(第十三話 終)柳生清厳 楽田での騒乱に決着をつける 2

 春豪に届いた果たし状は春豪や柳生家の武士を討って名を挙げようと目論んだ牢人たちによるものだった。

 だが一行はこれを返り討ちにし、主犯格であった兵五郎も見事清厳が捕縛した。

 こうして牢人たちとの争いを終えた春豪たちは楽田の地を去るのであった。


 楽田を後にした春豪たちはまもなくして小牧宿へと到着したわけだが、宿場の門番たちはやってきた一行を見て驚愕した。

「な、なんだお前らは!?一体何があったんだ!?」

 彼らの反応も当然だろう。なにせ一行には乱戦の時の返り血がべったりと付いており、中には縄をかけられていた者もいたからだ。

 春豪たちが(さて、どう説明したものか)と悩んでいると、種長が前に出て名乗り始めた。

「某らは尾張の御公儀の者だ。極秘裏に牢人たちの調査をしていて、今しがた一戦交えたところである。これから捕縛した牢人を連れて尾張に戻るゆえ、通行の許可をいただきたい」

「ご、御公儀だと?何か証拠になるようなものはあるか?」

「事前に御殿詰めの者に話は通してある。確認してくれ」

 御殿とは小牧山ふもとにある小牧御殿のことで、ここには管理のための役人が尾張から派遣されていた。種長はすでにそこと話はつけてあると言う。

「むぅ、承知した。確認してくるから、そこから動くなよ!」

 そう言うと門番の一人が小牧御殿の方に駆けていった。

 残された一行は確認が取れるまで門の脇にて適当に待つわけだが、その際清厳が種長にこそりと尋ねた。

「種長殿。先程話は通してあると言っておられましたが、本当なのですか?」

「もちろんですとも。行き掛けに利厳様の書状と共に大まかな話は通してあります」

 こくりと頷く種長。どうやら利厳は道中の役人らにも裏から手を回していたようだ。にくい親心に若干渋い顔をしながら清厳は続けて尋ねた。

「何と言って承諾させたのですか?まさか正直に『春豪殿が果たし状を受け取ったから』とでも?」

「ははっ、まさか。そんな馬鹿正直に報告したらこちらが怒られてしまいますよ。清厳殿たちは数日前にもこのあたりの見回りをなされたのでしょう?その時知り合った現地の者から『牢人たちが楽田に集まっている』という報告を聞いたから、その確認に出向いたということになっております」

 種長によると、上には前回の見回り時に知り合った者からのタレコミがあったと説明したらしい。なるほど、それならば清厳たちが確認に来ても不自然ではない。

「うまい設定ですね。……しかしそれならそうと先んじて話してくれてもよかったのではないのですか?知らぬ仲でもないですのに……」

「某を責めないでいただきたい。元はと言えば利厳様が『出来る限り緊張感を持たせてほしい』と言ってきたせいなのですから。実際得難い経験だったでしょう?」

「それはまぁ、そうなのですが……」

 確かにあの廃寺で牢人たちに囲まれた時は、どうにかしてこの場を切り抜けなければと普段の鍛錬ではできないほどに集中していた。それにより清厳は牢人の幾人かを倒したし、兼平も今日が初めての実戦とは思えぬほどの大金星を挙げた。これがもし周囲に種長のような援軍がいると知っていれば、同じ結果になったかは怪しい話である。

「……承知いたしました。苦言は父上にのみ言いましょう」

「あまり利厳様を責めないでくださいね。立場がある中で、出来る限り清厳殿たちに実戦を積ませようと苦心なされたのですから。……おや、御殿に行っていた者が帰ってきましたね」

 二人が話していると小牧御殿へと駆けていった門番が帰ってきた。男は呼吸を整えると一行に小牧御殿に迎えと指示を出す。

「報告済みであることを確認したから通っていいぞ。ただいろいろと手続きがあるそうだから一度御殿の方に来てほしいとのことだ。牢人の引き渡しもそちらの方でするらしい。わかったか?」

「承知した。では行こうか」

 無事門を通過した一行は指示に従い、小牧山ふもとにある徳川義直の御殿・小牧御殿へと向かった。


 徳川義直の別荘である小牧御殿。この御殿は天然の地形を防衛にうまく利用しており、積まれた石垣や土塁はちょっとした山城を思わせる外観をしていた。

 一行がその雰囲気に若干緊張しながら近付くと、門番から話を聞いて待っていたのだろう屋敷詰めの若い役人が出迎えた。

「お待ちしておりました。種長様と清厳様ですね。お二方のみ中にお入りください。お連れ様方は申し訳ありませんが、外の方でお待ちになっていてください」

 どうやら中に入れるのは種長と清厳の二人だけのようだ。まぁ義直直下の施設ならばそれも妥当だろう。

「それは構わぬのですが、捕らえた牢人らはいかがすればよろしいでしょうか?」

「牢人らは先んじてこちらで預かりましょう。どうぞ彼らに」

 若い役人が振り返ると、あらかじめ待機させていたのだろう奉公人数人が現れ、牢人たちを繋いだ縄を受け取った。彼らは口悪く罵る兵五郎たちに臆することなく屋敷の奥の方へと連行していった。

「では改めましてこちらに」

「承知いたしました。……儀信、少し行ってくる」

「はい。お待ちしております」

 指示通り清厳と種長だけが中に通され、残された儀信や春豪らはとりあえず近くの土手の木陰に腰掛けた。

 腰を下ろした儀信と兼平は心底疲れたようにふぅと息を吐き、そして互いに笑いあった。

「ふっ。お疲れの様ですな、兼平殿。まぁあれだけの活躍をしたのだからそれも仕方のないことでしょう」

「お互い様でしょう、儀信殿。……あぁしかし、久しぶりに一息つけた気がします」

 思えば彼らは立会人に選ばれたのちは牢人たちと戦い、戦闘後は兵五郎たちの移送と緊張しっぱなしだった。そこからようやく一息つけるようになったのだ。興奮のせいで忘れていた疲れが彼らの両肩に心地よくのしかかる。もちろん春豪もほどほどに疲れていたため、儀信らと同じようにただぼけっと呆けていた。

 しばらく彼らはただぼうっとしたり、種長の部下たちが気を利かせて持ってきた草餅などを食べたりして時間を潰していた。そうしていると半刻ほど経った頃だろうか。先んじて清厳一人だけが屋敷から出てきた。儀信は慌てて立ち上がり彼の元に駆け寄る。

「お疲れ様でした、清厳様。種長様の方は?」

「もう少し手続きがあるそうだ。諸々の許可を取ったのは種長殿だったからな」

 種長は清厳たちに隠れて根回しをしていた。そのため今回の件における名義上の現場責任者は彼となっており、その都合でもう少し書かねばならぬ書類があるとのことだった。

「それはまたご愁傷さまです」

「まぁ大して時間はかからぬと言っておられたから、適当に待っておけばいいだろう。……ふぅ。ようやく一息つけるな」

 そう言うと清厳もまた緊張の糸が切れたかのように、ドカッと近くの木陰に腰を下ろしたのであった。


 合流した清厳たちは種長が戻るまでの間、先程の牢人たちとの乱戦を振り返っていた。

「やはり殊勲は兼平殿だろうな。牢人三人相手に立ち回るなどそうできるものでもない」

「いやいや。それならば首魁を討ち取った清厳様も見事な立ち振る舞いでしたよ」

「なに、後ろがしっかりとしていてこそだ。そういった意味では誰が欠けてもこう上手くはいかなかったのだろうな」

 思えば先の戦闘は春豪や種長が控えていたとはいえ、ほとんど清厳たちだけで行った戦であった。それを乗り越えたことは大きな自信となったようで、彼らの笑顔にはあどけなさだけではなく、どこか一皮むけた雰囲気もあった。

 春豪も若い世代の成長に思わず破顔する。

(今の時代、あれだけの乱戦はそうそう起こるものではない。きっと貴重な経験となったことだろう)

 そう感じ入りながら耳をそばだてていると、彼らの話題は実戦的な剣術の型についての討論になっていた。どうやら今回の件で稽古と実戦の違いを強く認識したようだ。彼らは先の戦の反省をしながら、剣先の高さや重心の位置について真剣に意見を出し合っていた。

「やはり複数人を相手にすると、どこを見ればいいのか迷ってしまいますね」

「守るだけでなく、時には逃げることも視野に入れて構えなければなりませんな」

「しかしいつも逃げられるわけではあるまい。やはり強烈な攻撃の型も考えなければならないだろう」

 そんな話を聞いていた春豪はふと思い立ち、話の輪に入っていった。

「そういえば清厳殿。先程の兵五郎との一戦は見事であったが、あの抜刀術の型は自力で思いつかれたのか?」

 この質問に清厳は議論を止めて、こくりと頷いた。

「え?ええ。以前とある縁で凄腕の抜刀術の使い手と会いましてな。それを何度か真似ているうちに、『これは新陰流の技術と組み合わせられるのではないか?』と思ってあの型が生まれました」

 清厳は抜刀後の隙ですら自身の技に組み込んでいた。そこに独学でたどり着くとは、まさに類稀なるセンスがなせる業だろう。だが彼は不満そうにこう続ける。

「まぁ父上は『そんな外法に頼るな』と認めてはくれないのですがね」

「それは仕方ありますまい。あれは清厳殿の才覚あっての技。誰彼が真似できるようなものではありませぬ。剣術指南役であらせられる利厳殿からすればそんな高度な技よりも、基礎や基本を深く極めていきたいのでしょう」

「もちろんそれはわかっております。ですがそれでは討ちたい時に敵を討つことができなくなりましょう。やはり最後にものを言うのは力。それを突き詰めずに何が指南役ですか?」

 清厳は持論を自分で肯定するかのように、グッと拳を握った。春豪はその振る舞いに『勝負』に対する執着のようなものを感じ取った。

 そう言えば彼は時々、強さや勝利について深くこだわっているような姿勢を見せることがあった。そのこだわりはどこから来るのだろうか?気になった春豪はもう少し踏み込んでみることにした。

「随分と強さにこだわるのですね。このご時世、今日のような戦闘はそうそう起こらぬというのに」

「……そりゃあ武士ですからね。上様のために日夜体を鍛えるのは当然の義務です」

「そうですか。私はてっきり江戸柳生と一戦交えるために鍛えていると思ってましたよ」

「!」

 春豪の踏み込んだ発言によって一瞬一同の間に得も言われぬ緊張が走った。


 春豪の発言により場の空気は一瞬で凍りついた。全員が緊張で身を固くし、次の言葉を慎重に選んでいる。

 そんな中で口を開いたのは清厳であった。

「……面白い話ですね。どこかで変な噂でも耳にしましたか?」

 清厳の推し量るかのような質問に、春豪は若干とぼけた調子で返答した。

「屋敷の者が噂しているのを聞いたんですよ。なんでも清厳殿が江戸の柳生三厳を狙っているとかいないとか」

 本当は彼の父親である利厳から聞かされたのだが、今それを言う必要はないだろう。春豪の返答に清厳はしばし黙考したのち、やがて観念したかのように小さく息を吐いた。

「まぁ知っている者は知っておりますし隠す必要もないでしょう。噂の通り、私はいずれ江戸の三厳殿と雌雄を決したいと思っております」

「……存外簡単に認めるのですね」

「問題なのはわかっておりますが、かといって嘘をついてまで隠したい話でもないですからね」

 清厳の軽い口調のおかげで場の空気は若干和らいだ。しかし儀信や兼平などはまだ口を真一文字に結んでいる。それは清厳が将軍家に仕える三厳を狙っていると言ってしまったためだろう。解釈次第では江戸に反抗しているとも捉えられかねない発言。清厳の部下二人は主を守るためならば春豪相手でも飛び掛からんばかりの気迫で警戒を維持していた。

 春豪はそんな二人をあえて無視して続ける。

「……差し支えなければ理由を聞いても?確か江戸の柳生は将軍家に仕えているのでしょう?聞く者によっては反逆と捉えられてもおかしくはないですよ」

 春豪の質問に儀信らはもう一段緊張の度合いを高めたが、対する清厳はあっけらかんと返答した。

「理由?そんなの『どちらが強いか確認する』以外にありますまい」

「本当にそれだけですか?聞けば江戸柳生とは柳生庄を巡る因縁があるだとかなんとか……」

「おや、そのようなことまでご存じなのですね」

 柳生庄うんぬんもまた利厳から聞いた推察であったが、春豪はこれも適当に「誰かが話しているのを聞いた」と誤魔化した。

「まったく、口の軽い者もいたものだ。ですが柳生庄は関係ありませんよ。まぁ柳生家にとって、あの土地が意味ある土地だということは理解しております。ですがだからと言ってどうしろというんですか?あそこはもう江戸の御公儀の裁可で叔父上(宗矩)の土地となっているのですから」

「それはまぁ、そうなのだが……」

 至極まっとうな意見である。だが、ならば清厳はなんのために戦おうとしているのか?そんな疑問が顔に出ていたのだろう。清厳は微笑みながらその真意を明かしてくれた。

「そんな複雑な事情はありません。某は単に負けたくないんですよ。某個人としても、尾張の柳生家としても……」

「……どういうことですか?」

「ふむ……。例えばですが、江戸の柳生家と尾張の柳生家。どちらの主君の方が格が高いでしょうか?」

「それは……。どちらも高貴な方ですが、どちらかと言えば江戸の将軍でしょうね」

 清厳たちの主君・義直は御三家の筆頭で徳川家康の実子であるが、家光は将軍であり義直は彼の配下という扱いになる。

「左様。では柳生庄を所有しているのはどちらでしょうか?」

「江戸の柳生家と聞いております」

「間違いありません。あぁお気になさらず。これらのことはひっくり返しようのない単なる事実ですから。……では強いのはどちらの柳生家ですか?」

「それは……」

 口ごもる春豪。それを見て清厳は少し意地悪気に微笑んだ。

「おや。尾張の柳生家とは言ってくれないのですね?」

「……双方の腕を見たわけではありませんので」

「なるほど。それならば当然の答えだ。……なのに世間の者は『柳生家』と聞けば、先に江戸の柳生家を思い出す」

 清厳の目がスッと細くなる。

「土地だの家格だのといったことは、どうしようもないことなので別にいいんです。ですが強さに至っては、まだなにもはっきりとはしていない。にもかかわらず世間の者は将軍家に仕えているというだけで、江戸の方が優れていると思っている」

 春豪は清厳の心中にボッと闘争の炎が灯ったことを感じ取った。

「私はいずれその間違いを正します。いつかきっと、どちらが上かを決する時が来る。その時のために私は力を付ける必要があるのです」

 そう語る清厳の瞳に迷いはなかった。この剣士はその時が来れば躊躇うことなく刀を抜く。そう確信できるほどの意気だった。

 儀信と兼平はそんな清厳を尊敬のまなざしで見つめていたが、春豪は彼の身を焦がさんばかりの情熱にただただ戸惑いを覚えるばかりであった。


 さて、そんな清厳の胸中を知ったのち、種長が戻ってきた一行はその日のうちに尾張に帰還した。清厳らは屋敷に帰るやこの日の冒険譚を嬉々として語り、しばらく酒の肴に困ることはなかった。

 そしてそこからさらに数日後。春豪は利厳の部屋に行き、近日中に屋敷を出る旨を伝えた。

「そろそろお暇させていただこうと思っております。何も返せぬまま辞すのは義に欠けることは承知しておりますが、どうぞご理解願いたい」

「そうですか。貴殿が思うがままになさるといいでしょう」

 話を聞いた利厳は特に引き留めることもなく、これを了承した。

 初めから春豪が望むのならば引き留めることなく送り出そうと決めていたということもあるが、やはり決め手は先の果たし状だろう。一度目こそいろいろと思惑があったため利厳も陰で動いたが、二度も三度も続けばいずれはかばいきれなくなる。利厳もいずれ話そうと思っていたことだったため、彼にとっても渡りに船な提案であったということだ。

「ただ何も返せてないというのはご謙遜ですよ。貴殿が来られてから明らかに若い連中のやる気が上がりました。いずれあの中より春豪殿に並ぶ猛者も現れるやもしれませぬな」

「ふふっ。そうなれば喜ばしいことです」

 春豪にとっても若い武士との交流は得難い経験だった。彼らはこの数十日の間に見違えるほどに成長していた。

 特に思い入れがあるのはやはり共に楽田で戦った儀信に兼平、そして清厳だろう。彼らの顔を思い浮かべていた春豪は、そういえば利厳に話していないことがあると思い出した。

「……ところで置き土産というわけではありませぬが、少し清厳殿と話す機会がありまして、その胸の内を知ることができました。それをご報告したいと思います」

「報告と言いますと?」

「ええ。利厳殿は以前、柳生庄の所有権のいざこざが尾を引いて清厳殿に影響を与えているとおっしゃられてましたよね?」

 頷く利厳。かつて春豪は、清厳が柳生三厳を仮想的にしているのではないかという話を聞いていた。そしてその原因は父祖伝来の地、柳生庄を巡るいざこざが尾を引いているためではないかという推察も。

 しかしそれは誤解であった。清厳は利厳が思っているほど柳生庄に執着をしていなかった。

 では彼が三厳を狙う理由は何か?それは、『どちらが強い柳生なのか』をはっきりとさせるためだった。

「なんと……!?それは真なのですか、春豪殿……!?」

「ええ、本人から聞いた話です。」

「そんな……、権平ごんべい(清厳の幼名)のやつ……」

 利厳はショックを受けていた。清厳が柳生庄をさほど大切に思っていないと知ったこともそうだが、それより衝撃だったのが彼が柳生三厳と戦おうとしているその理由が強さの証明のためだったという点である。

 これは一見すると武士としては至極当然の行動原理のように感じるだろう。実際損得勘定抜きで名誉のために戦う武士はこの時代でも一定数はいる。

 しかしその反面、この時代は武力に頼る支配から脱しようとしていた時代でもあった。武ではなく法。騒乱よりも平和。理由なく暴れれば武士であっても裁かれる。そんな時代ゆえに利厳はことが大きくなる前に清厳を止めたかったのだが……。

「これでは権平を止められない……」

 土地が原因のいざこざならば幕府の裁定を理由に抑えることもできただろう。しかし強さの証明が原動力となるとそれも難しい。

 利厳もまた一武士である以上よもや「弱いと言われたまま引いてくれ」とは言えず、仮に言ったとしても清厳はそれには従わないことは目に見えていた。

 利厳はそんな清厳の行く末を想像し奥歯を噛んだ。

「時代に逆行するか、権平め……」

「逆行?どういうことですか?」

「……春豪殿は見ましたか?権平の抜刀術を」

「え?ええ。見事な腕前でした。某も初見ならば避けられたかどうか……」

 清厳の抜刀術はそれ単品で完結しているのではなく、後の隙ですら自身の技術体系に組み込んでいた。春豪の評は謙遜ではなく、実際あれを止めれれる剣士はかなり限られていることだろう。

 しかし利厳は残念そうに首を振る。

「確かにあれは一対一ならばかなり優秀な型でしょう。ですがあんな隙の大きい動き、人が入り乱れる実際の戦場では使えません。何よりあれは

「求めすぎている?どういうことですか?」

「春豪殿も見ておられたのでしょう?あやつに釣られて刀を振ってしまった牢人を。あやつは刀を振るつもりがない者にまで刀を振らせてしまったのですよ」

 利厳の評にハッとする春豪。

 確かにあの時、逃げることしか考えていなかった兵五郎は清厳の誘いに引きずられて攻勢に出てしまった。それは見方によれば清厳が戦いを引き起こしたとも見て取れる。

「剣を教えている某がこのようなことを言ってはいけないのかもしれませんが、今の時代の武に求められているのは目先の勝負に勝つことよりも、長期的に負けないように立ちまわることです。それが長い勝利と平和をもたらす。祖父の言葉を借りれば『無刀取り』とでも言えばいいのでしょうか。ですが奴のやっていることはそれの真逆なんですよ……」

 ここに来てようやく春豪も利厳の懸念を理解した。

 自覚があるのかどうかはわからないが、清厳は。あるいは戦のない時代に生まれた武士という矛盾が彼の剣を形作ったのかもしれない。

 何にせよ彼の闘志はすでにこの時代には似つかわしくないものとなっていたのだ。

「……御子息はまだまだ強くなりますよ」

「ええ、わかっております。わかっているから辛いのです」

 これが取るに足らない武士だったならば問題なかっただろう。しかし清厳は順調に成長すれば、いずれ天下に名を轟かす剣豪となるであろう逸材である。彼がこの戦を呼ぶ剣術を極め、それを世に広めた時、果たして天下はどのような回答を示すのだろうか?

 それは今はまだささやかなゆがみに過ぎない。しかしいずれ無視できない問題となるだろう。

 春豪と利厳はその時を思い、自然と言葉を失うのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る