柳生三厳 柳生庄にて残党らと交戦する 1

 与六郎と弥彦郎、そして綱二の三人は南都道を使って柳生庄へと向かっていたが、その道中にて坂崎家残党の襲撃を受けてしまう。彼らは一時はそれを退けたものの、残党の一人が秘薬を呑んだことにより状況は一変。これにより弥彦郎と綱二の二人は討たれてしまった。

 生き残った与六郎は何とか柳生庄までたどり着き、このことを三厳に報告。これにより残党たちが柳生庄近くに集まっていることが里に伝わり、三厳は急遽里を守るための準備に動く。

 一方その頃、裏切り者を始末した残党たちは若い世代が盛り上がっていた。彼らは弥彦郎らを討ったことで自信をつけ、次の標的を柳生庄に定める。頭領格である孝蔵ははじめこの意見に否定的であったが、下手に水を差せば若い連中の士気に影響が出ると考え、しぶしぶながらも襲撃の許可を出した。


 柳生庄に残党接近の報告が届いたその翌日、その報告をした与六郎は早速奈良市中にて残党の捜索を行っていた。昨日の今日のため三厳らは里で休むことを薦めていたが、綱二らのこともあって自ら志願してのことだった。

 市井へとやってきた与六郎は、この地に住まう忍び仲間二人に協力を依頼し残党らの動向を探らせた。

「とりあえず数十人規模の徒党を探してきてほしい。深追いはしなくていい。二人ほど顔はわかってるから面通しは俺が直接出向く」

「了解した。事情はおおよそ聞いているからお前はゆっくりと待っているといい」

 そう言って忍び仲間は探索に出ていったのだが、その後まもなくして与六郎は自身も大通りに出て残党捜索に動き出した。綱二たちの無念を考えるとじっとしてなどいられなかったのだ。

 だが春先の古都の大通りは血の気の多い残党らが大手を振って歩くにはあまりに平穏すぎる場所だった。

(平和だな……。この前の死闘が夢のようだ……)

 大通りには種々様々な人たちが出歩いていた。暇を持て余した侍に尻端折りをした棒手振り。道端で堂々と横になる物乞いがいれば、そのすぐ脇を最近丁稚奉公に出たばかりであろう初々しい小僧が駆けてもいた。中にはもちろん肩で風を切るような輩もいたが、与六郎の目からすれば所詮は見掛け倒しの連中である。彼が探しているのはそのような半端者ではなかった。

(このご時世に江戸を狙うような連中だ。見れば一発でわかると思うのだがな……)

 しかし大通りをぐるりと一周してもそのような輩を見つけることはできなかった。与六郎は一度捜索を諦め待ち合わせ場所のお堂に向かう。するとそこでは先んじて忍び仲間二人が探索から帰ってきていた。

「ゆっくりしとけと言っておいただろうが、この堅物め。何か不都合があったのかと心配したではないか!」

「それはすまなかったな。それで首尾はどうだった?」

「まったく、白々しい……。一応人数だけは合致する徒党が一つだけあった。小規模なものも含めればもう三組ほど見つけたが、どれもお前の探している風ではなかったな」

「ふむ。そっちは?」

「こちらは主に北を歩いて三組見つけた。うち一組が出自のわからない連中だった。当たりがあるとすればおそらくこれだろう」

「ほう。聞かせてくれるか?」

 報告によると本命らしい徒党は、東大寺から北に半里ほどのところにある打ち捨てられた庄屋屋敷にたむろしているという。周囲の者に聞き込みをしたところ数日前からしれっと居着いたそうで、誰も顔を知らなかったので地元の者でもないとのこと。また不安から町の同心に相談しようかと悩んでいたところ、「しばらくしたら出ていくから、どうか大目に見てほしい」と頼まれた者もいたそうだ。

「数は二十人ほどで十代二十代が多かったと聞いている。見た目の粗暴さから初めは野党の一団が住み着いたと思う者もいたそうだ。ただその割には今のところこいつらが乱暴を働いたという話はなく、それゆえに土地の者もどうしていいかわからずに困っている様子だった。礼儀正しい者もいたことから、どこぞの城の者がお忍びで動いているのではないかと考えている者もいたな」

「なるほど、確認する価値はあるな。屋敷の見取り図などはあるか?」

「遠くから見たものだが描き出しておいた。見張りの類は見えなかったが、隠れられそうなところは少なかったから潜入時は気を付けた方がいいだろう」

 忍び仲間が出したのは紙に書かれた屋敷の外観だった。見たところ敷地はそれほど大きくはなく、打ち捨てられていたとのことだから面倒な根回しも必要ないだろう。

「北に半里と言ってたな?一度見に行ってみてもよさそうだ。案内は頼めるか?」

「もちろんだとも」

 こうして与六郎は仲間二人を引き連れて報告にあった庄屋屋敷へと向かった。


 教えてもらった屋敷は報告にあった通り、東大寺から半里ほど北のところにあった。主要な道からは少し離れたところにあったため与六郎一人では見つけるのにかなり時間がかかっていたことだろう。与六郎は仲間の働きに感謝しながら屋敷を見下ろせる近くの丘に登った。

「あれが例の屋敷か。確かに荒れてるな」

 目的の屋敷は築二十年は経っているであろう、こじんまりとした庄屋屋敷であった。視線を阻むような高い外壁はなく、ツルの這った板張り屋根の母屋の他には、打ち壊された蔵と何かの小屋がそれぞれ一つずつ見えた。庭には雑草が生い茂っており、生け垣や庭木もそのほとんどが枯れているか葉を落としている。

 忍び仲間曰くこの屋敷は豊臣時代から徳川時代へと移り変わる中で所有者があやふやになってしまった屋敷とのことだった。数年前まではこの地の庄屋が病弱な妾を住まわせていたそうだが、それが亡くなって以降は住まう者もおらず、荒れるに任せていたらしい。

「そこに数日前から見知らぬ連中が居着いたそうだ。ほら、今も何人か見えるだろう?」

 指さす先に目をやれば屋敷の庭にはガラの悪い連中がちらほらと見えた。彼らは縁側でぼうっとしていたり、かわやに向かったり、暇つぶしに相撲を取ったりしている。あるいはこれらは見張りを兼ねているのかもしれない。

「ふむ。明確な見張りはいないが隠れられる場所が少ないな。これは少し面倒そうだ」

 与六郎がどうしようかと考えを巡らせていると、ふと庭を歩く一人の男が目に入った。男は敷地内の小屋から出てきたところで、その手には真っ赤な血で汚れた包帯が見えた。

(新鮮な血だ。どうやらあの小屋には大きな怪我をしている奴がいるようだな)

 そこで与六郎はハッとする。そういえば自分たちは追手の一人をひどく痛めつけていた。もしやあの小屋にいるのはあの時の追手なのではないだろうか?

「どうかしたのか、与六郎?急に黙ったりなどして」

「……あの小屋に近付いてみようと思う。監視を頼むぞ」

「あっ、おい!何だよ急に!?」

 居ても立ってもいられなくなった与六郎は勢いのまま丘を駆け下り屋敷に近付いた。幸い目的の小屋は母屋からは離れており、人が寄り付く様子もなかったため裏手に回るのは容易であった。そのまま壁に耳を寄せれば中からは成人した男性の「痛え痛え」といううめき声が聞こえてくる。

「あぁ……痛ぇ……。痛ぇよぉ……」

(これは……やはりそうなのか?)

 与六郎は窓から中を覗いてみたが、あいにく男の顔は物陰に隠れていて確認できなかった。だがその代わりに中に他の人影がないとわかったため、与六郎は思い切って小屋の中へと足を踏み入れる。するとそこには見間違うはずもない、綱二と弥彦郎を殺したあの追手の男が横になっていた。

「……この野郎、こんな所に居やがったのか」

 男は顔と手足に幾重も包帯を巻いていたが、それでも体格と唇付近の裂傷からこの男が例の追手と同一人物であることがわかった。男は痛みにひどくうなされているようで、与六郎が入ってきたことに気付いた様子はない。

「うぅ……畜生……。痛ぇ……痛ぇ……」

(こいつが綱二殿を……)

 与六郎は一瞬激情に任せて懐に忍ばせていた短刀に手を伸ばしかけたが、どうにかそれは思いとどまった。ここで殺してしまえば自分の存在が気付かれてしまう。忍びとして私情で動くわけにはいかない。それにせっかく生き地獄を味わっているんだ。もう少し苦しんでしまえばいいと、与六郎はほんの少しだけ枕元の水桶を遠ざけてから小屋を出た。

 そのまま監視をしていた丘に戻ると仲間たちが心配そうに尋ねてきた。

「どうだった?」

「間違いない。ここにいるのは出羽守の残党たちだ」

「そうか。まさかこんなところにいるとはな。……しかし中で何かあったのか?随分と険しい顔をしているが」

 仲間に指摘されたことで与六郎はようやく自分の眉根が寄っていたことに気付いた。彼は慌てて表情を戻し向き直る。

「何でもない。それよりも俺はこのことを三厳様たちに伝えてくるから、見張りを任せても構わないか?」

「そこはまぁ構わないが、本当に大丈夫なのか?昨日も里までひとっ走りしたのだろう?」

「こんな状況だ。泣き言なんて言ってられないさ。ともかく俺は行ってくるから、しっかり見張っていてくれよな」

 そう言うと与六郎は風のように駆けていった。あるいは体を動かさなければやってられなかったのかもしれない。

 どちらにせよ彼の働きにより三厳たちは残党たちの居場所を知ることができたのであった。


「報告いたします、三厳様。残党らの現在位置がわかりました」

 与六郎が屋敷を離れてから数時間後、彼の報告により三厳たちは残党らの現在位置を知ることができた。だが彼らの顔に安堵の色はなく、全員が緊張と不安に満ちた表情をしていた。

「東大寺よりやや北か……。残党らめ、厄介な場所を陣取ったものだ……」

 代官・頼元のつぶやきに三厳をはじめとした一同は皆渋い顔で頷いた。彼らが一様に顔をしかめた理由――それは残党らが居座っている屋敷近くに柳生庄へと続く山道があったためである。

 笠置山地の盆地部に位置する柳生庄。周囲を山々に囲まれたこの地に入るには大きく二つの道があった。一つは作中でも何度も登場している、笠置街道の脇道を南下し里の北側から入るルート。もう一つは現代でも柳生街道として名が残っている、奈良郊外より始まる山道を使って里の西側から入るルートである。

 そしてこの山道の起点があるのが東大寺からやや北のところ、つまりは残党らがたむろしているすぐ近くにあったのだ。

「改めてイヤな所を押さえられたな。ここなら西からでも北からでも里を目指せる」

「知っててこの場所を選んだのだろうか?確か弥彦郎とかいう奴も西の街道を使って里に来たんだよな?」

「どうだろう。ここなら笠置街道も近いからそのために滞在しているのかもしれない。あるいは里を無視して上野へと向かうかもしれんぞ。そっち方面の監視の手配もしなければな」

 ここまで話を聞いていた三厳が与六郎の方を向く。

「上野か。そちらの方に手は回せそうか、与六郎?」

「人相書きを用意すれば事足りるかと。ただ今回の場合は人手もですが、時間の方が猶予がないと思われます」

「時間……。確かにそうだな」

 現在残党たちは柳生庄にかなり近いところに陣を張っていた。具体的に言えば柳生街道を使えば里まで五里もない場所である。一里はおおよそ一時間かかる距離なので、山道ということを差し引いても六時間もあれば里にたどり着けることとなる。

 ここで問題となってくるのが報告にかかる時間である。当然だがこの時代に電話のような空間距離を無視できる連絡手段はない。一応簡易的な報告なら狼煙や光を使ったものがあるが、細かい報告をするにはやはり直接人が走らなければならない。そして報告を受けてから準備する猶予は相手がどこまで近づいてきているかに反比例する。例えば残党らが動き出したのを見て二時間でその情報を伝えたとしても、相手が六時間で里にたどり着けるなら猶予は四時間しかないということだ。もちろんこれは最速の仮定であり、連絡が遅れれば猶予はさらに短くなる。

 事態を把握した家臣らは一斉に動き出した。

「山道に見張りを立てなければな。それと狼煙の符号の確認も今一度させるように」

「交代の順番も決めておかねばなりませんな。あぁ忙しくなる」

「女子供はまとめて村の中央にやっておいた方がいいな。それで飯の支度をさせておいた方がいいだろう。場所は俺の屋敷を使うといい」

 一気にあわただしくなった柳生屋敷。その雰囲気に呑まれて若い家臣の一人がぶるりと震えた。

「ほ、本当に戦いが始まるのか……!」

 彼は実際の戦場を知らない世代であった。そんな彼の尻を古参の家臣が勢いよく叩く。

「ああ、そうだ。戦だ。ぼやっとしている暇なんぞないぞ!我らが残党風情に後れを取るわけにはいかんからな!」

「は、はいっ!」

 こうして一行は急ぎ残党らを迎え撃つ準備を始めたのであった。


 与六郎の報告を受けて戦準備を始めた柳生庄。その支度があらかた終わったところで三厳は主要な譜代を屋敷に呼び、改めて情報の共有と配置の最終確認を行った。

「聞いての通り、残党らは早ければ明日にでもやってくるだろう。皆気を抜かずその時を待つように」

 里の布陣は以下のとおりであった。

 まず里へと至る山道道中に見張りの者を三名ずつ置く。彼らは戦闘要員ではなく、残党らが指定の位置を通過したことを狼煙や法螺貝で知らせる伝令係である。

 続けて里の二か所の入り口付近に弓に秀でた者を五人ずつ並べた。こちらも侵入者を打ち倒すというよりは、足止めと当座の戦力を削ぐことを目的としている。

 そして残りの戦闘要員は全員村の中央にて待機してもらうことにした。彼らは弓兵が足止めをしているうちに接敵し、敵の主力を打ち破る役目を持っていた。

「主戦力は里の中央か……。これはもう少し片方に寄せてもいいのではないか?」

「おっしゃる通り不格好な布陣ですが、北・西どちらから来ても対処できるようにするにはこれが最善かと。実際は監視の報告と連携して動くため机上で見るほどの半端さはないと思われます」

「なるほど。となると肝は監視の者との連携か。そちらの具合はどうだ?」

「今しがた与六郎様を交えて符号の最終確認をしているところです。日中は狼煙で、夜間は法螺貝と火縄の光で合図を送るとのこと。なおこれから数日は雨の心配はないとのことです」

「それは重畳。あとは残党一人一人の実力か……」

 残党らは所詮は牢人風情。普通に戦えば新陰流を修めている里の者が負けるはずがない。だが向こうには秘伝の丸薬があった。

「以前秘薬を吞んだ者と戦った時は三人がかりでも押されてた。全員がこれを呑んで襲ってきたら、というのはあまり考えたくはないな」

「効果に時間制限があるようなので初めから呑んでくるということはないでしょう。ですが劣勢と見るや使う可能性は十分に考えられます。その前にどれだけ数を減らせるかが勝負ですね……」

 一同が局地戦の対処をどうするか考える中、頼元は念のために三厳に釘をさすことにした。

「三厳様。一応申してはおきますが、決して前線に出て戦おうなどとは思わないでくださいね?」

「え?いやぁ、ははは……」

 どうやら多少は前線に出る意識があったようだ。愛想笑いで誤魔化そうとする三厳に頼元は呆れたように溜め息を吐いたのち、彼にしては珍しく本気で説教を始めた。

「何を考えておいでですか!宗矩様がおらぬ今、三厳様はいわば総大将なのですよ!その総大将が前線に出て一体何をしようというのですか!?」

「し、しかしだな……こういった場面では上に立つ者が前線に立つことで、部下の士気が上がるという話はよくあるし……」

「そんなものは物語の中だけです!しかも相手は言ってしまえばただの牢人残党。そのような者に傷の一つでもつけられれば、それこそ御家の名誉に傷がつくだけですよ!」

 そして頼元はさらにまくしたてた。

「それに三厳様は先日までお怪我をなされていた身。加えて刀も変えたばかりとあらば前線になど向かわせるわけにはいきませぬ!」

 実は三厳は去年の末頃、とあるあやかしとの一戦にて骨折という大怪我を負い、加えて愛用の刀も折られて喪失していた。今腰に下げているのは予備にと用意していた中で一番しっくり来た一振りを下げているに過ぎない。

 もちろん怪我が治ってからはこの刀で鍛錬をしていたため、刀を変えたことによる技術的な変化はほとんどないだろう。だが頼元からすれば、いかに三厳であっても変えたばかりの刀で死ぬかもしれない一戦に出るというのは決して受け入れられない言語道断のことだった。

 三厳もその心情は理解できるため、ここは素直に従うことにした。

「はぁ……わかったよ。屋敷で指揮を執ることに専念しよう。その代わりと言っては何だが無理はしないように。自分の力を過信せず常に数的優位を意識して立ち回るようにと言っておけ」

「はっ!」

 さて、こうして迎え撃つ準備を整えた三厳たち。

 そんな彼らの元に「残党らが動いた」という報告が届けられたのはその翌日、朝の事だった。

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