柳十兵衛 改めて小田原を調べる 2

 十兵衛らは二日目も早朝から市中の調査に出かける。しかし相変わらず手掛かりがないために、昨日と同じような手探りな調査しかできない。

 そしてとうとう手応えのないまま昼の九つ(正午頃)の鐘が鳴る。疲れを現すようにため息をつく十兵衛たち。昨日と同じように休息に入ることに異論は出なかった。


「通りはこっちだったかな?」

 適当な路地を進み茶屋などが並ぶ大通りを目指す。だがその道中で十兵衛が何かを見つけしゃがみ込んだ。

「おや、これは……」

 しゃがみ込み壁の一角を見つめる十兵衛。つられて又三郎も覗き込むとその視線の先には複雑な幾何学模様の落書きが描かれていた。

「何ですか、これ?」

「術式だ。この書式は陰陽術だな」

 『陰陽術』という言葉に又三郎はどきりとし、同時に十兵衛の集中力が怜悧に研ぎ澄まされた。十兵衛が鋭く指示を出す。

「解読してみる。又三郎は周囲に怪しい人影がないか目を配っててくれ」

「は、はいっ!」

 言われた通り周囲を見渡す又三郎。だがここは通りから外れているせいか怪しい人影どころか普通のそれすら見えない。勝手口のようなものすらないため早々に手持ち無沙汰となってしまう。

 ちらと十兵衛の方を見れば十兵衛はしゃがみ込んだまま壁に顔を近づけ、なにやら小さく唸りながら術式を懐紙に写し取っていた。いったいどのような効果を持つ術式なのだろうか。張りつめた緊張の中つい邪推をしてしまう又三郎であったが、程なくして足元から「駄目だ。まるでわからん」という十兵衛の諦めた声が聞こえた。

 十兵衛がやれやれといった様子で立ち上がり、膝についた泥を払う。どうやら解読はできなかったようだ。又三郎は完全な門外漢ではあるが気になったため尋ねてみた。

「……それほど厄介な術だったのですか?」

「ん?あぁ、書かれていることの一つ一つはそれほど難しくはなかったんだ。ちょっと齧った程度の俺でもわかる基本的な書式だ。だが深すぎた」

「深い?」

「ああ。一個一個のつながり、作用反作用、集合と拡散。ぐるぐると回ってて何が目的なのかがわからん。しかも、これは推察だが、おそらく術式はこれは一つだけではないな」

 ちっと舌打ちをして術式をにらむ十兵衛。

「おそらくこれと同型の術式が小田原各所に置かれているはずだ。そしてそれは各々で作用しているのではなく、その複数で一つの術式となっている。小田原全土を覆う巨大な術式というわけだ。どんな効果があるのかは見当もつかないがな」

 見当はつかないと言った十兵衛。しかし声の調子から十兵衛が何を考えているのかはおおよそ推察できた。十兵衛がまとう気配は敵に焦点を当てているときのそれだった。そして今十兵衛が思い描いている『敵』とは言わずもがなである。これに又三郎は息を呑んだ。

(まずい……このままでは……!)

 又三郎の頬を一筋の汗がつうと流れた。とうとう自分も覚悟を決める時が来たようだ。


 その後も十兵衛らは聞き込みや術式探しなどを行っていたが結局それ以上の成果のないまま良兼宅へと帰宅した。それぞれの自室へと戻る際十兵衛が又三郎に声をかけた。

「昨日今日と重信殿を白と見なして行動してきたが何も出なかった。明日はわかっておるな?又三郎」

 このとき又三郎は「……はい」と返した。しかし本心では納得はしていない。本能では相変わらずそれは間違いであると警鐘を鳴らしている。

 そして日も落ちた暮れ六つ時。又三郎は意を決して十兵衛の部屋の戸を叩いた。

「十兵衛様。起きていらっしゃいますか?」

 返事はすぐに帰ってきた。

「又三郎か?何かあったのか?」

「……少々お話がありまして。中に入ってもよろしいでしょうか?」

「構わんよ」

 戸を開けた又三郎は中を見てぎょっとした。中ではちょうど十兵衛が刀を抜いて目貫や刀身の確認をしているところだった。日課のそれではない。一命をこの刀に預けるがごとく――明日万が一刀を振るようなことになったときに間違いなく役目をこなせるようにするための確認だ。刀を見る十兵衛の目は恐ろしいほどに冷たかった。

 そんな十兵衛の冷たい目がちらりと又三郎の方に向けられた。

 又三郎は余計なごまかしは無意味と確信し単刀直入に申し出た。

「十兵衛様。どうか明日の重信様邸宅への訪問は御考え直しくださいませ」

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