柳十兵衛 鬼蜘蛛丸と対面する 4

(くっ……!どうしてこうなった……!)

 『今度の三ケ日』、『俺たちだけで押し潰せる』。鬼蜘蛛丸の義弟・碧丸が口を滑らせたことにより図らずも彼らの三ケ日襲撃計画に触れてしまった十兵衛。それは鬼蜘蛛丸たちからしてみれば一世一代の計画が全部おじゃんになってしまう可能性が生まれてしまったということだ。

 折角の計画を台無しにされてはかなわない。ならばどうする?口封じでもしてしまおうか?彼らの瞳が静かに殺気に染まっていくのを十兵衛は感じ取っていた。

(まずい……!向こうも本気だ!こんなことで切られるなどまっぴら御免だが、さてどうする?刀も何もないというのに……!)

 刀は玄関の刀掛け。室内ということで援軍も期待できない。絶体絶命と言っても差支えない状況ではあったが、こういった場面でこそ落ち着いて一手を打つことが重要だ。

(……落ち着け。まずは問答無用で切られかねないこの状況をどうにかすることだ。向こうの足を止めさせて時間を作る。そして交渉でどうにかするんだ。そのために今俺ができることは……)

 十兵衛は一つ息を吐いて落ち着いた様子でこう言った。

「あぁ、やっぱり三ケ日を襲うつもりだったんですね」

「なっ!」

 十兵衛はあえて自分が襲撃計画を知っていることを口に出した。大きな賭けであったが効果はあった。鬼蜘蛛丸たちは衝撃でびくりとその足を止めた。


 十兵衛のはったりに鬼蜘蛛丸たちは狼狽した。

「し、知っていたのか!?俺たちの計画を!?」

「やはり貴様、敵の間者か!えぇい!殺してしまえ!」

「ま、待て!まずはどこから情報が漏れたかを確認しなければ……!」

 急な出来事に混乱する三人。とりあえず彼らの出鼻をくじいたことで十兵衛は(よし!)と手ごたえを感じるが安心するのはまだ早い。まだ彼らにとって十兵衛は処すべき対象である。そこから脱するためにはどうにかして彼らに『十兵衛を切り殺すことに意味はない』と思ってもらう他ない。十兵衛は緊張が顔に出ないようにしてすぐさま話を続けた。

「おや、驚かせてしまいましたかな?これは失礼しました。ですがかねてより私どものような牢人たちの間では噂になってましたよ。皆さんが何か大きいことをするだろうとね」

「なんだと!?そんな噂が流れてるだなんて知らねぇぞ!?」

「いやいや、ご謙遜を。私は東海道を西の方から来ましたが、赤坂宿のあたりからはもう噂になってましたよ。あやかしを首魁とする牢人徒党――そこが今一番将来性のある一派だとね」

 もちろん口から出まかせであるが、十兵衛は口八丁で駆け抜ける。

「皆さん評判ですよ?先のお上の牢人狩り政策によって今はどいつもこいつも縮こまってる中、あえて一旗揚げるその度胸。元から何か大きなことをするだろうと言われていたところに今回の人集めだ。商家の一軒や二軒じゃ治まらない――もしかしたらどこぞの村ごと襲っちまうかもななんて噂も出ていましたが、まさか本当に宿場ごと襲おうとするなんて。いやはやその胆力、素直に感嘆いたしますぞ」

 十兵衛は虚構とおべっかをぐちゃぐちゃにして語る。その甲斐あってか鬼蜘蛛丸や赤丸は、もはや十兵衛を処するかどうかなど忘れて情報の整理に頭を抱えていた。

「まさかそこまで噂になっていたとは……。とすれば御公儀の耳にも届いてるのだろうな。やはり先日のあいつが間者だったのか?」

「わかりませんが、もしそうならば三ケ日や気賀ではすでに対策が練られているかもしれませんね。場合によっては計画の延期を考える必要もあるかと」

「しかしもう人集めを始めてしまったし新城の方にも話を通してしまった。それで公儀を恐れて何もしないとなれば俺らの沽券にもかかわりかねない」

「ですが結果として失敗してしまえばそれは……」

 情報漏洩はもはや十兵衛一人に留まらない。どうやら二人はこの嘘を信じてくれたらしく今後どうするかについて考えを巡らせる。皮肉なことに唯一十兵衛に惑わされなかったのは武闘派の碧丸だけであった。やはり荒事担当だけあって自分たちが後れを取ると思われるのは心外だったようだ。

「兄者たち!何をそのような腑抜けたことを言っている!こいつの言っていることなど出鱈目に決まっている!こいつはお上の手の者に違いない!さっさと首を刎ねてしまえばいいんだ!」

「またお前はそう言って……!少しは落ち着いたらどうなんだ!」

「落ち着けだと!?そういうお前はただの根性無しじゃないか!」

「なっ!貴様……!」

 十兵衛をほっぽり出して再度睨み合う赤丸と碧丸。これに鬼蜘蛛丸もどうすればいいかわからずに唸りながら頭を掻いていた。


(……だいぶ場が混乱してきたな。もう一押し行けるだろうか?)

 彼らを冷静に観察していたのは程よく蚊帳の外となれた十兵衛であった。もう機を逃さなければ屋敷の外に逃げることも可能だろう。だがこう上手くいくと本来の目的――彼らの三ケ日襲撃阻止も頭に浮かんでくる。

 欲張っているかもしれないが鬼蜘蛛丸を討ちづらい今、できる限りのことはやっておきたい。十兵衛は(行けるか?)と考えてから再度口を開いた。

「……余計なお世話かもしれませんが、本当に三ケ日宿を襲撃する計画だったというのなら延期した方がいいと思われます。はっきり言って時期尚早でしょう」

「っ!貴様っ!まだ言うか!?」

 とうとう怒りに任せて碧丸が刀を抜く。しかしそれを鬼蜘蛛丸が止める。

「待て。一応話くらいは聞いてもいいだろう」

「馬鹿を言うな!こいつにこれ以上しゃべらせて何になるというんだ!?」

「今度の計画は失敗するわけにはいかないんだ!そのためには少しでも情報が必要だ!もはやこいつ一人を切って修正できるような段階ではない!」

「くっ!この腑抜けが!」

 だが碧丸も鬼蜘蛛丸ら二人に押されれば引き下がるしかなく、ぶつくさと不平を言いながら一人離れた壁際に腰を下ろした。

「……意見してもよろしいでしょうか?」

「ああ、頼む。」

「では正直に言ってしまうと……私はここにはもっと手勢が揃っていると思っていたんですよ。頭数や武器だけの話ではなく専門職や練度の面でもです。ところがいざ来てみればいるのは腑抜けた三下牢人ばかり。量でも質でもとにかく人手不足なんですよ」

「人手不足か……それはわかっているのだがやはり今のご時世、皆御公儀を恐れているようでなかなか集まってこないのが実情だ……」

「ならやはり三ケ日襲撃は日を改めては?私たちのような場末の牢人が噂しているくらいです。御公儀なんてとうの昔に把握しているでしょうよ。そんな状況で攻勢をかけても返り討ちに合うのが関の山。むざむざ屍を晒しに行くだけです」

「むぅ……しかし街道は今後も発展していく。今のうちに根を下ろしておかなければ、それこそ我らには御公儀に潰される未来しかない……!」

「お気持ちはわかります。私も大きなことを成し遂げてみたい人間だ。だが勝算のないことをするほど酔狂でもない。機は必ずまた訪れます。改めて言いますが今はまだ時期尚早でしょう」

「うぅ……」

 鬼蜘蛛丸と赤丸は苦し気に奥歯をかむ。やはり大それた計画だったのだと後悔しているのだろうか。このままもう少し押してしまえば本当に彼らは三ケ日から手を引くかもしれない。だがここで碧丸が再度嚙みついてくる。

「ええい!何口車に乗せられているんだ!俺たちは人手不足なんかじゃねぇ!十分に力がある!三ケ日ごときの与力なんぞ煮るも焼くも好きにできるわ!」

 だがこれも想定の内。十兵衛はわざと挑発気味に笑ってから反論した。

「そうでしょうか?はっきりと言わせてもらえばここに一目置けるような武士はほとんどいませんね。皆半端な単なる暴力馬鹿だ。あぁそういえば辰一殿がおりましたね。彼くらいですよ。物の数として数えてもいい者は」

 辰一の名を口に出すと碧丸は怒りに歪んだ顔をさらに歪ませた。

「辰一だと?……くぅ、どいつもこいつもあの根性無しを評価しやがって!いいか!戦いとは力だ!つまらん抜刀術とかいう小細工も実際の戦場では役に立たん!お前だってそうだ!お前みたいな口の回るだけの頭でっかちなど、それこそ物の数ではないわ!」

「なるほど。では試してみますか?」

「……なんだと?」

 十兵衛がにやりと笑った。

「試してみるかと言ったんですよ。私が口が回るだけの頭でっかちかどうか。私の見立てでは、ここに集まっている者で私が後れを取るとすれば辰一殿ただ一人。それ以外は所詮有象無象。百回勝負したって百回勝つことでしょうよ」

 この挑発にとうとう碧丸の堪忍袋の緒が切れた。

「貴様っ!言わせておけばっ!」

 荒々しく立ち上がった碧丸は玄関へと続く戸を思い切りよく開けて十兵衛たちに立つように促した。

「ついて来い!その大口がどこまで通用するのか是非見せてもらおうじゃないか!」

「お、おい碧丸!待て!何をするつもりだ!」

「止めるな、赤丸!こいつの化けの皮を剥いでお前らが口車に乗せられているだけだと証明してやる!安心しろ。殺しはしない。舐めた口を効いたことを骨の髄にまで後悔させてやる……!」

 犬歯をむき出しにして禍々しく笑う碧丸。さすがの鬼蜘蛛丸たちもこれを止める言葉は見つけられなかったようで十兵衛たちが連れていかれるのを黙って見ていることしかできなかった。


「ふふっ。覚悟しろよ、お前たち……!」

 碧丸に連れられて外へと向かう十兵衛と新左衛門。しかし碧丸は気付いていなかった。この流れこそが十兵衛が望んだものであったということに。

 外に出るということは当然玄関を通るということだ。その玄関の刀架けには十兵衛と新左衛門の刀がきちんと架けられたままになっている。そして自分の刀を受け取るという行為は自然な行為でおかしなところは何もない。実際刀掛けから刀を取る行為を碧丸は特に疑問に思わず眺めていた。結果十兵衛たちは自然に刀を回収しただけでなく玄関という館の外まであと一歩というところにまで来れていた。

(よし!無事にここまで来られた!あとはもう機を見て逃げるだけだな……!)

 ふと振り返れば鬼蜘蛛丸と赤丸はまだ部屋の中にいる。今後のことを話し合っているのだろうか。十兵衛は(ならば今、碧丸を切ってしまうか?)とも思ったが、それを実行に移すよりも先に碧丸が門番に話しかけていた。

「おい、お前。今村にいる奴らに屋敷の前に集まるように伝えてこい」

「へい。全員ですか」

「集められるだけ全員だ。獲物を持ってな」

 どうやら今は機ではないようだ。仕方なく十兵衛が屋敷前で待っているとほどなくして牢人らが集まってくる。その手には指示通り各々の獲物・武器が握られていた。

 碧丸はそんな彼らを満足そうに一望してから高らかに宣言した。

「おい、お前ら!これからこの新入りの実力を確かめる!腕に自信のあるやつは前に出ろ!遠慮はいらねぇ!切り殺しても構わねぇ!ぶちのめしたら俺が褒美をくれてやる!」

 褒美と聞いて周囲の牢人たちが歓声を上げる。あるいは一種の余興が始まったのだと思ったのかもしれない。

(なるほど、こう来たか)

 数はざっと三十前後。しかも全員武器持ちの無法者。隙を見て逃げるなんて真似も不可能だろう。

(面倒なことになったな)

 そう思いつつもこのときの十兵衛の口元には小さな笑みが浮かんでいた。

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