柳十兵衛 三ケ日危機を終える 1

 鬼蜘蛛丸の糸を切ったことによりただの牢人ではないと見破られてしまった十兵衛と新左衛門。特に碧丸は鬼のような形相で二人を睨みつけていた。

「怪しいとは思っていたんだ!おい、お前ら!こいつら兄弟はお上の手の者だ!容赦はいらねぇ!やっちまえ!」

「えっ、お上の手の者って……」

「ええい!なにぐずぐずしてる!こいつらは敵なんだよ!さっさとやっちまえ!」

 いまいち事情が呑み込めずにいた牢人らであったが、碧丸の鬼気迫る指示に手に持っていた武器を構えて十兵衛たちを囲む。

(まずいな。さすがにこの数はどうしようもない)

 牢人らの数は二十と少し。今はまだ状況が呑み込めていないために戸惑ってはいるが、この数とまともにやり合えばまず無事では済まないだろう。ならばと十兵衛は碧丸らに向かって口を開いた。

「何をおっしゃっているんですか。私たちがお上の使いなわけないじゃないですか。悪い冗談はよしてください」

「ふざけるな!計画を邪魔するだけでなく兄者の糸まで切っておいて、よくもまぁそんな戯言が言えたものだ!」

「糸?一体何のことです?急に飛び出してきたのは謝りますが、変な勘違いはしないでいただきたい」

 いけしゃあしゃあと言い訳を述べる十兵衛。もちろんこれで碧丸らを誤魔化せるとは思っていない。しかし周囲の牢人たちの方はそうでもなかった。

「おいおい、どっちなんだ?結局あいつらを襲っていいのか?」

「碧丸様はやれとは言っているが……」

「そもそもなんで碧丸様たちはあいつが御公儀の者だって気付いたんだ?」

 彼らは屋敷内でのやり取りを知らず、また鬼蜘蛛丸の糸も見えていない。そのためいきなり敵だと言われてもピンとこないのも仕方がないはずだ。加えて十兵衛らの実力は先程の余興で嫌というほどにわかっている。結果全員が隣の顔を窺いながら飛び込む一歩目を踏み込めずにいた。

 そんな意気地のない連中を見てとうとう堪忍袋の緒が切れたのが碧丸であった。

「ええい!この根性無し共が!よこせっ!」

 しびれを切らした碧丸は近くの者から十文字の槍を奪い取りその穂先を十兵衛に構えた。

(ちっ!厄介な!)

 十兵衛はまだ碧丸の実力を知らない。しかしこの牢人徒党にて荒くれ者たちをまとめる役に就いているというのだから並の腕ではないはずだ。さらにその後ろには鬼蜘蛛丸が控えている。鬼蜘蛛丸は刀を抜かず少し離れたところからいつでも糸を飛ばせるように構えていた。十兵衛は小声で新左衛門に指示を出す。

「鬼蜘蛛丸の射線に入らぬように、できるだけ牢人の陰に隠れるように立ちまわれ。逃げる時も完全に視界の外となるまで油断するなよ」

「承知しましたが……しかしそもそも逃げられるような機会が訪れるのでしょうかね?」

 自ら前に出てきた碧丸であったがこれには副次的な効果があった。指揮官自ら前に出てきたことによって他の牢人たちにも徐々に攻勢の気配が漂い始めてきたのだ。荒くれ者の集まりなだけあって幾人かはもういつ飛び掛かってきてもおかしくない目をしている。

「くっ!とにかく耐えろ!生き延びることだけを考えるんだ!」

 十兵衛がそう叫ぶとほぼ同時に碧丸が渾身の一突き目を繰り出した。


「はあっ!」

 碧丸の一閃。それは十兵衛の正中線・胸の中心を狙った真っすぐな突きであった。

「くっ!」

 受け止めた十兵衛は反撃として槍の柄を折ろうと試みる。しかしそれに碧丸が巧みに腕を返すと枝(十文字槍の横に出た刃)が十兵衛の刀に絡みつきそのまま弾き飛ばそうとした。それに気付いた十兵衛が寸でのところで飛び退くもそれは結局最初の立ち合いの距離に戻っただけで、そこからまた碧丸が長い間合いを生かした突きを繰り出してくる。

(こいつ……できる!)

 単純な突きの速さなら軽い素槍を使っていた正明の方が早かった。しかし十文字槍は穂先に付いた枝で相手の前進を防いだり武器を弾き飛ばすことができる。碧丸はその特性を生かし無理をせず確実に十兵衛の間合いの外から突いてくる。碧丸の立ち回りは相手を懐に入れない、言うならば『負けない』ことを重視した立ち回りであった。

 それだけならばただ長期戦を覚悟すればいいだけなのだが今回は加えて鬼蜘蛛丸である。彼らは常に立ち位置を変え糸を飛ばす隙を窺っていた。これでは十兵衛のほどの腕前をもってしても守勢に回るのは必然であった。

 また守勢といえば新左衛門の方も一人必死に牢人たちの攻撃を防いでいた。

「はあっ!」

 牢人全体の数は二十強。うち半数の十数人が新左衛門を囲んでいる。ただ彼らは一応攻撃をしてはいたものの相手が子供ということでいまいち本気で――死に物狂いで襲ってくるというわけではなく、そのため新左衛門一人でもギリギリ拮抗状態を保てていた。

 そんな新左衛門の戦法はもっぱら敵足元への薙ぎ払いと奇襲めいた突きであった。身長の低い新左衛門がさらに身を屈めて足元を狙う。これに半端な牢人は攻めあぐね、それでも無理して近づこうとする者がいれば鋭い突きで牽制する。結果どうにか戦線は維持できていたものの、これもいつかは突破されるだろうと新左衛門はわかっていた。

(ダメだ……何か大きな変化がなければ、このままではいずれ限界がくる……!)

 新左衛門は状況を打破するきっかけを探す。するとふと別の牢人が落とした刀を見つけた。新左衛門は隙をついてその刀を拾い上げる。

「おいおい、二刀流か?片手で振れる筋力なんてないだろう?」

 野次る浪人であったがそれは承知の上。その上で新左衛門はおもむろに拾った刀をぶん投げた。その先には十兵衛と戦っていた碧丸がいた。

「碧丸様っ!!」

「なにっ!?」

 呼ばれて気付いた碧丸はとっさに槍を振る。刀は難なく払われたが、しかし新左衛門の目的は傷を負わせることではなく碧丸の体勢を崩すことにあった。それに呼応するように十兵衛が低く早く踏み込む。

「はあっ!」

「ちぃっ!」

 ガキン。慌てて払おうとした碧丸の槍を十兵衛が小細工なしで受け止め、そのまま力任せに弾く。これにより腕ごと弾かれた碧丸の胴体ががら空きとなった。

「ぐっ!?」

(もらった!)

 千載一遇の好機。しかし十兵衛はぞくりと寒気を感じ大きく身をひるがえす――と同時に何者かに右袖を強く引っ張られ、そちらに引きずられそうになった。

「くっ!」

 十兵衛の袖を引くもの。それは鬼蜘蛛丸の糸であった。碧丸の懐に潜り込むタイミングで飛ばしてきたのだろう。十兵衛はすぐさま刀を左手に持ち替えて無理矢理糸を切り、そのまま乱暴に薙いで差し返しに来た碧丸の一撃を凌いだ。碧丸と鬼蜘蛛丸はチッと舌打ちをしたが不満を漏らしたいのは十兵衛も同じであった。

(ちぃっ!今のが決められないか……!)

 まさに千載一遇の好機であったにもかかわらず結果として見てみれば十兵衛らは碧丸らに手傷一つ追わせられずに終わってしまった。逆に九死に一生を得た碧丸の方はこれにより集中が一段高まったようにも感じる。もはや半端な不意打ちは効かないだろう。

(くっ!いよいよまずいな!……まだですか、新左衛門殿!?)

 その時だった。突然屋敷の裏からドンという大きな破裂音が響き、それと共に黒い煙が勢いよく立ち昇り始めたのは。


「な、何の音だ!?」

「おいっ!あれを見ろ!煙だ!」

 牢人の誰かが上に向かって指を差す。それにつられて周囲の牢人たちだけでなく十兵衛や新左衛門、延いては鬼蜘蛛丸たちまで争っていた手を止めてその指差す方に目をやった。するとどうだろう、そこでは真っ黒な煙が勢いよく立ち昇っていたのだ。

 位置は屋敷の裏手側。煙の根元は建物の陰になっていてここからでは見えないが、あの煙の具合から見て単なる焚き火の煙とは到底思えない。あれではまるで……と思っていたところに何処からか叫び声が聞こえてきた。

「火事だぁ!屋敷に火が着いてるぞぉ!」

 思わぬ報告に牢人たちが騒然とする。

「なんだぁ!?」

「は、早く火を消すぞ!」

「待てっ!こっちはどうするんだ!?」

 ざわめく牢人たち。この時代の火事は被害が大きくなりやすいので彼らの緊迫も一入ひとしおであった。だがそれにしてもこんな都合よく屋敷に火が付くなどどう考えてもあり得ない。

「くっ!これもお前たちの仕業か!?」

「何を言っているんだ。俺はずっとここにいただろう!いい加減わかってはくれないか!?こうして俺たちが争っていること自体が一番無駄なことじゃないか!!」

 碧丸の怒号に十兵衛はこう返したが、実のところ十兵衛は下手人に心当たりがあった。十中八九周囲に潜んでいるはずの平左衛門か種長だろう。もとより万が一の時は援護する手はずとなっていたし、付け火は忍びが行う攪乱としてはよくある手である。

(ようやく動いてくれたか!もしこれが陽動だとすればまだまだ何かが起こるはずだ!)

 そしてその予想通りまもなくして先程と同じ破裂音が再度近くで聞こえた。

「こ、こんどはどこだ!?」

「見ろ!宝物庫だ!」

 声に従い屋敷横にある宝物庫を見てみれば、そこには確かに黒煙と今着いたばかりの火の手が見えた。そしてまたどこからともなく声が聞こえてくる。

「まずいぞ!全員宝物庫から金目の物を運び出せ!その兄弟は放っておけ!」

「えっ?いいのか?でも確かに軍資金は大事だし……」

 戸惑いつつも幾人かが宝物庫の方に向かう。しかしすぐにドンと三度目の爆発と黒煙、そしてまたも誰かの叫び声がした。

「くそぅ!御公儀だ!三ケ日の与力たちが大群で攻めてきたぞ!勝ち目はない!全員逃げろ!」

「えっ!?お上が攻めてきただって!?」

「待て待て!逃げずに宝物庫から軍資金を運び出せ!運び出したうちの何割かは褒美としてくれてやる!」

「褒美!?しかし与力らが近づいていると言うし……」

「あぁもう!一体どうすればいいんだよっ!!」

 急激に変化する状況に牢人たちは一気に混乱状態に陥った。


 急な爆発と出火。飛び交う指示に困惑した怒号。互いに押し合い倒し倒され、もはや廃村内はちょっとした恐慌状態に陥っていた。そんな中かろうじて判断力が残っていた赤丸が違和感に気付く。

「ま、待て!今の指示は誰が出した!?」

 「火の手を止めろ」や「金目の物を運び出せ」はまだわかる。しかし「褒美を出す」や「反撃せずに逃げろ」という指示はどこかおかしい。ざっと見たところ鬼蜘蛛丸や碧丸が出したという風ではない。ということはあの指示は誰が出したのだ?――と少し考えたところ嫌な予感に赤丸の顔が青くなる。

「まさかあんな声を出したのは……うぐぅ!」

 しかし赤丸はここで頭部に急な衝撃を受けて地面に倒れた。彼が知る由もないが、一人冷静に周囲を見ていた赤丸を種長が投石でおとなしくさせたのだ。

 そんな倒れた赤丸を見て「赤丸ぅ!?」と血相を変える鬼蜘蛛丸と碧丸。しかし次の瞬間、今度は碧丸の腹部に脳天まで貫くような強烈な痛みと衝撃が走った。

「がっはっ……!?」

 意識が飛びかねないほどの痛みの中、碧丸が原因の箇所に目をやるとそこには十兵衛の刃が深く刺さっていた。

「な、貴様……っ!」

 十兵衛の一突きは着物の上から碧丸の横っ腹にまっすぐに突き刺さり、硬い骨を避けて反対側にまで達していた。おそらく内臓も幾つか貫いているのだろう、体は痙攣して動かず見える景色も徐々に白んでいく。

 このまま放っておいても絶命することに間違いはないだろう。しかしそれを待たずに十兵衛は乱暴に刀を引き抜き、そのまま碧丸の喉をぱっくりと裂いた。切られた頸動脈から少しばかり血を噴き出してから碧丸は倒れ、二度と起き上がることはなくなった。

 その一連の光景にしばし呆然としていた鬼蜘蛛丸であったが、碧丸がバタンと倒れると正気に戻ったのか「碧丸ぅ!」と叫ぶ。そしてそのまま駆け寄ろうとしたが、そこにいとまなく一刀を繰り出したのは十兵衛であった。

「ぐっ、くおぉぉぉっ!!」

 普通ならば避けられない一刀であった。しかし鬼蜘蛛丸は糸を屋敷の屋根に飛ばし全精力を持って飛び退く。結果十兵衛の一振りは鬼蜘蛛丸の左太ももを深くえぐっただけにとどまった。「ちぃっ!!」と十兵衛と鬼蜘蛛丸の忌々し気な舌打ちが重なった。

「柳十兵衛っ!貴様ぁっ!!」

 憤怒という言葉では足りぬほどの憤怒で鬼蜘蛛丸は十兵衛を見下ろす。しかし当の十兵衛は鬼蜘蛛丸が屋根から降りてこないとみるやすぐに反転し走り出した。これが逃げの一手であると鬼蜘蛛丸が気づくのは一瞬間が空いてからのことだった。

「くっ、逃がすかぁっ……ぐうっ!!」

 追おうとした鬼蜘蛛丸であったが足の傷が痛みうずくまる。苦し紛れにあやかしの糸を飛ばしてみるもそれも難なく一刀されてしまい、そしてとうとう十兵衛と新左衛門は村の外の森の中へと消えてしまった。


 打つ手がなくなった鬼蜘蛛丸は呆然した様子で眼下を見た。飛び交う怒号。うろたえる牢人。仲間同士で金目の物を奪い合う姿。血だまりの中で倒れ伏す碧丸。黒煙は留まることを知らず火の手はやがて火柱となり小屋を覆う。

 それは鬼蜘蛛丸が夢描いた無頼者たちの楽園とは似ても似つかぬ光景であった。

「……クソがクソが、クソがぁっ!!!」

 鬼蜘蛛丸の鬼のような咆哮がむなしく天に響いた。


「ふぅ、どうにか撒けたようですな」

 一方こちらは廃村から逃げ出した十兵衛と新左衛門、そして平左衛門の三人。三人はしばし山中をぐるぐると回り、追っ手がいないことを確認すると改めて三ケ日への帰路を歩んでいるところであった。

「それにしても見事な扇動でしたな。うまくはまればあそこまで混乱させられるのですね」

「所詮は烏合の衆ですからね。あそこまでうまくいくのはそうそうないですよ」

 廃村で起こったあの付け火。そして「褒美を出す」や「三ケ日からの襲撃」といった虚言はすべて平左衛門と種長によるものであった。その結果は知っての通り、見えぬ情報に翻弄された牢人たちは右往左往の大瓦解。鬼蜘蛛丸を討つことこそ叶わなかったがあの大打撃だ、三ケ日襲撃はほとんど白紙となったと思っていいだろう。

「一応彼らの動向は種長が見張っています。とりあえず我々は三ケ日に戻り体を休めつつ報告を待ちましょう」

 そうこう話しているうちに遠くに三ケ日の街並みが見えてきた。もはや懐かしさすら覚える遠景に十兵衛もほっと胸をなでおろす。しかしここで一人の男が道の脇から姿を現しその行く手を遮った。十兵衛たちはとっさに警戒し、そしてその男の顔を見て驚いた。

「……辰一殿?」

 現れたのは何故か廃村にはいなかった辰一であった。十兵衛が訝しみながら尋ねる。

「辰一殿……ここで何をしておられるのですか?」

 その質問に辰一は凛と立ったまま答えた。

「無論、貴殿と決着をつけるため」

 辰一はそう言って鋭い眼光で重心低く構えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る