柳生清厳 牢人の噂を追う 1

 『天狗薬』の噂の調査は思わぬところで牢人問題へとつながった。ここまでくるとさすがにもう一小姓の手には余る。そんなこともあり清厳は小姓仲間の門之助の助言に従い、いったん調査を切り上げて利厳に報告に戻るすることにした。

 しかし屋敷に帰ってはきたものの当の利厳は城に出ていて不在。仕方なく父の側近に伝言だけ残し竹刀を振って待っていた清厳であったが、年末ということで向こうも忙しいのだろう、結局利厳が帰ってきたのは暮れ六つを過ぎた頃だった。

(これは明日の朝まで待った方がいいか)

 日も落ちたし利厳も疲れているだろうと本日中の報告を見送ろうとした清厳。しかしそこに父の側近の家臣がやってくる。

「若様。殿が少しならば話を聞けると申しておりますが、如何なされますか?」

「おや、そうですか。ではお願いいたしますと伝えてください。私は先に奥座敷にて待っております」

 清厳は慌てて服を着直し奥座敷へと向かった。そこには家臣が気を利かせたのだろう、先んじて小さな蝋燭が一本灯っていた。そこで静かに座して待っていると、間もなくして利厳がやってくる。

「待たせたな、清厳」

「いえ、お疲れのところ時間を取っていただき誠にありがとうございます」

「うむ。して報告があるそうだが、それは『天狗薬』の話か?昨日の今日だ。急ぐ案件でもないから細かい報告程度なら不要だが……」

 報告するような内容があるのかと訝しむ利厳。しかし清厳はこれに自信の表情を見せる。

「はい。報告に足ると思い時間を取らせていただきました」

 清厳の不敵な気配に利厳は「ほう」と口角を上げた。

「自身があるようだな。では聞かせてもらおうか」

「はっ。ではまずは私と同じ小姓衆の善政殿と門之助殿についてですが……」

 清厳の報告は情報提供者の善政や門之助の紹介から始まり、続けてまだ誰も『天狗薬』の実物を見たことがないという話。その薬を手に入れれば雇ってもらえるという眉唾な噂が流れていること。そしてその噂を信じて他所から牢人がやってきているということまで話した。

「……以上が『天狗薬』について本日調べました結果となります。これより先の調査は牢人らが関わってきます故、父上や隼人正様の判断を仰いでから行おうと思ったのですがいかがだったでしょうか?」

 こうして一通りの報告を終えた清厳は頭を下げて返答を待つ。

 この時の清厳の内心は――始めの自信に満ちたそれとは裏腹に――実は非常に不安になっていた。というのもこの報告の最中利厳が終始無言であったためだ。

「……」

(どうした?父上はなぜ何もおっしゃられないんだ?もしや怒っているのか?もっと調べてきた方がよかったのか?あるいは過ぎたところまで踏み込んでしまったのか?)

 特別心当たりがあるわけではないが、それでも背中に冷たいものが流れる。

 しかし結論から言えばこれは清厳の杞憂であった。利厳は息子の素晴らしい調査に関心をしていただけだった。

「……見事だ、清厳。まさか一日でそこまで調べ上げるとは、いやはやこちらの想像以上だ!」

 満足そうに息を吐いた利厳に清厳は一瞬「えっ?」とあっけにとられたものの、すぐに自分は褒められたのだとわかり密かに安堵した。

「は、はっ!ありがとうございます!」

「いや実際お前がここまで早く本質のところにたどり着くとは思ってもいなかった。私の目も衰えたものだな」

「いえ、良き縁に恵まれていただけです。……それよりも牢人の報にあまり驚いていないご様子。やはり父上らはこの噂が牢人たちへとつながることを知っておられたのですね?」

 清厳の指摘に利厳は観念したかのように、あるいは少しうれしそうに「うむ」と頷いた。

「確証があったわけではないが、おそらくそうなるだろうと久助殿から聞いていた」

「やはりそうでしたか。しかしならばどうして初めから牢人関係の調査だと教えてくれなかったのですか?危うく後手に回る危険性もあったのですよ」

 今回これほど早く報告できるに至ったのは門之助という有能な情報提供者に早々にたどり着けたおかげである。逆に言えば彼に出会わなければ数日、酷ければ数月以上何もつかめずに終わるという可能性もあったのだ。これに利厳はばつの悪い父親のように頬を掻く。

「そう言うな。まだ噂の段階で確証がなかったのだ。それにお前の本職はあくまで殿の小姓だ。年が明ければまた忙しくなる。そんな中で本腰を入れた調査などさせられるわけがないであろう」

 年が明ければ新年を祝う行事・儀式などで御小姓の仕事も多くなる。特にこの時代は儀式・儀礼が重視されている時代なため手を抜くことなど許されない。ここ数日のまとまった休みも本来は慌ただしくなる新年に先んじた骨休めのためであった。

 清厳もこのような背景は理解しているため、若干の不満もあるものの一応は納得した。

「それはそうですが……ではこれからはどうすればいいのでしょう?久助様らに協力を仰ぐのですか?」

「いや、実を言うとこの天狗薬以外にも牢人が関係する厄介な噂や不穏な動きはあるのだ。久助殿などはそちらの方の調査に出ておられる」

「そちらの方を手伝えと?」

「違う違う。今言っただろう、この時期にお前に大きな仕事を任せるわけにはいかないと。そして多忙である久助殿の手を煩わすわけにもいかない」

「……ではどうしろと?」

「そのことだが、どうだ?せっかくの機会だ。もう少し自分の力のみで調査してみる気はあるか?」

 利厳からの思わぬ提案に清厳は目を丸くした。

「……自力での調査といいますと?」

「なに難しい話ではない。思えばお前を何度か調査に出したことはあったが、その時は常に年長の後見人がいただろう。うちの門下の高弟や久助殿、藤兵衛様らだ。今回はそういった者たちを除いたお前独自の人脈、情報網で動いてみるといい」

「そ、そのような独断、構わないのでしょうか?」

「独断とは言うがうちが受けたのは調査の依頼のみで手段までは指定されてはいない。それをお前一人の裁量でやってみろというだけだ。もちろん勝手に牢人連中と一戦交えたりなどは許されないが、そうでない限りは――牢人動向の調査くらいなら多少踏み込んでも問題あるまい」

 この提案に清厳は胸を熱くした。ただの調査とはいえ清厳一人に任せてもいいくらいには実力を認められたということだからだ。ここ最近自分の成長に悩んでいた清厳にとっては大きな一歩である。

「どうだ、やってみるか?」

 清厳は迷うことなく頷いた。

「そのお役目、必ずや完遂してみせます!」

 こうして清厳は改めて天狗薬の噂の調査、およびそれに伴う牢人たちの調査に任命されたのであった。


 翌日。改めて調査を一任されたことを儀信にも伝えると、彼もまた自分のことのように喜んでいた。

「おめでとうございます、清厳様!日頃の勤勉なお働きが認められたのでしょうね!」

「ふふふ。まぁ内容は変わらずただの噂調査だがな。それよりもだ。私は折角だからこの機に家の者とは違う、私独自の人脈を強めようと思っているんだ」

「独自の人脈、ですか?」

 意図を理解しかねる儀信に清厳は「ああ」と自信に満ちた目で見返した。

「ああ。今まではどうしても家の都合で同行者や協力者が決められていた。もちろんそれらの方々は皆素晴らしい人たちばかりだったが、いつまでもそれに甘えていては駄目だろう。私自身の人脈も今のうちに開拓していくべきだと考えたのだ」

 ここらへんの考えは清厳の嫡男としての自覚から来ているのだろう。まだ十と少しだというのに自分の代を考えて行動する、清厳のその意識の高さに儀信は感服し頭を下げた。

「ご立派なお考えにございます。ということは……」

 清厳と儀信は目を見て頷き合う。この話をした時から二人の頭には同じ人物が思い浮かべられていた。

「門之助様ですね?」

「ああ。おそらくあのお方は単なる噂好きではない。どういう背景があるのかは知らないが、縁を深めておけば今後も頼りになることは間違いないだろう。というわけで門之助殿と連絡を取りたいのだが頼めるか?」

「お任せください」

 清厳と門之助は昨日のうちに小姓仕事外での連絡手段として下男を使った連絡協定を取り決めていた。それに従い清厳が儀信に頼むと半刻と待たないうちに儀信は待ち合わせの約束を取りつけて戻ってきた。

「九つの頃(午前11時頃)からならお会いできるそうです。待ち合わせに向く茶屋も幾つか聞いてきました」

「そうか。ならば向こうで待っていようか」

 清厳と儀信は早速屋敷を出て指定された茶屋へと向かった。


 門之助側が待ち合わせ場所に指定したのは、のちに大津通おおつどおりと呼ばれる城下町東部の通りにある小さな茶屋だった。そこで二人が適当に往来を眺めながら待っていると、約束通り九つの鐘が鳴り終えた頃に下男を一人連れた門之助が姿を見せた。

「お待たせいたしました、清厳殿」

「いえ、こちらこそ昨日の今日で申し訳ございません」

「お気になさらずに。それよりも……その様子ですと御父上とのお話はうまくいったようですね」

「はい、おかげさまで。加えて調査も続けることになりました。つきましては再度門之助殿のお力をお借りしたく連絡した次第です」

「もちろん大歓迎です。こちらとしても腕に覚えのある清厳殿は心強い限りですよ」

 こうして改めて協力の確認をする二人。そして清厳は調査のためにまずは昨日の利厳とのやり取りを門之助に話した。

「なるほど。やはり御父上は牢人のことをご存じでしたか」

「ええ。曰く確証がなかったため黙っていたそうです。私としては子供扱いして言わなかったのだと思っておりますがね」

「御父上にもいろいろと思うところもあるのでしょう。それに今度こそ調査を一任されたのでしょう?」

「はい。といっても大立ち回りはするなと強く言われてはいますがね。まったく、少しは武士らしいお役目になるかと思ったのに残念ですよ」

 しかしそう言う清厳の顔に不満の色はなかった。やはり父親に認められたことがうれしいのだろうが、それをわざわざ指摘するほど門之助も幼くはなかった。

「まぁ実績を重ねればいずれ大きなお役目を任されるようになるでしょう。そのためにもまずは目の前の調査から成し遂げましょうぞ。……と言っても今は牢人らに動きらしい動きはないんですがね」

「そうなんですか?」

「ええ。噂自体は広まっているようですが実際の牢人らの動きはほぼ皆無と言っていいでしょう」

 今度は門之助の方が手持ちの情報を公開する。

 門之助によると天狗薬およびそれが出仕につながるという噂は美濃や三河の牢人たちにはかなり知られているらしい。しかし実際にその噂を信じて尾張まで足を伸ばした者は数えるくらいしかいないという。

「なぜ実際に足を伸ばす者が少ないのですか?」

「一つはやはり季節ではないでしょうか。私の知る限りですが本格的に噂が流れ始めたのは一月ほど前から。場所によっては冬ごもりの準備を始めている頃です。加えて信憑性の低い噂ならば興味はあっても春まで待ちたいというのが人情でしょう。あとは罠ではないかと警戒している者も多いようです」

「罠?」

「ええ。彼らだって御公儀側が牢人狩りに躍起になっていることぐらい承知のこと。ならばこれは自分たちを集めて捕らえるための偽の情報ではないか……と警戒するのもさほど不思議ではありません。だからこそ、もし本当に牢人がやってきたら危険だとも言えるのですがね」

「……どういうことですか?」

 最後の言葉の意味が分からずに首をひねる清厳。それに門之助は丁寧に答えた。

「普通は警戒するような噂話。しかしそれでもなお虎穴に入ろうとする者がいるならば、その者はよほど切羽詰まった者なのだろうということです。それこそ何をしでかすか予想できないほどにね」

 門之助の理路整然とした分析になるほどと感心する清厳。そして同時に清厳は深い洞察力を持つこの門之助に敬意にも似た感情を抱き始めていた。

(素晴らしいな。これまでこうして面と向かって話す機会がなかったから気付かなかったが門之助殿は実に聡明で、常に私の数手先を見ておられる!)

 思えば昨日一度調査を切り上げて利厳に報告しに帰った方がいいと助言したのも門之助である。

(この人が協力してくれるというのなら頼もしいことこの上ない。……しかしそれ故に、やはり確認はしておくべきなのだろうな)

 尊敬のまなざしで門之助を見ていた清厳であったが一度コホンと咳ばらいをし気持ちを切り替える。

「……ところで門之助殿。調査に出る前に一つよろしいでしょうか?」

「どうかしましたか、改まって?」

「その……差し支えなければ教えていただきたいのですが、門之助殿はどのようなお役目で噂を――市中の情報を集めていらっしゃるのでしょうか?」

「!」

 門之助はほんの少しだけ驚いたような顔をした。


「後々問題になるといけません。差し支えない範囲で構いませんので門之助殿がどのような立場のお方なのかを教えてはいただけないでしょうか?」

 趣味と言うには高すぎる情報収集力と分析力。そして何より昨日門之助が一瞬だけみせた鋭い眼光。あれはただの噂好きが出せるものではない、何か使命感を帯びている者の目であった。

(もしや門之助殿もどこかの重鎮からお役目を与えられているのか?)

 そう思い訊いてはみたものの、この手の話は基本は秘匿である。場合によっては親兄弟にすら話さないということもあるだろう。

「ああ、もちろん無理にとは言いませんが……」

 そのため清厳も無理ならば構わない程度でいたのだが、それを門之助はこちらが拍子抜けするくらいにあっさりと明かした。

「あぁ言ってませんでしたね。実は私の家、親族は代々寺社奉行に仕える家なんですよ」

「なんと、寺社奉行関連のお家でしたか……!」

 寺社奉行とは寺や神社およびその祭事といった宗教が関わる行政全般を担当する機関のことである。この頃はまだ法整備が済んでおらず歴史の教科書に『三奉行』として載っているほどの権限は持ってないものの、それでも寺社と関わるため当時から重要な役職であったことには変わりない。それに連なっているというのなら門之助のあの鋭い眼光にも納得である。

「なるほど。だから市井の情報収集に余念がなかったのですね」

「そこまで熱心にしているつもりはないんですがね。ですが幼少期から父らに言われてきたため、どうしても耳聡くなってしまいました」

 またこの寺社奉行という職務、活動範囲が宗教関連のみと聞くと非常に限定的な役職のように思えるかもしれないが実はそうでもない。

 というのもこの頃の寺社は自分たちの境内の他に村一つあるいは複数規模の『寺社領』と呼ばれる独自の領地を所有していた。そしてそこでの行政手続きや起こった事件の捜査、裁判等もまた寺社奉行の仕事の一部であったのだ。

 だがこれがなかなか一筋縄にはいかないものだった。なにせその土地を治めているのは武士ではなく寺や神社なのだ。さすがに完全な治外法権というわけではないが、それでも御公儀側が大手を振って捜査できるような場所でもない。

 ではそんな場所でより良い職務を遂行するために必要なことは何か。それが門之助がやっていたような平時からの草の根的な交流と情報収集だったというわけだ。

「というわけで私の目的は寺社領近辺の情報収集。そして問題が起こらないよう事前に対処することです。清厳殿と利害が対立することはないでしょう。わかっていただけたでしょうか?」

「はい。ありがとうございます。深いところまで話してくださって」

 胸のつかえが取れすっきりとした顔で礼を述べる清厳。そして同時に清厳は(今まであまり気にしていなかったが、やはり小姓仲間には有能な人たちが多くいるのだな)と再認識をするのであった。


 さてこうして互いの親交を深めていた清厳と門之助であったが、その間に牢人問題の方でも進展があった。通りから一人の奉公人風の少年がやってきて、離れた席で待っていた門之助の下男に何かを伝えたのだ。

 これに下男は慣れた様子で金子を包んだ紙縒こよりを渡し少年を返した。その一連の流れを横目で確認していた門之助は清厳との会話を終えるとすぐに下男を呼んだ。

「新しい情報か?」

「はい。どうやらまた一人、『天狗薬』を探している牢人が現れたようです。場所はここから南の方で、今は八助殿が追っているそうです」

 それを聞くと門之助は満足そうに「なるほどなるほど」と頷いた。

「……現れたのですか?」

 彼らの行動には清厳も気付いていた。おそらく先の少年が門之助の抱えている情報収集役の一人だったのだろう。

「ええ。報告によると新たに一人。いかがなさいますか?」

 答えなどわかっていると言わんばかりの顔で尋ねる門之助。清厳もそれに応える。

「行きましょう。もしやり合うことになったとしても私と儀信がおりますので安心してください」

「頼もしいですな。それでは向かいましょうか」

 こうして清厳と門之助、および二人の下男を含めた四人は報告にあった牢人を追うために年末の閑散とした通りを南に駆けていくのであった。

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