柳生清厳 牢人の噂を追う 3

 まもなくして猿之助が偵察から戻ってきた。

「ただいま戻りました、門之助様」

「ご苦労。それで首尾は?」

「はい。確かにお堂には牢人らしき男が一人おりました」

 戻った猿之助曰く、牢人の男はお堂正面の階段に腰かけ草餅をかじっていたという。八助からの情報通り痩身で小綺麗な小袖を着た男。そしてやはり情報通り……。

「何と言いましょうか……八助の言った通り『覇気のない』男でした」

「お前もそれか。一体どういうことだ、『覇気がない』などと」

 門之助がたしなめると猿之助は困ったように言葉を探す。

「そうですね……『やる気があるように見えない』と言いましょうか、肩を落としてため息ばかりで、子供に小突かれても何の反応もしないようなそんな感じです。これも八助の言葉を繰り返すことになりますが、ご覧いただければ一発で分かることでしょう」

 そこまで言われると逆に興味もわいてくる。

「それほどなのか。どれ、ならば一目見てくるか。清厳殿も行かれますか」

「お供いたします」

 こうして清厳と門之助もお堂近くの木立の影からちらと覗き込む。そこには報告通りお堂正面の階段に腰かけ、ぼおっと空を眺める牢人風の男がいた。

「……なるほど。覇気がないとは言い得て妙ですな」

 門之助の評に清厳も頷いた。

 男からはまるでやる気のようなものが感じられなかった。緊張感失く階段に腰かけ退屈そうな目で空を見上げる。時折思い出したかのように草餅をかじり、そしてため息をつく。なまじ姿勢がよく衣服も小綺麗だったためにこの男のやる気のなさは遠くからでもわかるくらいに際立っていた。

 その覇気ない姿に清厳は疑問を抱く。

(あれが本当に天狗薬を探していた男なのか?)

 あくまで噂上の話だが『天狗薬』とは一騎当千の力を得るとされている薬である。そんな薬を望むのだから大層血気盛んな男だと清厳は思っていた。だがあそこにいる男はそのような者にはまるで見えない。いったいあんな男が薬を得て何をするつもりだったのだろうか?

 そういった疑念を清厳が「どう思われますか?」と尋ねると、門之助は少し悲し気な口調で返答した。

「おそらくですが、あのお方はもうあきらめているのでしょうね。武士という道を」

「あきらめる!?どういうことですか?」

「一度牢人に身を落とせば再浮上するのは難しい。それを彼自身もわかっているということですよ」

 牢人とは仕える先を失ってしまった武士のことである。失ったというのなら次の雇用先を見つければいいのだが、平和な時代および幕府の方針により彼らはなかなか新たな仕え先を得られずにいた。そうして金銭的事情か、もしくは社会への鬱憤を晴らすために乱暴を働く牢人はこの時代の社会問題となっていた。

 だが実際は暴れる彼らが悪目立ちをしているだけで、大半の牢人はさっさと武士の身分を捨てて農民や商人に転向していた。もちろん葛藤はあっただろう。だが生きるためならば誇りを乗せた天秤だって傾くものだ。

 そして門之助曰くあの牢人はまさにその天秤が傾き切る直前なのだそうだ。

「彼自身も内心ではわかっているはずです。こんな牢人家業に先がないということくらい。だけれども武士という肩書を捨てる一線を越えることはできず、そのため一縷の望みを掛けてこの『天狗薬』の噂に飛びついた、というところでしょう。ですが当の薬は見つからず……いえ。もしかしたら初めからそんな美味しい話などないと分かっていたのかもしれませんね」

「そんな……」

 言葉を失う清厳であったが門之助は冷笑しながら続ける。

「そんなものですよ、牢人らの世情なんて。清厳殿の周りにはそんな人はいなかったかもしれませんが」

「っ!」

 門之助にそんな意図はなかったのだろうが、その言葉は清厳にチクリと刺さった。

 確かに清厳の周りには心の健全な武士しかいなかった。小姓仲間は皆立派な家の出の者で、家の道場に来るような者たちも清貧も気にせずに剣を振るっている。武士とはそういう心が強い者であり、平気で悪事を働く牢人とは全く別の生き物のように思っていた。

 だが武士と牢人の境界は自分が思っていたよりもはるかに薄いものなのかもしれない。清厳は自分の体の中に嫌な冷たさを感じた。

 そんな清厳の心境を感じ取ったのか、門之助がほんの少しだけ優し気な口調で尋ねてきた。

「大丈夫ですか、清厳殿?情報を聞き出す役目、変わりましょうか?」

 しかし清厳は首を振る。

「お気遣いありがとうございます。ですがこれもお役目。問題なくこなして見せますよ」

 これに門之助は「そうですか」と言ってそれ以上気遣うような発言はしなかった。


 さて、そのようなやり取りがすぐ近くで行われているとはつゆ知らず、牢人の男はお堂入り口前の階段に腰かけ日に当たっていた。

(はぁ、あったかい……。しかし少し早く帰ってき過ぎたな。だが御公儀が見回りをしているとも聞いたし、まったくままならないものだな……)

 ぼおっと空を見上げるこの男の名前は田畑たばた正通まさみち。『天狗薬』の噂およびにそれを手に入れれば城で雇ってもらえるという噂を聞いて名古屋近くまでやってきた牢人である。

 だが名古屋の町で一日訊いてみて周ったものの目的の薬どころか手掛かりすら得ることができず、それどころかこの噂が御公儀側が流した牢人狩りの罠かもしれないという話を聞いてこうしてすごすごと戻ってきた次第である。

(あぁ我ながら情けない。しかしこれはやっぱり俺には刀ではなく鍬や鎌の方が似合っているという天からの思し召しか?もういい加減田舎に帰った方がいいのだろうか……)

 ふと美濃の故郷を思い出す。そういえば故郷でもこうやって友人らとともに土手に座り日向ぼっこをしたことがあった。あの時は何の話をしたんだったか?誰々の色恋話だったか、それとも早霜の被害についてだったか。どちらにせよ覚えてないくらいなのだから大した話はしていないのだろう。だが今はそんな時間が無性に恋しかった。

(今頃皆何をしているんだろうか。冬ごもりの仕度は済ませたのか?雪もそろそろ本格的に降ってくるのだろうな……)

 そんな風に他愛なく故郷に思いをはせる正通。そのせいで彼は一人の武士らしき少年が自分の元に近付いてくることに気付けずにいた。彼が少年に気付いたのはその少年が三間ほど(約5m)にまで近付いてからのことだった。

「ん?……うおっ!?なんだお前は!?」

 いつの間にか近くに立っていた少年にびくりとする正通。その反応に少年は足を止め驚かせたことを謝る。

「申し訳ございません。驚かせてしまったでしょうか?」

「い、いや。問題ない。ちょっと考え事をしていて気付くのが遅れただけだ……。それよりも私に何か用か?それともこのお堂に用か?」

 遅ればせながら必死に取り繕う正通。しかし続く少年の言葉は再度彼を動揺させた。

「私はあなたに用があってまいりました。ここ数日『天狗薬』を探している牢人がいると聞いたのですが、それはあなたのことでしょうか?」

「なっ!?」

(何だこいつ!?なんで俺がその薬を探していることを知っている?まさかこいつ目付の与力か何かか!?)

「そ、それがどうしたというのだ?」

 警戒する正通。だがこれに対する少年の返答はまたもや彼の想像外の返事であった。

「お願いがございます。どうかその薬の探索に私を同行させてはいただけないでしょうか?」


「な……お前今、何と言ったんだ?」

「はい。私も天狗薬の噂を聞いて探している者です。ですが一人での調査にも限界がある。そこでどうか貴殿の調査に同行させてほしいのです」

「なん、だと……」

 唐突に現れた少年はさらに唐突に正通との同行を頼み込んできた。この急な展開に正通が混乱したのは言うまでもない。

(この子も城に雇ってもらうために薬を探しているのか?それに同行だなんて、こっちだって当ても何もないというのに。いや、そもそもこの少年どこから私のことを知ったのだ?)

 いろいろと気になるところはある。だがまずは一つ指摘しておくべきだろう。正通は落ち着いている振りをしてスッと少年を指差した。

「……噂をもとに薬を探していると言ったがお前は見たところちゃんとした武家の子だろう。わざわざ薬など探さずともよいはずだ。それがなぜ真偽もわからぬ噂なんぞに頼ろうとする?」

 正通は覇気のない牢人であったが見るべきところはちゃんと見ていた。目の前の少年は幼いながらもほつれのない小袖を着込み、大小の二本を差し、月代もきちんと剃られている。牢人どころか落ちぶれた武家の子供ですらない、ある程度ちゃんとした家の子供だろう。

 これには少年も内心で(ほう。存外見るところは見ているな)と感心した。だがそれ用の言い訳もきちんと用意している。

「なんだ、言えない理由でもあるのか?」

「いえ。貴殿のおっしゃる通り私はとある武家の子です。といっても田舎のしがない家のしかも三男ですがね。そして私はこのままでは出家させられて武士ですらなくなってしまうんです」

「どういうことだ?」

 正通が尋ねると少年は「少々長くなりますが……」と前置きをして語り出した。


「まず私の家ですが先程申し上げた通り三河のとある田舎の家でして、曽祖父がちょっとした戦働きをして今の地位を得たと聞いております。一時は家臣を十も二十も従えていたそうですがそれも今は昔。今では書類仕事をして細々と暮らしている、そんな家です。生活の方は慎ましやかなものでしたがおおよそ平穏と呼べるものでした。ですがある日転機が訪れます。母方の親族のとあるお方が亡くなったのです」

「ふむ。その者がどうかしたのか?」

「私もあまり詳しくは聞いていないのですが、そのお方は母方の菩提寺ぼだいじ(先祖代々の位牌を納める寺)の僧だったそうです。そのお方が亡くなったことにより寺に母方の親族がいなくなった。それを母方の親族が深く憂慮し代わりの者を探し始めたのです」

「なるほど。それで白羽の矢が立ったのがお主だったというわけか」

 少年は頷いた。現代の感覚では少し異質に思えるかもしれないが、当時の人の中には菩提寺の管理を親族にしてほしいという少なからずいた。また武家に嫁げるような家ならば体裁とかもあったのだろう。ともかく突如空いた僧の席に少年は無理矢理着かされそうになったというわけだ。

「もちろん祖先を敬うお役目の重要さは理解しております。また三男である私が将来きちんとしたお役目を得られるかどうかも不鮮明です。ですが……!」

 少年は悔しそうに地面をダンと踏みしめた。

「おかしいではありませんか!捧げられるのは兄上たちではなく私!何故遅く生まれただけで武士の生き方を否定されなければならないのですか!?私とて自分が望む道を歩みたいというのに……。ですが今の私が何を言ったところで所詮は子供の戯言。今のままでは誰も相手になどしてはくれません……」

「……だから噂の天狗薬を飲んで誰もが無視できない力が欲しいと?」

 天狗薬を得て城から一目置かれるほどの力を得れば確かに出家の話は立ち消えることだろう。つまり目的は自分と同じ、武士という地位を守るため。

 しかし力強く「はい!」と答えた少年のまぶしさに、正通は思わず目を伏せた。

「っ!」

 熱を帯びた少年の真っすぐな瞳。それほどまでの武士という在り方への渇望。目的は同じなどと言ったが果たして今の私は彼ほどの強い目をしているのだろうか?

(強いな……。それに不憫でもある。できることなら助けてやりたいが……)

 心揺れる正通。だがそれならそれで、始めにきちんと言っておくべきことがある。正通は少年に向き直り口を開いた。

「事情は分かった。協力するのもやぶさかではない。だがその前に言っておくことがある」

「なんでしょうか?」

「まず俺もその薬については手掛かりすらつかめていない。それどころか本当にあるかどうかすらわからない始末だ。加えて俺のような牢人は御公儀からは快く思われてはいない。一緒にいればお前も変な目に見られてしまうことだろう。それでも俺と同行したいと申すか?」

 この問いかけに少年はまっすぐな目で返した。

「そこに武士への道があるのなら」

(……俺の負けだな)

 この意志の強さ。これはもうこの少年はてこでも動かないだろう。ならば一時だけでも彼の後見人になってやるのも悪くはない。正通は警戒の雰囲気を解いて名を名乗る。

「田畑正通だ。頼りになるかはわからんが、まぁよろしく頼む」

 これに対し少年も丁寧にお辞儀をし自らの名を名乗った。

「三河国柳家三男、柳新左衛門しんざえもんにございます」


(ふぅ。どうにかうまくいったようだ)

 柳新左衛門。少年はそう名乗ったがそれは偽名で、その正体は柳生清厳であった。わざわざ偽名を使って接近したのはもちろん懐に入って情報を集めるためである。

(少し悪い気もするがこれもお役目。せめて安穏に引いてくれればいいのだが……)

 清厳改め新左衛門は胸中の小さな罪悪感に気付かぬふりをしながら計画を次の段階に移そうとする。次とはつまり他愛ない会話などで親睦を深めて相手の口を軽くすることである。あまり得意な分野ではないがこれも経験と新左衛門は意気込んだ。

 しかしここで完全に予想外の事態が起こった。

「おっ?なんだ、先客がいるのか?」

 耳に入ったのは正通でも新左衛門でもない、さらに言えば門之助や儀信などでもない完全な第三者の声。それに驚き振り返ればそこには新たに見知らぬ牢人が立っていた。

(だ、誰だこいつは!?)

 新たに現れた牢人は身長五尺半ほどで筋骨隆々。着ている衣服は所々が擦り切れて汚れており、髪や髭も伸ばしっぱなしと無頼者を絵にかいたような男であった。

(まさか仲間がいたのか!?)

 新左衛門は正通を見るが、正通も正通で困惑した目で(お前の連れか?)と尋ねてくる。

(仲間じゃない?ということはこいつは本当に偶然この場に居合わせた新たな牢人ということか?)

 困惑する新左衛門と正通。その様子を見て謎の牢人は豪快にはっはと笑った。

「ははは、驚かせちまったか?それなら悪かった。俺の名は定春さだはる。まぁしがない牢人ってやつだ。今夜はここに一泊させてもらうぜ。まぁ変なことをするつもりはないから安心してくれ」

 定春と名乗った牢人は手に持った竹水筒をぐっと煽った。おそらく中身は酒だろう。一息に呑んだ定春はぷはぁと満足そうに息を吐くと改めて新左衛門と正通に向き直りこう尋ねた。

「ところでお二人さん。『天狗薬』っていう薬を知ってるか?俺はそれを探しにここまで来てね」

 天狗薬を探しに来た二人目の牢人・定春。彼の登場に新左衛門は静かにごくりと喉を鳴らした。

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