春豪 楽田にて立ち合いを挑まれる 3

 楽田にたどり着いた春豪たちは指定された廃寺にて兵五郎へいごろうと名乗る牢人と出会う。

 どうやら彼が果たし状を出した人物とのことだが、春豪は彼の雰囲気から違和感を感じ取る。

(決闘を望んだにしては覇気がない……。これは何か企んでいるな……!)

 何か裏があることを感じ取った春豪は、警戒しながら得物の長巻を構えた。


(あの兵五郎とかいう男、いったい何を考えている?)

 春豪は得物の長巻の具合を確かめながら、さりげなく決闘相手である兵五郎の観察をしていた。

 兵五郎は年齢は四十前後で少し腹が出ており、はっきり言ってしまえば機敏な動きができそうな見た目ではない。加えて春豪との一騎打ちだというのに気負っている様子もなく、むしろ律儀に立会人まで用意した春豪たちのことを小馬鹿にしているような気配すらあった。

 おそらく真面目に決闘する気などさらさらなく何か企んでいるのだろう。しかしその何かまではわからない。真っ先に考えられるのは伏兵だが、今のところ廃寺周囲の草むらに人影らしきものは見えなかった。

(他の牢人は……今のところ見えないな。だがもっと奥の方に隠れているのかもしれない。何はともあれ早めに決着をつけた方がよさそうだな)

 相手は勝手知ったる地元の牢人。長引けば長引くだけこちらが不利になることは想像に難くない。ならばここは決闘の大義名分にのっとりさっさと片付けるのが吉だろう。春豪は僧衣の裾を上げ、六尺強の長巻を構えた。これに対し兵五郎も抜刀し、少し距離を取って正眼に構える。

 廃寺参道にて向かい合う両者。二人が準備ができたと見るや清厳が確認を取る。

「お二方とも、よろしかったですか?」

 春豪と兵五郎は互いに無言で頷いた。それを見て清厳も立会人としての責務を果たす。彼は静かに片手をあげ、そしてそれを素早く振り下ろした。

「では……始めっ!」

 清厳の掛け声と共に二人は相手を迎え撃つために重心を低くした。


 楽田北西の廃寺、その境内内参道にて春豪と兵五郎が向かい合う。

 得物は春豪が六尺強の長巻で、兵五郎が刀身二尺の一般的な刀。ぱっと見の間合いは春豪の方が圧倒的に有利だが、一つのミスが致命傷になりかねない真剣勝負ではそう簡単には踏み込めない。両者は安易に攻めようとはせず、その間合いは開始当初の二丈半からなかなか縮まらずにいた。

 その均衡を先に打ち破ったのは春豪からであった。彼は開始当初こそ呼吸を探るかのように小さな牽制を繰り返していたが、これでは埒が明かないと察し間合いを詰める一歩を踏み出したのだ。

(春豪殿が動いた!……いや、これはと言った方が正しいか!)

「はあぁっ!」

 一歩踏み出し、切っ先を兵五郎に伸ばす春豪。しかしこれは清厳が察した通り、先に動いたというよりはと言った方が正しいだろう。そうせざるを得なかった原因は、相手の兵五郎が全くもって攻めてくる気配がなかったためである。

(こやつ、時間稼ぎをするつもりだな!?)

 兵五郎は決闘が始まってからそれらしく横に動いたり気を吐いたりしていたが、自分から前に出てこようとはしなかった。それを観察していた春豪は長年の経験からすぐさま彼の意図に気付く。兵五郎は素直に戦う気などさらさらなく、明らかに時間稼ぎ目的の振る舞いをしていた。

 では時間を稼いだ先には何があるのか?当然だが時間を稼いでいるだけでは春豪たちは倒せない。ゆえにこれにつながる何かがあるはずなのだが、現段階ではそれは知りようのないことである。だが春豪たちにとって都合のいいものでは決してないだろう。

 そう悟った春豪は多少の無茶は承知の上で先んじて踏み込み、その長巻の切っ先を兵五郎に向けたのだ。


「はあぁっ!」

 真っすぐに兵五郎へと伸びる長巻の切っ先。春豪の体格と相まって急に迫ってくるそれは、それ単体でも下手な武士では防ぎきれないほどの驚愕の一撃となっていた。

 だが意外にも兵五郎はこの一撃を一歩下がって難なくかわす。

「おっと、危ない危ない」

(む、かわされた?踏み込みが甘かったか?)

 確かに今の一撃は相手に動かされた上での苦肉の攻撃だった。ゆえにどうやら無意識のうちに半端なものになっていたようだ。

 だが次からはそうはいかない。春豪は鋭く息を吐き、今度は長巻の切っ先がギリギリ当たるよう素早く横に薙いだ。

「はぁっ!」

「くっ!こりゃあ早い!」

 春豪の連撃に驚く兵五郎であったが、彼はこれも落ち着いて下がってかわす。結果春豪の薙ぎは兵五郎の腹部から数尺離れた空を切る。

 しかしこれがかわされることは春豪の想定の範囲内のことだった。春豪は長巻を振り切るや、すぐさま刃を返し兵五郎の脛を狙って低めに薙いだ。左から右に、緩急をつけた二段構えの攻撃である。これは春豪の持つ技の中でも指折りのもので、これを初見で凌げる者などそうそういない。

 だがなんと兵五郎はこの渾身の三撃目までも刀でうまく受け流したのであった。

 キィィィン

「ひぃっ!今のは危なかったな!」

「なにっ!?」

 この三撃目まで止められるのは完全に想定外のことだった。ゆえに春豪はすぐさま後ろに飛び退き、十二分に間合いを取った。

(私の攻撃を的確に止めている!こやつ、思っていたよりも強いのか!?)

 ここにきて春豪はようやく目の前の男が十人並みの牢人ではないと気付いた。おそらく何かしらの流派を修めており、加えて実戦経験も豊富なのだろう。つまりは戦国時代の生き残り。これを倒すのは相当な骨である。

 春豪は自分の認識の甘さを自戒しながら呼吸を整え正眼に構えなおした。

「……兵五郎殿と申されましたな。正直言って甘く見ていました。申し訳ございません」

 春豪が構えながら謝ると兵五郎は楽し気にクックと笑った。

「なに、構わぬさ。むしろもう少し油断してくれるとありがたいのだがな」

 どうやら兵五郎はには冗談を言うほどの余裕もあるようだ。この想像だにしていなかった展開に、立会人として見ていた兼平が思わず「春豪殿!」と叫ぶが、これに春豪は問題ないと叫んで返した。

「問題ない!少し手こずっているだけだ!それよりも自分たちの方に集中しろ!」

 残念なことに時間は十分に稼がされてしまった。これだけ時間があればもうなんだってできるだろう。

 実際攻防の最中、一瞬だけであったが森の中で何かがうごめくのが見えた。これが鹿や野犬のような獣なら問題ないのだが、もし伏兵だったとしたら……。

(くそっ!早くこちらの片を付けなければ……!)

 春豪は決着を付けようと改めて踏み込もうと重心を低くする。

 しかし一手遅かった。春豪が大きく踏み込もうとしたその瞬間、立会人として観戦していた兼平の後頭部に衝撃が襲う。

「がはぁっ!?」

「兼平殿!?」

 強い衝撃を受けて前に倒れる兼平。しかし彼のすぐ後ろに人影はない。

 いったい何が起こったのかと狼狽する清厳たち。だが彼らが状況を把握するよりも先に周囲の草むらから無数の牢人たちが飛び出し、春豪一行を囲んだのであった。


「がはぁっ!?」

「兼平殿!?」

 苦痛の叫びと共に兼平が唐突に前に倒れる。そしてそれを合図に周囲から多数の牢人たちが飛び出してきた。

「マズい!囲まれた!」

 隠れていた牢人たちは春豪たちが戦っている廃寺の参道を大きく囲むように現れた。その数見えるだけでも十七人。

 加えてまだ何人かは草むらに潜んでいるようで、そこからまだ浮足立っていた清厳たちに向かって何かが飛んできた。

「くそっ!小癪な!」

 警戒していた二人はどうにかそれをはたきおとすことができた。はたきおとしたそれは拳大の、投げるのにちょうどいいサイズの石であった。

「これは……石か!くそっ!兼平殿もこれにやられたのだな!?」

 察する清厳。投石は古くから最も手軽な飛び道具として知られている。つまり急に倒れた兼平は山中から投げられた石を後頭部にくらって倒れたのだ。

「卑怯な真似を!立てそうか、兼平殿!?」

「ええ、なんとか……。少し血が出た程度です……」

 儀信に庇われながら立ち上がる兼平。幸い昏倒させるほどの威力は出なかったようだ。

 とはいえ後手に回ってしまったことに変わりない。彼らの周囲ではすでに三人×四組の計十二人が包囲の輪を作っていた。包囲の輪は大きかったが抜けられるような隙間はない。清厳らは互いに背を合わせ、三方を警戒する陣形を作った。


 囲まれた清厳たち。それを見ていた春豪は兵五郎に向き直り悪態をつく。

「随分と卑怯な手を使うのだな。しかもこの人数……。立会人がいなければ全員某が相手をすることになっていたのか?」

 これに兵五郎は悪い顔をしながらクックと笑う。

「尾張の重鎮の家臣を討てるかもしれないと触れ回ったら集まったんだ。想定よりも集まったから、お前が連れてこなければどうしようかと心配したものだ」

「初めから柳生の名を狙っていたのか?」

「安心しろ。お前の首も勘定には含めている。長らく無名だった我らだが、貴様ら四人の首を持って俺たちは名を挙げるのだ!」

 はははと高笑いする兵五郎。どうやら彼らの目的は名の知れた強者を倒して自分たちの名を挙げることのようだ。このご時世では珍しい理由ではないが、それでもここまで人が集まるのは珍しいことであった。

 現在清厳たちは十二人の牢人に囲まれており、春豪の方も兵五郎を含めた五人に囲まれていた。その上周囲の藪の中にはまだ伏兵が潜んでいるようで、そこから投石の援護もできる。兵力差は四倍以上。兵五郎たちはすっかり勝った気でいたが、それも仕方のないことだろう。

(まるで四面楚歌だな。だがこちらとてそう簡単に討たれてやるつもりもない……!)

 絶体絶命の窮地であったが春豪の闘気は挫けていなかった。

 そしてそれは清厳たちも同じであった。

「このままではマズいな。儀信、兼平殿を頼むぞ」

「清厳様!いったい何を!?」

「打って出る……!」

 戦力差は一目瞭然で援軍も期待できない。このままではジリ貧になると悟った清厳は、一歩前に出ると刀を納めて姿勢を低くした。抜刀術の構えである。それを見ていた牢人たちは鼻で笑って返した。

「おっと、そう簡単に逃がすと思うなよ?」

 包囲された時の対処法は大きな力をもって突破口を穿つことである。だがそれは包囲した側である牢人たちも承知していた。そのため彼らは清厳の正面に集まり壁を厚くした。これで清厳が突破できる確率は一気に下がった。

 だが彼らは一つ勘違いをしていた。清厳は包囲網の突破を目指していたわけではない。彼は柳生新陰流の技を持って目の前の敵を倒す――ただそれだけを考えていたのだ。

 ゆえに彼らは一瞬反応が遅れた。

「はぁっ!」

 大きく出された一歩にきらめくほどの鋭い抜刀。そして何より一縷の無駄もないまっすぐな太刀筋。

 清厳の一閃は一瞬のうちに一人の牢人の腕を裂いた。

「がはぁっ!?」

「なにっ!?」

 舞い散る鮮血。しかしあまりの早業に牢人たちは何が起こったのかわからずに立ちすくむ。そしてその隙を清厳は見逃さない。彼は手首を返し、外に払うように刀を振った。それはすぐ近くに立っていた別の牢人の腕を軽く切った。致命傷には届かなかったが、ぱっくりと開いた傷口は刀を持つのに支障が出る程度の傷にはなっていた。

 ここまでしたところでようやく牢人たちも自分たちが攻撃されていることに気付き、慌てて刀を清厳に向けて振り下ろす。

「っ!?……こ、この、小僧が!調子に乗りやがって!」

 だが浮足立っている牢人たちに最高速に乗った清厳を捉えることはできない。狼狽しながら振られた刀はことごとく空を切り、そしてそこから生じた隙を清厳は見逃さず突いてくる。

 気付いたときにはさらにもう二人が清厳の刀によって切り伏せられていた。これでこちらの敵は残り九人となった。


 清厳の活躍は近くにいた春豪たちからも見えていた。

 彼のきらめくような剣筋と、それによってバタバタと倒される牢人たちの姿は、離れたところで見ていた兵五郎たちをも困惑させていた。

「な、何をしている!?そんな小僧ども、さっさと片付けてしまえ!」

「落ち着いて対処しろ!相手はただやぶれかぶれで滅茶苦茶に動いているだけだ!」

 勝利確定と思われていたところで思わぬ反撃を食らってしまった兵五郎たち。彼らは清厳の攻撃は無茶苦茶だから落ち着くようにと指示を出すが、それを聞いていた春豪はそれは違うと内心で戦慄していた。

(滅茶苦茶な剣だと!?そんなわけがあるか!あれは……間違いなく新陰流だ!)

 清厳は抜刀術から攻撃を始め、あとは型に嵌らず状況に合わせて流れるように動いていた。それは確かに出たとこ勝負のやぶれかぶれな攻撃のように見えるが、春豪はその無鉄砲な動きの中に何度も見てきた新陰流の技術を垣間見た。

 具体的に言えば間合いと呼吸である。清厳は常に敵の攻撃を避けるだけの余裕を残して攻撃をしていた。それに気付かず清厳に襲い掛かった敵は攻撃をかわされ、手痛い反撃までもらってしまう。もちろんこの反撃の時も清厳は自他の間合いを忘れない。仮に別の牢人が清厳の反撃に合わせて攻撃してきたとしても、彼はそれを難なくかわし次の行動につなげる。結果はたから見れば清厳は常に無鉄砲に動いているように見えるのだ。

(あの年で、あれほどの速さで戦場を駆けるのか。これはこちらも負けてはられないな!)

 周囲の牢人たちが清厳に気を取られている隙に、春豪は長巻を素早く走らせ近くにいた牢人二人の足を切った。「ぐはぁ」と牢人たちが崩れたことにより、兵五郎たちも正気に戻る。

「く、くそっ!卑怯な真似をしやがって!」

「お前たちに言われたくはないな。……さぁそろそろこちらも始めようか!」

 春豪一人の前には兵五郎を含めた三人の牢人。清厳たち三人の周囲には九人の牢人。

 こうして楽田廃寺での果し合いは第二幕へと突入するのであった。

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