柳新左衛門 正通、定春と手を組む 1

(これは困ったことになったな……)

 天狗薬を探す牢人・田畑正通まさみちを調べるために身分を隠して近付いた柳生清厳改め柳新左衛門しんざえもん。用意した偽の経歴でうまく誤魔化し懐に入り込めたと思ったのもつかの間、そのタイミングでまた別の牢人が姿を現した。

 現れたのは定春さだはると名乗る牢人。しかもこの男、正通と違って体格がよく肩で風を切るように歩き、粗末な服を着こみ髪や髭も伸びるに任せたままという絵にかいたような無頼者という風な男であった。

「あんたら『天狗薬』っていう薬を知ってるか?俺はそいつを探しに尾張まで来てね」

(どう答える?さすがに二人相手取るのは厳しいぞ……)

 悩む新左衛門。だがその躊躇の合間に先に正通の方が口を開いた。

「おや、あんたも『天狗薬』を探しているのか?」

「ほう、ということはあんたらもか」

(正通殿!?……いや、正通殿からすれば隠す理由もないか。仕方ない。しばらく成り行きに任せるか……)

 新左衛門は怪しまれぬ程度に気配を消して二人に会話を任せる。

「それであんたらは薬を見つけたのか?」

「いや、残念ながら。まだこっちに来て日も浅いんでね。手掛かりすらつかめてないくらいさ」

「なんだ使えねぇなぁ。……やぱり流言の類だったのか?この噂は」

「それはまだ何とも言えん。さっきも言ったがこっちに来て間もないからな。ところで確認するがあんたも天狗薬――それを得れば雇ってもらえるという噂を聞いてここまで来たんだよな?」

「あぁん?そうだが、それがどうした?」

「提案なんだが、あんたも一緒に薬を探さないか?共同戦線っていう奴だ」

(っ!予想はしていたがやはりこうなったか……!)

 正通は定春に共に薬を探さないかと提案をした。彼からすれば今更一人二人増えたところでたいして変わらないという判断なのだろう。

 対し新左衛門としてはこんな見るからに乱暴そうな奴にそばにいられるのは遠慮願いたかった。だが『天狗薬を探しに村を飛び出した柳新左衛門』としては断る理由がない。そのため正通の「構わないか、新左衛門殿?」という問いに「私は問題ありません」と返すしかなかった。

「こちら二人は組んでも構わないと考えているが、どうする?もちろん無理にとは言わないが」

 この申し出に定春はすぐには飛びつかず、あご髭を撫でながらゆっくりとこちらの思惑を見極めようとする。

「……訊くが俺が手を組む利点は何だ?」

「情報を集める耳が一人分から三人分になる。またすでに俺たちが調べたところを調べなくてもよくなる」

「そちらの利点は?」

「耳が増えるのは同じ。加えて手も増えて他の牢人たちと争う確率が減るだろう。見ての通りこちらは荒事にはあまり強くはなくってね」

 正通にしても新左衛門にしても武闘派の牢人と比較すれば線は細い方である。実際は新左衛門は柳生新陰流の使い手で見た目以上の戦力になるのだが、言ってない以上それを正通が知っているはずもなく、またここで訂正する義理もない。

「それと万が一役人に追われても捕まる確率が三分の一になる」

「ふふふ、なるほどなるほど。それは確かに魅力的だ。……最後に一つ。もし仮にうまくいって薬を手に入れたとしよう。だがもしその薬が一人分だった時――その時はどうする?」

 定春はぎろんと睨みつけ殺気を飛ばす。それは体格や風貌も相まって並の人間なら縮こまってしまいそうな迫力があった。だが正通は意外にもこれをさらりと受け流した。

「それはその時になってから考えよう。仮定の話ならそれこそ百人分手に入るかもしれんしな」

 やる気があるのかないのかわからない正通の返答に定春は一瞬きょとんとし、そしてにやりと笑った。

「ははは。そうだな、わからんことを今考えても意味がないか。よし気に入った。お前らと手を組んでやる。だが抜け駆けなんかしやがったらぶち殺すからな」

「安心しろ。勝てない勝負を挑むほど無謀ではない」

 同じくにやりと笑う正通。その後ろで新左衛門は一人この展開にあきらめたかのような小さなため息をついていた。

(まぁこうなってしまうか……。仕方がない。粗暴そうな牢人を目の届くところで監視できると考えよう)

 こうして天狗薬を探す新左衛門と正通の同盟に新たに定春という牢人が加わったのであった。


 協力することで話がまとまった一行はお堂内にて改めて簡単な自己紹介を行った。

「美濃国出身の田畑正通だ。よろしく頼む」

「三河国より来ました、柳新左衛門にございます」

「武蔵国の定春だが……ん?なんだ、お前ら兄弟か何かかと思ったがそうじゃないのか?」

 定春が訝しむように正通と新左衛門の二人を見た。どうやら雰囲気が近しいことから肉親か何かかと思っていたようだ。実際は二人が出会ったのは定春とさほど変わらないのだが、定春がそれを知るはずもなく、また年若い新左衛門が一人で牢人稼業を営んでいたとは想像がつかなかったのだろう。

「今しがた会ったばかりだ。確かに俺たちよりは幼いが目的は同じだし、何より目や耳が多いに越したことはないからな」

「ふぅん……」

 定春は礼儀などお構いなしという風にじろじろと新左衛門を眺める。

「……何か?」

「いや、随分と小綺麗な格好をしていると思ってな。お前本当に牢人か?御公儀の密偵か何かじゃないだろうな?」

「定春殿。それは少々失礼だぞ」

「……」

 定春は粗雑な外見ながら目敏く警戒してくる。あるいは正通が抜けているだけで、このくらいの警戒心がなければ牢人稼業などやってはいけないのかもしれない。だがこの程度の嫌疑なら想定内であり新左衛門は何てことない顔で返答する。

「家を出て間もないことは否定しません。ですが目的は同じ『天狗薬』。それに会ってすぐで信用できないというのなら一番最後に合流したのはあなたですよ」

「あぁん?」

「ちょっ、新左衛門殿も……」

 新左衛門の挑発じみた返しに定春は目を引ん剝くが、やがて楽しげにはははと笑ってみせた。

「ははは。鼻っ柱の強いガキだ。まぁいいか。こんな子供の密偵なんかいるわけないからな」

「……ご理解いただけて何よりです」

「ふぅ……。まったく、一時とはいえ手を組むのだからそう反目しあわないで欲しいのだがな」

 こうして少し危うい場面もあったりしたがどうにか互いの顔合わせは終わった。そして一行は本題である天狗薬についての情報の共有に移る。

「それでお前らはどのくらい調べたんだ?先に言っておくが俺は尾張に入ったばかりで最低限の噂しか知らねぇぞ」

 開き直るかのような態度で竹筒内の酒を煽る定春。これにまず正通が返答する。

「俺は美濃から名古屋に入りその後この村まで来た。その道中で噂について訊いて回ったのだが一般に流れている噂以上の手がかりは手に入れられなかった。それどころかこの噂は牢人を集めて捕らえるための役人らの罠だという話すらあったほどだ」

「私も似たようなものです。私がきちんと訊いて回ったのは城下町のみですが噂は知っていても薬そのものについては知らないという人ばかりで、また牢人ですら本気で追っている者は少ないという様子でした。なんなら城下町外の人の方が熱心に噂していた印象です」

 新左衛門の意見に正通が同意する。

「その印象は俺も感じたな。城下町に居ついているような牢人は何かしらの伝手を持っているから今更無理に雇ってもらう道を探す必要もないということだろう」

「あるいは下手に首を突っ込んで同心らに目を付けられることを恐れたりもしているのでしょう」

「それもあるかもな。このご時世、お上と敵対したところで碌なことにはならないからな」

 そんな二人の話を聞いていた定春は考えるのが面倒くさくなった顔で再度竹水筒を傾けた。

「よくわからねぇが、つまり名古屋の町では情報が手に入りそうにないってことだな。しかしそれなら明日はどうするんだ?悪いが草の根分けるって話なら俺は降りさせてもらうぜ」

「そう結論を急くな。明日は宮宿みやしゅくに向かう。そこでも何も出なかったら、その時は降りたければ降りればいいさ」

 正通が提案した明日の調査場所。それはここ南井戸村から南西に一里ほど歩いたところにある宿場――宮宿であった。

 この宮宿とは熱田宿とも呼ばれる東海道有数の宿場であり名古屋城から最も近いほか、清厳や三厳らも使った七里の渡しの乗り場などもある交通の要所である。人の往来が激しく、必然膾炙される噂にも期待が持てることだろう。

 それだけに定春はまだ宮宿で聞き込みをしていなかったことに逆に驚いた。

「なんだ、宮宿には行ってなかったのか。すぐ近くだってのに」

「薬は城下町の方にあると思ってたからな。それにあそこは与力も多そうだから避けていたんだ」

「ああ、まぁあそこの犬は妙に鼻が利くやつが多いからな」

 宮宿は東海道有数の宿場であるため治安に目を光らせる与力・同心も多い。また彼らは城を中心に警備する城下町のそれとは違い宿場全体を見て周る。そのため牢人側からしてみれば城下町以上に動きづらい町であったとも言えた。

「だからこそ三人で手分けして調べる意義がある。町を横断するかのように動けば与力の目にもつくが、大きく動かなければ向こうがこちらを気に掛けることもないだろうからな」

「なるほど。まぁあの町を一人で調査するってのはなかなかに難儀だからな。よし分かった。俺はそれでいいと思うぞ」

「新左衛門殿もそれでよろしいかな?」

「異論はございません。私も宮宿の方には手を付けていませんでしたので」

 一同は顔を見合い互いに頷いた。これで明日の調査は宮宿に決まった。それが決まるとほぼ同時に日の入りの時刻となり周囲は夜闇に包まれた。

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