柳生宗矩 駿府へと向かう 2

 柳生庄を襲った残党たちはこれから江戸に向かうだろう。三厳からの報告は宗矩経由で江戸御公儀に届けられた。

 その後御公儀は宗矩を餌として残党たちをおびき寄せる計画を立案。宗矩に駿府に向かうよう指示が出る。

(駿府は政治的に複雑な地だ。下手をすれば多くの者が影響を受けてしまうだろう。だが私がきちんと残党たちを討てばおかしなことも起きないはずだ。この戦い、負けられん!)

 決意を秘めた宗矩は精鋭たちを連れて駿河・駿府に向かおうとしていた。


 老中・土井利勝より残党討伐の命を受けたその翌日夜明け前。宗矩を筆頭とした柳生家精鋭たちは今まさに道三河岸の屋敷から出立しようとしているところであった。屋敷の門前には宗矩の次男・友矩とものり、三男・宗冬むねふゆを先頭に、家臣のほぼ全員が見送りに集まっていた。

「父上。無事の御帰還を心より願っております」

「父上。どうかご無事で」

「うむ。わかっておる。お前たちも留守の間屋敷を任せたぞ」

「はっ!」

 一斉に頭を下げる友矩たち。その真剣な様子に宗矩はふと懐かしい空気を感じ取る。

(まるで合戦に赴くかのようだな。……いや、命のやり取りをするのだ。合戦と変わりないか)

 最後の合戦と言われる大坂の陣からもう十年以上が過ぎている。にもかかわらずその懐かしい雰囲気に、宗矩は今回の残党騒動はつくづく前時代の後始末なのだなと実感した。

「殿、どうかなされましたか?」

「……いや、なんでもない。それより出発の準備はできたのか?」

「はっ!全員いつでも出立できます!」

「そうか。ではそろそろ発つか。目指すは駿河・駿府なり!」

「おおっ!」

 たとえ時代にそぐわなくとも、やることは変わらない。

 宗矩の鬨の声に合わせて、十一人の精鋭たちが一路西を目指して江戸を発った。


 残党討伐のために江戸を出た十一人。その内訳はまずは宗矩が一人。次に駿府との折衝役として同行する土井利勝の家臣・綱元が一人。そして残る九人が戦闘役の新陰流門下たちであった。

 この九人、数こそ少数ではあるものの、選ばれたのは全員門下の中でも有数の腕利きたちであった。有名な者を幾人か挙げれば、まずは後世にて柳生四天王の一人に数えられる荘田しょうだ教高のりたかがいた(八話に登場した荘田之平の叔父)。他にものちに大名家の指南役として活躍する小瀬源内げんない、萩原猶左衛門ゆうざえもんといった姿もある。彼ら以外の者ももちろん残党たちに後れを取らないであろう精鋭たちばかりであった。

 そんな一行はまだ薄暗い東海道を黙々と進み、まもなく川崎宿が見えてくるというところで日が昇った。

「殿。日の出です」

「うむ。雲一つない良い夜明けだ。吉兆だといいのだがな」

「きっとそうでしょう。さぁ進みましょう」

 彼らは昇る陽光を背に受けながら多摩川を渡り川崎宿に入る。宿場はちょうど明け六つということで賑わい始めたところだったが、江戸を出たばかりの宗矩たちには用のない宿場である。彼らは特に立ち止まることもなく進み続け、やがて川崎宿を出た。

 宿場から出て道幅が広くなると、おもむろに綱元と他数名が前に出た。

「では宗矩様。予定通り某らはここで……」

「ええ。お願いいたします。どうぞご無事で」

「そちらも無事の到着をお待ちしております。……では!」

 そう言うと綱元たちは東海道を駆けて行った。彼らは先んじて駿府に向かう先発隊だった。


 江戸・日本橋から駿河・駿府まではおおよそ四十五里、約180キロメートルほどの距離がある。加えて道中には箱根峠のような難所もあるため、宗矩たちの足でも到着までは五日から六日ほどかかる見込みであった。

 だがあまりのんびりとしていては残党たちが駿府を通過してしまうかもしれない。それに向こうに着いてからもある程度準備の時間が必要だ。そこで宗矩と綱元は話し合い、本隊とは別に先発隊を――先んじて駿府に向かい準備を整える部隊を組むことにした。その人員は駿府城との折衝役の綱元を筆頭に、宗矩の名代として高弟の荘田教高。それに早駆けに自信のある家臣二人を加えた四人であった。

「ではお先に失礼致します」

 彼らは川崎宿を過ぎると宗矩たちと別れ、東海道を駆けていく。もちろん宗矩たちも足早に進んでいたが、それでも綱元たちはあっという間に小高い丘の向こうに消えていった。

「早いですね。もう見えなくなりましたよ」

「うむ。だが本隊はあくまで我々だ。我々が遅れたら意味がないことを忘れるなよ」

「承知しております。ですが大丈夫ですかね……」

 とある家臣が綱元たちが消えていった西の方に心配そうな目を向ける。それに気付いた宗矩は、何か気になることでもあるのかとその家臣に尋ねてみた。

「山賊か何かを心配しているのか?なに、四人もいれば問題などあるまい。綱元殿もなかなかできるようだしな」

 だが家臣の気がかりはそこではないようだ。

「いえ、そうではなく……。駿府ということは城主は大納言様(徳川忠長)ですよね。もし大納言様が我らに協力してくださらなかったらと思うと……」

 彼はおそらく家光と忠長の確執を心配しているのだろう。だが宗矩はそれをカッと諫めた。

「馬鹿者が!大納言様がそのような真似をするわけがなかろうに!まったく、下らん噂を真に受けおって!」

「もっ、申し訳ございません!」

「まったく、軽率な!ほれ、そんな無駄話をしている暇があったら先に進むぞ!我らが到着しなければ何も始まらないのだからな!」

 宗矩はいかり肩でずんずんと進み、家臣たちはそれに慌ててついていく。

 家臣たちは知る由もなかったが、こうして癇癪を起してしまうほどに宗矩は現在の家光と忠長に関する噂に敏感になっていた。

(やはり事情を知らぬ者は心配するか……。駿府……、大納言様……。何事も起こらねばいいのだが……)


 将軍・家光とその弟・忠長。後世の歴史書ではこの二人の間には深い確執があったと言われているが、少なくとも作中のこの頃はそのような気配はなかったと考えられている。

 その一つの例として家光の御成おなりへの相伴が挙げられる。ここで言う『御成』とは将軍が他の貴人や公家などの家に出向き、茶の湯や能で交流を深める公務のことである。忠長はこの家光の御成に十度以上も随伴していた。もちろん忠長本人の居城に御成に行くこともあったため、彼らの交流はそれ以上である。本当に両者に確執があるのならばこのような数字は出てはいないだろう。護衛として家光に付き従うことの多かった宗矩はその光景を何度も目にしていた。

(そう、上様と大納言様はよき兄弟としてこの国を治める方々だ!それが不仲とは、無責任な噂にもほどがある!)

 しかし周囲の人はそうは思っていなかったようだ。先の家臣もそうだが、将軍たちの実情を知らない町人たち。さらには大名格の者ですら二人の間には薄暗い権力争いがあったと考えているものが多い。

(口惜しい限りだが、一方でそう考えてしまうのも理解できる。実際上様に万が一のことが起きた時、その跡を継ぐのは一歳違いの弟である大納言様であろう。なんなら幼少期には大納言様の方が将軍職を継ぐはずだったという噂もあるくらいだ。想像をたくましくさせるような要素はそこら中に転がっている。それに実際何か不埒なことを考えている輩はいるようだからな……)

 今回の件に絡んできた崇伝などいい例だ。彼は間者を放つなどして忠長の弱みを見つけ出そうとしている。もちろん彼の立場上仕方のないことでもあるのだが、あまり見ていて気持ちのいいものではない。

 だからこそ宗矩は今回の件を無事に完遂し、これ以上彼らの関係に余計な茶々が入らないようにしたかった。そのためにも先発隊の足場固めは今後の成否を決めかねない重要なものである。

(頼んだぞ、教高たちよ!)

 宗矩は街道を進みながら、静かに先発隊の無事を祈った。


 さて、宗矩が活躍を期待する相手――川崎宿で別れ先行した綱元一行は、江戸出発から四日目の朝方に駿府城城下町に到着した。最小限の休憩で走り続けた彼らはすでに満身創痍であったが、遅れて到着する本隊のために疲れた体に鞭を打って各々役目のために動き出す。

「それでは打ち合わせ通り、某は城へ向かい此度の件の報告をしてまいります」

「ええ。こちらは友重に話をつけてきまする。……残るお前たちは宿を取って今のうちに休んでおけ。あとでしっかりと働いてもらうからな」

 四人の先発隊のうち、折衝役である綱元は江戸御公儀からの書状を胸に駿府城へと向かった。残された教高は部下二人を先に休ませ、自身は同じ宗矩の門下である木村友重に会いに向かう。門弟筆頭だった友重は現在忠長の剣術指南役としてここ駿府に出向していた。

「ええと……。確かこのあたりのはずなのだが……」

 駿府の武家屋敷通りをうろうろとさまよう教高。以前貰った手紙によると、友重は現在忠長家臣の森下なにがしという者の屋敷を間借りしているとのことだった。それが確かこのあたりだったはずと通りを歩いていると、ふとそう遠くないところから「ヤァーッ!」と武芸の鍛錬に励む声が聞こえてきた。これはもしやと声に従い進んでいくと、とある屋敷の庭先で若い武士たちが型の稽古をしており、それを指導する声の中に友重のそれがあった。

(間違いない!ここだ!)

 教高はすぐに屋敷の者を捕まえて事情を説明し、友重を門まで呼んでもらった。まもなくして威勢よく尻端折りした友重が木刀片手に現れる。

「おぉ!やはり友重であったか!」

「教高!?本当に教高か!どうしてここにいるのだ!」

「少し訳あってな。元気そうで何よりだ」

「ははは。そちらもな」

 二人はしばらく再会を喜び合っていたが、まもなくして友重は教高の気が昂っているのを感じ取る。

「……厄介なことが起こったようだな。それで私に会いに来たのか?」

「わかるか?……その通りだ。悪いが少し話す時間を作ってくれるか?」

「承知した。少し待っていてくれ」

 そう言うと友重は屋敷の中に戻り、やがて普通の小袖に袴姿で戻ってきた。

「歩きながらで構わなかったか?」

「無論だ。では行こうか」

 二人は武家屋敷が並ぶ通りを抜け、人気の少ない小川沿いの通りまで来た。そこを歩きながら教高はここまでの経緯を掻い摘んで話す。

「……といったわけで殿(宗矩)が駿府まで来ることになったのだ。私は先んじて準備を整える、いわば先発隊というわけだな」

「くっ!殿を狙う不埒な残党がいるとは聞いていたが、まさかそのようなことになっていただなんて……」

 どうやら友重も残党の存在は知っていたみたいだが、さすがに最近それが里を襲ったことまでは知らなかったようだ。彼は怒りと悔しさがぜになったかのような顔で歯ぎしりをしている。

「三厳様もどうして教えてくれなかったのだ!?里から江戸に手紙を出したなら某にも送れただろうに!」

「そう言ってやるな。焦っていたか、あるいは江戸の判断を仰いだのだろう。駿府は特別だからな。……それよりも、どうだ?協力してくれるか?」

 そう尋ねると友重は教高の背中をバシンと叩いた。

「当然だ。我らが柳生に手を出したこと、後悔させてくれようぞ!」

「頼もしい限りだ。きっと殿も喜んでくれるだろう」

 こうして教高は有力な助っ人である友重を味方に加えることに成功した。そしてその翌日の午後、宗矩率いる本隊が駿府に到着した。


 駿府に宗矩が到着したのは江戸出発から五日目の午後だった。

「殿!こちらです!」

 城下町の入り口で待っていた先発隊の一人は宗矩たちを見つけると、一行を町外れのとある空き屋敷まで案内した。空き屋敷と言っても建物に損傷はなく、庭の木々も未だ整えられていたころの名残を残している。おそらくつい最近まで誰かが暮らしていたのだろう。

 そんな屋敷の中に入ると、そこにはすでに先発隊の綱元や教高、合流した友重などが待っていた。その中で綱元が代表して到着を喜ぶ挨拶をする。

「ご無事の到着、何よりです、宗矩様」

「いやいや、大変だったのはそちらの方でしょう。このような屋敷まで用意してもらって、ありがたい限りです」

「いえ。ここは駿府の御公儀から紹介してもらった場所です。ちょうど空いているから拠点にすればいいだろうと。礼ならば後日彼らに」

 どうやらこの屋敷は宗矩たちのために駿府側が用意してくれたもののようだ。

「ということは城は協力してくれるということですね?」

「ええ。拠点に糧食、延いては捕らえた残党の処分も手伝ってくれるとのことです。……ただ一つだけ、兵の派遣だけは渋られてしまいました」

 綱元曰く、駿府御公儀は町や街道に被害が出ないよう警備の強化はするそうだが、残党たちとの直接の戦闘には兵を出せないとのことだった。これに宗矩は仕方がないと首を振る。

「仕方ありません。このご時世、下手に兵を動かせば江戸から何を言われるかわかったものではない。駿府が危惧するのはもっともです。そもそも我らは我らの力だけで奴らを討つつもりでしたしね」

 宗矩の強気な発言に家臣たちは皆にやりと笑みを見せた。どうやら士気は変わらず高いようだ。

「心強い限りです。……では本題に入りますが、先程仲間の忍びから残党たちを発見したとの報告を受けました」

「む、いよいよですか……!それで奴らは今どこに?」

「監視の者曰く、浜名湖を陸回りで越えようとしているところを発見したとのこと。発見した時刻から逆算するに、今日はおそらく見附みつけ袋井ふくろいで宿を取るだろうとのことです」

 見附も袋井も共に東海道の宿場町で、駿府からはおおよそ二日分離れている。

「ということは駿府にたどり着くのは早くとも明後日以降ということですな」

「おそらくは。あるいは手負いという報告もありましたので、もっと遅れるやもしれませんね」

 とはいえこれで数日内に衝突することはほぼ間違いないこととなった。家臣の中には早くも武者震いをしている者もいる。

「いよいよですな、殿。目にもの見せてやりましょうぞ!」

「ああ、その通りだ。だが慌て過ぎだぞ。まだどのように戦うかも決めていないというのに。……それで綱元殿。決戦の地はどのあたりになるのでしょうか?」

「はい、そのことなのですが、江戸からの意見書と駿府の識者と話し合った結果、宗矩様方には鞠子まりこ宿付近で待ち構えてもらいます」

 この鞠子宿もまた東海道の宿場の一つで、駿府からは安倍川を渡って一里ほど西に進んだところにある。

「具体的に言えばそこから南に半里ほどのところに、ちょうどよい廃寺と空き地があるそうです。決戦ならそこが良かろうと金地院様からの手紙に書かれておりました。もちろん駿府城からの承認も得ています」

「金地院様が?」

 崇伝の名が出てきたことで宗矩は一瞬身構えたが、よくよく考えれば彼は家康に付き従いこの地に長くいたため土地勘があってもおかしな話ではない。駿府御公儀も問題ないとしているなら気にすることはないだろう。

「承知いたしました。しかしもし残党らが我らを無視して江戸に向かおうとしたときはどうなるのです?」

「その時はそのまま後を追って背後から襲えばいいでしょう。安倍川の渡しには話を付けてあります。彼らが川を越えることはありませんよ」

 安倍川は防衛の観点から橋は架かっていなかった。つまり残党らにとってはここが袋小路となるわけだ。

「なるほど。つまり我々は当初の予定通り東海道からくる残党らを待っていればいいのですな」

「そうなります。現地には明日向かいましょう。向こうでの宿も今見繕っているところです」

「重ね重ねお世話になります。……皆、聞いての通りだ!決戦は近いが、少なくともそれは明日ではない。今のうちにしっかりと体を休めておけよ!」

 家臣たちは精力昂った声で「おお!」と返事をした。

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