家老とは主君に代わり領地を預かる家老のことである。つまり彼らの二つ上にはもう織田信雄がいるということだ。
どうやら思っていたよりもかなり地位の高い者がやってきたようだ。三厳が背すじに寒いものを覚える中、顔を上げた義方は早速本題を切り出した。
「三厳殿には我らの領内にたむろする、あやかしどもを退治してもらいたいのです」
おおよそ予想通りであったが、相手が相手なだけに三厳は丁寧に居住まいを正し、「詳しくお聞かせ願えますか?」と改めて聴く姿勢を作った。
「お恥ずかしながら、昨年の冬あたりから領内に手癖の悪い者が住み着いてしまいました。三厳殿にはそやつらを退治してほしいのです」
義方の話によると、数か月前の年越し前後から宇陀周辺にて山賊出現の報告ががたびたび出るようになったという。詳しく調べてみたところ、どうやら不届き者たちが小さな徒党を組んでセコく暴れまわっているとのことだった。それだけならば適当に人を出して解決すればいいのだが、そこにその徒党の頭首があやかしだという噂が入ってきた。
「相手がただの人ならば打つ手もありましたが、異能相手では何が起こるかわかりかねます。下手を打てば家名に傷がついてしまうかもしれない。そんな折に耳にしたのが三厳殿のお噂でした」
沢庵の件で幕府は、あやかし関係の相談なら『怪異改め方』の三厳にするようにとお達しを出していた。それを聞いて義方たちは渡りに船とやってきたそうだ。
「なるほど、あやかしならば確かに私の領分ですね。もう少し詳しく話を聴いてもよろしいでしょうか?」
「はい。ではまずは場所ですが……、時に三厳殿。宇陀周辺の地理には明るいでしょうか?」
「お恥ずかしながら、詳しくは……」
「左様で。いえ、ご安心ください。あらかじめ地図を用意しておきましたので」
義方がそう言うと隣の高通が懐から手製の地図を取り出し全員の前に広げた。地図には主要な集落と、そこを繋ぐ街道が簡単に描かれていた。
「こちらが柳生庄……。こちらが伊賀上野……。上野から南に延びる道を進んで宇陀……。山賊どもはこの宇陀手前の集落、
そう言うと義方は地図に引かれた街道の一角を指し示した。
ここで軽く宇陀という土地について説明しておこう。
義方らが住まう宇陀は現代で言う奈良県中央付近、奈良盆地南東端から少し東に行った山間部にあった(柳生庄は奈良県北部にある)。柳生庄から見ると笠置山地の山塊を間に挟んでほぼ真南に位置し、向かうにはその山塊をぐるりと迂回して三日から四日ほど歩く必要がある。そのルートは柳生庄から始まり、伊賀上野―
義方曰く、その道中にある集落・室生近辺にて山賊が出るようになったとのことだった。
「このあたりは地形の関係上、不埒な者が現れることは間々ありました。ただそのどれもが一人か二人といった小規模なもので、数日小銭を稼いではさっさとにぎやかな町の方へと上っておりました」
「今回の様に徒党を組んで長居することは
「まったくなかったわけではないですが……、何にせよ御家のためにも悪い方に転がる前に先んじてどうにかしておきたいというのが心情です」
なるほど宇陀は織田信雄の領地というだけあって通常よりも目立つ土地である。そこの御公儀が賊を放置していると思われるのはいろいろと具合が悪い。外部の三厳の力を借りてでも早期解決を望むのは十分理解できることだった。
「お気持ちはわかりました。してその頭首のあやかしとやらはどのような者なのですか?」
わざわざ柳生庄くんだりまで足を運んできたのだ。きっとそれはそれは恐ろしいあやかしのはず。そう予想した三厳であったが、これに義方はたどたどしく答えた。
「そ、それがその……私どももまだ噂を聞いただけで、はっきりしたことはまだわかってないのです」
「えっ!?それは、その……大変ですね……」
なんと敵があやかしというのはまだ噂の段階だったのだ。てっきりとてつもないあやかしが出たと身構えていた三厳は思わず拍子抜けした。
もちろん失礼にならぬように極力反応を抑えてはいたが、その内心は伝わってしまったようで、義方は慌てて取り繕うとする。
「た、確かにまだ確定した話ではございません。ですが多くの者から聞き取りをした結果、山賊の首魁は西より流れてきたあやかしだと……その可能性が高いことはわかっているのです……」
初めとは打って変わって切実な様子で頭を下げる義方たち。それに対し三厳はどう返せばいいのか悩んでいた。
(う、うぅむ……。これは風向きが変わってしまったな……)
あやかしが関わっているなら三厳のお役目であるが、関わっていないならそうではない。
これが何のお役目もない時なら面白そうだからと引き受けたことだろう。しかし今三厳は東海道の治安維持のために待機している状況にある。東海道は里から見て北から東を走っており、対し宇陀はその反対方向、南の方にある。むやみに里を空けたくない三厳としては悩ましい位置であった。
(わざわざ訪ねてきてくれたのだ。無下にしたくはないが、さて、どうしたものか……)
返答に困った三厳はとりあえずこの場を締めることにした。
「少し家の者と話す時間をいただきたい。その間お二人は休んでいてください。山道お疲れだったでしょう。すぐに下の者に湯や食事を用意させます」
三厳は家の者に義方たちをもてなすように命じ、自身は頼元と共に奥に下がった。果たしてこの依頼を受けてもいいものか話し合うためである。
「さて、どうしようか?」
家臣らに義方らをもてなさせてる間に、三厳は頼元に今回の件を受けるべきかどうかを尋ねた。いろいろと事情を鑑みると、必ずしも受けるべきとは言えないと考えたからだ。
だがこれに頼元は受けるべきだと即答する。
「相手は元内大臣様の家臣です。引き受けないという選択肢はございません」
確かに義方らの主君・織田信雄は一時は内大臣の地位にまでなった人物で、その際に培われた交友関係は未だに天上人級である。ないがしろにするべきではない相手というのは三厳だってわかっていた。
「それはわかっている。だが東海道で問題が起こったらすぐに出向かねばならぬのだぞ?宇陀ではまったくの逆方向ではないか」
対する三厳の懸念は江戸からのお役目を全うできなくなるのではないかというものだった。
三厳は現在東海道で異変が起これば手を貸すようにと指令を受けている。そのお役目に対し宇陀は位置が悪い。もし宇陀に行っている最中に東海道からの依頼が来れば、遅れてしまうどころか最悪職務怠慢とみなされる恐れもある。実際にあやかしが出ていればまだ大義名分もあったのだが、それすら今は噂の段階だ。
「聞いたところによると特段火急と言うほどでもない。相手があやかしだと確定してからでも遅くはないのではないか?」
だがそれでも頼元は今すぐにこの件を受けるべきだと主張する。
「三厳様、よくお考えになってください。内大臣様ですよ?普通に生きていたらまず縁などできることのない相手です。そんな相手に恩を売っておけば、必ずや御家のためになることでしょう。むしろまだどこからも相談を受けてない今こそ行くべきなのです」
「うぅむ……、しかしだな……」
「わかりました。ならば上野や名張に連絡役を置きましょう。こうすればもし別のところから相談が来てもすぐに三厳様の元に話が行くはずです。加えてどの事件を優先させるかの決定権もいただいちゃいましょう。なに、こっちはあやかしの専門家です。多少の無茶も通りましょうぞ」
それは普段慎重な頼元にしては大胆で大盤振る舞いな案だった。それだけ今回の件を好機ととらえたのだろう。実際妥協案としては悪くない。
「わかったわかった、その方向で話を進めよう。もちろん向こうがこれでいいと首を縦に振ればだがな」
こうして三厳は義方たちに道中に連絡役を置くこと、情勢が動けば撤退も視野に入れることを条件に宇陀に向かうことを提案した。正直この案は三厳たちに都合が良すぎたのでゴネられると思ったが、意外にも義方たちは二つ返事でこれを了承する。
「御助力ありがとうございます。それではそちらの支度が済み次第、早速宇陀へと向かいましょうぞ」
(すんなり通ったな……。この急ぎ様、何か裏があるのか?)
義方たちの態度から一抹の不安を覚えた三厳であったが、協力すると言ってしまった以上もう後には引けない。
少々流れに乗せられた感は否めないが、三厳は(まぁいいさ。なるようになるだろう)と開き直り、宇陀へと連れていくお供の選定に取り掛かったのであった。
それから二日後の早朝。準備を整えた三厳たちはいよいよ宇陀へと出発する。そのために柳生屋敷の門前へと集まったのだが、そこに集まった人だかりを見て三厳は思わず呆れ声を漏らした。
「やれやれ、結構な人数になってしまったな」
呆れるのも無理もない。まず宇陀に向かう三厳とその補佐二人で計三人。道中の上野と名張に置く連絡役がそれぞれ二人で計七人。そこに宇陀からやってきた義方と高通、およびそのお供たちが加わり計十三人。ついでに見送りの頼元らも含めれば二十人近くが早朝の屋敷前に集まっていることになる。
これには義方も思わず「盛大ですな」と呟いた。
「申し訳ございません。存外に大所帯になってしまって……。ですが他のお役目との兼ね合いですので、どうかご了承いただきたい」
「いやいや、悪い意味で言ったのではありませんよ。むしろお忙しい中、これだけの人員を裂いてくれて感謝の限りです。それでは参りましょうか、三厳殿」
「あ、そのことなのですが、一応怪異改め方として向かうのでこれからは『
怪異改め方はその職務上『穢れ』に触れることが多い。将軍の小姓も務めていた三厳はその穢れを遠ざけるために、改め方として動く際は『柳十兵衛』という仮名を使用していた。
今回の件も怪異改め方として宇陀に向かうため、三厳もとい十兵衛がそう求めると、義方は一瞬だけ渋そうな顔をした。
「十兵衛ですか……」
「……何か問題でもありましたか?」
「あぁ、いえ。昔同じ名を持った知り合いがいたというだけです。十兵衛殿が気になさることではございません」
「そうですか?では他に問題がないのでしたら、そろそろ行きましょうか」
こうして十兵衛一行は柳生庄を発った。目的地は宇陀。そのためにまずは笠置街道に入り、伊賀上野を目指すこととなる。
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