柳生清厳 牢人の噂を追う 2
茶屋を出た一行――清厳と
「若様!八助様より伝言がございます!」
どうやらこの少年もまた門之助の抱える手駒の一人のようだ。そして伝言によると、牢人の逗留場所が城下町から南東にある村・
「南井戸村ならば町を出て一里ほどのところにあります。いかがなさいますか、清厳殿?」
ここで門之助が訊いて来たのはおそらく時間を気に掛けてのことだろう。当時の一里は歩いて半刻、約一時間かかる距離であった。つまり行って帰れば約二時間。調査も含めればそれ以上。そして季節は陽が落ちるのが早い冬である。早い話が村まで行けば今日はもう帰れないかもしれないが大丈夫か?ということだ。だが今の清厳がそのくらいで怯むはずもない。
「行きましょう、門之助殿。このくらいで憤る父上ではありません」
「わかりました。では一応この子に伝言を頼むといいでしょう」
「そうですね。お借りします」
清厳は一筆書いて少年に預け、一行は門を越えて名古屋の町から外へと出た。
牢人が逗留しているという名古屋南東の村・南井戸村。そこを目指して清厳たちはあまり整備されていない細い道を南進する。先頭は門之助の下男・猿之助でそれに門之助、清厳と続き最後尾には儀信がついていた。
こうして小走りで進んだ一行は数十分後、難なく目的の南井戸村が遠くに見えるところにまでやってきていた。
「あれが南井戸村です。ですが村に入るのはここで少し休んでからにいたしましょう。こうも息が上がったままでは目立ってしまいますからね」
門之助の提案に乗り、村近くの大木の影で一息入れる清厳たち。ここで各々は走って乱れた服や息を整えるのだが、この間清厳はまた密かに自分の未熟さを恥じ入っていた。
(情けないな……。このあたりは何度も通ったというのに……)
目的の南井戸村は主要な街道からは少し外れた所にある村で、清厳はその場所どころか名前すら初めて耳にしたくらいであった。
特徴ある村ではないため仕方がないと言えば仕方がないのだが、一方で名古屋の町からそう遠くなく、またお役目でこの近くを通ったことも一度や二度ではない。つまり知ろうと思えば知りえた村であり、知らなかったことは清厳の怠慢であるとも言えた。
(それだけ今まで誰かに頼りっぱなしだったということか。まったく、至らない自分ばかり見つけてしまう……)
内心忸怩する清厳。それに気付いた門之助が気遣うように声をかけた。
「大丈夫ですか、清厳殿。御気分がすぐれない様子ですがどこか痛めましたか?」
清厳は慌てて首を振る。
「い、いえ大丈夫です。ただ少し……寂れたところだなぁと感じ入っておりまして」
これはとっさの言い訳だったが門之助は信じたようだった。
「あぁ確かに。少し西に東海道が走っていることを考えると変な感じはしますね。……本当はこのあたりの開発計画もあったんですがね。時期が悪くなかなか進んでいないようです」
「時期が悪い?春になったら開発が始まるのですか?」
「いえ、季節のことではなく江戸との関係のことですよ」
清厳は「ああ」と納得の声を上げた。
これは少し後の話になるが、尾張国はこれから名古屋城城下町を中心に四方に開発・発展をしていくこととなる。幾つかの計画はもう大筋が決まっており、責任者となる家老の選定を済ませているところもあるそうだ。
しかしそれらの計画は未だ実行に移されることはなく、江戸との関係を背景に足止め状態にあった。なにせ発展とはすなわち国力の増加である。もしその増加した国力が自分たちに向けられたら……。疑心暗鬼に捕らわれている今の江戸がそれを黙って見過ごすはずがない。家光と険悪な関係にある義直の国であるならなおのことだ。
「まったくうっとおしい限りですね」
清厳が口を尖らすと門之助もはははと乾いた笑いを上げた。
「まぁ潮目が変わるのを待つしかありませんよ。さて休息ももう十分でしょう。そろそろ参りましょうか」
十分に息を整えた清厳たちは改めて歩き出し南井戸村の簡素な門をくぐった。
道中もそうであったが南井戸村もまたなんてことない普通の寂れた農村であった。質素な板張り屋根の家が並び、生活用の小川が流れ、たい肥の香りがぷんと鼻を突く。加えて寒さのためか戸を固く閉めている家も多く、それがまた村の物寂しい雰囲気を強めていた。
軽く一望した清厳が率直な感想を述べる。
「しかし寂れた村ですね。逗留と聞いていたのでてっきり宿場か何かかと思っていたのですが、こんな村に余所者が寝れるようなところがあるのでしょうか?」
「おそらくちょうどいいお堂か廃屋敷でもあるのでしょう。詳しくは見張りの者にでも……と、いましたね。八!」
門之助が小声ながらも鋭くと呼ぶと、通りの角に腰を下ろしていた芸人風の男が驚いたような顔でこちらを見た。
「なっ、若様!?わざわざいらしたのですか?」
どうやらこの男が門之助の配下の一人、八助のようだ。慌てて腰を上げようとした八助を制して門之助がさりげなく顔を寄せる。
「なに、ちょっと手が空いていたものでな。それで例の牢人とやらはこの先か?」
「はっ。この通りの左手側のある古いお堂、そこにて寝泊まりをしております。村の者から話を聞いたところ二日前に村に来たそうで、それからここを拠点にして近くの村々に『天狗薬』探しに出ていたようですな」
「なるほど。……一応訊くがそやつは目的の薬は手に入れたのか?」
この質問に八助はにやりと笑う。
「まさか。見るからに肩を落として帰ってきましたよ。あの様子では『薬の噂は牢人を捕まえるための罠』という方の噂も耳にしたのかもしれませんね」
「さもありなん。それでそやつの容貌は?」
「背は五尺ほどと人並みでやや痩身。歳は二十の後半ほど。着ている小袖はやや青みがかった灰色で、牢人にしては特に擦り切れてもいない小綺麗な衣服でした」
「小綺麗?根っからの牢人ではないということか?」
「そこまでは何とも……ただ一つ私見を言わせてもらえば、牢人としては『覇気のない』印象を受けました」
「……なんだその『覇気がない』とやらは」
妙な表現に顔をしかめる門之助であったが、八助も八助でうまく伝えられないことにもどかしさを感じているようだった。
「一度見てもらえばわかるはずです。牢人が居ついたというのに村人たちがさほど騒ぎ立てていないのもきっと理解できるでしょう」
要領を得なかった門之助たちであったが、問題はなさそうだったのでひとまずこの情報は捨て置くことにした。
「まぁいい。ともかくこの件はこちらが引き継ごう。猿、牢人がまだお堂にいるか確認してきてくれるか。もちろん見つからないようにな」
門之助の指示に猿之助はこくりと頷きお堂の方へと駆けて行った。その背中を見送ると門之助は再度八助に向き直る。
「お前もしばらく休むといい。何かあったらまた力を借りるから、それまで羽を休めておけ」
そう言うと門之助は少年たちにやったそれよりも少し大きめの紙縒りを八助に手渡した。
「年末だからな。少し多めに包んでおいた」
「おぉっ!ありがとうございます!」
八助は大事そうに両手で受け取り、何度も頭を下げながら帰っていった。
去っていく八助の姿が通りの角に消えると、それまで黙って見守っていた清厳が声をかける。
「下の者の扱いがお上手ですね。勉強になります」
これは皮肉でもなんでもなく本心からの言葉だったが門之助は茶化されているとでも思ったのか、恥ずかしそうにはにかみ肩をすくめた。
「やめてください、お恥ずかしい。それよりもいかがなさいますか?この牢人の件」
「どうと言われましても、このような件に対して含蓄があるのは門之助殿にございますからね。ぜひとも普段はどのようになされていたのか知りたいところです」
「普段ですか?そうですね……」
清厳に請われて門之助はこれまでの自分たちの対処を思い返す。
「基本は近付いて情報収集ですね。うちの場合は荒事の火種を見つけることが本意ですので。方法としては御公儀の者であることを隠して接近し縁を深めます。そして尾張にやってきた目的や今後の予定、仲間の有無や必要ならば故郷の場所まで聞き出します。それで問題がなさそうならば見逃して、危険だと判断すればお帰りになってもらうという流れですかね」
「お帰りにとはどうやって?」
「なに、難しい話じゃあございません。適当なところで自分は御公儀側の人間だと明かすんです。そうすれば悪事を働こうとしていた牢人らは大抵心が折れます。あぁこんな何もしていない段階から御公儀から目を付けられていたんだな。こりゃあ勝てるはずがない、とね」
なるほどと納得する清厳。これならば情報を得られるだけでなく余計な血も流れないだろう。だが気になるところもある。
「……一つお聞きしたいのですが、もしこちらの素性を明かしても相手が引かないときはいかがなさるのですか?」
「その時は、ほら、先に得ていた仲間や家族の情報をうまく使うのですよ。あるいはそういう気配があるのなら、あらかじめ複数人で囲んでから身分を明かすという手もあります」
なんてことない風に門之助は答えたが、聞いていた清厳と儀信の方はひきつった笑いしかできなかった。
「それは……なかなかえげつない手なのでは?」
「否定はしませんよ。ですがこれが一番穏便でもあるんです。うまくいけば血も流れませんし、あとで勝手に役人らが調査していると噂を流してくれますしね」
そう語った門之助はにやりと笑い、そのまま清厳に訊き返した。
「それで、いかがなされますか?」
「いかがとは?」
「情報を聞き出す役ですよ。猿之助の報告待ちですが、こちらの予定ではよほど変な者でもない限り今言った方法で――つまり身分を偽って近付き情報を得るつもりです。では誰が近付くのかという話ですが、経験のある私や猿之助がやってもいいのですが、折角の機会ですし清厳殿か儀信殿のどちらかがやられてみるものよろしいかと」
「!」
門之助は挑発するような目を清厳に向けた。あるいは門之助にそんな意図はなかったのかもしれないが、こう言われてしまっては清厳に引くという選択肢はない。
清厳は不敵に笑って返事をした。
「ぜひやらせていただきます!」
これに門之助は満足そうに「ではお願いいたします」と返した。
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