柳生清厳 楽田での騒乱に決着をつける 1

 才能を開花させ牢人三人を討ち取るという大金星を挙げた兼平。彼の活躍により意気を挫かれた牢人たちは我先にと逃げ出していく。

 牢人たちの中核を担っていた兵五郎も戦局が覆せぬと悟ると逃げ出そうとするが、それは春豪たちが拒む。

 そして清厳は自分に兵五郎を討たせてくれないかと頼んできたのであった。


 兼平の活躍と尾張の忍び・種長たちの登場により戦況は一気に春豪側に傾いた。これにより烏合の衆であった牢人たちは我先にと逃げ出していく。

「ひぃぃっ!尾張の御公儀だ!捕まったら首をはねられちまうぞ!」

「くそっ!そんな簡単に行くわけないとは思ってたんだ!」

「どけっ!邪魔だっ!こんなところで捕まってたまるかよっ!」

 廃寺境内内に牢人たちの悲鳴と怒号が響く。そんな阿鼻叫喚の中で春豪と清厳、そして種長の三人は兵五郎が逃げられぬようしっかりを目を光らせていた。

「悪いがお前は逃がすわけにはいかないな。指示を飛ばしていたのを見るに、お前が今回集まった奴らの中核なのだろう?せっかくだからこのあたりの牢人事情など色々と吐いてもらおうか」

「くっ……。お上の犬風情が……!」

 三人に囲まれた兵五郎であったがどうやら素直に投降する気はないらしく、刀を振り回しながらまるで野犬のように威嚇していた。

(やれやれ。これは痛い目を見せてやらねばいけないようだな)

 春豪は果し合いの続きのつもりで相手をしてやろうと考えた。しかしそれより先に清厳が自分が相手をしたいと前に出る。

「こやつとの勝負は某にやらせてはいただけないでしょうか?」

「清厳殿がですか?」

「なに、兼平殿のおかげで昂ってしまいましてね。もう果し合いも何もないのなら、私が相手をしても構わぬでしょう?」

 春豪はどうするか迷ったが、種長がこれを認めて一歩引いたため、彼もそれに倣ってこの場を任せた。

「ではお好きなように。一応言っておきますが、弱くはないですよ」

「承知しております。……新陰流、柳生清厳がお相手いたす!」

「く、くそっ!こんな餓鬼にやられてたまるかよっ!」

 清厳が一歩前に出て正眼に構えると、兵五郎もつられて正眼で相対した。

 こうして楽田の廃寺にて清厳と兵五郎の最期の立ち合いが始まったのであった。


 今回の件に決着をつけるために始まった清厳と兵五郎の一騎討ち。しかし両者の振る舞いは周囲の狂乱とは裏腹に静かなものであった。

 両者は共に正眼で構え、苔むした石畳をにじり寄りながら互いの呼吸を推し量る。

 興味深かったのは若干狂乱気味だった兵五郎が、仕合いが始まるや集中力を一気に高めたことだろう。やはり実戦経験はそれなりにあるようだ。

(清厳殿は当然として、あの男の方もよく見ているな。一瞬の隙を狙っている)

「……」

「……」

 二人はしばらくの間無言で間合いの押し引きを繰り返す。すると面白いもので、そのようなことをしていると相手がどう攻めようか考えていることがなんとなくわかることがある。

 そして数度目の押し引きをしたところで清厳は気付いた。この男は真面目に戦う気がさらさらないということに。

(こいつ……、隙を突いて逃げることだけを考えているな?)

 どうやら兵五郎は清厳と真面目に戦って勝つつもりはないようだ。思えば春豪の時もそうであった。彼は挑発的な言動こそするものの自分からは攻めようとはせず、牢人仲間が包囲を完成させるまでの時間稼ぎに徹していた。今回は逃げる好機が来るまでこのダラダラとした押し引きをし続けるつもりなのだろう。

 なるほど、兵五郎からしてみれば清厳一人を討ったところで後ろにはまだ春豪たちが控えている。それならば下手に争うよりも、頃合いを見計らい逃げる方が生き延びる可能性は高いと見たのだろう。

 試しに清厳は一度わざと大きく踏み込み兵五郎が攻撃しやすいように誘ってみた。しかし彼はこれには乗らず、適当な間合いを維持しつつさりげなく包囲の隙間を目指していた。

「……今のは攻撃してきてもよかったのではないのか?」

「ふんっ。いつ攻めるかはこちらが決めることだ。その時になったら存分にしてやるさ」

(さすがに乗っては来ないか……)

 徹底して戦おうとはしない兵五郎。確かに生き延びることを第一に考えるのならばこの戦略も致し方ないものなのだろう。

 しかし清厳としては期待外れというのが本音である。兵五郎は一応春豪の攻撃を捌く程度の技量は有していた。そんな彼が追い詰められた時どのような剣を使うのか、それに自分はどう対応できるのか……。強者との戦いに飢えていた清厳は兵五郎と刀を交えることをひそかに楽しみにしていた。

 だが結果は御覧の通り。清厳からしてみれば肩透かしも甚だしい事態である。

(さて、どうしてくれようか。向こうに攻めてくる気配はないし、逃げ道は種長殿たちが塞いでいる。このまま普通に追い詰めれば普通に暴れてくれそうだが、それでは面白味に欠けるな……)

 しばし考えた清厳は何を思ったのか、勝負の最中であるにもかかわらず刀を納め、右手を柄に沿え体勢を低くした。

(ならばこれを試すか……!)

 清厳が新たに取った構えに一同は驚いた。

「あれは……抜刀術!?」

 清厳が選んだ構え。それは新陰流ではない技――抜刀術の構えであった。


「この場面で抜刀術だと!?」

 停滞していた清厳と兵五郎との一戦。それを打開するために清厳は抜刀術の構えを取ったのだが、この選択には兵五郎も春豪も驚いた。

「……はっ。刀を隠して避けづらくしたつもりか?そんな小細工が通用すると思うなよ!?」

(そうだ、清厳殿。すでに間合いは見られている。それでは抜刀術を活かしきれない!)

 清厳が選択した抜刀術――この技の肝は間合いと剣筋が読みづらいという点である。鞘に収めた刀身は体に隠れて見えづらく、腰のあたりから高速で放たれる一撃は、いかな達人でも簡単に見切れるものではない。

 しかしそれはあくまで敵がこちらの間合いを知らないことが前提である。すでに二人は正眼の構えで互いに間合いの押し引きをしていた。兵五郎ほどの経験者ならば、それだけでおおよその間合いを肌で覚えたことだろう。これでは攻撃を避けられるどころか反撃までされるかもしれない。

(抜刀術は攻撃後に体が伸びてしまうのが一つの欠点だ。清厳殿がそれを知らぬとは思えぬのだが……)

 だが春豪の懸念をよそに、清厳は構えたままじりじりと間合いを詰めていく。どうやら本気でそれでいくつもりのようだ。春豪がちらと種長の顔を見れば、彼の顔にもわずかに緊張の色が見えた。

(まもなく間合い内に入るが、いったいどうなるというのだ!?)

 全員が事の成り行きを見守る中、清厳の右足の指先が剣が届く間合いに入った。兵五郎は後ろに下がろうとしたが、背後に種長が控えているのを見て半歩下がるにとどまった。これ以上下がることはできないため、ここで清厳を迎え撃つ他ない。

 兵五郎は小さく舌打ちをしたが、一方で若干の勝算も持っていた。

(どうやら逃げられそうにねえな。だが小僧が抜刀術なんぞを選んでくれて助かった。あれは避ければ隙ができる技だからな。最初の一刀、そこが勝負の時だ!)

 兵五郎も抜刀術のメリット・デメリットは把握していた。要は最初の一撃をかわせるか、かわせないかにかかっている。そのため彼は重心をやや上げ、フットワーク重視の構えに変化させた。

 その変化は清厳も気付いたことだろう。しかし清厳は構わず歩を進め、いよいよ過不足ない間合いに到達した。

 あとは呼吸の具合のみ。兵五郎はその一瞬のきらめきを逃さないように集中する。

 両者の間で剣気がじりじりと圧縮されていた。


 そしてその時は訪れた。

(来る!)

 それはまるで石火のような抜刀であった。わずかに清厳が纏う剣気が膨らんだと感じるや否や彼の四肢は一瞬で弾け、まばゆい白刃が兵五郎目掛けてまっすぐに伸びる。それはまさに必殺の一撃に見えた。

 だが兵五郎も巧者であった。彼は清厳の白刃が自分の喉元あたりに飛んできていると悟るや、膝の力をうまく抜いて体をひねり、薄皮一枚でこれを受けたのだ。

 清厳の一撃は兵五郎の首と肩との境目あたりを小さく切ったのみで、そのあとに残ったのは抜刀術のせいで四肢が伸び切った清厳の無防備な体であった。

 そこに向かって兵五郎は刀を振り下ろす。

「もらったぞ、小僧!」

 おそらく見ていた者のほとんどが清厳の敗北だと感じただろう。

 しかし春豪は清厳の意図に気付いていた。

(これは……誘いだ!)

 抜刀しきった清厳の体は重心が前に出て、腕も伸び切り一見すると隙だらけに見える。だが春豪はこの抜刀には体重が乗っておらず、重心もしっかりと体の方に残っていることを見抜いた。

 つまり清厳は敵の攻撃を誘うため、わざと隙があるように振舞ったということだ。

 とはいえそれは岡目八目。春豪が気付くことができたのは彼が少し離れたところから見ていたがためである。すぐそばで戦っている兵五郎がこれを見破れるはずもなく、彼は目の前に急に現れた極上の餌に向かって迷わず刀を振り下ろした。

 そしてその代償は……。

「痛っ!?……な、なんだとぉっ!?」

 驚愕の声を上げる兵五郎。だがそれも仕方のないことだろう。彼目線からすれば大きく隙を晒した清厳に無慈悲な一撃を食らわせたつもりでいたのだ。

 しかしその一撃は何故か空を切り、気付けばいつの間にか自分の右ひざあたりが切られていた。

(切られた!?いつだ!?俺が切ったんじゃないのか!?そもそもあの小僧はどこにいった!?)

 痛みもそうだが、ハッと気付くといつの間にか目の前にいたはずの清厳の姿も消えていた。もはやパニック状態の兵五郎は首をぶんぶんと振って周囲を見渡すが、やはり清厳の姿はない。

 そんな彼が次に清厳の存在に気付くのは、左ひざのあたりを切られた時であった。

「ぐぅっ……、このっ……!?」

 痛みを覚えた兵五郎はほとんど反射で左に向かって剣を振った。しかしこれこそが敗着の一手であった。

 適当に振った刀は清厳に難なく弾かれ、刀は兵五郎の手を離れた。そしてそれで呆気に取られていた兵五郎の腹を、清厳は思いっきり前蹴りで蹴飛ばした。足を痛めた兵五郎は踏ん張ることができず、そのまま後方に一回転して尻もちをついた。そして首筋に冷たいものが当てられる。清厳の刀である。

「こんなものか。さて、そろそろおとなしく捕まってくれるな?」

 降伏勧告をする清厳。しかしここで捕まれば命の保証はない兵五郎は最後の悪あがきで清厳に飛び掛かった。

「う、うるせぇんだよ、この餓鬼がぁっ!」

「チッ。往生際の悪い……!」

 そんな兵五郎に対して清厳は刀の刃を返し、峰打ちで彼の鎖骨を砕いた。兵五郎は「ぎやぁっ!」と引きつったかのような悲鳴を上げたのち、その場にうずくまって動かなくなった。

 今度こそ決着――清厳の完全勝利であった。


 勝利した清厳は兵五郎の刀を回収すると、種長を呼んだ。

「種長殿。止血と縄をお願いしてもよろしいですか?」

「はい。ただいま」

 駆けていった種長は手早く兵五郎の止血と捕縛を行う。その際兵五郎は「痛い痛い」とわめいていたが、種長は慣れた様子で気にすることなく縄を締めていた。

 捕縛が終わると清厳は春豪に近寄って一礼した。

「ありがとうございました。勝負を譲っていただいて」

「いえ。代わりにいいものを見させてもらいました。……誘いの抜刀でしたね」

「さすがは春豪殿。見破られてしまいましたか」

 兵五郎を倒した清厳の一撃。それを春豪はしっかりと目に焼き付けていた。

 清厳はまずわざと抜刀術を外して隙を作り、敵の攻撃を誘った。兵五郎はそれにまんまと釣られて刀を振るうのだが、清厳は踏み込んだ右足を軸に小さく回転してこれを避けた。

 そしてその回避行動と同時に伸ばした刀を兵五郎の踏み込んだ足――右足の膝付近に沿わせて素早く引く。日本刀とは引いて切る武器であるため、適切に刃筋を立てれば刀の重さだけでも十分に肉を切ることはできる。兵五郎の最初の傷はこうしてつけられたのだ。

『痛っ!?……な、なんだとぉっ!?』

 攻撃を外したことと痛みで混乱状態になる兵五郎。その隙に清厳は彼の背後に回り込んでいた。背後は完全なる死角なため兵五郎からは清厳が突如消えたように見える。そうして立ち往生している間に今度は左に回り込み、彼の左足を攻撃したというわけだ。

 こうして清厳は勝利したわけだが、この一連の動きの中で興味深い点は、最初の抜刀術以外はおおよそが新陰流の技術が生かされていたという点だろう。

 縦横無尽な動きをしていたから気付きにくいが、敵を誘って攻撃を避けたり、敵の死角に回り込むような立ち振る舞いは新陰流が得意としている技法である。

(もしや清厳殿は新たな新陰流を創造しようとしているのだろうか……!?)

 春豪はこの点に関してもう少し清厳と話してみたかった。しかしどうやら彼らが戦っている間に他の争いも終結したようで、儀信や種長の部下たちが続々と集まってきた。

「ご無事でしたか、清厳様」

「問題ない。そちらも無事の様で何よりだ」

 清厳たちが兵五郎の相手をしているうちに儀信たちも近くの牢人たちと切り合ったようで、見れば境内には新たに四、五体の死体が増えていた。

「申し訳ございません、清厳様。多くを逃がしてしまいました」

「なに、この人数差ならば仕方ないさ。一応中心人物らしい者は捕らえたから、まぁ最悪の展開にはならんだろう」

 一行は全体の指揮をしていた兵五郎に加え、種長の部下が別に二人を捕縛していた。彼らを上に引き渡せば一応の面目は保たれるだろう。

 一段落ついたと見るや種長はポンと一つ手を叩いた。

「では小牧へと向かいましょうか。時間がありませんから死体は適当な影に置いて、あとは近くの人夫らに任せましょう」

 春豪らは種長の指示に従い、牢人らの死体を廃寺の影に並べると廃寺を後にするのであった。

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