春豪 楽田にて立ち合いを挑まれる 4

 いよいよ始まった楽田廃寺での兵五郎との果し合い。しかしまともに打ち合ったのは最初の数合のみで、まもなくして伏兵が現れ春豪たちを包囲する。

「俺たちの名を挙げるために犠牲となってもらおうか」

 その後清厳の活躍などで数名を打ち倒したものの、敵はまだ十人以上も残っていた。対する春豪らは四人。援軍も期待できぬ中、圧倒的不利な状況は未だ続いていた。


 隙を突くことで敵包囲の一角を崩した春豪たち。とは言えそれでもまだまだ多勢に無勢。具体的には春豪は未だ三人に、清厳たちは九人の牢人たちに囲まれていた。

(くっ!まだこんなにいるのか!?)

「清厳様!一度こちらに!」

「ああ!」

 とりあえず手の届く範囲の牢人たちを切った清厳は、一度態勢を整えるために儀信と兼平の元に戻った。合流した彼らは三人で背中合わせになり防御の構えを取る。こうして互いに死角を潰すことで、どの方向からの攻撃にも対応するつもりなのだろう。

 これは一見すると最も安全な行動に見えるかもしれない。しかし実戦慣れした春豪に言わせれば割と危険な選択でもあった。

(マズいな。守ってばかりでは好転はしないというのに……)

 確かに身を守ることは大事なことだ。しかしそれが最善手となるのは外部要因で状況が改善される可能性がある時のみである。今回のような明確な待ち伏せ、しかも第三者が来ることはない廃寺内であることを考慮すると守勢に回るのはジリ貧になりかねない。ここら辺の判断は実戦経験の差が出た形だろう。

 ただその一方で清厳たちが傷つく可能性が減ったのはいいことではあった。さすがの春豪も清厳らの身を案じながら多勢を相手にすることはできない。彼らが防御を固めているのならば、しばらくはそちらに気を取られることはないだろう。あとはこちらが頑張ればいいだけの話である。

(さっさとこっちを片付けて、清厳殿たちの助太刀に行かねばな!)

 しかし敵とて何も考えずに攻めているわけではない。清厳の剣を見て悠長に構えてはいられないと思ったのか、彼らも彼らで春豪たちを討つべく行動を起こそうとしていた。


「お前ら!左右に散って囲め!絶対に逃がすんじゃないぞ!」

 そう叫んだのは春豪の正面で構えていた兵五郎であった。彼は春豪を牽制しつつ、仲間の二人を左右に広がらせた。散った二人はゆっくりと春豪の横や背後に回り込もうとする。どうやら彼らは三人で春豪一人を包囲するつもりのようだ。

(まぁ数で優勢ならそうするか……)

 三人とはいえ包囲されるのは非常に良くない。誰か一人が必ず死角に入ってしまうからだ。

 しかし後ろに下がれば清厳たちを包囲している牢人たちの攻撃範囲内に入ってしまう。偶然ではあったが、牢人たちが春豪を囲む班と清厳たちを囲む班とで分裂しているのは都合のいいことであった。出来ることならばこのまま合流させずに対処したい。

(つまりはこれ以上は引けぬということか。まったく、面倒な……)

 春豪は後ずさりしたくなる思いをぐっとこらえ、自分を囲もうとする三人の動きに意識を集中させる。

 牢人らの意図は明白だった。彼らは両翼のどちらかを春豪の死角に潜り込ませようとしているのだ。それは逆に言えば、どちらかが死角に入るまでは手を出しては来ないということである。

 百戦錬磨の春豪はそこから生まれる一瞬の隙を突くつもりでいた。

(問題は気を逃さぬことだ。早すぎず、遅すぎず……焦らずその時を待て……)

 春豪はじっと好機を待っていた。それを見た兵五郎も何か察したのか、「どうしたのですかな、春豪殿?攻めては来ないのですかな?」などと挑発してきたりもしたが、春豪はそれを無視して来るべき時を待つ。

(落ち着け……。まだ早い……)

 左右に広がった二人はまだ春豪から見て60°程度のところにいた。ここで反撃に出ても敵はまだ連携して受け止めることができるだろう。もう少し……、もう少し……。


 そうしてはやる気持ちを抑えて待つと、いよいよ両翼が90°のほぼ真横に来た。ここで春豪は(今だ!)とカッと目を見開く。

「はぁっ!」

 春豪は一瞬だけ正面を牽制すると、その後右手の方に大きく一歩踏み込んだ。

 それを見て兵五郎はにやりと笑う。

(やはり片翼を狙ってきたか!だがその程度なら想定内よ!)

 包囲に対する回答は戦力を集中させての突破である。今回の場合ならば両翼が互いに連携が取れないほどに離れたタイミングで、そのどちらかに突破を仕掛けるのが最も無難な選択肢だろう。

 だがその程度の抵抗は向こうも想定の内だった。兵五郎たちはあらかじめ敵が突破を試みてきたら、狙われた者は防御に徹するよう決めていた。今回の場合は狙われた左翼の男が防御に徹する。そしてその隙に残る兵五郎と右翼の男が死角に回り込み、春豪を攻撃するというわけだ。

(もらった!春豪房!)

 春豪が左翼の方を向いたことにより、想定通り右翼側が完全に死角となった。その死角に飛び込む兵五郎と右翼の男。

 ここまですべてが想定通り。仮に春豪が左翼の男を一刀のもとに切り伏せたとしても、どちらかの凶刃が彼を捉えることだろう。

 しかしここで春豪は思いもよらぬ行動に出た。

「つぁぁぁっ!」

「!?」

 なんと左翼に飛び掛かるかと思われた春豪はその場に踏みとどまり、その体制のまま後ろに向かって大きく飛んだのだ。

「なっ、なんだとっ!?」

 これに驚いたのは反対側の人物――春豪の背中を狙っていた右翼の男であった。彼から見れば相手が急に背面ダッシュで近付いてきたこととなる。これほどわけのわからない状況もそうそうあるまい。

 そしてその困惑する隙を突くように春豪はぐいっと体を回転させ、長巻を下から上に大きくかち上げた。

 唐突な背面ダッシュからの回転。そしてその回転力を乗せた下からのかち上げ。右翼の男はこれらすべてに対応できるほど器用ではなかった。

 ガキィィィン

「なっ!?」

 半端に伸ばしていた刀は大きくかち上げられ、それにつられて男の両腕が跳ね上がる。そうしてがら空きになった胸部に、春豪は返す刀で袈裟切りを放った。

 それは男の右腕と右上腕、そして足の一部を裂いた。

「ぐふぁっ!?」

(浅い……。だがまぁ十分か)

 春豪の一撃は即絶命には至らなかったが、大きく裂かれた傷口からはぼたりぼたりと血が零れ落ちている。そして春豪が勢いのまま蹴り飛ばすと男は尻もちをついて倒れ、そのまま力なくうなだれた。これ以上の戦闘が不可能なことは誰の目にも見て取れた。

 つまりは残るは二人。春豪は兵五郎ともう一人の男をキッと睨みつけた。

「ぐぅっ……!またしても……!」

 策を打ち破られた兵五郎は悔し気に歯を食いしばった。


 さて、こうしてまた一人無力化させた春豪たちであったが、敵の方もいつまでも黙ってやられているわけではなかった。

「くそっ!全員考えもなしに近付くんじゃねえぞ!まずは投石で奴らを分断させろ!そして弱い奴から狙ってけ!」

 春豪たちの力を舐めていた牢人たちは考えを改め、下手に手を出すのをやめて各個撃破を狙いだす。そのための一手として彼らは草むらに潜んでいる仲間に投石の指示を出した。

「ちっ!厄介な!」

 まもなくしてその指示通り、周囲の草むらから拳大ほどの石が飛んできた。特に先に清厳たちから処理した方がいいと考えたのだろう、投石は主に固まって防御の態勢を取っていた清厳たちに向かって投げつけられていた。

「くそっ!卑怯な!」

 清厳らはしばらくは手や刀でそれを払っていたが、やがて耐えられなくなり思わず三方に散ってしまう。

「しまった!?」

 散ってからこれは悪手だと気付いた清厳たち。しかし時すでに遅し。牢人たちは一度散った清厳らを合流させまいと、彼らを分断するように間に割り込んだ。

 加えて厄介なことに牢人たちはまずは兼平に狙いを定めたようだ。清厳や儀信に着いた牢人らは邪魔が入らぬよう、攻撃ではなく足止めに徹する構えを取る。

「へへへ。ようやくばらけやがったな」

「いけない!兼平殿が!」

「おっと!そう簡単に抜けると思うなよ?」

「くっ!どけぇ!」

 牢人たちは手際よく清厳たちそれぞれに三人ずつ着いた。清厳たちの腕ならば、たとえ敵が一人二人多かったとしても負けることはないだろう。だが人数的に不利な上に防御に専念されれば、さすがの彼らでも突破は難しい。

 そうして手こずっている間に敵の魔の手が兼平へと迫る。

「弱い奴から削っていくってのは集団戦の基本だ。悪く思うなよ?」

「くっ……!」

 もちろん兼平も刀は構えている。しかしその切っ先は恐怖で震えていた。

 それもそのはず、なにせこれは彼にとっては初めての実戦なのだ。本気で殺しにかかってくる敵。交わる刃に流れる血。屋敷で仲間たちと剣を振るうのとはわけが違う。しかも頼れる仲間と分断までされてしまったのだ。

 絶体絶命の窮地に萎縮する兼平。しかしそんな兼平に儀信が叫んだ。

「戦え!兼平殿!」

「えっ……」

「武士ならばいずれこのような日が来る!それが今日だ!戦え!兼平殿!」

「……っ!」

(助けは期待できない……。ならば俺がこの三人を討つしかない!)

 覚悟を決めて刀を握りなおす兼平。とはいえ彼の顔には未だ恐怖の色が濃く出ていた。

 牢人たちもそんな若侍など物の数ではないと思ったのだろう。彼らは気を取り直して兼平に迫る。

「……チッ。ビクビク震えていればいいものを、立ち直りやがって」

「ああ。だがちょっと面倒が増えるだけだ。さっさと片付けちまおうぜ」

(くっ、やはり向かってくるか!これはもうやるしかない!やってやるんだ!)

 覚悟を決めたものの兼平の体はまだ固い。

 しかし牢人たちは互いに何か合図をかわすと、そんなことなどお構いなしだという風に一列になって兼平との間合いを詰めていくのであった。


「さぁ、さっさと片付けちまおうぜ」

 兼平と対峙した三人の牢人は互いに顔を見合わすと、横一列に広がった。間隔はそれぞれ横に一丈(約3メートル)ほどで、その陣形のままゆっくりと進んでくる。

 その動きは一見すると先程春豪が受けた包囲戦術に似ているが、どうやら今回のこれはそれとは違うようで、敵三人は回り込むことなくそのまま正面から間合いを詰めてきていた。

(くそっ!何を仕掛けてくるつもりだ!?)

 確実に仕留めるつもりなら包囲したり、死角を利用する方が圧倒的に楽だろう。しかしそれをしてくる様子はない。

 何かある。兼平はそう確信するも、その何かまではわからずにいた。

(くっ……!せめて簡単に倒されないようにせねば!)

 兼平はかすかな異変も見逃さないように前方の三人に集中する。その間も牢人たちは間合いを詰めていき、まもなくしてそれは一息で飛び込めるほどの距離にまでなった。

 牢人たちはぐっと腰を落として、今にも飛び掛からんとする姿勢を見せる。

(来るか!?)

 いよいよ攻撃してくるかと身構える兼平。

 ところがその時であった。不意に兼平の背後にてカランカランと何やら乾いた音がした。

(何だ今の音は!?背後からか!?)

 兼平が反射的に振り返って見てみれば、そこには拳大の石が転がっていた。おそらく草むらに潜んでいた牢人による投石だろう。

 そして次の瞬間、兼平は自分が牢人たちから目を離してしまったことに気付く。

(しまった!これは囮か!?)

 兼平は自分が音で陽動されてしまったことに気付いた。戦闘の最中に相手から目を離すなど致命的な失態である。きっとこの隙に敵が飛び掛かってきているのだろう。あぁなんて馬鹿なことをしたのだろうか。兼平は自分の愚かさを恨みながら慌てて正面に向き直った。

 だがどうやらそうではなかったらしい。

 どうもこの投石は牢人たちにとっても想定外のことだったようで、飛び込もうとしていた彼らは目を見開き、次にどう動けばいいのかわからず困惑している様子であった。

「はぁっ!?何でちゃんと狙わないんだよ!?……くそっ!どうする!?」

 おそらく牢人たちの狙いは、自分たちに注目させている隙に投石でひるませて、そこを追撃するつもりだったのだろう。だが何故だか知らぬが投げられた石は兼平には当たらず、力なく参道の石畳に転がった。結果牢人たちは攻撃の合図を失い、攻撃の足並みが乱れたというわけだ。

 足並みが乱れたのならば一度引いて体勢を立て直すべきだろう。しかし焦っている上に兼平を格下だと思っている牢人たちである。まもなくしてそのうちの一人がしびれを切らして飛び込んできた。

「ええい!殺してしまえば同じこと!覚悟っ!」

「あっ、馬鹿!そんな勝手に……!」

「!」

 飛び込んできたのは右に控えていた男であった。彼はおびえる若侍などさっさと殺してしまえと兼平に飛び掛かる。

 しかし呼吸を合わせた同時攻撃ならまだしも、地に足のつかない攻撃で兼平を捉えることなどできるはずもない。兼平はほとんど反射でこの攻撃を避けた。

「ふっ!」

「何っ!?」

(おおっ!?体が自然と動いた!)

 兼平自身も驚いたことであったが、彼はほとんど最小限の動きで敵の攻撃を回避した。

 彼の足は未だ重く、恐怖の感情も消えてはいない。しかし十年以上続けてきた鍛錬の軌跡は、彼の体にしっかりと沁みついていたようだ。

 そして一度動くと知ってしまえば、その足はもはや羽のように軽い。

「くそっ……!急に動きが……!」

(見える!ちゃんと避けられるぞ!)

 乱雑に振られる牢人の刀を巧みな足捌きでかわしていいく兼平。それを何度か繰り返していくうちに心は落ち着きを取り戻していき、それに伴い徐々に剣筋も見えてくる。

 怯えていた時はよく見えていなかったが、牢人たちの攻撃は勢いこそあるものの大振りばかりで隙の多い素人剣術そのものであった。

(こんな無様な剣、屋敷の庭でやったら半日は叱られるやつだな……!)

 今や兼平の目には相手の隙が手に取るように見えていた。あとはそこにいつもの鍛錬の成果を叩きこむだけである。

 兼平はぐっと下腹部に力を込めて、何度も鍛えた敵の急所を狙う一撃を繰り出す。

「ここだっ!」

「なっ!?……ぐはぁっ!?」

 兼平の一撃はがら空きになっていた牢人の左脇の下に綺麗に入った。このあたりは大胸筋や上腕三頭筋につながる部位で血流も多い。そのためか薄汚れた小袖はあっという間に真っ赤に染まり、その足元には大きな血だまりができていた。

 男はしばらく歯を食いしばり攻撃を続けようとしていたが、やがて血が足りなくなったのか立っていられなくなりドオンと石畳の上に倒れた。これでこの男は脱落だろう。

「まずは一人っ!」

 兼平はわずかに浴びた返り血を気にすることなく、残る二人の牢人を睨みつける。

 その顔にはもはや戦場を知らない若侍の面影はなかった。

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