柳十兵衛 春豪房に出会う 2

 山賊退治の依頼を受けて山間いの村・室生にまでやってきた十兵衛一行。そこで十兵衛はひょんなことから西国で暴れまわっている怪僧・春豪しゅんごう房の噂を耳にした。

 強者の噂、加えて腰に据えた妖刀のせいで一時は気が高ぶってしまった十兵衛であったが、一人素振りをすることでどうにか自身のお役目を思い出し落ち着きを取り戻す。

 だがその時であった。十兵衛は川下の方から武蔵坊弁慶を彷彿とさせる巨漢の僧侶がやってくるのを目に留めた。


 その男は身長六尺半(約2メートル)ほどで、くたびれた袈裟を身にまとい、身の丈ほどの大長巻ながまき(太刀の刀身に長い柄をつけたもの)を携えて歩いていた。

 風貌は一昔前の戦場からそのままやってきた僧兵のようで、鋭い目つきと隙のない身のこなしには常在戦場の意志が感じられる。その太平の世にそぐわない迫力は筆舌に尽くしがたく、まだ半町(約50メートル)ほど離れていた十兵衛が思わず身震いしたほどであった。

(……この威圧感!これほどの者がまだ在野にいようとは!間違いない!あれが友蔵の言っていた春豪房であろう!)

 十兵衛はすぐさま彼が噂の春豪房であると確信した。しかもその雰囲気を見るに噂通り相当な実力者のようだ。よもやこんなところで出会えるとはと心震える十兵衛であったが、同時に何の心構えもできぬまま邂逅してしまった自分に狼狽もした。

(……どうする?一戦願い出るか?しかしいきなり立ち合えと言われても向こうも困るだろう。それにこちらにも立場というものがある……)

 十兵衛は一人の武人として是非ともこの推定春豪の巨僧と立ち合ってみたかった。しかし同時に自分は幕府にお役目を任された一幕臣でもある。こんなところで矢鱈に命を懸けてもいい身分ではない。

(しかし……!この機を逃せば次はいつ会えることか……!だが……しかし……!)

 二つの立場に悩む十兵衛。そうこうしている間に推定春豪の巨僧はずんずんと近付いてきており、そしていよいよ十兵衛の脇を通り抜けようとした。

(くそっ、このままでは……!ええい!ままよ!)

「ちょっと待て!そこのお前、どこに向かうつもりか?」

 このタイミングで十兵衛はこの男に声をかけた。巨僧ははたと足を止めると、ギョロリと十兵衛の方に目を向けた。

「……なんだ小僧、藪から棒に。俺がどこに向かうなど、答える道理がどこにある?」

「道理ならあるさ。俺は御公儀の者で、この地で暴れている山賊を鎮めるように命じられてここにいる。怪しい輩は切っても構わぬともな」

 悩み抜いた十兵衛は最終的に、あくまでお役目の一環として声をかけた。これならば引き留めても不自然ではない。そして威嚇として左手を軽く腰の刀に置く。もちろん本当に切り合うつもりはない。これが今の十兵衛にできる精一杯だった。

 だがそれを見て推定春豪は鼻で笑う。

「ふふふっ」

「……何がおかしい?」

「笑いたくもなる。……俺と立ち合いたいのなら素直に言ってみてはどうだ?昂ってる気が隠せてないぞ」

「なっ!」

 推定春豪は一目で十兵衛の劣情を見抜いた。十兵衛は言い当てられた羞恥で顔を赤くしたが、当の巨僧はすぐに興味ないという風にぷいと顔をよそに向けた。

「安心しろ。俺はただ流れているだけだ。山賊とやらも今初めて聞いたくらいだ」

「本当か?」

「嘘をついてどうする。それともそれを理由に切りかかるつもりか?」

 そう言うと巨僧はほんの少しだけ長巻を握る手に力を込めた。たったそれだけの行為であったが、思わず血の匂いを感じ取ってしまうほどの覇気が彼にはあった。

 そんな好戦的な雰囲気を見て十兵衛は一歩引いた。これは彼が尻込みしたためではなく、ここから一歩でも踏み出せば本当に戦闘になると悟ったからだ。さしもの十兵衛もここで彼と戦うことに意味などないと分かっている。十兵衛が引いたのを見るや巨僧もすっと闘気を抑えた。

「賢明な判断だ。それもまた一つの正解だろう」

「よく言う……。それで貴殿はこのまま北に向かうのか?」

「まぁそうなるな。機会があればまた会うこともあるだろう。差し支えなければ貴殿の名を訊いても構わぬか?」

 十兵衛は一瞬迷いつつも返答した。

「……柳生庄の柳十兵衛だ。そちらは噂の春豪房か?」

「どんな噂かは知らないが、いかにも問われれば春豪と名乗っておる。では十兵衛殿、またいずれ会おう。……あるいは貴殿が救われることを願っておこう」

「……救われる?どういう意味だ?」

 最後に意味深な言葉を吐いて歩きだす春豪。十兵衛はその背中に意図を尋ねたが、彼はただ「いずれわかる」とだけ言って振り返らずに北へと歩いて行った。


 春豪と別れた十兵衛は、再度汗をぬぐったのち拠点の屋敷へと戻った。出迎えた家臣は十兵衛の顔を見るや少し驚いた顔をする。

「お帰りなさいませ、十兵衛様。……どうかしたのですか?ひどく険しいお顔になってますが……」

「む、そうか?……それだけ気圧されていたということか」

 どうやら思っていた以上に春豪の迫力に呑まれていたようだ。十兵衛は頬を揉みながら、先程の春豪との邂逅を報告した。

「……実は先ほど例の春豪房に会ってな」

「ええっ、真ですか!?まさか本当にいたとは……。いったいどのような怪物でしたか!?」

「怪物はさすがに言い過ぎだ。ただ確かに噂通りの怪僧であることは間違いないようだ。まさかあんな武人がまだ在野にいたとはな」

 十兵衛は彼の背格好や雰囲気、噂との相違点やこれから北に向かうと言っていたことを話して聞かせた。

 訊き終えた家臣の一人はふぅと安堵の息を吐いた。

「まさか本当に実在したとは……。ですが山賊とのかかわりがないのは僥倖でしたね。そんな怪物が敵に回ってたらと思うと恐ろしい限りです」

「ああ、そうだな……」

 十兵衛は一瞬彼が敵に回るのも悪くないと思ったが、それは口には出さずに頷いて返した。そこに奥で何やら作業をしていた高通が合流する。

「まったくです。ですがこのまま山賊を放っておけば、彼以外の強者が加わるかもしれない。やはり早々に奴らを叩きに行かねばなりませぬな」

 そう言って高通は一行の中心に、いくつかの印が書かれた地図を広げた。


「これは?」

 一行の前に広げられたのは室生を中心とした地図で、所々に川らしき線とバツ印が描かれている。

「これはこの近辺で賊が潜んでいそうなところをまとめた地図です。我々はまず奴らのねぐらを突き止めなければなりませんので」

「おや。塒はこのあたりにあると言ってませんでしたか?」

「ええ。おおよそここより北ということはわかってはいるのですが、正確な位置まではまだ把握できておりません。なにぶん相手があやかしということで大っぴらに動けずにいましたからね」

 高通曰く、彼らはまだ山賊たちの正確な塒居場所を突き止めてはないとのことだった。ただこれは彼らの怠慢のせいではない。原因は相手の首領はあやかしではないかという噂があったためだ。失敗ができぬ立場の彼らが調査に慎重になるのも仕方がない。

 加えて山賊たちがまだ小規模ということも悪材料だった。規模が小さいということはその痕跡を見つけづらく、また追い立てても離散集合しやすいということだ。こちらがちょっとでも隙を見せたら逃げられて、そしてこちらが油断すれば再結成される。

「このあたりは隠れられるところなど無数にありますからね。半端に追い立ててもすぐに例のあやかしを中心に徒党を組みなおされるだけです。そしてそのたびに相手は強大に、かつ狡猾になっていく……。そんな不毛なイタチごっこをするつもりはございません」

「だから某らを頼ったというわけですか」

「ええ。あやかしに対処できる力を持ち、かつ相手に気付かれにくいであろう少人数で行動できる。十兵衛殿はまさに一騎当千の武士もののふですよ」

 露骨に褒めてきた高通に十兵衛は軽く苦笑した。

「そう持ち上げなくともお役目はしっかりとこなしますよ。……それで某らは具体的には何を?」

「割と本心ではあるのですがね。……十兵衛殿たちには奴らが寝床にしているかもしれない場所の調査に向かっていただきたい。明日はとりあえず村の北の方ですな」

 高通は地図上の道をトントンと指で叩いた。


「十兵衛殿たちにはこのあたりのお堂や廃寺、および竜穴りゅうけつの探索に出向いてもらいたい」

「お堂や廃寺はわかりますが、竜穴とは?」

 何やら力強い言葉が出てきたが、高通は単なる横穴のことだと言った。

「このあたりは地質の関係で横穴や洞穴が多いんです。それらの影響か古くからこの地では水龍伝説がささやかれております。……ささやかれているだけですがね」

「つまり本物の龍はいないと」

「少なくとも見たという記録はございません。それよりは山賊・盗賊が住み着いているという報告の方が多いです」

「なるほど。件の山賊たちもここを寝床にしているかもと」

 高通は「ええ」と頷いたのち、軽く肩をすくめた。

「ただ正直言いますと、明日捜索する範囲に賊がいる可能性は低いと思われます。事前調査によりますともう少し北とのことでした。ですが村に近い場所なため放っておくこともできない。まぁこの地に慣れる準備とでも思ってください」

「承知いたしました。ちなみに高通様たちはいずこに?」

「某たちはここより西の室生寺に参ります。こちらは廃寺ではないため、何かしら話が聞けるかと思いまして」

 高通たちも明日は情報収集に徹するようだ。彼らの計画ではここから数日かけて山賊の情報を集め、決戦は三日から四日後になる見通しだった。

「異論などはございますか?」

 特に問題ないと思った十兵衛は無言を返答とした。見れば連れてきたお供も同じように口をつぐんでいる。

「では明日以降よろしくお願いします」

 こうして十兵衛たちの室生一日目は幕を閉じた。

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