柳生三厳 保知たちと対峙する 1
庄屋への挨拶から戻った三厳がお堂の中に入ると、そこでは二人の男が座して待っていた。一人は友重。そしてもう一人の顔を見て三厳は驚いた。
「おぉっ、
そこで待っていたのはここにはいないはずの男、大場又三郎であった。
大場又三郎。柳生家家臣の一人で、小田原で怪異騒動があった際は三厳と共に活躍した男である(第二話)。その後は柳生家の連絡役として小田原に留まったのだが、そんな男がなぜか今こんな辺鄙な村のお堂にて神妙な顔をして座っている。
「なぜここに?何かあったのか?」
当然何かしらの用があってここまで来たのだろうと思い尋ねてみたが、又三郎は「それはその……」とぐずぐずと言葉に詰まっている。その後ろめたげな様子から何かあったのかと友重に目をやると、彼もまた何とも言えぬ渋い表情をしていた。
「……何か言えぬようなことでも起こったのですか?」
二人の様子にさすがに不安になった三厳であったが、これには友重が慌てて首を振る。
「い、いえ。確かに少々面倒なことにはなったようですが、口に出せぬほどではございません。ただいろいろなことが重なって複雑な状況でして、どこから説明すればよいものかと……」
「なるほど。……ふむ、ならばとりあえず訊きやすそうなところから訊こうか。まず又三郎、何故お前がここにおるのだ?」
小田原から上野まではざっと九十里は離れている。しかもここは宿場でも何でもない小さな村のお堂だ。おそらく何か用があって柳生庄近くまで来たのだろうとは推察できるが、さすがにそれより先は本人に訊く他ない。これに対し又三郎は無理矢理呼吸を整え、か細い声で答えた。
「その……某は殿(宗矩)からの手紙を届けにまいりまして……」
「父上からの手紙?なんだそんなことか。それでその手紙はどこにあるんだ?」
これに友重が答える。
「それならばこちらに。不躾ながら某にも関係があるとのことだったので先んじて読ませていただきました」
「ほう、友重殿に?」
手紙を受け取った三厳がその包みを見てみると、宛先には確かに三厳と友重両名の名が連なっていた。
「ふむ。して内容はどのようなもので?」
「それはその……読まれた方が早いかと」
「?」
どことなくぎこちない友重を不思議に思いながらも三厳は手紙を広げ目を走らす。そしてしばらくして驚嘆の声を挙げた。
「なんと!友重殿を駿河大納言様の剣術指南役にですか!?」
手紙の内容は、宗矩が友重を徳川忠長の剣術指南役に推薦したというものであった。正式な決定はまだ先のことらしいが問題がなければまず間違いないということで、今のうちに準備をしておくようにと書かれている。
もし手紙の通りに事が運んだらそれは大変な名誉である。戦が望めなくなったこの時代、高貴な者の武術指南役に就くことは武芸者にとって一つの出世の頂点に他ならない。
故に三厳は喜びと困惑が半々の表情を浮かべた。見れば友重も又三郎も似たような表情を浮かべている。
「これは……いや、誉れであることは間違いないのだが……」
「ええ、承知しております……」
三厳らが微妙な表情を浮かべた理由――それは教える相手が現将軍・家光の弟にして政敵、忠長だったためである。
忠長は家光の実弟で年もさほど離れておらず、一時は家光を差し置いて将軍候補にまでなっていた男である。今でこそ冷遇して政界から遠ざけられてはいるが、ほんの少し状況が変われば家光に取って代わるだけの勢力となりかねない。身も蓋もないことを言ってしまえば彼は将軍家の者でありながら家光政権にとって最も邪魔な存在であるとも言えた。
そんな者の指南役になるのだ。ただ安穏に剣を教えておけばいいということはないだろう。背後に政治的な意図があることは推察に難くなかった。
「これは……友重殿はどうするおつもりで?」
三厳が尋ねると友重は心底面倒そうに溜め息をついた。
「どうもこうも、こうして私のところまで話が回ってきたということは、もう上の方では粗方話がついているということでしょう。ここで辞すれば殿の顔に泥を塗ることとなる。受ける以外の道などありませんよ」
「そう……なりますよね……」
「面倒ではありますが有り難いお役目であることに変わりはありませんからね。上手くやりますよ。……まぁこちらはいいんですよ。実は目下の問題が別にありまして……」
「……まだ何か問題があるのですか?」
どうやら問題はまだほかにもあるようだ。もうすでに食傷気味の様相を見せる三厳に友重は苦笑を返した。
友重の指南役就任の話は大きな話ではあったが、目下では別に問題があるらしい。
「まだ何か問題があるのですか?」
「ええ。実は又三郎がここに来た時に一悶着ありまして」
友重がちらと又三郎の方を向き、それにつられて三厳も彼に目をやると二人の視線を受けた又三郎は勢い良く頭を下げて謝罪をした。
「申し訳ございません!某が至らぬばかりに!」
「落ち着け。まだ何も聞いてないぞ。それで?こやつは何をしでかしたのだ?」
「はい、聞いたところによるとこやつ、お堂の前にて保知殿らと鉢合わせになり、その際我々の名前を出してしまったようで……」
「申し訳ございません!まさかお二方が名前をお隠しになられてるとは考え至らなくて……」
ここでようやく三厳は何が起こったのかを理解した。
「なるほど。保知殿らに正体を知られたというわけか」
又三郎の話を要約するとこうだった。
まず江戸の宗矩が三厳たちに向けて先の手紙を書いた。これは内容が内容だったため、うっかり他人に見られないよう柳生家の家臣が直接届けることとなった。手紙を預かった最初の家臣は江戸から小田原までを行き、そこで同じ柳生家家臣である又三郎に手紙を預ける。このように手紙を中継して届けるのはこの時代では珍しいことではなかった。
さて、こうして配送の任を受けた又三郎は柳生庄に向けて小田原を発つのだが、これがちょっとした長旅となった。なにせ小田原から柳生庄まではざっと九十里以上。また途中には箱根峠や薩埵峠、大井川や七里の渡しといった難所もある。途中に他の家臣がいればその者に預けることもできたのだが、あいにく頼れるような者はいない。必然又三郎は単身東海道を上っていくこととなった。
又三郎の旅路は苦難の連続であったが出立から数日後、彼はどうにか上野までたどり着く。そこでふと会いに行った知人からここ上野に三厳らが来ているということを教えられた。
「三厳様と友重様なら今上野にいらしていると聞いたぞ」
「なんと!それはまことか!?」
ここまでくれば柳生庄まで行って代官に手紙を預けるという選択肢もあった。しかし三厳たちがいつ戻るかまではわからない。手紙の内容をうっすらと聞いていた又三郎は万が一があってはいけないと思い直接手渡しに行くことを決め、利助から情報をもらい谷瀬村までやってきたというわけだ。
「ですがお堂に入っても誰もおらず、よもや入れ違ったかと焦っていた折に……」
「保知殿らに出会ったというわけか」
「はい……近付いてきたのはその保知殿一人でしたが……」
焦っていた又三郎はそこでつい「三厳様か友重様はいるか?」と訊いてしまった。
「迂闊でした!里の外に出られているのならば偽名を使っていることは考えればわかること!それを某の未熟のせいで……!」
すすり声になる又三郎を三厳は気にするなと慰める。
「そう気に病むな。長旅の果てならば気が緩んでいても仕方あるまい。俺とて特別本気で隠していたわけでもないからな。それでその保知殿らは今どこに?」
「それが……」
ここで友重が話を継いだ。
「それなのですが、どうやら保知殿らは行方をくらませたようです」
「なんと、それは本当か?」
「ええ。おそらくは」
友重がちらと視線をずらしたのでそれを追ってみれば、確かにお堂内に置かれていた保知と伝兵衛の荷物がなくなっていた。
又三郎の話によると保知は初めは話を合わせていたが、やがて会話が一段落するともう一人(伝兵衛)を連れてどこかに消えていったという。
「柳生の名に恐れをなしたのか?」
「それなら話が早いのですが、もしかしたら奴らは廃寺の牢人らのもとに行ったやも知れませぬ」
「む?何故そうお思いに?」
「それは……三厳様と一戦交えるためにかと」
友重の推察に三厳は「あぁ……」と漏らして額に手を当てた。
なるほど思い起こせば保知は強者との腕試しを強く望んでいた。そんな彼にとって三厳はまさに降って湧いた極上の獲物だ。おそらくは是が非でも刀を交えようとするだろう。それこそ牢人側に寝返ってでも。
「……保知殿ならやりかねませんな。だがもしそうなると非常にまずいですな。俺たちの計画が筒抜けになったやも知れない」
「ええ、そこが問題なのです。もしかしたらもう動いているやもしれません。逃げるか、仲間を集めるか、あるいは先にこちらに攻めて来るやもしれません」
三厳たちの間に緊張が走った。保知らが牢人側に寝返ったことを含めて想像に過ぎないが、可能性としては十分あり得る展開である。
「いかがなさいます?今から乗り込みますか?」
友重の瞳が怪しく光った。彼の案は好戦的であったが相手に準備の時間を与えないという意味でなら悪くはない。しかし三厳は軽く外を見たのち首を振った。
「いや、今から向かってもおそらく途中で日が暮れるでしょう。そうなればこちらに勝ち目はない」
日はまだ高かったが、さすがに寺まで行って一暴れしてくるほどの余裕はなかった。戦闘中に陽が沈めば有利なのは地の利を持つ向こうである。
「廃寺には明日の朝一に向かいましょう。……ただ少し賭けになりますな。もし夜間に牢人らが動いたとしたら……」
「ええ。ですがもう仕方がありません。順に休みを取りながら明日を待ちましょう」
こうして三厳らは牢人らの夜襲に警戒しつつ輪番で休みながら夜明けを待った。
翌朝、三厳は朝食を届けに来た草吾に今日のうちに牢人たちを討ちに行くと告げた。
「なんと!また火急ですね。あ、もちろん皆様が望むままにやってもらって結構ですので」
「うむ。一応討ち漏らした牢人が村にやってくるかもしれないから気を付けるようにと庄屋様の方にも伝えておいてくれ。細かいことはこの手紙に書いておいた。届けてくれるか?」
「承知いたしました。ところで保知様はいずこにおられるのでしょうか?姿が見えないようですが……」
きょろきょろと周囲を見渡す草吾に三厳はできる限り自然に返答した。
「保知殿には先んじて動いてもらっている。万が一入れ違いで村に戻ってきたときは……『下手な真似はするなよ』と言っておいてくれるか?」
「……?承知いたしました」
草吾は得心が行かないながらも了解し、やがて村へと帰って行った。この『下手な真似はするなよ』とは牢人側に寝返った保知が村を襲わないようにする保険であったが、この一言にどれだけ効力があるかは定かではない。結局のところ一番の解決策は根幹の牢人たちを始末することに他ならない。
(やはり時間との勝負になりそうだな)
三厳らは手早く朝食を食べ終えると準備を整え外へと出た。
「……見張りの類はいなさそうだな。よし、では俺と友重殿は廃寺へと向かう。又三郎は手筈通り村が見えるところで待機しているように」
「承知いたしました。どうかお気をつけて」
こうして三厳と友重は又三郎と別れて足早に村を出た。
ただでさえ頭数が足りない中、二人が又三郎を置いておくことにしたのは牢人たちの村への襲撃に対処するためである。万が一三厳らが村を離れると同時に攻め入ってくれば又三郎がのろしを上げて知らせたのちその身を挺して時間を稼ぐこととなっていた。おそらく多勢に無勢となるが今回の件に責任を感じていた又三郎は一二もなく了承した。
なおこの作戦は混乱を防ぐために村の者にはほとんど知らせていない。唯一先程草吾に持たせた手紙に書いたのみで、そこから庄屋・平右衛門がどう動くかは向こうに任せてある。かなり無茶な作戦であったがこれが今の三厳たちが打てる最善であった。
分が悪いのは承知の上。故に自然と三厳たちは足早になり、半刻と経たないうちに廃寺へと続く石段までたどり着いた。目的の廃寺は名もなき小山の中腹にある。詳しくは聞いていなかったがどうやら歴史はあるようで、ふもとからは大人三人が並んで歩けるほどの古い石段がまっすぐに伸びていた。
友重は周囲に目をやったのち、その静けさに顔をしかめる。
「……順調ですね」
「ええ。気持ちの悪いくらいにね」
三厳らは保知が牢人らに情報を流し、それをもとに警備が強化される可能性を危惧していた。だが今のところそれらしい兆候はない。道中にも監視の様子は見られなかった。
もちろんここの牢人たちは監視などをあまりしていないと伝兵衛が言っていたことは覚えてはいる。しかし二人の剣豪としての勘がそんな都合のいい展開に甘えるなと警鐘を鳴らす。
「保知殿らは牢人とは接触しなかったのでしょうか?」
「あるいは逃げた後か、罠でも張って待ち伏せているか」
ちらと振り返れば村からののろしは上がっていない。少なくとも入れ違いの襲撃はなかったようだ。三厳は安心して石段に向き直り様子を観察する。見たところ罠の類は仕掛けられてはないようで、また周囲の木々に潜む気配もない。静けさは不気味であったがここで立ち止まるような理由はどこにもなかった。
「行きますか」
「ええ」
三厳と友重は頷きあい、意を決して苔むした石段を登っていった。
もとより小さな山だったため登り切るのに時間はかからなかった。頂上付近にまで来た二人は石段の陰から頭だけをちらと出し、境内を観察する。
「……誰もいないようですな」
「見た限りではそうですね。ですが建物の方に潜んでいるやもしれません。上手く死角を通って近付いてみましょう」
二人は段取りを決め、そっと境内に忍び込む。だが一歩足を踏み入れたその瞬間であった。どこからか唐突にドジャーンと銅鑼の音が響き渡ったのだ。
「なっ!?何の音だ!?」
境内の静けさを打ち壊すかのような力強い銅鑼の音に三厳と友重は思わず固まった。そしてその隙を突くように潜んでいた牢人たちが現れて三厳たちを囲んだ。
「くっ!待ち伏せか!」
現れた牢人の数は十人ほど。どうやらかなり距離を取って隠れていたようで、それが原因で三厳たちは気付くことができなかった。三厳らの能力を鑑みてのこの対応、おそらくは彼の入れ知恵だろう。
「待っていたぞ、串太郎殿。いや、三厳殿と言った方がいいかな?」
「……保知殿。やはりそちらに着いたのか」
声のした方をキッとにらむ三厳。そこには牢人集団の中に混じる保知の姿があった。
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