柳十兵衛 春豪房に出会う 1
織田家の家臣から山賊退治を依頼された三厳は、途中いろいろあったものの最終的に依頼を受諾。怪異改め方・
一行は柳生庄を発ち、まずは伊賀上野を目指す。
柳生庄を発った十兵衛たちはその日のうちに伊賀上野へとたどり着いた。日はまだ高かったが、各々ここですることがあったため今日はここで宿を取ることにする。
「それでは俺は利助様に挨拶に行ってくる。遊びに来たんじゃないからあまりはしゃぐんじゃないぞ」
十兵衛はそう言って
彼らがこれから会いに行く利助という男は、交通の要所・上野にて諜報員たちの仲介役を務める者――いわば上野の裏の顔役のような男であった。通り過ぎる程度なら挨拶は必要ないのだが、今回は連絡役二人をここ上野に置いていくため一言断っておくというわけだ。
またこれには義方も同行した。なんでも彼もしばらくここ上野に留まり、近江や伊勢の名士と書簡のやり取りをしていくとのことだった。
「某もこの地に残り、近江や伊勢と少しばかり親交を深めてまいります。案内役は
こうして義方とそのお供三人は別の宿を取って一行から抜けた。ここから先導役がもう一人の宇陀国家老の家臣・戸倉高通へと引き継がれる。
「お聞きになっているとは思いますが、ここからは某が案内いたしまする。改めて道中よろしくお願いいたします、十兵衛様」
宿に戻ると高通が改めて頭を下げた。その顔にはほんのり緊張している様子が見て取れる。どうやら存外感情を隠すのが苦手なタイプのようだ。
(ふぅむ、それならば……)
「こちらこそよろしくお願いいたします、高通様。しかし義方様も大変ですな。ご高齢だというのに各地との交流にいそしまれて」
「ええ、まぁ……。今は大事な時期ですからね。義方様も気を吐いておられるのです」
「ほう、『大事な時期』ですか。……もしやそれが山賊騒動の解決を急いておられた理由ですかな?」
十兵衛が試すような目を向けると高通は「ぐっ」と痛いところを突かれたという顔をした。
思えば義方たちは初めからおかしかった。あやかしだと確定しないうちに柳生庄にまで足を運んできたし、里に来たのも下級の家臣ではなく長年国家老に仕えてきたであろう老家臣である。そしてその義方は十兵衛を引っ張り出すや、さっさと次の外遊に出ていった。明らかに山賊退治とは別の本命があるのが見て取れる。
これを義方に訊いても年の功でのらりくらりと逃げられたことだろう。だが高通はそこまで老獪ではなかった。彼は十兵衛の視線に耐え切れず、諦めたように溜め息をついたのち白状した。
「はぁ、まぁいずれわかることです。……実を申しますと、某たちは上様(織田信雄)の五男・主膳様(織田
「某たちは国家老の命を受け、主膳様(織田高長)が宇陀を相続できるよう動いております」
白状した高通曰く、今回の依頼の背後には宇陀の相続話がかかわっているとのことだった。想定外の鉱脈が出てきたため十兵衛は思わず顔をしかめる。
「宇陀を主膳様に?まさか後継ぎ争いでも起こってるんですか?」
よその家の相続話など厄介ごとの温床である。十兵衛はそんなところに首など突っ込みたくはないと嫌な顔をするが、高通は心配することはないと首を振る。
「ご安心ください。別に骨肉の争いが起こっているというわけではございません。ただあの宇陀と言う土地は少々特殊な場所でして……」
「特殊な場所?」
「ええ。簡潔に申しますと、上様が与えられた土地は大きく二つありまして……」
高通らの主君・織田信雄には大きく二つの領地が与えられていた。一つが宇陀松山であり、もう一つが群馬県南西部に位置する
「ほう、お孫さんが」
「ええ。数年前にいろいろとありまして……。まぁとにかく上様は政治の第一線を退いて久しい。ゆえに現在御家の中心となっているのは小幡であり、宇陀は上様の隠居料として残っているだけなのです。そしてですね……あまりこういうことは言いたくはないのですが、上様ももう随分なお年でしょう?」
「おいくつでしたっけ?」
「今年で御年七十一となります」
「七十一……!」
思わず感嘆する十兵衛。戦国真っただ中を生きていたのだからそれぐらいあってもおかしくないのだが、それにしたって宗矩よりも存命の徳川秀忠よりも高齢だ。こう言っては何だが、いつ亡くなってもおかしくない巨星である。
「なるほど。それは相続話が出てきてもおかしくはない」
「ええ。それで万が一上様が亡くなられた際、向こうの家が宇陀の地を返上し、領地を小幡一本に絞る可能性があるんですよね」
宇陀は信雄のこれまでの功績に対して与えられた、言ってみれば隠居料のようなものだった。それゆえ信雄が亡くなった際には無理に所有せず、江戸に返還するのも一つの手ではある。だが国家老たちはこの地を主膳・高長に継がせたいとのことだった。
「それは大丈夫なのですか?小幡側はあまりいい顔をしないでしょう?」
「上様も承知の上です。左少将のことがありましたからね」
「左少将様?」
「上様の四男で、小幡を治めていた先代ですね。二年前に亡くなられてしまいましたが……」
実は織田家は二年前に、当時小幡を治めていた信雄の四男・
家のために貢献した高長への報い、および万が一に備え本家筋を残しておくために、古参家臣たちは高長に宇陀を継がせようと画策し今に至るというわけだ。
「そのため宇陀近辺で問題が起こるのはなんとしてでも避けたいのですよ。手に余ると思われたら、この地を放棄するように言ってくるかもしれないですからね」
「……なるほど。ということはこの山賊騒動は決して些事ではない、と?」
「ええ。今後の宇陀を左右しかねない重要な事件です。ゆえにいろいろとよろしくお願いいたしますよ、十兵衛殿?」
そう言うと高通はかすかににやりと笑った。どうやら口が軽くなったのは、十兵衛に事の重大さを伝えるためでもあったようだ。
そしてそのまま流れるように高通は十兵衛のお猪口に酒を注ぐ。なみなみと注がれた濁酒は事の混迷さを表しているようだったが、今更呑まぬ道はない。
(今回もまた面倒事になりそうだな……)
十兵衛は渋々ながらも一息で酒を呑み干した。近年呑んだ中では一番マズい酒だった。
そんなちょっとした押し引きをした翌日、十兵衛たちは連絡役や義方たちを残して上野を発った。天気は若干曇ってはいたが歩くのに支障が出るほどではなく、一行は昼過ぎには何事もなく次の目的地である
「少し早いですが今日はここまでにしておきましょう。今からだと山中で日没を迎えかねませんからね」
名張は上野盆地南端に位置する町で、高通曰くここから先は険しい山間いの道を進むことになるそうだ。加えて
「この先の隘路で追い剥ぎにあったという話もありましたからね。出来るだけ明るいときに進むべきでしょう」
「それもまた
「おそらくは。他に賊が出たという話は聞いておりません」
十兵衛としては山中でかち合うのもやぶさかではなかったが、案内役はあくまで高通なため素直にここで一泊した。
そしてまた一夜明けた翌日、一行は日が昇るのを待って名張を出る。空には相変わらず雲がかかっていたが、足元がおぼつかなくなるほどではない。道はしばらくは名張川の支流・宇陀川に沿って平坦に続いていたが、途中の赤滝村を過ぎたあたりから明らかに山らしいものへと変化した。
「ここから足元が悪くなりますのでお気を付けください」
高通の忠告通り、このあたりから街道の雰囲気が一気に変わった。道はうねり、木々による死角が多くなる。人一人分の幅しかない道が何か所も続き、川が近いせいか苔むして滑りやすくなっているところも多々あった。
「なるほど、これは確かに賊が好みそうな地形ですな」
「ええ。実際大昔このあたりには荘官に逆らう悪党が多くいたと言われております。まぁそれも今は昔。日の出ている時に複数人で歩けば襲われることもありませんよ」
見れば山道は険しかったものの、それなりに往来する人はいた。すれ違う旅人は皆三人以上で隊を組んでおり、自衛のために脇差を差している者も多かった。
「思っていたよりも人がいるのですね」
「ふふっ。まぁ縁のない人はそう感じるでしょうね。今でこそ街道と言えば『東海道』ですが、こちらも古都から伊勢までの往来に使われた歴史ある街道です。今でも堺や紀州の方々がよく使われておりますよ」
ここで高通が言った『古都』とは飛鳥時代の都、飛鳥京や藤原京のことである。これらの都は奈良盆地の南部にあり、そこから伊勢へと向かう際に現在十兵衛たちが歩いている街道が使われていた。飛鳥時代は十兵衛たちの時代からでも千年近く前のため、文字通り歴史ある街道であった。
「まぁそのせいで街道管理の不備が目立ってしまうんですがね……」
冗談めかして苦笑する高通に十兵衛は苦笑を返しながら「心中察します」と慰めた。
さて、そんな山間いの道を進んでいた十兵衛一行は正午頃に室生の村にたどり着いた。
「見えてきましたよ。あそこが室生です」
室生は宇陀川沿いの小さな盆地部にあった。位置としては名張と宇陀のちょうど中間あたりにあり、山賊が出現するエリアにある集落の中では一番大きいらしい。以後ここが一行の拠点となる。
ちなみに高通らが事前に手を回していたようで、寝泊りするための屋敷はすでに確保されていた。そこでは駐在していた高通の家臣が待っていた。
「こちら、室生に駐在させている
八太郎は月代を丁寧に剃り上げた二十前後の若侍であった。彼は一礼したのち周囲の近況を報告する。
「報告させていただきます。まず例の山賊たちですが、数日前高通様方が立ち寄った時より新たな動きはありません。山を下りただとか新たに誰かが加わったという話もありませんね」
どうやら今のところ山賊たちに大きな動きはないらしい。その後八太郎は宇陀本領の近況などについて報告したが、それらは十兵衛にとっては重要な話ではなかった。そして彼は最後に備考として一つの噂話を報告した。
「あと……たいしたことではないのかもしれませんが、三輪の方より『
「しゅんごう?」
それはほとんどの者にとって初めて聞く名前であった。唯一十兵衛の家臣の一人がこれに反応する。
「春豪?……まさかそれは、あの『春豪房』ですか?」
「知っているのか、
「ええ、噂で聞いた限りですが、なんでも西国各地で腕試しを行っている非常に強い僧だそうで……」
十兵衛のお供の友蔵曰く、西国の方に春豪という名の、大
ちなみになぜ友蔵がこんな噂を知っているのかというと、柳生家と協力関係にある大坂の廻船問屋・山中屋の用心棒をしている時にこの噂を聞いたとのことだった。どうやら西の方ではそれなりに有名な人物とのことだ。
「噂によりますとその巨体から繰り出される攻撃はまさに天下無双。名のある武芸者たちと立ち合うも全戦全勝。ここまで無敗のまま次なる強者を求めて諸国を渡り歩いているとのことです」
そう熱く語る友蔵であったが、そのあまりに出来過ぎた話に周囲の反応は冷めていた。
「……胡散臭い噂だな。僧兵なんていつの時代の話だ。どうせちょっとした腕自慢の噂に尾ひれがついただけだろう」
「し、しかし結構な者が知っていた噂でして……」
「噂とは得てしてそういうものだ。そもそもそんな奴がいたとして、今回の山賊騒動とは関係ないだろう。まったくもう……」
十兵衛は呆れた様子で立ち上がった。そこに高通が声をかける。
「おや、どちらに?」
「報告は終わったようなので少し周囲の地形を見てまいります。あぁ一人で大丈夫ですよ。少し考えたいこともありますので」
そう言うと十兵衛は一人ぶらりと屋敷を出た。
屋敷を出た十兵衛は当てもなく室生の村を散策し始めた。室生は山間いの盆地部にある集落で、村の中央には宇陀川が流れている。初めは少し柳生庄に似ていると思ったが、街道沿いの村ということで里と比べるとやや開放的な雰囲気があった。
しばらく歩いた十兵衛はやがてその宇田川の河原に下り、おもむろに刀を抜いて素振りを始めた。
(早ければ明日にでも例の山賊やらと一戦交えるだろうからな。今のうちにしっかりと体を慣らしておかないと)
そういう名目で体を動かす十兵衛であったが、その本心は誰よりも自分自身がわかっていた。
(春豪か……。あんな噂が流れるなんて、いったいどれほどの強さなのだろうか……)
そう、十兵衛は春豪房の噂を聞いて、一剣士として居ても立ってもいられなくなっていたのだ。強い者がいると聞けば戦いたくなるのは武人としての性である。
だがお役目を任されている今、そんなことをしている暇はない。そもそも万が一負ければ御家の名にも傷がつく。初めから立ち合いたいと思うこと自体が間違っているのだ。
ゆえに十兵衛は無心の素振りで、滾る想いを誤魔化そうとしていた。しかし刀を振れば振るほど、まだ見ぬ春豪の影を切ってみたいという想いは強くなる。
その衝動は武人の本能――あるいは今振っている刀にも原因があるのかもしれない。
(くそっ!刀に呑まれそうだ!克服したと思ったのだがな!?)
びゅおんと小気味よく刀身が空を切る。十兵衛が現在振っている刀は、宗矩が送ってきた例の妖刀だった。
切れ味が良すぎるために、つい何かを切りたくなってしまう妖刀。十兵衛はこの半月この妖刀に呑まれぬために瞑想して心を落ち着かせたり、逆に巻き藁を切って切って切りまくって思いを発散させることで、刀の持つ魅力に抗うだけの精神力を鍛えてきた――つもりだった。
しかしいざ血が滾るや、その肉薄な刀は鞘から飛び出し己が切れ味を示そうとする。
(……いや、違う。刀は勝手に飛び出したりなどしない。切りたくなっているのは俺の弱い心だ!)
十兵衛は居合風に素早く抜刀した。軽すぎる刀はそのままどこかに飛んでいってしまいそうだったが、十兵衛はそれを抑え込むように握る手に強く力を込めた。
結局渇きにも似た衝動が収まったのは、たっぷり二十分は刀を振った後だった。
(……ようやく落ち着いたか。いやはや、俺もまだまだ未熟だな)
切りたい欲求に呑まれそうになった十兵衛だったが、額に汗をかくほどに体を動かしたおかげでどうにか正気に戻ることができた。十兵衛は川で濡らした手拭いでサッと体を拭くと、屋敷に戻るために踵を返そうとする。
しかしその時だった。十兵衛はふと川下の方からこちらの方に歩いてくる男を見つけた。その男は身長六尺半ほどで、くたびれた袈裟を身にまとい、身の丈ほどの大長巻を携えている。その足取りは重厚ながらも迷いはなく、そして何より遠くからでも見入ってしまうほどの迫力があった。
「あ、あの男、もしや……!」
十兵衛は確信した。あの男こそ家臣たちが噂していた怪僧・春豪その人であろう。そしてすぐさまもう一つ確信する。
(……強い!)
幸か不幸か、その足取りからこの男は噂通り
十兵衛は抑え込んだはずの猛りが、再度自分の中で熱を持ったのを感じ取った。
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