柳新左衛門 大立ち回る
柳生清厳。
尾張徳川家・徳川義直の剣術指南役である柳生利厳の長男であり、その義直の小姓にも就いている。年は数えで十二とまだまだ幼いもののいわゆる『尾張柳生』の嫡男であるため剣技の腕は一回り上の者にも引けを取らない。
故に尾張市中では年の割に顔の知られている清厳であったが、今いるのはその尾張ではなく三河・三ケ日近くの山中だ。また名前も偽名である『柳新左衛門』と名乗っている。つまりどういうことかというと牢人たちは誰も彼が柳生清厳であると気付くことなく囃し立てていたということだ。
「おっ!次は弟の方か!」
「まだガキだろ?大丈夫なのか?」
「いいじゃねぇか、本人がやりたがってんな。おらぁ!やれやれぇ!」
もはや見世物感覚でヤジを飛ばす牢人たち。その中から早速一人の男が前に出てきた。
「おおっ、吉之助か。あんまりいじめてやるなよ!」
出てきたのは集まった中でも一二の巨漢・吉之助。身長は六尺(約180cm)をゆうに超え筋量もあるために横にも広い。新左衛門と並ぶとその身長差は一尺(約30cm)以上あり体重差も十貫(約37kg)は軽くくだらないだろう。文字通り大人と子供の体格差が両者の間にはあった。
「吉之助だ。よろしくな」
そう言って吉之助は腰に一本下げていた刀を抜いて構える。それは普通の大刀だったが彼が持つとまるで小太刀のようだった。それほどまでの巨躯が振り回すのだ。その破壊力たるや並のそれではないだろう。
だが新左衛門は落ち着いていた。確かにこの男の体格はそれだけで脅威であると言える。しかしこの男は十兵衛の時には前に出なかった者だ。つまりはそういうことだと思いながら新左エ門は落ち着いて刀を抜いた。
「柳新左衛門です」
「おっ、お前は抜くのか」
「兄上ほど肝の据わった男ではありませんので」
「ははは。構わん構わん。さぁ始めようぞ!」
吉之助が合図役の男を見ると向こうももう慣れた様子で本日三回目の決闘開始の宣言をした。
「始めっ!」
「だぁりゃあぁぁぁ!!!」
開始と同時に吉之助は全力で切りかかる。両者の体格差は十貫以上。攻勢に出れば圧倒的に優勢なのは間違いないという判断からだろう。実際新左衛門はこの大振りに後ろに飛んで距離を取るくらいのことしかできていなかった。
「いいぞぉ!やれやれ!」
盛り上がる牢人ら。しかしその中にいて新左衛門は落ち着いて相手の狙いを見極めていた。
(なるほど、そういうことか……)
数合の切り合いを経て新左衛門は吉之助の戦闘スタイルを把握した。彼の戦い方はとにかく相手の間合いの外から刀を振ってまぐれ当たりを期待するというものだった。相手の体に当たれば御の字。武器に当たったとしても腕力の差で無理矢理吹き飛ばしてしまおうという腹だ。
なるほど確かに彼ほどの恵まれた体格があるのならばその戦法も有効だろう。ただしそれはあくまで凡夫相手の話である。そこまで理解した新左衛門はあえて自分の刀を相手が打ちやすいようにスッと前に出した。
「!」
果たしてこの刀を吉之助はどう見たのだろうか。見る者が見れば明らかな誘いの構え。しかし吉之助は構わずその刀に打ち込んだ。――いや、打ち込もうとした。吉之助の刀は確かに新左衛門の刀を打とうとした。しかしその直前にて新左衛門の刀がまるで霞のようにおぼろげになり吉之助の刀が通り過ぎてしまったのだ。
「なにっ!?」
驚愕する吉之助や牢人たち。そんな中十兵衛だけが新左衛門の技術を目に捕らえていた。
(早いな……!)
なんてことはない、新左衛門はただ二人の刀がかち合うその瞬間に手首を返しかわしていただけである。ただその動作があまりに素早く自然であったため、誰もがまるで刀が通りすぎてしまったかのように感じてしまったのだ。そしてこれによって生まれた隙に新左エ門はさらに早い一撃を続ける。
「はっ!」
吉之助の腕に細い血の線が走る。新左エ門の一撃だ。傷は深くはないが薄く鋭い痛みは吉之助に自分が後れを取ったことを自覚させた。
「なっ、くそっ!舐めるなよ!」
頭に血が上った吉之助は大振りを加速させる。しかし新左エ門はそれをことごとく避け、そのすれ違いざまに確実に小さな切り傷をつけていった。一本二本三本と赤い血の線が増えていくにつれて吉之助はだんだんと惨めな気持ちになっていく。
「く、くぅっ……」
相手は自分よりも一回り以上小さい子供。にもかかわらずまるで手が出ず弄ばれている。そしてその心の弱りが剣筋にも表れたのか、とうとう新左エ門が吉之助の刀を真っ向から受け止める。そしてそのまま小さな体を大きくねじり、体全体のバネを使って吉之助の刀を上空高くに弾き飛ばした。
「あっ……」
完全に心の折れた吉之助に高く飛んだ刀を追うような気力はもはやなく、ただ茫然と落ちる刀を目で追っていた。新左エ門の勝利であった。
「う、うおぉっ!やりやがったぜ、あの小僧!」
「すげぇ兄弟が仲間になったもんだ……!」
「よし!次だ次!次も賭けようぜ!」
小兵が体格差のある相手を翻弄し倒す。さながら牛若丸のような一戦に牢人たちはこれ以上ないほどに盛り上がる。しかしそんな中一人この現状に焦っている者がいた。それがこの催しの発案者である碧丸自身であった。
(くそっ!どうなってるんだ、あの兄弟は!?)
兄弟とはもちろん十兵衛と新左衛門のことである。昨日仲間になりたいと言ってふらりと村にやってきたという二人。それだけでも怪しいというのに兄の十兵衛の方は自分たちの襲撃計画も知っていた。
鬼蜘蛛丸や赤丸は自分たちが知らぬ間に噂になっていたためだと言いくるめられていたが、それはおそらく十兵衛がかなりの腕前だと聞いてその評価に誤魔化されたのだろう。確かに今人材不足は否めない。しかしだからと言ってこんな得体のしれない奴の言うことなど聴くことはない。そう思い碧丸は十兵衛を無理矢理戦わせる。これで奴がたいしたことのない奴だとわかれば鬼蜘蛛丸らも正気に戻るはずだ。
しかしそううまくはいかなかった。いざ十兵衛を戦わせてみれば彼は刀を抜くことなく徒党内でも指折りの牢人らを倒してしまい、さらには続けて出てきた弟の方も体格差などどこ吹く風と一勝していった。今になって碧丸は辰一が自分以上やもと評した兄弟の実力を知ることとなった。
(くっ、こんなつもりじゃなかったのに……。まさか奴らがこれほどまでだったとは……)
焦る碧丸。その後方から不意に声がかかる。
「盛り上がっているようだな」
碧丸が振り返るとそこには鬼蜘蛛丸と赤丸が立っていた。碧丸はぐっと奥歯を噛んで報告する。
「ああ。兄の方は正明や八郎をのしたし、弟の方も下手な大人では手も出ないだろう……」
事実ちょうど目の前では新左エ門が二人目の挑戦者も難なくいなしている。
「ほぅ。掘り出しものだったというわけか」
赤丸の呑気な発言に碧丸が噛みつく。
「掘り出しものだと!?そんなわけあるか!俺はむしろ確信したね。あの腕前は半端な鍛錬のものではない。あいつらこそお上からの間者だ!」
「お前まだそんなことを言っているのか?二人ともまだ若いし、弟の方に至ってはまだ十と少しといったところだろう。それで御公儀は少し無理がある話じゃないか?」
「くっ、まだそんな甘いことを……まぁいい。証拠がないという点では百歩譲ってやる。しかしあいつら兄弟がまずいというのは間違いない」
「まずいとは?」
訊き返してきた鬼蜘蛛丸に碧丸は今度は哀願するような表情で訴えかけた。
「わかっているのだろう、兄者。あの兄弟は強い。そこは俺ももう認めよう。だが大事なのは組織として使えるかどうかだ。あいつらが俺らのいうことを素直に聞くような玉に見えたか?辰一もこちらのいうことを全く聞かないが、それでも特に意見しない分まだマシだった。だがあいつらは違う。あの無駄に何かを考えているような瞳、あれは絶対にのちの憂いになるぞ!」
これには横から赤丸が口を出す。
「しかし稀有な人材なのは間違いないだろう。ならば確保しておくべきだ。それともお前、まさか自分の地位が脅かされるとでも思っているのではないだろうな?」
「なっ!てめぇ、愚弄しやがって!……だがな、これは大事な話だぞ?言うことを聞きそうにないあいつらが組織の中で重要な地位に就いたらどうするつもりなんだ?あいつらはもう皆から一目置かれている。もうすでに言うことを聞くかわからない『十兵衛派』は生まれつつあるんだよ!だからそうなる前に……あいつらが調子に乗る前に……兄者、頼む……!」
碧丸の必死の懇願。それに心動かされた鬼蜘蛛丸は重々しく一つ頷いた。
「……そうだな、お前のいうことにも一理ある。だから……少しだけだぞ?」
そう言って鬼蜘蛛丸は自分の指をぺろりとひと舐めした
「少しだけ、奴らが増長しないようにするだけだからな」
鬼蜘蛛丸はそう言うと軽く指を舐め、続けてその指先をこねるようにこすり合わせる。一見すると意味なく見える行為。実際普通の人が見ても特に何かがあるというわけではない。しかしこのとき実は鬼蜘蛛丸は常人には見えぬあやかしの糸を作っていたのであった。
(やれやれ。やはり鬼蜘蛛丸様は下の者に甘いですな)
(よし。兄者のこの糸を使えばあいつらに目にもの見せてやれるわ!)
赤丸と碧丸はこのあやかしの糸を見ることはできなかったが、それを作る所作や効果は把握していた。鬼蜘蛛丸の糸には粘着性や伸縮性がありこれをつけられた者は容易に身動きが取れなくなる。鬼蜘蛛丸はこれを新左衛門の体につけて立ち合いの邪魔をするつもりであった。
(悪く思うなよ、少年。これも大人の世界というものだ)
鬼蜘蛛丸らは別に新左衛門を殺したいわけではない。ほんの一瞬だけ体の自由を奪い、立ち合いに負けてもらうだけである。そうすれば周囲の牢人たちも「あぁ、結局彼らもちょっと強かったってだけか」と彼らに対する尊敬を少しは改めることだろうし、本人の自信も少しは揺らぐかもしれない。それを何度も繰り返せばいずれは彼らも自分たちの支配下に置けるはずだ。
さて、そんな企みを企てているとちょうどおあつらえ向きに新左衛門が背中を見せた。意識も戦っている牢人の方に向いている。糸をつけるなら今ここしかないだろう。
(好機!悪く思うなよ!)
鬼蜘蛛丸はひゅっと手首を返し見えない糸を飛ばす。糸はまっすぐに新左衛門の無防備な背中へと向かっていく。しかしそれが新左衛門に届くことはなかった。
「はっ!」
急遽横から飛び出した十兵衛が間に入って抜刀一閃その糸を切り落としたからだ。
「なにっ!?」
「!?」
鬼蜘蛛丸と牢人らは驚き固まった。しかし彼らの驚きの理由はそれぞれ微妙に異なる。牢人らの場合は十兵衛が急に飛び出してきて何もない所に向かって刀を振ったことに驚いていた。だが鬼蜘蛛丸は違う。彼には見えていた。十兵衛が自分が飛ばした糸を切っていたところを――常人には見えないあやかしの糸を切ったところを。
「な、何もんだぁ、てめぇ!?」
一人激昂する鬼蜘蛛丸とそれに困惑する周囲の牢人たち。それらに構わず十兵衛はスッと新左衛門に近付き互いに援護し合える距離に立った。
「……何かあったのですか?」
「鬼蜘蛛丸がお前に何か飛ばそうとしていたのでそれを切り落とした」
「それは!……お手数かけました」
「いや、普通ならば見えない糸だ。仕方もあるまい。だがもうこれで誤魔化すこともできなくなったな」
見れば鬼蜘蛛丸や碧丸がまさに鬼の形相でこちらを睨んでいた。常人には見えない糸を的確に切り捨てていった十兵衛――それがもはや普通の牢人ではないということに疑いの余地はない。
「怪しいとは思っていたんだ!やはりお前か!お前がお上の手の者だったのだな!」
「……何のお話でしょうか。変な言いがかりはよしていただきたい」
一応わずかな期待を込めて誤魔化そうと試みてみるも、それは碧丸が聞き耳持たずで怒鳴り返すだけであった。
「うるさい!もうその手には乗らないぞ!おい、お前ら!こいつらは俺たちを討ち取りに来たお上の手の者だ!遠慮することはねぇ!本気でやっちまえ!」
唐突な指示に困惑する牢人たち。しかしそれでも碧丸が二度三度と怒鳴り散らせば自然と敵愾心も沸いてきて、戸惑いつつも得物を掲げて十兵衛たちを睨みつける。その数二十と少し。もはや言葉だけで切り抜けられるような状況ではない。
十兵衛は背中の新左衛門に向かい一言「臆してないか?」と尋ねる。それに対し新左衛門は刀を構え直し「無論です」と答えた。
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