柳十兵衛 改めて小田原を調べる 1

 本格的な小田原調査の初日。又三郎はまず良兼に継飛脚つぎびきゃくを使わせてもらうように頼みに行った。

 継飛脚とは大名間・要所間を繋ぐ公用の飛脚のことで、完全な法整備はまだ少し先の話だが、この時代でも要所あるいは有力大名下には一定数の継飛脚が置かれていた。当然ここ小田原にも幾人かの継飛脚が在籍しており、今回良兼経由でそれを使わせてもらう。良兼は江戸への報告と聞いて少し嫌そうな顔をしたがそれでも一人手配してくれた。

 まもなく良兼宅にやってきた飛脚に宗矩宛ての手紙を預けると、飛脚は「では確かに預かりました」と言って一礼をし十兵衛と又三郎の見送りを背に江戸へと向けて駆け出した。偶然門近くにいた良兼の家来の話によると日和がよければ一日で江戸へと着くらしい。今回は少し日が昇ってからの出立だったためさすがに今日中は無理そうだが、それでも明日のうちに手紙は届けられるだろう。怪異改め方からすれば朗報だが又三郎にとっては素直に喜べない。

(早く重信様が潔白であるという証拠を見つけなければ、十兵衛様と重信様が敵対してしまう……!)

 しかし又三郎本人には怪異を見る力はない。歯痒いがこればかりは十兵衛に任せる他ない。又三郎はせめて十兵衛がよく調べられるようにと祈りながら、焦る気持ちを抑えて調査に出る十兵衛の背を追った。


 一方の十兵衛はいつもと違う調査方針に手間取っていた。

 十兵衛は今日明日は重信を潔白と考えて行動すると決めている。故に重信の助言通り、陰陽術師である重信が見落としていそうな場所を調査するつもりだ。だがこれが言うがやすしで行うがかたし。調べようにもどこから手を付ければいいのかすらわからない。

「十兵衛様。それではどこに向かいましょうか」

「そうだな。ではまず大通りから……いや、大通りなんて最初に調べられているか。では裏路地……いや、裏路地なんて怪しい場所、重信殿が見逃すはずがない」

 今回の異変は発生から十兵衛の耳に入ってくるまでにそれなりの期間があった。その間重信がぬかりなく調査をしていたというのなら定石通りの場所はもちろん通常の調査では見逃してしまうようなところも抜け目なく調査をしているはずだ。今回十兵衛はこの調査の網から零れ落ちた見落としを探さなければならないのだが「ではどこを探せばいいのか」と聞かれれば口を閉ざす他ない。思いつく場所は大体重信の手垢の気配がする。定石外れの新手などそうそう思いつけるものではなかった。

 しかし長考できるほど時間に余裕があるわけでもない。十兵衛はこうなればままよと、とりあえず適当な長屋通りに入り話を聞くことにした。捜査の基本、聞き込みである。だが尋ねるのは事件に関係してそうなことではなく、真面目な陰陽術師が気にも留めないようなこと。十兵衛は長屋の住人らが「なんでこのお侍さんはこんなことを訊いてくるんだろう?」と困惑するくらいの頓珍漢とんちんかんな質問を投げかけてみることにした。

 例えば庭木の話とか。例えば猫の集会場の話とか。例えば長屋の掃除当番の話とか。例えば顔のいい棒手振りの話とか……。重信が見つけることのできなかった何かが出てくることを期待して十兵衛たちは自分らでも呆れるほどに無駄話を聞いて回った。


 こうして十兵衛らは三区画分の長屋を聞き込みして回ったのだが、その結果ははっきりと言えば何の成果もあげられなかった。ある意味当然だし覚悟もしていたが、なまじ無駄話をしているという自覚がある分精神的疲労も大きかった。そのためか九つ(正午頃)の鐘を聞いた又三郎の「少し休みませんか?」という提案に十兵衛も素直に同意した。


 一息入れるために大通りへと出た十兵衛らは適当な茶屋の長椅子に腰を下ろす。腰を下ろすと改めて自分の肉体的精神的な疲労を感じ取れた。又三郎がぐったりとした様子で息を吐く。

「はぁ。碌な話が出ませんでしたね……」

「ああ。覚悟はしていたが、やはり無駄骨は堪えるな。だが常道の調査はもう重信殿が行っているはず。このくらい突拍子もない手でも打たなければ情報も望めないだろうよ」

 そう言って白湯と間食の漬物を頬張っていると、ふと十兵衛が往来に目を向けたまま固まった。

「どうかなさいましたか?」

「いや、今日は妙に往来に活気があると思ってな」

 つられて又三郎も目をやれば通りには確かに活気があった。道行く人も多いし彼らを呼び止める宿の奉公人や棒手振りの声があちらこちらから聞こえる。

「言われて見れば。やはり今日は晴れているからですかね?」

「それにしても多くはないか?もう昼過ぎだというのにちょっとした祭りのようだぞ?」

 往来には人があふれていた。妙に活気もある。何も知らなければ十兵衛のように祭か何かがあるのかと勘違いをしてもおかしくない。これに答えたのは偶然隣に座っていた老人であった。

「この時期、日和がいい時はこんなもんですよ、お侍さん」

 十兵衛らがそちらを向くと座っていたのは、いかにも長いことここに住んでいるらしい隠居風の好々爺であった。十兵衛が「そうなのですか?」と尋ねると老爺はしわの多い顔でにこっと笑った。

「ええ。ここは箱根を越えてきた人と、これから箱根を越える人が交わるところですからね。今日みたいな数日天気が悪かった後の晴れの日は今みたいに両方の人がどっと集まるんですよ。みんな安全に箱根を越えたいんでしょう」

 老爺に礼を言って改めて往来の人たちを見れば確かにそこにいたのは脚絆の汚れた者、まだ汚れていない者、そして彼らに宿や商品を売りつけようとしている商人らが多かった。

 又三郎が宿場町独特の光景になるほどと思っていると、横の十兵衛がおもむろにちっと舌打ちをした。ちらと見れば十兵衛はとても不満そうな顔をしている。

「ど、どうかなされたのですか、十兵衛様?」

「人の流入が多すぎるんだ。人が多く集まればそれだけ異変の影響を受けるものが多くなる。梅雨時ですら天候次第ではこうも人があふれるのならば梅雨が明ければどうなる?やはり早期解決が望ましいか……」

 どうやら十兵衛はこの光景を将来の危険因子と見なしたようだ。ひょんなことから解決への強硬策への決意を強くしてしまった。隣でこれを聞いた又三郎は気が気でなくなる。早く解決をしなければならない。しかしこの日の調査は結局碌な成果が出ないまま終わることとなった。

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