大場又三郎 苦悶する 2
又三郎は言われた通り顔を洗ってから十兵衛の部屋に入り、互いに昨日の報告をした。
小田原を包む空気に不意に現れた殺気。古参と『小田原住み』との確執。重信の『陰陽術師以外を呼べ』という指示に、それをさせた自負と自信。そういったものをすべて聞き終えた十兵衛は心底面倒そうに大きなため息をついた。
「やはり想像以上に面倒な事態だな」
今回のお役目の話を聞いた当初十兵衛らは小田原に現れたちょっとした怪異を切って終わりだろうと思っていた。だが来てみれば怪異は小田原全体を覆っておりその原因もわからない。それだけでなくここに住まう人たちの人間関係も一筋縄ではいかない。時間もなければ手足も足りない。そんな中やはり一番の問題は黒田重信が白か黒かがはっきりとしない点であろう。
「せめてこれさえ分かれば大きく動けるのだがな」
白ならば心強い協力者になるし、黒だとしても彼をたどれば異変の原因がわかるという点で指針となる。しかし幾つかの不審な点と皮肉なことに彼自身の力の大きさのせいでどうにも近づけずにいた。
そんなことを話していた折にふと又三郎が手を上げる。
「しかし十兵衛様。推察ですが重信殿の噂、私はやはりあれは単に一部の古参家臣が流したものだと思うのですが……」
「もちろんその可能性はわかっている。わかってはいるのだが……」
市井で聞いた古参と小田原住みの確執を考えればこんな根拠のないうわさが出てもおかしくはない。だが十兵衛の返事は歯切れが悪い。
「確かにやっかみや疑心暗鬼から出た噂かもしれない。だが別の考え方もある。例えば重信殿が黒幕で怪しまれないように自然に悪事を働いた。普通の人はおかしく思わないが普段から目を付けていた古参家臣たちはおかしなところに気付けた、とかならどうだ?これはこれでおかしな話ではないだろ。俺たちで言えば、何かが起こったときに目の利く父上が、あるいは
「それは……確かにそうですが……」
父上とはもちろん柳生宗矩のことで助九郎とは門弟筆頭の木村
「失敗してもいいお役目なら信じるてみるのもよかっただろう。あるいは相手が二流三流の術師だったら懐に飛び込んでもよかった。しかしそのような相手ではない。対応を間違えればこちらが負ける上、被害は小田原だけにとどまらない。とはいえこのまま後手に回り続けるのもよくはないのだがな……不満か?又三郎」
「あっ、いえ!そんなつもりは……!」
そんな目をしていたのだろうか?又三郎は慌てて取り繕うが十兵衛は続けて口を開く。
「誤魔化さなくてもよい。口ぶりから重信殿のことを信じようとしていることくらいわかる」
「それは……!……やはり私は何かの術にあてられたのでしょうか?」
不安げに尋ねる又三郎。対し十兵衛は軽く首を振る。
「少なくとも大々的に術をかけられた痕跡はない。多少の魅了の術くらいならあったやもしれないが、それでも精々女の化粧くらいの術だろう。もちろん俺が感じ取れないほどの術を使われた可能性もあるし、逆に本当に重信殿が尊敬に値する人物だったという可能性もある」
「……つまり何の断言もできないということですよね?」
「その通りだ。だがまぁ方針は見つかった」
「なんと。何か思いついたのですか?」
「ああ。重信殿のおっしゃられていた『陰陽術師以外を呼べ』という指示だ。簡単な話だ。白と黒。それぞれの立場からこの指示の意味を考えればよい」
十兵衛が説明を続ける。
「まずは白の場合だが、これはつまり本心からこう言っているということ――異変の原因が陰陽術では探れないということだ。陰陽術は物の陰陽五行あるいは地脈天運などを見て怪異を推察する。ということはそこ以外を探ればいい。例えば酒や女。刀。流行歌。噂。煙草。虫。着物……挙げればきりがないが、まぁ要は陰陽術師が普段目にも留めないようなもの・見落としてそうなところを探せばいいということだ」
「なるほど。では黒の場合は?」
「その場合はおそらく策が露見されないための人払い的な提言だろう。陰陽術で異変を起こしたためそれに詳しい人に来られると策がばれてしまう。別の言い方をすれば熟練の陰陽術師がいれば異変の原因を突き止められるというわけだ」
そう言って十兵衛は部屋の机にちらと目をやった。そこには書きかけの手紙が置かれている。
「あれは?」
「父上に出すつもりの手紙だ。まだ書きかけだがな。あれで誰か術師を江戸から寄越してもらう。ここには重信殿以上の術師はいないだろうし、下手に動いて刺激をしたくないからな。ただ問題は……」
「時間、ですね?」
十兵衛はこくりと頷く。
「いかにも。
宣言した十兵衛の言葉の意味が分からない又三郎ではない。
「今日と明日は白。では明後日以降は?」
「相手の出方次第ではあるが、最悪の場合は少しばかり手荒い手段を取るやもしれないな」
「っ……!」
又三郎は自分でも困惑するほどに心乱れた。もちろん十兵衛の案は妥当だと思うし、何より自分は十兵衛を補佐するためにここに来ている。しかしながら重信に害が及ぶかもしれないと聞くとどうしても心中がざわめく。
いや、正確に言うならば十兵衛と重信が対立することを受け入れられなかった。二人は敵対などせずに協力してこの異変を解決するべきである。そうしなければならないと脳の奥で警鐘が鳴っている。しかし所詮は直感。理論的に説明できなければ十兵衛の案を覆すことはできない。又三郎は自分の無力さに奥歯を噛む。
(くっ。せめて今日明日で原因が特定できれば……!)
又三郎は苦悶しつつも頭を深く下げた。
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