柳生三厳 柳生庄にて残党らと交戦する 3
これにより残党部隊は壊滅寸前まで追い詰められたが、ここで草助が部下たちに丸薬を配る。調伏術を用いて作られた力を増大させる丸薬。彼らはこれを使って、一丸となって包囲網を突破しようとしていた。
「矢でも石でも何でもいい!とにかく奴らを攻撃し、絶対に里に入らせるなよ!」
柳生側で指揮を執っていた源田
(どうする!?そろそろ兵を前に出すか!?しかしこんな薄暗い中で乱戦を仕掛ければ、こちらもタダでは済まないぞ……)
柳生側らは遠距離攻撃で残党たちを弱らせた。その後は十分な戦力で近接戦闘を仕掛け、相手を制圧するのが戦術の基本である。竹一郎もそのことは承知していたが、未だその決断ができずにいた。
なにせかがり火を焚いているとはいえ、すでに日は落ちている。そんな中でむやみに接近すれば陰に潜んでいる者を見落とすかもしれないし、同士討ちの危険性だって生まれてくる。また相手には数の優位をひっくり返すことのできる例の丸薬もある。無理に近付いて逆に戦況を悪化させるくらいなら、このまま距離を取って矢や投石による攻撃を続けた方がいいのではないだろうかと思ったとしても、それは仕方のないことであった。
だがここが戦場の難しいところで、相手はこちらを待ってはくれない。竹一郎がそう逡巡している隙に、残党らの方が先に次の一手を打ってきた。
「うおぉぉぉぉぉっ!!!」
唐突に響き渡る鬨の声。その地響きにも似た咆哮は、距離があるとわかっているにもかかわらず思わず竹一郎が腰の刀を抜きかけたほどであった。
「なっ、何事だ!?」
「残党らが突破を試みたようです!右翼、接敵します!」
報告の通り右翼方面――里の北側に目をやれば、かがり火の隙間を縫うように進撃するいくつもの影が見えた。見たところ一人二人が破れかぶれになったのではない、明らかに統率のとれた突撃である。
「とうとう痺れを切らしたか!自軍と入り乱れる前に矢を放て!」
竹一郎の指示を受け、自陣に近付こうとする影に矢の雨が降り注ぐ。しかしこれで倒れたのは一人か二人だけのようだった。竹一郎は向こうの運が良かったのかと思ったが、すぐにそうではないと気付く。
(例の丸薬か!確か痛みも感じにくくなるのだったな!まったく、法外な!)
竹一郎は丸薬の力に舌打ちしたが、その後は落ち着いて次の指示を出していた。
「伝令!法螺貝の合図を吹け!敵は異形の力を使っている!北を突破されるのは構わん!反転や回り込みにのみ注意しろ!」
(さぁ、ここまではこちらの想定通り。このままこちらの思惑通りに動いてくれるかな!?)
夜闇に沈む柳生庄に法螺貝の低い音がこだまする。実はこの突破すらも柳生側にとっては想定内の範囲内のことであった。
そもそも包囲という戦術は彼我の戦力差が五倍から十倍以上ある時にのみ成立する戦術である。人数もさることながら連携が取りにくい夜間に選ぶ戦術ではない。加えて敵には丸薬による突破力という解決法があることもわかっていた。つまり今の柳生庄の戦力で普通の包囲戦は土台無理な話だったのだ。
そのため三厳たちは初めから突破されることを前提とした布陣を敷いていた。具体的に言えば、彼らは包囲の北の方を手薄にしてそこを突破するように仕向けていたのだ。そして北を突破した先に待っているのは里の出入り口、笠置街道へと続く道である。三厳たちは初めから残党たちが自然と里から出ていくように誘導することを目的としていた。
『……つまり敵を逃がすということですか?それは少々甘くはないでしょうか?』
『いえいえ、甘いなどと言うことはありません。奴らが突破を試みるまでにこちらはその半分近くを打ち倒していることでしょう。そして逃げた残党らに補給はない。つまり一度引いた彼らに再度襲撃を試みるような力は残っていないということです』
『なるほど。その後江戸に向かわれるかもしれないことを考えると、そちらの方が都合がいいかもしれませぬな。では北の守りに着く者は特別守りが上手い者で固めましょうか』
『それがいいでしょう。こちらの被害は少ないに越したことはないですからね』
こうして敷かれた布陣は今のところよく機能しているようだった。北に配置した兵たちは程よく足止めしたのち道を譲っている。これを自分たちの勝利と勘違いした残党たちは順調に北へ北へと進んでいく。
(あとはこのまま里の外まで押しやれば、我々の実質的な勝利だ!)
竹一郎は勝利を信じ、残党らが道を外れぬよう戦線を細かく組みなおしていた。
だが事はそう簡単に進まなかった。残党側の草助は順調に進みつつも自分たちが相手に動かされていることを感じ取っていた。
(この感じ……。何かがおかしいぞ……!)
気付いたきっかけは柳生側の抵抗があまりに貧弱だったためである。彼らは基本距離を取って攻撃してくるばかりで、立ち塞がって進行を防ごうとしてくる気配がまるでがない。時折近付いて切り結ぶこともあったが、一合ほど打ち合ったのちにまるで道を譲るかのように引いていた。
初めはこちらの圧におびえて逃げているのだと思っていたのだが、果たして仮にも里を守ることを任された武士がこんなにも簡単に引くものだろうか?そこに気付いたとき、草助はまるで喉元に切っ先を突き付けられているかのような寒気を感じ取った。
「……っ!止まれ!全員一度止まってこっちの物陰に隠れろ!」
突然の進軍停止の指示に、ここまで調子よく柳生の兵を退けていた部下たちも顔をしかめる。
「どうしたんですか、草助さん!?ぼおっとしてたら囲まれますよ!?」
「いいから一度止まれ!向こうの動きがおかしい!このままではまた策に嵌ってしまうぞ!」
「なんですってっ!?」
草助は部下たちを集め手短に自分が感じた違和感について話した。これを聞いた部下たちは次第に顔を曇らせていく。
「確かに言われてみれば妙に手ごたえがなかったが……まさかすべて演技だったというのか……!?」
「だ、だがそうだといってどうするってんだ!?じっとしてたらやられるのは変わりないぞ!?」
「しかしまたさっきみたいな罠に嵌ったら……。草助さん、それなら俺たちはどうすればいいんですか!?」
残党たちは罠があることには気付いたが、さすがにそれが自分たちを逃がすためのものだとは思わなかったようだ。
相手の意図がわからぬ状況に混乱し始める部下たち。そこに草助は落ち着いて指示を出した。
「案ずるな。こういうときはな、人質を取っちまえばいいんだ。奴らとて味方ごと射殺すほどトチ狂ってはいまい」
「人質?しかし人質にできるような奴なんてどこに……」
「おいおい、そこら中にいるじゃねぇか。ぼおっとした顔の田舎侍どもがよ!」
ハッとして周囲を見渡す残党たち。彼らの周りには柳生家の兵が着かず離れずの距離で刀を向けている。
「薬の効果はまだ切れていない。今の俺たちなら二人三人で囲めば生け捕りにすることもさほど難しくはないはずだ。さぁ奴らに目にもの見せてやろうぜ!」
「おうっ!」
こうして残党らは一意反転、あえて柳生の兵へと突撃していった。
さて、これに驚いたのが北側の包囲を任されていた柳生庄の家臣たちである。彼らはあらかじめ『もし残党らが突破を試みた時は素直に通してやれ』と言われていた。そのため彼らは残党らの通過後はもう戦闘はないだろうと、言ってしまえば油断をしていたのだ。
そこに反転して自分たちに向かってくる残党たち。彼らが驚きおののいたことは言うまでもないことだろう。
「な、何っ!?どうしてこちらに!?」
「どうしても何もあるか!さっさと寝てろ!」
「ぐはぁっ!?」
北の防衛線は防御の上手い者で固めていたが、それでも個々では丸薬を呑んだ残党らにはかなわなかった。彼らは撤退や連携をする暇もなく、動けないように痛めつけられたのち残党らの捕虜となってしまった。
そこに竹一郎率いる前線部隊の本隊がやってくる。彼らは残党らが妙な動きをしたのを見て、慌てて救助に駆け付けたのだ。
「なっ、何をしているのだ、貴様らはっ!?」
「おっと!動くんじゃねえ!動けばこいつらの命はないぞ!」
新たな敵影の登場に残党たちは捕虜にした柳生の兵を前に出し、その首元に小刀の切っ先を突き付けた。それを見てようやく竹一郎は残党らが人質を取ったことに気が付いた。
「こ、この卑怯者め!」
「好きに言いな!だがそこから一歩でも近付けばこいつらの命がなくなることは忘れるなよ!」
(くっ……。素直に里から出ていけばいいものを!面倒なことをしてくれる!)
竹一郎も多少の被害は覚悟していたが、ここで残党らが足を止めて人質を取るのは完全に想定外だった。彼は部下たちを制し、残党たちを刺激しないようにする。
「竹一郎様!某らに構わず、どうかやってくだせぇ!」
「うるさいぞ!そんなに死にたいんなら、お前だけ先に殺してやろうか!?」
「ま、待てっ!早まるな!」
捕まった家臣たちは自分たちのことは構うなと言ってはいるが、竹一郎は攻撃命令を出せずにいた。彼がそれを出せずにいたのは仲間の命が大事だったことも確かにあるが、それ以上にここで戦闘になって勝てるという確信がなかったためである。
(里の中でも指折りの者たちを捕らえるとは、やはり例の丸薬を使ったのだな。どうする?薬の効能が聞いていた通りならこちらも危ないぞ……)
この場を乗り切る答えを求めて思案する竹一郎。だがそれを見て草助は草助で、竹一郎が時間稼ぎをしているのではと警戒する。
(どうして動こうとしない?まさかこいつら、まだ何か策を隠し持っているのか!?)
「手前ら、まだ何か罠を用意しているみたいだな!?あまり舐めたマネをすると本当にこいつらを殺してやるぞ!?」
「罠だと!?そんなものはない!手は出さないでやるから、そいつらを離してさっさと帰ってしまえばいい!」
「手を出さないだと!?そんな都合のいい話を信じるわけがないだろうが!」
双方とも立場ゆえの誤解をしているのだが、この緊迫した場面で冷静な判断ができるはずもなく、結果両者の間には交渉すらできないほどの一触即発の空気が漂っていた。
(くそっ!こいつらはどうしてこうも落ち着いているんだ!?やはり何か罠を仕掛けているのか!?だとしたらこの人質も意味のないものなのか!?だとしたら、もう……)
(こいつら、人質まで取って、そこまでして里を貶めたいのか!このような奴らに策や交渉など無意味なこと!ならばもう……)
(決死の覚悟で戦う他ない!)
竹一郎率いる柳生勢と草助率いる残党勢は、互いに無意識のうちにいつでも飛び掛かれるような前傾姿勢を取っていた。あとはただきっかけを待つばかり。衝突はもう時間の問題であろう。
そんな殺気立ち込める戦場に、一人の初老の男が割って入ってきた。
「そ、双方とも、刀を引いてはもらえぬだろうか!」
その男は震え声ながらも威厳を込めた口調で両者を制する。
両勢力の間に割って入ったのは柳生家が預かっていた坂崎直盛の嫡男・坂崎平四郎その人であった。
坂崎平四郎。今年で御年四十六になる坂崎直盛の長男で、坂崎家の御家取り潰し以降は宗矩の預かりで柳生庄で暮らしていた。そんな彼が睨み合う竹一郎と草助の間に割って入ってきたのだ。
「平四郎様!?どうしてここに!?」
驚く竹一郎。正確な位置までは知らないがに、確か彼は出羽守の関係者ということで戦線に関係のないところに配置されていたはずである。それがなぜこのような場所にいるのか。
(まさか我らを裏切って、こやつらに助力するつもりなのか!?)
すわ警戒する竹一郎。そして対する草助もまた平四郎の登場に驚いていた。
「なにっ!平四郎様だと!?このお方がか!?」
草助からすれば十数年ぶりに再会した、かつての主君の御子息である。妙な高揚感が湧き上がると同時に、やはりなぜここにいるのかと疑問に持つ。
(まさか直々に俺たちを止めに来たのか!?今更平四郎様で止まる俺たちではないが……もし戦うとなったらどうすればいいんだ?主君の忘れ形見に手を挙げたとなれば、いよいよこっちの大義名分がなくなっちまうぞ!)
竹一郎も草助も、この唐突に表れた平四郎をどう扱えばいいのか悩んで固まってしまった。
そんな状況に居心地の悪さを感じながらも、平四郎は咳ばらいを一つしてから本題を切り出した。
「コホン……。双方、このまま睨み合うことは本意ではあるまい。そこでだ、某が人質となるから他の者は離してはくれないだろうか?」
思わぬ提案に固まっていた二人は同時に「なにっ」と叫んだ。そしてまず竹一郎から平四郎にその意を問う。
「どういうおつもりですか、平四郎様!なぜあなたが人質に……!」
「竹一郎殿。我らは当初の目的をほとんど達成できている。あとはどれだけ被害少なくこの局面を乗り切れるかだ。その被害が私一人だけというのなら安いものだろう?」
「……それは屋敷の方からの指示ですか?」
「……」
答えぬ平四郎に竹一郎はこれが彼の独断であると確信する。
「何を考えているのですか!?まさか我らを裏切って彼らに着くというのですか!?」
竹一郎からすれば当然の疑問である。しかし平四郎はこれにはすぐに違うと答えた。
「違う。宗矩様や三厳様たちには本当に良くしてもらったし感謝している。彼らや里の皆を裏切るつもりはない。……しかしどうしても私は行かなければならないのだ。わかってくれ、竹一郎殿……!」
「ぐっ……!」
平四郎のまっすぐな瞳に竹一郎は思わず言葉を失った。そして平四郎は今度は草助の方を向く。
「……さて、そちらはこちらの申し入れを受け入れるのか?私を人質にすれば無事に帰れるぞ?」
この問いかけに草助は「うぐぅ」と歯ぎしりをした。はっきりと言えば選択肢などほとんどなかった。彼らとてこんな所で散りたくはないのだ。ならば平四郎の申し出を受け入れるしかないのだが、果たして本当にそれでいいのかという疑念は拭いきれない。
「ほ、本当に無事に返してくれるんだろうな!?」
「もちろんだ。当然そちらがこれ以上攻撃しないことが前提だがな」
「……信用できませんな」
「どうすれば信じてくれる?」
「そう簡単に信じることなどできるわけないでしょうが!ならば訊きますが、そうすることで平四郎様に何の得があるというのですか!」
そう、結局のところそこが一番重要で、一番はっきりしていないところである。竹一郎も平四郎がどう答えるのかと静かに待っていると、平四郎は苦しそうに大きく息を吐いたのちゆっくりとその思いを語り始めた。
「得することなどなにもない。強いて言えば責任と言ったところだろうか」
「責任?」
「ああ。本来ならばお前たちのようなものは宗矩様や三厳様ではなく、私自らが止めなければならなかったんだ……。なのに今更その身を惜しんだ結果とうとう死人まで出てしまった。まったく恥じ入るばかりだよ」
「平四郎様……」
「だからこそ私はここに来た。これ以上関係ない者が血を流す必要などない。私がそちらの頭領と直接話して決着をつけてくれようぞ。……さぁどうする、元家臣よ?私の提案を受けてくれるか?」
改めて問われた草助。彼はしばらく口を真一文字にしていたが、やがて諦めたかのように緊張を解いた。
「……承知いたしました。ここは平四郎様のお顔を立てましょう。ただし某たちだけでなく息のある者は全員帰していただきますが、それでよろしかったですな?」
これに竹一郎が前に出て了承した。
「認めよう。ただし次に里に来た際は容赦はせんぞ」
こうして柳生側と残党側の人質交換は成立した。残党らは約束通り人質として捕まえていた者を離し、代わりにまだ息のあった数人の仲間を担いで里の北から出ていった。
その際平四郎は竹一郎に言伝を頼んでいた。
「竹一郎殿。申し訳ないが三厳様と宗矩様に伝えておいてはくれないだろうか。『某は思うところあって残党らの元に行く。できる限り止まるよう勧めるが、もし奴らが止まらなかった場合は某の身などには構わずお家を守ってほしい』と」
「……承知した。必ず伝えよう」
「感謝いたします」
平四郎は丁寧に一礼したのち、振り返ることなく残党たちと共に笠置の山中へと消えていった。
「……行ったか」
残党らが山道の奥に消え、戻ってくる気配がないと悟ると、竹一郎はここまでの疲れを吐き出すかのように大きく息をついた。そこに彼の部下が心配そうに寄ってくる。
「よろしかったのですか、竹一郎様?平四郎様を行かせて……」
「……よくなどない。初めは屋敷からの指示が出ていたのかと思ったが、あれはどうやら独断だったようだな。だが、あそこまで覚悟の決まった目を見せられれば止められるはずもなかろう……」
『もし奴らが止まらなかった場合は某の身などには構わずお家を守ってほしい』
これはつまり自分が敵となってしまった場合は迷わず切ってくれて構わないということだ。それだけの覚悟を無下にするような胆力は竹一郎にはなかった。
「で、ですが竹一郎様、このまま放っておいては問題になってしまうのは明らかかと……」
「わかっておる。私はすぐに三厳様たちに知らせてくる。怪我人の治療と道の監視は任せたぞ」
竹一郎はこの場を部下に任せ、疲れた体に鞭を打ちながら柳生屋敷へと続く道を駆けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます