柳生三厳 柳生庄にて残党らと交戦する 2

 寛永五年三月末頃。動き出した旧坂崎家残党たちは奈良北東部に集結し、柳生庄に最接近する。

 それを受けて三厳たち柳生庄側は迎え撃つ準備を整えた。

 そして某日朝方、いよいよ三厳らの元に残党らが動いたという報告が届けられた。


 その伝令が柳生屋敷に駆けこんできたのは朝の五つ頃、現代で言う午前八時頃のことだった。彼の到着はすぐさま三厳に伝えられた。

「三厳様!ただいま西方監視の伝令から狼煙が上がったとの報告がなされました!急ぎ広間までお越しください!」

「いよいよ来たか……!よし、すぐ向かおう」

 この時柳生屋敷は対残党戦における本陣扱いとなっており、主要な里の譜代たちが詰めていた。彼らは交代で食事や睡眠あるいは前線の指揮などを行っており、三厳もちょうど起きて朝食を取ろうとしていたところであったが、この報告に膳を下げさせ急いで広間へと向かった。

「遅れてすまない。それで上げられた狼煙はどのようなものだったのだ?」

 広間にはすでに譜代たちが集まっていた。三厳は遅れたことに謝辞を述べてから上座に着き報告を促す。伝令は一礼してこれに答えた。

「はい。今しがた西方より三本の狼煙が上がりました。これは残党たちが里とは別方向に向かったという符号です」

「里とは別方向?つまり西からは来ないということか?」

「はい。上げられた狼煙はそのようなものでした」

 伝令曰く残党たちの大まかな動きは煙の本数で伝えられることとなっていた。煙が0本ならまだ動いておらず、1本なら部隊の大半が里に向かったことを指す。2本なら部隊の半分程度が里に向かったこととなり、3本だと大半が全くの別方向に向かったことを意味するという。

 そして報告によると今しがた上げられた煙の本数は三本だった。これはつまり残党たちのほとんどが里とは別方向に移動したということだ。

 この報告に広間からは安堵と困惑の声が漏れ聞こえた。

「とりあえず一息つけそうですね。しかし残党らはどこに向かったのだ?狼煙ではそこまではわからないのか?」

「残念ながらそこまでは……。ですがおそらく北に向かったかと」

「北か……。まぁ奴らに南や西に向かう理由はないだろうからな」

 残党らが寝泊まりしていた屋敷から北には笠置街道があった。彼らが江戸に向かうつもりなら通るべき街道である。ただしこちらの道からでも柳生庄を狙うことができるためまだ油断はできない。譜代たちは広間中央に置かれた地図を見下ろしながらこれからの動きについて話し合う。

「時に残党らだが、見張りに気付いて囮を出されたという可能性はあるか?」

「いや、今奴らを見張っているのは伊賀の者だ。そのような子供だましにはかからんだろう。ということは奴らは西以外――十中八九北の笠置街道に向かったと見ていいはずだ」

 家臣の一人が地図の上に置かれた黒い碁石を北の方に寄せる。するとそれを受けて別の家臣が白い碁石をやはり北に寄せた。

「なるほど。では兵の配置は北に集中させてもいいだろうか?」

「うむ。念のために最小限の数は残しておくが、それで問題ないだろう。手配はお前の方でやっておいてくれるか?」

「承知した。では次は女子供についてだが……」

 パシリパシリと碁石を動かしていく老齢の家臣たち。このあたりはさすがは戦国時代を経験しているだけあって、戦況が変化しても慌てることなく対応していく。

 そして彼らは残党たちの次の動きについても議論し合う。

「しかしあの屋敷から笠置街道に進んだのか。これは里には寄らず、そのまま上野に向かうのではないだろうか」

「どういうことですか?」

「時間と距離がおかしいんだ。奴らの足が常人並みだとすると、里に到着するのは夕暮れ時になってしまうぞ」

 彼らが話題に上げたのは残党らの出発時間と到着時間についてだった、というのも残党たちが根城にしていた例の屋敷を起点として柳生庄に向かおうとすると、西の柳生街道を使ったルートなら六時間程度の道のりになるが、北の笠置街道を使ったルートは山をぐるりと迂回する分遠回りになり八時間から九時間かかってしまうのだ。

 狼煙の上がった時刻から考えて残党らは特別早朝に出発したというわけでもない。ということは彼らが多少急いだとしても柳生庄に着くのは午後四時前後。季節的にかなり日が傾いた時間帯になるはずだ。

「撤退の時間も考えればほぼほぼ夜戦と変わらん。地の利がない場所でそのような選択をするだろうか?」

「なるほど。ですが油断は禁物かと。以前の報告によると夜目が効く者がいるかもしれないとのことでしたので」

「ふぅむ。そこはまぁ見張り役たちに任せていいだろう。里に来るなら狼煙が上がるし、上野に向かったのならそっちから報告が来るはずだ。今はかがり火の用意をさせておけば十分だろう」

「ではそのように。他に何かありますかな?」

 こうして一行は改めて態勢を整えて次の報告を待った。

 そしていよいよその時がやってくる。

「皆様!上がりました!北より一本の狼煙です!」

 一筋の狼煙は敵部隊の大半が里に向かってくるという意味である。そして時刻は日も傾いた七つ頃(午後四時頃)。太陽が笠置の山々に隠れるまであと一刻もないという頃だった。

「どうやら来るようですね。しかもこの時間ということは……」

「ああ、奴らはおそらく夜襲を仕掛けてくるつもりだ。……かがり火の準備をしろ!寝ている奴らも叩き起こせ!今夜が決戦だ!」

「おおっーーー!!!」

 三厳の檄に家臣たちは勇ましく吠え、黄昏時の里は一気に厳戒態勢に入った。


 残党接近の報告を受けた三厳たちは厳戒態勢を敷き、一丸となり迎え撃つ構えを取った。力ない者たちを里の中央に集め、男たちには武器と防具を持たせ、侵入者を見落とさないようにかがり火を焚く。堅固な城壁こそなかったものの歴戦の古強者たちが睨みを効かせるこの里を好んで侵入するような輩はそうそういないだろう。

 それは斥候からの報告を受けた残党たちも同じであった。

「くそっ、大和の田舎侍め!しっかり警戒していたか!」

 そう吐き捨てたのは旧坂崎家家臣の一人、小島草助そうすけという男であった。彼は年齢は三十丁度で、結成時から徒党に参加していた古参幹部の一人である。そして今は残党たちを率いて里襲撃の指揮を任されていた。

 そんな彼は柳生庄が万端の準備をして待ち構えていると聞いて半刻前の自らの浅はかな判断を恨んだ。

(畜生、やっぱり貧乏くじだったか。これなら俺も無理を言ってでも孝蔵さんたちについていけばよかったぜ)

 現在彼らは里の入り口より五町(約500メートル)ほど手前、笠置山のふもとにて隠れて待機していた。ここで夜まで待ってから里を襲撃するつもりだったのだが、実はこの中に孝蔵をはじめとした他の徒党幹部たちはいない。彼らは笠置街道の途中までは同行していたが、柳生庄へと続く脇道のところで別れて先に伊賀・上野の方に向かったのだ。

『何度も言ったがあの里は俺たちが討つべき本命ではない。適当に金目の物を奪ったらすぐに撤退してこっちに合流するように。指揮は草助に任せるからきちんと言うことを聞くのだぞ』

 孝蔵はそう言って徒党の中では年長の、しかし古参幹部の中では年少の草助にまとめ役という面倒事を押し付けた。草助からすればこれは寝耳に水の任命で、どうにか固辞したかったものの孝蔵たちには逆らえず、結果十八人の血気盛んな部下を引き連れて柳生庄へと続く山道に足を踏み入れた次第であった。

「草助さん!奴らに目にもの見せてやりましょうね!」

(世間を知らない餓鬼めっ!そんなに簡単に行くもんかよっ!)

 草助は渋々ながらも山道を進んだのち笠置山のふもとに仮の陣を敷き、今すぐ攻め入らんとする部下たちをどうにか押しとどめて斥候を出した。せめて里が油断していてくれればと願っての偵察であったが、斥候が持ち帰った報告は先の通り最悪と言わざるを得ないものであった。

「里のあちらこちらに殺気だった武士が立っており、常時の雰囲気ではありませんでした。あれはおそらく我らの襲撃を予期してのものと見受けられます」

「うぅむ……。やはり弥彦郎の護衛をしていたのは柳生の関係者だったか。そこから俺たちの接近を悟って守りを固めたということだろう」

 ガシガシと頭を掻きながら、この時草助は撤退することばかりを考えていた。

(冗談じゃねぇ。どうして俺がそんなガチガチに守りを固めたところに攻め入らなきゃならないんだ。そんなところを攻めるだなんて自殺志願者以外の何者でもねぇ!)

 だが背後の若い連中はそうでもないようで、「まだ攻め入らないのか」だとか「田舎侍なんぞ恐れるに足らん」と威勢のいいことばかり言っている。

(くそっ!殺し合いを知らねぇ三下どもが!町での喧嘩じゃねぇんだぞ!?あぁ……でも何もせずに引き返したら孝蔵さんたち絶対怒るだろうからなぁ……)

 ここまで無謀だとわかっていながら草助が撤退の指示を出さない理由。それは彼が部下たちのやる気の管理も任されていたためだった。

『俺たちが悲願を達成するには頭数がどうしても必要だ。そのためにもこいつらには甘い蜜をしっかりと吸わせておけよ』

 残党一派の仇討ちの本命は江戸の土井利勝や柳生宗矩である。しかしここから江戸まではまだ百里以上ある。その間何の成果もなしでは部下たちが離反してしまうかもしれない。この襲撃は最近参加してきた部下たちに成功体験を植え付けるという目的もあったのだ。

 草助はとりあえずもう一度偵察に出るから少し落ち着けと言って部下たちをなだめた。

「仕方ねぇ。ちょっと何人かで見てくるからそこで待ってろ。確認してきてやっぱりダメそうだったら、そん時はしっかりと諦めるんだぞ」

 そう言って草助は部下の中でも序列の高いものを数人見繕って偵察に出かけた。部下を連れて行くのは、撤退を判断した時に彼らが間に入ることである程度納得してもらえると思ったからだ。

 彼らは慎重に進み、柳生の里が見下ろせる場所までやってきた。


 改めて偵察として里を見下ろせる場所まで来た草助たち。彼らの眼下には夕闇に包まれようとしている柳生庄、そしてそれを照らすいくつものかがり火が見えた。この時代はまだ夜間の照明が一般的ではなかったため、かがり火が焚かれている時点で彼らが本気であることが窺える。

「……参ったな。こりゃあ向こうも本気のようだ」

 柳生庄の武士たちは里に入る山道の出口をしっかりと固めていた。しかも彼らの防御線は狭い山道付近ではなく、その出口から100メートルほどの距離を取って弧を描くように敷かれている。これは道なりに侵入してきた敵を包囲できるように敷かれた布陣である。

「まるで魚を捕るための網のようですね」

「まったくだ。あんなところに飛び込んだら四方八方から矢が飛んでくるぞ」

(こりゃあ素直に撤退した方がよさそうだ。これだけ気合の入った様子を見せられたんだ。他の奴らも文句は言うまい)

 柳生庄の隙のない陣を見て改めて撤退を視野に入れる草助。だがそんな折、連れて来た部下の一人が彼の肩を叩く。

「草助さん。あそこからなら里に入れるんじゃないですか?」

「あん?どこだ?」

「ほら、あそこ。里の西の方です」

 部下の一人が指さす方を見てみれば包囲網の端の方、西の山肌に近いところにほんの少しだけ監視の薄い所が見えた。なるほど確かに大きく山を迂回してそこを進めば、奴らに見つからずに里の中心部に踏み込むこともできそうだ。

「……確かにが見えるな。だがあそこに行くためには山を突っ切らないといけないぞ」

 草助が指摘した通り、そこに向かうためにはこの暗闇の中原生林に近い山を抜け、慎重に急斜面を進む必要がある。そんな道なき道だからこそ相手も監視を割いていなかったのだろう。

 しかしその困難さが逆に若い連中のやる気に火を着けた。

「やってやりましょうよ!あいつらは俺たちを舐めてるんですよ!目にもの見せてやりましょうや!」

「そうだそうだ!ここまで来て手ぶらで帰れるかよ!」

(おいおい、こいつら本気か?せっかく引き返す好機だったってのに……)

 盛り上がる部下たちに草助は絶句するが、かといって彼らを押しとどめるだけの力もない。どうしようもなくなった草助はとうとう撤退を諦めて「なるようになれ」と里を襲撃することにした。

(まぁすぐに撤退すれば被害は最小で済むか。上手くいけば儲けものだし、こいつらも一度痛い目を見れば少しはおとなしくなるだろうしな……)

「……よし、わかった。あそこから里に潜入しよう。だが約束しろ。今回の目的はあの里の奴らに一泡吹かせることだけだ。適当に暴れたらすぐに撤退するからな」

 こうして草助らは仲間たちの元に戻り計画を説明。しばし待って周囲の暗がりが濃くなってから改めて里に向けて動き出した。


 草助らの作戦は里外周の山を突っ切り、監視の薄い西側から侵入するというものだった。ここの監視が薄い理由はおそらく山肌が整備されていない急斜面だったため、ここから攻め入られることはないと高を括っていたためだろう。だが実際踏み入ってみると全く歩けないほどの原生林というわけでもなく、時間はかかったがどうにか一行は少し斜面を下れば里に入れるというところにまでやってきた。

 時刻は間もなく完全に日が沈む頃。彼らは眼下に広がる柳生庄と、それを煌々と照らすかがり火を眺めながらその時を待っていた。

「へっ、馬鹿な連中だ。俺たちがこんなところにいるとも知らずに火を焚きやがって。逆に村の様子が丸わかりだぜ」

「しかしここからどうします?ここから柳生屋敷は遠いですし、その道中でさすがに見つかってしまいますよ」

「わかってる。無茶をするつもりはねえ。今回はあくまで俺たちの力を見せつけるだけだ」

 草助は部下を自分の近くに集めて今回の作戦の説明を始める。

「いいか?まず第一に俺らの目的はこの里の奴らを皆殺しにすることじゃねえ。軽くいたぶって一泡吹かすだけにとどめておけよ」

「それだけですか?押し入って金目の物をぶん捕るとかしないんですか?」

「馬鹿野郎。こんだけ警戒してるんだ。金になるようなもんなんて当然隠してるに決まってんだろう。それを探すような時間なんてねぇよ。今日は江戸の予行練習程度に思っておけ」

「へぇい……」

 部下たちは渋々という様子で頷いた。もしかしたら勝手に動く奴もいるだろうが、そのような奴は自己責任ということでいいだろう。草助は気にせず作戦の説明を続ける。

「まず完全に日が落ちるのを待つ。そうしたら夜の闇に紛れて里に下り、適当な家屋に火を放つんだ」

「火ですか」

「ああ。あいつらからしてみれば何の前触れもなく里から火の手が上がるんだ。相当混乱するだろうよ。そしてその隙を突いて里の出口に向かって一気に駆け抜ける。あいつらは里の外からやってくる奴らに気を取られているからな。内側からの攻撃なんて夢にも思ってないはずだ」

「へぇ。それは面白そうだ」

 草助の作戦に若い連中もその気になってくる。

「それでどうやって火を着けるんで?火縄でも用意するんですか?」

「いや、火縄は匂いが強いから気付かれる恐れがある。暗闇に乗じて秘かに近付いて火打石で直接火を着けた方がいいだろう。というわけでこの中で煙草に火を着けるのがうまいのは誰だ?」

 これに四人ほど手を挙げたので草助は彼らをそのまま先方隊とした。

「こいつらが火を着けて里が騒がしくなったら、俺たちは一丸となって里の北を目指す。この時邪魔してくる奴らは全員切り殺せ。ただおそらくかなり混乱するだろうからな。はぐれたり同士打ちとかには気を付けろよ」

 部下たちは一様に「おう」と返事をした。彼らはすっかりこの作戦に集中しているようだった。その様子を見て草助は(これは思ったより戦果を挙げられるかもな)と、内心期待し始めていた。


 その後も彼らは作戦の細かいところを詰めていくが、そんな折、不意に近くの茂みががさりと揺れた。

「!?」

 草助たちは思わず里の奴らに見つかったのかと身を固くする。しかし茂みから出てきたのは一匹の白い猫だった。

「……ふぅ。なんだ、猫かよ。驚かせやがって」

「まったく人騒がせな……。殺しますか?」

 部下の一人がチャッと匕首に手をかけたが草助はそれを慌てて止めた。

「馬鹿野郎。半端に騒いで見つかったらどうする。どうせ喋れやしないんだ。放っておけ。それよりも今のうちに建物とかの位置をしっかりと目に焼き付けておけよ。一瞬の迷いが命取りになるからな」

 彼らは猫など無視して互いの手筈を確認し合う。そうしているうちにいよいよ完全に日が暮れた。柳生の里はかがり火の周囲だけが浮かび上がるかのように見えている。

 草助たちは日没すぐに動くのではなく、しばしじっとして兵の配置の変化を見守った。そしてどうやら西側の監視は相変わらず手薄だと確認すると慎重に山肌を滑り降り、いよいよ里の中へと入った。そのまま彼らは身を低くしながら火を着ける対象の家屋付近にまで近付いた。

「よし。火を着けるのはあの小屋とその奥の小屋だ。火の手が上がって奴らが騒ぎ出したら、それに乗じて一気に奴らの背後を攻めるぞ!」

 草助の指示のもと先行して火付け役の四人が前に出る。彼らは定位置に着き、準備ができたことを手を挙げて知らせる。それを確認した草助は「火を放て」という合図を出そうとした。

 しかしそれより一瞬早く「放てぇ!!」という怒号が静寂の夜闇に響く。そしてそれに呼応して、潜んでいた草助らに向かって四方八方から一斉に矢が飛んできた。


「放てぇ!!!」

 攻撃命令を出したのは柳生家譜代の一人・源田竹一郎ちくいちろうという男だった。彼の合図によって残党たちに向かって一斉に矢は放たれ、暗闇からは彼らの悲鳴が上がった。彼は続けてかがり火を灯すように指示を出す。

「松明隊、前に出ろ!里を狙う不埒な輩どもの顔を照らし出せ!」

 これも用意していたのだろう、竹一郎の号令に合わせて草助たちを囲むように松明を持った者たちが現れた。彼らは同時にかがり火も用意し、すぐさま手薄だったはずの里の西側が一気に明るくなった。これにより残党たちの右往左往している様子があらわとなり、それを見た竹一郎は(まったく、上手くハマったものだ)とわずかに口角を上げた。実は草助たちが見つけた監視の隙間は三厳たちが仕掛けた罠だったのだ。

 話は三厳たちが残党接近の報告を受けてかがり火を用意するところにまで遡る。

「どうやら残党たちは夜襲を仕掛けるつもりの様ですな。かがり火を焚いて夜闇に備えましょうぞ」

 そこにとある家臣が割って入る。

「ふむ。そのことですが、あえて火を焚かずに待つというのはいかがでしょうか?」

「どういうことか?」

 その家臣の案はこうだった。こちらがあえて火を焚かずに待っていれば、残党たちはこちらが油断していると思って警戒せずに里に踏み込んでくる。それを隠れて待ち伏せしていた者で囲めば敵を一網打尽にできるのではないかという考えだ。

 これは興味深い案だと検討されたが最終的には却下されることとなる。理由は初手で一網打尽にできなかった場合、里の深いところで戦闘が繰り広げられることとなるからだ。それよりは初めから火を焚いてこちらが準備万端であることを知らしめたほうがいいだろうという結論となった。

「残党らに補給線はないだろうからな。こちらが堅固であることを示せば恐れおののいて勝手に撤退するかもしれん」

「だが誘い込むという案は悪くなかったな。どうだろう、里の端の方はそうやって守るというのは?どうせ里全体を火で照らすことはできないのだ。そのような場所を設けておくのも悪くはない」

「それは構わぬが誰が監視をするのだ?合図が遅れれば逆にこっちがやられかねないぞ?」

「猫婆と彼女の猫たちに頼もう。猫ならば急な斜面でも登れるし、見つかっても気にも留められないだろう」

 猫婆とは里の北東部に住んでいる齢百歳以上と言われている猫又の老婆である。なるほど彼女たちの力なら闇夜に紛れる残党たちの姿もしっかりととらえてくれることだろう。

 三厳たちは早速猫婆の協力を取り付け罠を張る。そしてそれが功を奏し今に至るというわけだった。


「放て放てぇ!矢が尽きた者はそこら辺の石でいいから投げつけろ!奴らを絶対に里に入れるんじゃないぞ!」

 柳生側・竹一郎は相手がまんまと罠に嵌ったのを見て、ここが好機と攻勢を強めた。彼の号令に合わせて矢や投石が残党らの周辺に雨のように降り注ぐ。

 対し草助たち残党一派は田畑の土手のわずかな隆起に身を隠し、どうにか体勢を立て直そうとしていた。

「くそっ!何人やられた!?何人くらい残ってる!?」

「わからんが先行していた四人は全員やられたようだ……!」

「お、俺の隣の奴が何本も矢を受けて……。俺は無事なのに、畜生……!」

「こっちは投石を貰っちまった。くそっ!このままじゃ嬲り殺しだぞ!」

 あちらこちらから聞こえる悲鳴にうめき声。彼らはパニックになっていたが、急襲を受けて部隊が半壊したことは感じ取っていた。特に前に出ていた者たちの被害はひどいようだ。草助が少しだけ顔を挙げて周囲を見渡せばそこかしこに地面に伏している仲間たちが見えた。彼らは明確に矢が数本刺さっている者もいれば一見すると無傷に見える者もいる。だが近付いてその生死を確かめるような余裕はない。

(動けるのは十人もいなさそうだ……。くそっ!このまま野垂れ死んでたまるかよっ!)

 草助は柳生側の怒声に負けないように声を張り上げた。

「お前ら、どうにかしてここまで来い!俺の丸薬を分けてやる!そうすればここを抜けれるくらいの力は手に入るはずだ!」

 彼の言う丸薬とは坂崎家残党が使う膂力を大幅に上げる例の丸薬の事である。彼らはこれを徒党の全員に持たせていたわけではなかった。数に限りがある上に、坂崎直盛との縁が薄い者が呑んでもさほど効果が出ないことを確認していたからだ。

 だが今はそんなことを言ってはいられない。この状況を打破するには一瞬の爆発力が必要なのだ。

「さあ、来い!じっとしてたって向こうは諦めちゃあくれないんだ!全員で一丸になりゃああいつらだって止められまい!」

 これに残党たちは応え、じりじりと這って草助の近くに集まった。中には移動の最中に背中に矢を受けた者もいたが、それでも生き延びるために血を吐きながら寄ってきた者もいた。草助はそんな仲間たちに一粒ずつ黒い丸薬を渡す。

「お前たちが呑んでも効果は薄いだろうし、一粒だけだからその効果もすぐに切れるだろう!それでもここを抜け出すくらいはできるはずだ!全員覚悟決めろよ!」

「おうっ!」

 草助たちは迷わず丸薬を飲み下し、そして攻勢の一瞬の隙を突いて包囲網突破を目指して飛び出した。

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