柳生宗矩 駿府へと向かう 1
坂崎家残党と柳生家の攻防は終始柳生側が押していたものの、残党らが人質を取ったことにより膠着状態に陥った。
睨み合う両陣営は一時は決戦も覚悟したが、そこに坂崎直盛の嫡男である坂崎平四郎が割って入る。彼は自ら人質の交換を申し出て事態の収束を図ろうとした。最終的にこの案は受け入れられ、残党たちは平四郎を連れて里を去る。
これにより里の脅威は去ったものの残党たちはいまだ健在で、おそらく次は江戸へと向かうことだろう。このことを報告するために竹一郎は急ぎ柳生屋敷へと駆けた。
「何っ!?平四郎様が残党たちと共に出ていかれただと!?」
報告を受けた三厳および屋敷で待機していた譜代たちは皆一様に驚愕し言葉を失った。やはり平四郎の行動は彼の独断だったようだ。譜代たちは竹一郎にその時の状況を詳しく聞いてくる。
「どういうことだ!?平四郎様は里の南側に置いておいたはず。それがなぜ北の戦線に顔を出しているのだ!?」
「申し訳ありませんが、平四郎様がどう動いていたか葉某にはなんとも……。ともかく平四郎様は我が隊と残党たちとの間に割って入り、自ら人質の交換を申し出したのです」
「なんということだ……。止めようとは思わなかったのか!?」
「屋敷から何かしらの策が出たのかと思い、言うに任せてしまいました。申し訳ございません」
実のところ竹一郎は彼の独断に気付いていたが、馬鹿正直に答えても意味などないので適当に誤魔化した。実際あの混乱の中で確信を持って動くのは難しいことである。
それを汲んでか譜代たちによる竹一郎への追及もこの程度で打ち切りとなった。今は責任の追及よりもしなければならないことがある。
「三厳様。ここで終わったことをとやかく言っても意味などないでしょう。今は何より江戸に此度の件を知らせることが先決かと」
「そうだな。奴らが次に向かうのはおそらく江戸だ。情けないがあとは父上らにお任せしよう。誰か、墨を持ってきてくれるか?」
三厳は薄暗い中、江戸の宗矩たちに向けて今回の顛末を記した手紙をしたためる。この手紙は翌日朝一で呼び出した伊賀の忍者に預けられ、江戸へと届けられた。
三厳からの手紙を江戸の宗矩が受け取ったのは残党襲撃から三日後の昼のことだった。手紙を読んだ宗矩はひとしきり驚愕したのち、これを老中・土井利勝に提出した。彼もまた坂崎事件の関係者、いわば『共犯』である。きっと適切な助言をくれると思ってのことだった。
そこからさらに二日経った某日の昼。いよいよ利勝からお呼びがかかり、宗矩は江戸城の一室へと向かった。坊主に案内されて部屋に入ると中には利勝と能吏数名、そして一番の上座には金地院崇伝が座していた。崇伝の姿を確認した宗矩は一気に緊張感を高まらせた。
(むっ!?何故ここに金地院様がいらっしゃるのだ!?)
金地院崇伝。家康の代から徳川家に仕える幕府最高権力者の一人である。彼は『黒衣の宰相』とも呼ばれ多くの政務にかかわっていたが、それにしたってこの場にいるのは少々場違い感が否めない。なにせ今回の事件は言ってみれば十一年前の事件の後始末のようなもの。わざわざ彼が出張るような案件ではない。
(なのになぜ金地院様がここに?……まさか残党らを取り逃したことで私を罰するおつもりなのか!?)
嫌な予感がよぎるものの尋ねるわけにもいかず、不安を抱きながら宗矩は部屋の一番の下座に着いた。それを見て利勝がおもむろに口を開く。
「皆揃ったようなので早速話を始めようか。議題は十年ほど前の出羽守――坂崎直盛殿の家臣たちについてだ」
利勝は一呼吸置き、全員が自分の話を聞いているのを確認すると、先日宗矩が提出した手紙をついと前に出した。
「宗矩殿。まずは確認だが、旧出羽守の残党が徒党を組んで仇討ちを企んでいる。その一派が先日柳生庄を襲い、それに出羽守の嫡男・平四郎殿がついていった。これで間違いないな」
「はい。その通りにございます」
頭を下げつつ宗矩がちらと周囲を窺うと、集まった者たちは軽くざわついただけで特別驚いた顔をした者はいなかった。どうやら皆すでに残党のことも平四郎のことも承知しているようだ。
(ならばここは変に取り繕わず真摯に答えた方が吉だろうな)
そこからしばらく二人の問答が続く。
「平四郎殿の行為は独断だと報告にあったが、これは真か?宗矩殿の指示とかではないのだな?」
「はい、真にございます。そも某はお恥ずかしながら、残党たちの襲撃も事後報告で知ったこと。事前に打ち合わせすることなどできませぬ」
「里にいる三厳殿も知らなかったと思われるか?」
「三厳も愚息ながらも小姓の出。知っていれば止めていたことと思われます」
「ふむ……。平四郎殿は前々から謀反の意思があったと思うか?」
「某には何とも……。ただ平四郎様はここ十年おかしなそぶりを見せることなく里で過ごしていたと聞いております。やはり残党の噂を聞いて突発的に何かしらの想いを抱いてしまったと考えるのが妥当かと……」
受け答えをしているうちに宗矩はだんだんと冷静になってきた。というのも利勝たちの反応を見るに、どうやらこれは一種のポーズ――宗矩に責任がないことをはっきりとさせる儀礼的なものだと悟ったからだ。実際彼らは宗矩の答えを聞きながら「それならば仕方がないな」とか「遠い地での話だしな」と同情的な相槌を打っていた。
(どうやら最悪の展開にはならなさそうだな……)
その雰囲気にほっと胸をなでおろす宗矩。だが彼らはそれほど優しいわけでもなかった。
「では仮に平四郎殿が残党側に付いたとすれば、その時宗矩殿は彼を切ることができますかな?」
「無論、御公儀に弓引くならば躊躇いなく切りましょう。向こうも覚悟しての行動かと思われます」
「なるほど。ではその言葉を頼らせてもらおうか」
「……とおっしゃられますと?」
ほのかに風向きが変わったことを感じ取った宗矩がわずかに顔を挙げると、そこには少し申し訳なさそうな顔をした利勝がいた。
「此度の残党の件、その始末を宗矩殿に一任しようと思う」
「えっ!?そ、それはどういう……」
「言葉の通りだ。宗矩殿には江戸を出て、この残党一派を討ってほしいのだ」
利勝の言葉に宗矩は目を丸くした。宗矩は老中・土井利勝より直々に、残党討伐命令を下されたのであった。
「そ、某が残党一派の掃討に……!?」
老中・土井利勝は宗矩に残党徒党討伐の命令を下した。この時代では珍しい武力による解決命令だ。宗矩が思わず固まり息を呑むと、能吏の一人が意地悪く問いかけた。
「おや、不満でしたかな?」
「!い、いえ!そのようなことはまったく!……し、しかしながら何故今になって某にその命が下されたのでしょうか?」
宗矩は今回の会合は事実確認や今後の方針を話し合う程度のものだと思っていた。それがここに来ての出兵命令である。混乱する宗矩に対し、利勝はその疑問はもっともだという様子で返答した。
「別段急というわけでもない。奴らの噂が出た時から討伐の案は常にあった。だが奴らの規模がはっきりせず、また事情を話せる相手が限られていたために今まで見送られていただけだ」
「それが今回の件で居所がはっきりしたため、というわけですか」
「ああ。しかも相手は傷を負っている。冷静な判断ができなくなっている状態だと考えられる。そこを宗矩殿でおびき寄せ、打ち倒してほしいのだ」
おびき寄せる。その言葉に宗矩は(そういうことか)と納得した。
(なるほど。つまり私は絶好の餌というわけか……)
坂崎事件は幕府にとって掘り返されたくない汚点である。当然怪しい動きをする関係者は消してしまいたい。だがこれまでの残党らは西国で活動していた上に動かせる駒も少なかったため、手をこまねいていたのが実情であった。
しかし春になっていよいよ残党らが動き出し、そして柳生庄で徒党が解散しかねないほどの手痛い敗北を負った。彼らからすれば仇討ちの悲願が流れるかどうかの瀬戸際に立たされたということだ。そんな折、復讐対象の一人である宗矩が近くにいるとわかれば彼らはどうするだろうか?おそらく彼らは一も二もなく飛びついてくるだろう。それを迎え撃ち、打ち倒せというのが今回宗矩に下された命であった。
(まったく、恐ろしい案を考えなさるものだ……)
餌扱いされたのは少々癪だったが、合理的であることは認めざるを得ない。何より老中からの命令を断るような選択肢など初めから存在しない。宗矩は一種の諦観を込めてゆっくりと丁寧に頭を下げた。
「承知いたしました。必ずや御公儀に仇なす者を討ち取ってまいりましょうぞ。……ところで某はどう動けばよいでしょうか?まさか大軍を率いて江戸で待ち構えるなんて真似はできませんし……」
最後の
そのことについて尋ねると、利勝は彼にしては珍しく歯切れの悪い返答をした。
「うむ。それなのだが……」
利勝はそこまで言って一瞬上座の崇伝に視線を寄越す。崇伝は何も反応しなかったが、利勝はほんの少しだけ眉根を寄せたのち返答を続けた。
「……宗矩殿には駿河・駿府へと向かってもらう。その地にて不埒な残党どもを討っていただこう」
「す、駿府にですか!?」
利勝からの思わぬ提案に、宗矩は驚きで思わず腰を浮かした。
利勝が残党討伐に選んだ地・駿府とは現代で言う静岡県の中部にある都市である。江戸からは箱根峠を越えた先にあり、政治的にも歴史的にも非常に重要な土地である。利勝らはそんな場所を決戦の場所に指名したのだ。
宗矩は乱れた袴をいそいそと正すと、慎重に言葉を選びながら改めてその意図を尋ねた。
「……差し支えなければ駿府の地が選ばれた理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ふむ。まぁいいだろう。まず第一に奴らを江戸の町に入れることはまかりならん。これはわかるな?」
「はい。賊が江戸に侵入すれば御公儀はもとより江戸の民草にも被害が及ぶかもしれない。そのようなことは避けてしかるべきことにございます」
実際は坂崎事件の醜聞が広がるのを恐れてのことだろうが、ここはこう答える他ない。利勝も素知らぬ顔でこれに頷いた。
「然り。しかし言うは易いが行うは難し。江戸は広いため町に通ずる門をすべて見張るのは現実的ではない。見張りを立てるなら例えば箱根の峠のような道が限定される場所で見張るのが妥当だろう。とはいえ箱根は人の目も多い。下手に暴れれば、それはそれで醜聞を他人に晒すこととなる。ゆえに箱根の峠は最後の関として、奴らを待ち構えるのはそこより先――おそらく駿河・駿府あたりがちょうどいいだろうという判断だ。ここより先だと入れ違いになる危険もあるしな」
利勝の案は宗矩を先方隊にして、あわよくばそこで残党らを打ち倒すというものだった。なるほど大事にしたくないのなら少数精鋭で攻めるのは悪くはない。とはいえ引っかかるところがまったくないわけでもなかった。
「……お言葉ですが、駿河も人の目は多いのではないでしょうか?」
「その意見はもっともだが、それでも江戸近辺よりは幾分かマシだ。それに仮に何かが起こったとしても、あのあたりを治めているのは大納言様であらせられる。他の土地よりは口利きもしやすかろう」
ここで名前が出てきた大納言とは現将軍・家光の実弟・徳川忠長のことである。確かに将軍家の血縁ということで話は通しやすいだろうが、一方で彼は政治的に非常に重要な人物――はっきりと言ってしまえば家光の政敵となりうる人物だ。
そんな人物を御公儀の汚点ともいえるような事件にかかわらせてもいいのだろうか?心配する宗矩であったが、このようなことに目ざとい崇伝が何か言ってくる気配はない。そもそも崇伝はここまで一言たりとも口を開いてはいなかった。
(不気味だ……。ここにいるということは金地院様も一枚噛んでおられるはず。いったい何を企んでおられるのだ!?)
崇伝が現幕府の敵となりうる相手、それこそ忠長などに対して小細工を仕掛けていることはもはや公然の秘密であった。宗矩も剣術指南役という名分で弟子の一人・木村友重を駿府に派遣させられている。今回もさほど関係ないにもかかわらずこの部屋にいるということは、やはり何か密命を下すつもりなのだろう。宗矩はそう構えていたのだが、今のところ崇伝が割って入るような様子はない。
「……どうかしたかね、宗矩殿?まだ何か気になるようなことでも?」
「い、いえ!その、駿府に着いてからはいかように……?」
「それはあとでこちらから案内役を寄越すからその者から聞いてくれ。他に聞きたいことがないのならすぐに屋敷に戻って準備を始めてほしい。なにせ残党たちと入れ違いになったら台無しだからな」
「か、かしこまりました!」
結局最後まで聞き出す機会は与えられず、会合は崇伝らの意図を知る前に終了となった。だがこれはこれで良かったのかもしれないと廊下を歩く宗矩は考える。
(結局金地院様がいらした理由はわからずじまいか……。まぁいい。無理難題を押し付けられるよりは大分マシだ。私は眼前の残党討伐だけに集中すればいいだけの話だからな)
宗矩は(さぁこれは大変なことになったぞ)と身震いしたのち江戸城を辞した。
「皆の者、事態は話した通りだ!今すぐ旅の用意を始めてくれ!」
江戸城を辞した宗矩は急ぎ
急な話に家臣たちは右往左往するが、幸い柳生庄が襲われた報告を受けていたことで彼らの士気は高かった。だがこれを全員連れて行くわけにもいかない。
「駿府に向かうのは私も含めて十人だ。腕前はもちろんだが、江戸に残る側のことも考えて同行者は選ぶように」
「殿。相手は秘薬も使う手練れだと聞いております。十人だけでは危険ではないでしょうか?」
「こちらが多勢過ぎれば残党らが無視して江戸に向かうかもしれん。足りなそうならば向こうで借りればいい。向こうには友重などもおるしな」
ともかく今は江戸を出て駿府に向かうことが第一だと家臣を急かす宗矩。そこに慌てた様子で下男が駆けてくる。
「宗矩様!ただいま大炊頭様の使いと名乗るお方が訪ねてきてまいりました!いかがなさいましょうか?」
「む。大炊頭様がおっしゃられていた案内役か。随分と早いな。……わかった、すぐ向かう。旅の支度は任せたぞ」
宗矩はこの場を家臣たちに任せて奥座敷へと急いだ。そこでは四十代ほどのひどく地味な顔をした痩身の武士が待っていた。
「お忙しい中での訪問、申し訳ありません。某は大炊頭様が家臣・永沼
綱元が音もなく一礼するのに対し、宗矩も一礼で返す。
「お世話になりまする。……ところで案内役とは具体的にどのようなことをなさるのでしょうか?」
「具体的には駿府城での折衝や残党衆の情報の仲介役ですね」
「情報の仲介役?」
「はい。残党衆の現在位置はただいま御公儀に仕える伊賀者たちが探っております。実は某も大炊頭様にお仕えする伊賀者でして、集めた情報は某に届けられることとなっているのです」
どうやら利勝は宗矩から報告の手紙を受け取るや、すぐに動いていたようだ。宗矩も(さすがは老中だ)と感嘆する。
「心強い限りです。……ちなみにその忍びの方々は残党らと戦う際には協力してくれるのでしょうか?」
宗矩はちょっとした希望を込めて尋ねてみたが、綱元は残念そうに首を振った。
「申し訳ございませんが、某どもは少々複雑な立場ゆえ戦闘での助力はできないこととなっております。仮に皆様方が全滅したとしても、某はただその事実を大炊頭様に伝えるだけです」
「左様ですか。あぁいえ、少し訊いてみただけですのでお気になさらずに。某どもが残党らを打ち倒せばいいだけのことですから」
「ええ、その通りですね。……実は宗矩様。この件に関して大炊頭様より一つ言伝を承っております」
「言伝ですか?」
綱元は「ええ」とそっと宗矩に近付き、一段低くした声でこう言った。
「大炊頭様曰く、今回の件に金地院崇伝様が横槍を入れてこようとしたが、どうにか最小限に止めることができた。宗矩様方が無事に残党らを打ち倒せば何も起こらない――とのことです」
「!!……確かに承りました」
どうやら推測通り今回の件でも崇伝が暗躍しようとしていたらしい。だが利勝との政治的な駆け引きでその影響は最小限に抑えられたとのことだ。そして宗矩がうまく残党らを壊滅させられればそれ以上のことは起きないらしい。
(つまり某が
宗矩はしわの入った顔に、にやりと好戦的な笑みを浮かべた。
翌日早朝、宗矩は家臣九人と綱元を含めた十一人で江戸を発った。目指すは駿河・駿府であった。
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