柳十兵衛 大立ち回る

「これからこの新入りの実力を確かめる!本気で切りかかって構わないし、ぶちのめしたら俺が褒美をくれてやる!さぁ、お前ら!この小僧に現実ってもんを教えてやれ!」

 碧丸が叫ぶと周囲の牢人たちも歓声を上げる。もとよりはぐれ者たちの集まりだけに荒事は大好物のようだ。その熱気はもはや狂気と言ってもいいほどだった。

 その雰囲気にさすがに少し不安になったのか、新左衛門が十兵衛に近づき小声で尋ねた。

「いかがなさるおつもりですか?まさか本当に立ち合うおつもりで?」

「まぁほかに道もないしな。いずれかち合うかもしれないのだ。今のうちに手合わせでもしておくのも悪くはないだろう。……それよりも新左衛門。今の正面をとして軽く犬の方角を見てみろ」

「犬の方角ですか?……特に何もないように見えるのですが」

「何もないのがいいんだ。そこがここらでは一番蜘蛛の糸の薄い所だ。万が一があればそこから逃げて三ケ日に報告するように。平左衛門様たちも上手く合わせてくれるだろう」

 要は脱出路である。そしてそれを新左衛門に伝えたということは十兵衛は本当にここで一暴れするつもりのようだ。新左衛門はもはや何も言うまいと「……使われないことを願ってます」とだけ答えて一歩下がった。


(さて、手合わせだとは言ったがどんな奴が出てくるかわかったもんじゃない。油断はできないな)

 十兵衛は改めて屋敷前に集まった牢人たちを見た。ざっと見渡したところ数は二十人と少し。どいつもこいつも牢人らしく粗暴そうな見た目をしており手には各々刀や槍を携えている。

 そして十兵衛はそんな彼らの実力を全く知らない。この中から自分を切り伏せるような実力者が出てくることだって十分あり得る。そんな状況でありながら恐怖よりも気持ちの昂りの方が勝ってしまうのはやはり十兵衛も武人であったということだ。

 余談だが、ちょうど外にでも出ていたのだろうか、この集まった牢人の中に辰一の姿は見えなかった。

(辰一殿はいらっしゃられないか。決着をつけたくもあったが、まぁ仕方がない。あのお方が相手では俺もどうなるかわからないからな。役儀の方には支障なく、かつ歯ごたえのある相手――そんな相手がいるといいのだがな)

 そんな贅沢な望みを抱いていた十兵衛であったが、どうやらそれは過ぎた願いだったようだ。


「おい、どうする?挑戦してみるか?」

「でもあいつ昨日辰一と立ち合って無事だったって話だから相当な腕前だぞ」

「げぇっ!じゃあ俺じゃあ歯が立たねぇな……」

 どうやら集まった牢人たちは見た目こそいかついものの、その内面は想像以上に凡夫のようだったようだ。武名を挙げる好機どころか褒美まで出るというのに一向に名乗り出る者はいない。碧丸もイライラしながら「誰か挑戦する者はいないのか!」と叫んでいる。そんな中ようやく一人の牢人が輪を割って進み出てきた。

「やれやれ。誰もいかないんだったら俺が一番槍をもらおうかね」

 そう言って歩み出てきたのは文字通り一本の素槍を担いだ細身の牢人であった。軽薄な笑みを浮かべながら飄々と近づく姿は軟弱そうに見えたが、周りの牢人たちが「おー!いきなり正明まさあきが出るのか!」「やっちまえー!」と囃し立てているところを見るとそれなりに腕の立つ者なのだろう。そしてその正明なる男は十兵衛から二丈半(約7m)離れたところで立ち止まった。

「……正明殿、でよろしいか?」

「いかにも。三田正明。流派は新当流。獲物は見ての通り素槍だ」

「柳十兵衛。流派は……無念流を触りだけ。実際はほとんど我流に候」

「くくく。気にするな。実は俺も似たようなもんだ。流派なんて所詮は飾り。まぁ気負わず楽しもうや」

 正明は槍を派手にぶんと回してから構え正対する。得物は六尺強(約2m)の飾りのない素槍。ぶれなく長物を構えるその姿は確かに素人とは思えない隙の少ないものであった。

「さぁ抜け!こっちはいつでもいいぞ!」

 しかし十兵衛は抜刀せず楽に立ったままであった。

「……俺はこのままでいい。抜く必要が出たら抜く」

 十兵衛の不遜な発言に正明は一瞬キョトンとし、そして笑う。

「ははっ、言うねぇ。だが後悔するなよ?おい!誰か合図を出せ!」

 正明に促されすぐ近くにいた牢人が急いで手を上げた。

「それじゃあ……始めっ!」

「ィヤァァァーーーッ!」

 開始の合図と共に正明は容赦なく十兵衛に飛び掛かった。


「ィヤァァァーーーッ!」

 開始の合図と同時に正明は二丈強の間合いを一気に詰め一撃目を繰り出した。狙いは十兵衛の前に出す足、右足の膝あたり。それはさすが牢人仲間からも一目置かれているだけのことはある低く鋭い突きだった。

「はっ!」

「ふっ!」

 十兵衛は半歩下がりこの突きをかわす。しかし正明はかわされることも織り込み済みだったのか、すぐさま続けて二撃目三撃目を放ってきた。狙いは膝だけでなく顔や胴、時折横に薙いだりして手を読ませないようにもしていた。

「はあぁぁぁぁっ!」

「よぉし!やっちまえ、正明!」

「刀抜く前に決着つけちまえ!」

 派手な連続突きに盛り上がる牢人たち。しかし十兵衛はそれをすべてかわしていた。しかも単に後方に下がってかわすのではなく上手く体をさばいて、時には前進までしてその鋭い穂先から逃れていた。

 この流れに嫌なものを感じたのは正明の方だった。攻めているのに押し込め切れない。一振りごとに十兵衛の間合いの取り方が正確になっていく。正明はチッと一つ舌打ちをして一度仕切り直そうと大きく横に槍を振って距離を作る。そして内心の動揺を悟られないように構え直してにやりと笑った。

「ほう。なかなかやるな。だが小手調べはここまでだ」

「うおぉ!やっちまえ、正明ぃ!」

 余裕の態度を崩さない正明。だが残念ながら十兵衛はすでに彼の実力を看破していた。

(……少し光るところもあったがまだまだだな。評価できるのは構えと二突き目までだ)

 正明は新当流を習っていたと言っていたが、教わっていたこと自体は本当なのだろう。構え――構えからの初撃――初撃に続いての二撃目までは鋭く正確で悪くなかった。確かに大口を叩けるだけのものはある。だがそれ以降が素人のそれだった。突くにつれ穂先はぶれ引き戻しも遅くなる。攻撃の目的も見えてこない。新陰流の門下なら基礎的な鍛錬が足りないと手厳しく叱責されたことだろう。

(申し訳ないがこれ以上は意味がないな。さっさと終わらせてしまうか)

 そう決めると十兵衛はおもむろに足元の砂利を思いっきり相手に向かって蹴り飛ばした。

「えっ!?あぶぁっ!?」

 思慮の外から飛んできた唐突な砂利つぶてという攻撃。正明は思わず顔を背け防御姿勢を取ってしまう。だがそれが悪手だった。真剣勝負の最中に相手から目を離すのは自殺行為に他ならない。十兵衛はその隙をついて一気に穂先の内に潜り込んだ。

「あっ!?」

 顔を背けつつも十兵衛の接近に気付いた正明は慌てて槍を振って払おうとする。しかしもう遅い。十兵衛はその柄を手で受け止め、いつぞやの見張りにしたようにぶん回し奪い取ろうとした。

 それに対し正明は当然踏ん張って堪えようとしたが、そうなると今度は体ががら空きとなる。その隙だらけとなった胴体に十兵衛は思いっきり前蹴りを突き刺した。

「ぐがっ!?」

 十兵衛のつま先は正明の鳩尾を正確に捕らえた。結果彼は前に二つに折れてうずくまり胃液を地面に吐き出した。

「俺の勝ちだな」

 うずくまる正明は反論しようと一度顔を上げたが結局何も言葉が出ず、そのまま頭を下げた。紛うことなき十兵衛の勝利に周囲の牢人たちは大いに歓声を上げた。


「正明がやられたっ!?」

「うおぉぉぉっ!やるじゃねぇか、若いの!」

「おっしゃあ。次だ次ぃ!」

 刀も抜かずに見事槍使い・正明を倒した十兵衛。その神業に周囲の牢人たちも沸く。そしてその熱にあてられたのか早速次の挑戦者が十兵衛の前に歩み出た。

「連戦構わぬか?」

 次に現れたのは腰に大小を差した三十代半ばほどの牢人だった。周囲の牢人が「八郎まで出てきたか!」と期待を込めた目で見ていることから、この男もそれなりに腕の立つ男なのだろう。

「構いませんよ。どうせ全員と戦うつもりでしたから」

「ふっ、上等だ。俺は谷川八郎。手合わせ願う」

 八郎はスッと大刀を抜いて構えた。対し十兵衛は相変わらず抜こうとしない。

「……やはり抜かないつもりか?」

「ええ。折角ですのでこれでどこまで行けるか挑戦してみたくなりました。どうぞ抜かせてみてください」

「ふっ。傾奇者め」

 八郎は軽く笑ってから先ほど開始の合図を出した男に目をやった。向こうもわかっていたらしく、すぐに手を上げて開始の宣言をした。


「始めっ!」

 決闘開始の合図。しかし今度は先程とは打って変わって両者ともすぐには動かない展開となった。

「……」

「……」

 睨み合う十兵衛と八郎。互いに一歩進めば一歩下がり一歩下がれば一歩進む。その緊張感は先程まで騒いでいた牢人連中でさえも静かに息を呑むほどであった。

(ふむ、悪くはない。よく集中しているし間合いの管理も適切だ)

 八郎は無理に飛び込もうとはせずに、ゆっくりと落ち着いて間合いを詰めてくる。刀を抜いていない十兵衛に対しここまで慎重なのは辰一の抜刀術の影響だろうか。あるいは先の正明戦で見せた武器のぶん取りを警戒しているのかもしれない。

 だがそれが逆に十兵衛に対してうまくはまっていた。こうも慎重に立ち回られては十兵衛の方から動かざるを得なくなるからだ。

(仕方ない、そろそろ打って出るか。さて、どこまでついてこれるかな?)

 十兵衛はおもむろにスッと左手を前に出した。今までの立ち回りの中ではなかった動き。当然八郎も警戒する。

「……っ!」

 八郎はこの十兵衛の左手を何かの誘いであることまでは理解した。しかしその目的まではわからない。武器を取りに来たのか、それとも先の正明戦のように足元から砂利を飛ばしてくるのか……。

 なんにせよ嫌な予感を感じ取った八郎はすぐさま牽制がてら刀を横に薙ぐ。本気の薙ぎではない、邪魔なものを下がらせるための牽制としての薙ぎだ。ヒュッ。これに対し十兵衛はすぐに手を引っ込める。予想通りの動き――かと思った次の瞬間、なんと十兵衛は伸び切ったタイミングで懐に入り込もうと深く踏み込んできた。

「なっ!?」

 これに八郎は驚いた。なにせあまりにも無謀な突撃だったからだ。

(牽制に踏み込んできただと!?無謀な!まさか俺が油断しているとでも思ったのか?それとも破れかぶれか?……まぁいい。どちらにしてもこれで終わりだ!)

 八郎は遠慮なく刃を返し無防備に飛び込んできた十兵衛に切りかかる。多くの牢人が(あっ!切られる!)と息を呑んだ。

 しかしその刃は十兵衛の側部手前でガキンと止まる。八郎はじめ牢人らが何が起こったと戸惑い、そして驚愕した。十兵衛は何と刀を鞘ごと持ち上げその柄で八郎の刃を受け止めていたからだ。曲芸じみた技に八郎の動きが一瞬止まる。その隙に十兵衛はさらに踏み込み八郎の左ひじをしっかりと押さえた。

「ぐっ!」

 腕の可動域を抑えられた八郎は慌てて距離を取ろうとする。しかしそれは叶わなかった。十兵衛の伸ばした左足が八郎の右足に内からしっかりと掛けられていたからだ。結果柔道の大内刈りに似た形で八郎がバランスを崩す。あとはもう戦意を挫くだけだ。十兵衛はそのまま八郎を押し倒し顔面に一発入れ、それで怯んだ一瞬でさらに刀もぶん捕った。地面に大の字に寝かされ武器も取られた八郎が「……まいった」と言ったのは至極当然の結末であった。


「ふぅ。さぁ、次は誰だ?」

 八郎に刀を返し改めて輪の中央に立つ十兵衛。だがなかなか次は現れなかった。牢人らは互いに「お前、行ってみろよ」などと小突きあっていたが実際に前に出てくる者はいない。あれだけ圧倒的な実力を見せつけられればそうもなろう。

(やれやれ。結局はこんなもんか)

 先の正明や八郎も決して弱いわけではなかった。しかしそれでも十兵衛からしてみれば実家の道場の中程の実力しかない。圧倒的な実力の差。それを感じ取っていたためか碧丸の「誰か次はいないのか!?」という叫びもどことなく悲壮感を含んでいた。

 こうして次の挑戦者が現れぬ中、十兵衛はふとある人物に目を留めた。

「……どうだ?お前もやってみるか?」

「え?某が、ですか?」

 十兵衛が声をかけた人物――それは後ろに控えていた新左衛門であった。

「ああ、そうだ。折角だからお前も一暴れして来ればいい。……というよりお前も立ち合ってみたかったんだろ?そんな目をしていたぞ」

「そ、そんなことは……」

 新左衛門は恥じるように顔を伏せるがそれを十兵衛はかんらかんらと笑う。

「なに、恥じることはない。立ち合いを見て血が滾るのは武人の性だ。……それに俺たちの本当の目的的にも、もう少し暴れたほうがいいだろうからな。歯ごたえはあまりないが実戦練習だと思ってやって来い」

 ここまで御膳立てされれば出ないというのもまた失礼なもの。新左衛門は一礼し「……では失礼して」と前に出ると牢人たちは再度沸いた。

「おぉ!次は弟の方か!」

「まだ小僧だがやっぱり強ぇんだろうなぁ」

「でも兄の方よりはマシだろう?お前行って来いよ!」

 盛り上がる牢人たち。対し十兵衛たちの鼻を明かしたかった碧丸はもはや血管が切れそうなほどに顔を赤くしていた。

「舐めやがって……!おい!誰でもいいからさっさとあの小僧をぶちのめせ!」

 碧丸の怒号。しかし相変わらず余興か何かだと思っている牢人たちにとっては、それすらも場を沸かせる材料にしかならない。

「そうだそうだ!ぶちのめせ!」

「おい!顔は傷つけてやんなよ!」

「どっちが勝つか賭けようぜ!」

 狂乱じみてきた牢人たちの輪。その中心で新左衛門は小さく深呼吸をした。

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