春豪 楽田にて立ち合いを挑まれる 5

 春豪たちの抵抗を受けた牢人たちはまともにやり合っても分が悪いと判断し、分断してからの各個撃破に作戦を変更した。これにより最初に兼平が狙われる。

 兼平は初めての実戦ということで縮こまっていたが、敵の作戦ミスなどにも助けられ、ついには牢人の一人を討ちとった。

 返り血を浴びながらも顔を上げる兼平。そこにはもう戦場を知らない若侍の面影はなかった。


 不用意に飛び込んできた牢人の男を切り伏せた兼平。彼は刀を軽く振って血を払うと、残る牢人二人を睨みつけた。

「まずは一人……!」

「おぉっ!兼平殿、見事!」

 仲間の急成長に沸く清厳や儀信。対する牢人たちは想定外の展開に明らかに動揺していた。

「な、なんだこいつ……!?急に動きが良くなったぞ!?」

「くそっ!こいつが一番雑魚じゃなかったのかよ!?」

 ざわめく牢人たち。そしてこの流れに一番焦っていたのは遠くから眺めていた兵五郎であった。

(これはマズい!このままじゃ先にこっちの方が瓦解しちまうぞ!)

 牢人たちは数こそ多いものの、元をたどれば楽に名を挙げたいと集まった烏合の衆にすぎない。そのため春豪たちに勝てないと感じたら勝手に逃げ出す可能性は十分にあった。

 数の利を失えばもう兵五郎に勝ち目はない。そして彼の場合は単純に逃げることすら許されていなかった。

(畜生、どうにかしねえと!俺はもう顔まで見られたってのに!)

 牢人たちは数が多いため、逃げようと思えば逃げ切ることもそう難しくはないだろう。だがその先はどうする?

 作戦が失敗すれば牢人仲間からの信頼は失うし、顔を知られた以上もう尾張周辺に居座ることもできない。先のことを考えればもう勝つ以外に生き延びる道はないのだ。

 そのためにはまだ人数がいる今のうちに状況を好転させる必要がある。ゆえに兵五郎は大声で叫ぶのであった。

「おい、お前ら!そんな小僧一人殺せないのか!?まさかそのまま尻尾を巻いて逃げ出すつもりじゃないだろうな!?」

「そ、そんなわけがあるか!見てろよ!今すぐこの小僧に生まれてきたことを後悔させてやるからな!」

 幸いなことにの弱い牢人たちはすぐに焚きつけられてくれた。とはいえそれも長くは続かないだろう。必要なのは士気を挙げるための早めの成果である。

(一人倒せばまだどうにかなる!あぁ、どうかさっさと片付けてくれよ!)

 兵五郎が祈る中、二人の牢人は改めて兼平に狙いを定めて歩き出した。


 兼平を仕留めるために気合を入れなおす牢人二人。彼らは正眼に構えて待つ兼平を前に、少しだけ言葉を交わした。

「……どうする?何か策はあるか?」

 春豪たちの中では兼平が一番弱い――そのはずだった。しかし現状は見ての通り、うっかり一人を失ってしまった。何か策があるのならばすがりたい。しかし訊かれた男は苦い顔で首を振った。

「策も何も、俺らの我流剣術じゃどうしようもないだろう。相手は柳生家、新陰流だぞ」

「じゃあどうするってんだよ?さすがにこんなところで死ぬつもりはないぞ」

 相方の不満に男は不敵に笑って返した。

「それは俺だって同じさ。……ここはもう力任せに行くしかあるまい。向こうだって達人じゃないんだ。死ぬ気でやれば一太刀くらいは浴びせられるだろうよ」

「そんな無責任な……」

「じゃあ他に何か手はあるのか?」

「……チッ。ヘマするんじゃねえぞ」

 どうやら実力差を認めた男たちは開き直って、素直に数の有利を活かすことにしたようだ。彼らは左右に分かれて、兼平を挟み込むように間合いを詰めてきた。

「はぁぁぁぁっ!」

「覚悟ぉぉぉっ!」

「くっ!」

 牢人二人が選んだ作戦はひたすらに左右から攻撃を繰り出すというシンプルなものであった。シンプル過ぎて果たして作戦と呼べるのかと考えてしまうほどであったが、しかしこれが存外馬鹿にできないものだった。

 彼らは時に交互に攻撃し、時に同時に攻撃してきた。また片方が注意を引いている隙にもう一人の方が死角に回り込もうとすることもあった。これらの攻撃は事前にデザインされたものではなく、その場その場の偶然によるものだろう。

 しかし出鱈目ゆえに対応はどうしても後手に回り、兼平はその勢いに圧されなかなか決定的な反撃ができずにいた。

「厄介な……。だがっ!」

 それでも何合か打ち合えば徐々にではあるが差は生まれていく。見れば無傷の兼平に対し、牢人たちはその腕や足に小さな切り傷を増やしていた。

「この……!小癪な攻撃ばかりしやがって……!」

 それらはすべて兼平が攻撃をかわしながらつけた傷である。一つ一つは藪の草で切ったかのような小さな傷であったが、それが幾つも重なれば必然体力も減っていく。もうしばらく出血が続けばやがて刀を振ることすらできなくなるだろう。

 これには兵五郎たちを牽制しながら横目で見ていた春豪も感嘆した。

(上手いな。私と竹刀を交えた時とは大違いだ)

 春豪は以前兼平と立ち合い稽古をしたことがあったが、その時は間合い読みこそ抜群のセンスを見せたものの、そこから攻撃してくるような積極性は見せていなかった。

 しかし今は敵の攻撃をしっかりと避けながら、完璧な仕合い運びを見せている。とてもじゃないがこれが初陣とは思えない立ち回りである。あるいは生きるか死ぬかという極限状態が彼の秘めたる才能を引き出したのだろうか?

(こんな才能が眠っていたとはな……。まぁなんにせよこれで向こうはもう心配ないな。あと数度も打ち合えば決着もつくだろう)

 兼平の勝利を確信する春豪。それは打ち合っていた牢人たちも薄々とではあったが勘付いていた。

(くそっ!このままじゃ負けちまう!なんとか……なんとかしねえと!?)


 一対二で打ち合う兼平と牢人たち。数の上では牢人たちの方が有利ではあったが、仕合いは兼平の方が主導権を握っていた。

 牢人たちは小さな傷を負いながら、自分たちが追い詰められていることを悟り始める。

(このままじゃ負けちまう!なんとかしねえと!?)

「おい!下手に打ったって反撃されてこっちが不利になるばかりだ!とりあえず背後を取ることを優先するぞ!」

「お、おう!機会を逃すんじゃねえぞ!」

 追い詰められた牢人たちは兼平の周囲をぐるりと回り始めた。どうやら彼らは手よりも足を動かすことにしたようだ。

 考え方は悪くはない。しかし兼平だって動けるのだ。素人二人だけではどうしても兼平の動きを制限することはできなかった。

(くそっ!上手く立ち回りやがる!これじゃあさっきまでと変わらねえじゃねえか!)

 なかなか兼平の虚を突くことができず、焦り始める牢人の一人。このままじゃ小さく切られ続けた先程と何も変わっていない。何か、何かしなければ……

 そう思っていたまさにその時だった。彼は自分がもう一人の牢人の陰に隠れて、兼平からは見えづらくなっていることに気付いた。

(これは……俺は今、奴の死角に入ってるんじゃないか!?)

 偶然ではあったが立ち回っている最中、牢人二人が重なったことで、後ろ側の男は兼平の視界から外れた。このタイミングで何かアクションを起こせば兼平の虚を突けるのではないだろうか?

 そう思うや彼の行動は早かった。なんと彼は自分の目の前にいた仲間の背中を思い切り蹴飛ばしたのだ。

「えっ!?ぐはぁっ!?」

「な、なにぃっ!?」

 蹴飛ばされた男は思わぬ方向からの攻撃に頭が追いつかず、前のめりに倒れて兼平に覆いかぶさった。兼平も混乱したまま思わず男を受け止めた。そしてそこに蹴飛ばした男の凶刃が迫る。

「もらった!覚悟っ!」

「仲間を囮にしたのか!卑怯者め!」

 迫る凶刃。それに対して兼平は、まるで柔術のように覆いかぶさってきた男を動かして盾にした。

 こうしてこの不運な男は仲間から蹴飛ばされた挙句、盾にされて追撃をその背中にくらってしまったのだ。

「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!?」

 大振りの袈裟切りが男の背中を裂いた。彼は絶叫したのちそのままガクリと気絶した。

 まったく不運な男であったが彼に同情している暇はない。というのも先程仲間を蹴飛ばした男が、今度は体当たり気味の一撃を放ってきたのだ。

「くっそ……!」

 ガキィィィン

 兼平はこれを間一髪で受け止める。しかし体当たりの方は防ぎきれず、参道に押し倒されそのまま男に馬乗りにされた。

「ぐっ!マズい!」

「遅いっ!」

 男はいつの間にか長い刀を捨てて短刀に持ち替えていた。この距離ならば確かにこちらの方が使いやすいだろう。

 気付いた兼平は慌てて刀を手放して振り下ろされた腕を抑える。だが体制は敵有利。じりじりと体重をかけられ、切っ先が兼平の喉元に迫る。

「くっ……そっ……!」

「くくく。これで……おしまいだ!」

「兼平殿っ!」

 もうだめだ。誰もがそう思ったその時だった。

 男の凶刃が兼平の喉を貫こうとしたその瞬間、なんと草むらの方から一つの石が投げ込まれ、それが兼平に馬乗りになっていた男の顔面に命中したのだ。

「ぐはっ!な、なんだぁ!?」

 思わぬところから攻撃を食らってひるむ牢人。そしてそれは兼平にとっては九死に一生の好機であった。

「今だ!はぁっ!」

 敵の腕を取っていた兼平はそれを無理矢理ひねり、相手の短刀を逆に男の胸に突き立てた。

「げはっ!?」

 刺された痛みにびくりと硬直する男。その隙を突いて短刀を奪った兼平は、本能のままに馬乗りになっていた男の首を真横にすっぱりと切り裂いた。

 男は「がっは!」と一度だけ断末魔を上げたが、それ以降はひたすら血のあぶくを吹き続け、やがて力なく倒れた。

 男が力尽きたのを見届けると、兼平はそれをどけて立ち上がる。勝者は兼平。返り血を全身に浴びた彼はもはや常人の見た目をしておらず、それは牢人たちの心を挫くには十分な姿であった。


 春豪たちの中で一番の格下だと思われていた兼平。しかし彼はこの大舞台で見事己の殻を破り、牢人三人を討ち取るという大金星を挙げた。

 これにより力の差を実感した牢人たちは我先にと逃げ出していく。

「……ダ、ダメだぁ!やっぱり無茶な話だったんだぁ!」

「畜生!だから俺はやりたくないって言ったんだ!」

「あっ、待て、このっ!勝手に逃げるんじゃねえ!」

 次々と持ち場を離れて四方八方に逃げ出す牢人たち。兵五郎はそれを止めようと声を張るが、聞く耳を持つ者など誰もいない。もはやここから立て直すことが不可能なのは誰の目から見ても明らかであった。

「く、くそっ!こうなったら俺も……!」

 兵五郎は逃げても無駄だと知りつつも、せめて命だけでもと他の牢人たちと同じように逃げようとした。しかしそこに春豪が立ち塞がる。

「おっと。今更逃げるというのは少々野暮な話ではないか?」

「このっ……!こんなところで死んでたまるか!」

「あっ、待て!この!」

 兵五郎はしぶとく逃げる方向を変えて駆け出した。どうやら近くの茂みの飛び込み、木々を利用して撒いてしまおうという魂胆らしい。

 だが彼が草むらに飛び込むよりも先に、逆に何者かが草むらから飛び出し兵五郎の行く手を遮った。

 現れたのは見知らぬ三十代ほどの男。春豪は敵の伏兵が兵五郎の手助けに出てきたのだと思ったが、どうやらそうではないらしく、兵五郎は足を止めて叫んだ。

「だ、誰だ、手前はっ!?」

 その答えを知っていたのは清厳であった。

種長たねなが殿!?どうしてここに!?」

「お知り合いですか、清厳殿?」

「知り合いの伊賀者(伊賀忍者)にございます。……まさかずっとつけていらしたのですか?」

 清厳の質問に種長はこくりと頷いた。

「ええ、利厳様から内々に見守っていてほしいと頼まれまして。本当は極力手を出すなとも言われていたのですが、まぁ死人が出るのは利厳様も望むところではないでしょうからね」

 なるほど、どうやら彼は利厳からの依頼で秘かに一行の後をつけてきたようだ。

 よくよく考えればそれも当然の話である。なにせ清厳は柳生家の跡継ぎ。それを何の保険もかけずに屋敷の外に出すはずもない。

 そんな種長は利厳からの依頼通りしばらく静観していたが、清厳たちが分断されたあたりからこれはマズいと思って動き出したそうだ。具体的には草むらに潜んでいた伏兵たちを始末したのも、兼平に馬乗りになった牢人に石をぶつけたのも彼とその仲間たちであった。

「手の空いていた若い者を二人ほど連れてきました。これでもう後れを取ることはありますまい」

 改めて周囲を見てみれば種長が連れてきた忍び仲間が、逃げた牢人のうち数人をふんじばっている姿が見えた。戦況はもう完全に逆転していた。

「くそっ……。伏兵とは卑怯な……!」

「お前には言われたくはないな。それでどうする?おとなしく投降するならば痛くはしないが?」

「……っ!」

 もはやここから巻き返すのは天下無双の剣豪であっても不可能だろう。だが兵五郎はヤケクソ気味に地団太を踏むと、腹の底からの声で叫んだ。

「うるせぇぇぇぇ!どうせお上に捕まれば打ち首か縛り首だろうが!それならここで手前らを殺して一花咲かせてやるよ!」

 どうやら投降するつもりはないようだ。威嚇するかのようにぶんと刀を振る兵五郎に対し得物を構えなおす春豪と種長。しかしそれを制して清厳が前に出る。

「種長殿に春豪殿。この場は某に譲ってはいただけないでしょうか?」

「清厳殿、何を……?」

「なに、兼平殿のおかげで昂ってしまいましてね。もう果し合いも何もないのなら、私が相手をしても構わぬでしょう」

「それは……」

 どうやら清厳はここで経験を積みたいようだ。

 さて、どうしたものかと春豪が種長を見ると、彼は何も言わずにスッと一歩下がった。彼が何も言わぬのならばこちらも過保護になる必要はないだろう。

「お好きなように。……一応言っておきますが、弱くはないですよ」

 策に溺れた兵五郎であったが、伏兵が出てくる前の彼は普通に春豪の攻撃を避けていた。おそらくだが剣の心得があるのだろう。それは清厳も立会人として見ていた。

「承知しております。だからこそ倒し甲斐があるというものです」

 不敵な笑みを浮かべる清厳。そして彼は兵五郎に向かって正眼に構えるのであった。

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