柳新左衛門 正通、定春と手を組む 2

 明日は宮宿に向かうという方向で話がまとまった新左衛門たち。それとほぼ同時に日も沈み、お堂の中は一気に互いの顔も見えないくらいに暗くなった。

 この時代、蝋燭や燭台の類はまだ一般的ではなかったため一度日が落ちれば人里であろうと明かり一つない夜闇に包まれる。こうなるともう外を散策するなんて真似はできず、寝るかあるいは眠たくなるまでじっとして話をするくらいしかできることもないだろう。

 故に新左衛門らが適当に世間話を始めたのも自然のことだった。しかし語り部は牢人である定春らだ。御公儀側の人間である新左衛門からしてみれば必然聞き苦しい話題も少なくない。

「まったく馬鹿な女だったよ。村の近くだったから油断してたのだろう。ちょっと刀を抜いて脅してやれば声も出せずに震えていたな。ふふふふふ……」

「定春殿。歳若い者の前であまりそのようなお話は……」

「正通殿。子供扱いはしないでいただきたい」

「あ、す、すまない……」

(とはいえ確かにあまり聞いてて楽しい類の話ではないがな)

 予想していたことではあったが定春の語る武勇伝はどれも悪徳な牢人らしい無法なものばかりであった。盗み、おどし、ゆすり、暴行……。多少盛っているところもあるだろうが、それを差し引いても彼の語る話は御公儀の者としては到底見過ごせるものではない。

 実際義憤に任せて刀を抜きたくなった場面も何度かあった。だが新左衛門はそれを寸でのところでぐっと堪えていた。

(ダメだ。まだこいつには働いてもらわなければならないのだ……)


 実は数刻前、最初に正通に会いに向かう前に門之助との間でこのようなやり取りがあった。

「清厳殿。万が一あの牢人が凶悪な者だったとしても、すぐに手にかけたりせずに可能な限り情報を集めてからにしていただけますか?」

「それは仲間の有無といった情報を得てからということでしょうか?」

「それもありますが私たちは『天狗薬』についても調べなければなりません。そちらの情報も忘れずに収集していただきたいのですよ」

「天狗薬の存在?それは噂だけのものではなかったのですか?」

 清厳の疑問に門之助は首を振る。

「あくまで見つかっていないだけでまだ『存在しない』と言い切れるほどではありません。万が一実在するならば牢人たちよりも先に確保しておくべきでしょう。そしてそれ以上に噂の出どころについての手がかりも手に入れたい」

「出どころといいますと?」

「誰がこのような噂を流したのか。天狗薬そのものだけでなくそれを手に入れれば殿に雇ってもらえるという噂の方もです。これが偶発的に生まれた噂ならまだいい。ですが殿にも届きうる噂――それが何者かが何かしらの意図をもって流したものだったとしたら……。もちろん杞憂で済めば一番ですが、捕らえたり切り伏せたりなどはそれこそ何時でもできますからね。後々後悔しないためにも集められるものはとりあえず集めてしまいましょう」

「なるほど。気を付けてみます」

「あぁですがもちろん第一に考えるのは清厳殿自身の身の安全ですよ。決して無理はなさらないでください」

「わかっておりますとも。それでは行ってまいります」

 このようなやり取りののち清厳は正通のいるお堂に向かって歩き出した。

 そして時間は今に戻る。その間に定春という対象こそ増えたが新左衛門のすることに変わりはない。

(『蛇の道は蛇』ではないが四角四面な者では手に入れられない情報もあるかもしれないからな。不愉快ではあるがもう少し泳がせてみよう)

 新左衛門はじっと耐えて時が過ぎるのを待っていた。明かりがないのは幸いだった。でなければ新左衛門の感情を殺した冷たい表情が見られていたことだろう。


 一行の夜はそれからまた一刻ほどが経った。それだけ時間が経つとさすがに皆話題も乏しくなりぼちぼち眠気も自覚してくる。そんな中で正通が「明日も忙しくなるでしょうし、そろそろ横になりましょうか」と言うと、誰も反論することなく話を切り上げ各々寝る態勢に入った。

「それではおやすみなさいませ」

「おう、変な真似したら承知しねぇからな」

「ではまた明日に」

 さてこうしてようやく寝入る流れになったわけだが、彼らはお堂の中央で仲良く川の字に並んで寝転がったりはしない。なにせ皆初対面な上に現代と比べれば人の命など羽ほども軽い時代である。寝込みを襲われてはたまらないと彼らは正面入り口を除く三面の壁にそれぞれ背を預け互いに距離を取っていた。

 新左衛門の位置はお堂入り口の対面、最奥の壁だった。そこにもたれかかり目をつぶり呼吸を浅くする。ただしすぐには眠らない。残り二人の牢人がどう動くかを確認しなければならないからだ。新左衛門から見て右の壁が定春、左の壁が正通である。新左衛門はいつでも抜刀できるように刀を抱えながらじっと寝たふりを続ける。そしてそれから数十分ほど経った。

(まだ起きているのか、あの定春なる男……)

 新左衛門は暗闇の中、息を潜めて警戒する獣のような気配を静かに感じ取っていた。気配の主は定春。彼もまた寝たふりをして正通らの出方をうかがっていた。

(慎重だな。いや、当然と言えば当然か)

 口では同盟を組んだとはいえ出会ってからまだ半日も経ってない間柄である。このくらいの警戒はむしろ当然とも言えた。対し正通の方はどうかと言うと、こちらは寝入るや否やさっさといびきをかいてる始末である。

(まったく、無防備なのか人がいいのか……よく今まで生き延びていられたな……)

 正通のこの無防備さは呆れるがいい目くらましにもなる。新左衛門は以前忍びの知人に教わった寝たふりのコツ、全身の脱力を行いさらに寝たふりを続ける。そして数十分後、ふと定春が声をかけてきた。

「……おい、起きてるか?」

 だが新左衛門は答えない。これが誘いだとわかっているからだ。当然寝入っている正通も応えようがない。二人が無反応なのを確認すると定春は呆れたように息を吐いた。

「本当に寝てるみたいだな……。ふん、生ぬるい奴らだ。畜生、これなら俺もさっさと寝とけばよかったぜ……」

 そう言うと定春もようやく気を抜いて横になり、やがてごうごうといびきをかき始めた。新左衛門は念のためそこからさらに十数分程待ったが呼吸や寝返りにおかしなところは見受けられない。どうやら騙し合いは新左衛門の方に軍配が上がったようだ。

(さて、それなら……)

 完全に寝たと確信した新左衛門は小便のふりをしてこっそりとお堂の外へと出た。


(さて……さすがに誰もいないなんてことはないと思うが……)

 お堂の外は人気もなく真っ暗であった。朔の晩ではなかったが雲が出ているせいか月明かりも薄く、吹く風は刺すように冷たい。身も心も凍えそうなところであったがそんな中、夜風にかき消されかねないほどの小さな声で「……清厳様」と呼ぶ声が耳に届いた。

「……清厳様」

 それにちらと振り返ればそこには庭石の陰に隠れた門之助の下男・猿之助がいた。

「確か猿之助殿でしたな?」

「はい。清厳様、ご無事でしたか?」

「何とか。門之助殿たちは?」

「若様らはあの新たに現れた牢人の素性について調べておりまする。申し訳ございません。こちらもあの者の素性はまるでつかめておりませんでした」

 やはり定春の登場は彼らにとっても予想外だったようだ。新左衛門は気にするなと慰めてから、手短に今わかっている限りの彼らの名前や素性を報告した。

「先にお堂にいた方は美濃国の正通なる者で、後から来た方は武蔵国の定春という者だそうだ。正通殿の方は正直警戒するような相手ではないが後から来た定春という男――特別な訓練を受けている風ではなかったが、それなりの警戒心を持っていたから尾行をするなら気を付けたほうがいいだろうな」

「正通に定春ですか。確かに控えました。それで清厳様はこれからいかがなされるおつもりで?」

「いかがと言うと?」

「このまま牢人二人についていくかということです。事が事ですのでこのまま引き下がるというのも手ではありますが……」

 なるほど確かに状況は――後方に門之助らが控えているとはいえ――牢人二人に新左衛門一人の情況だ。定春についての情報が少ないことも気掛かりである。

 だが新左衛門の心はもう決まっていた。

「もう少し探ってみる。あの定春なる男なかなかの悪人のようでな。この機に逃すことなく捕らえてしまいたい」

 この返答を予想してはいたのだろう、猿之助は驚きはしなかったがそれでも立場上の忠告はしてきた。

「あまりご無理はなさらないでください。万が一が起これば門之助様や他の方々も悲しまれることでしょう」

「わかっているさ。あぁそうだ、明日は宮宿へと向かうそうだ。船には乗らないと思うが一応気に掛けておいてくれ。それではまた何かあったら報告頼むぞ」

「はっ」

 猿之助は一礼すると音もなく塀を乗り越え夜闇に消えていった。

(忍びの者だろうか。私も一人くらいは抱えておきたいな……おっと、怪しまれないうちに戻らないとな)

 一人こっそりとお堂内に戻る新左衛門。中の二人は出る前と変わらぬ位置で寝息を立てていた。新左衛門も自分の定位置に戻り腰を下ろす。

(さぁて、明日はどうなることか……)

 新左衛門は刀を抱えたまま目をつぶり束の間の仮眠に入った。

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