大場又三郎 苦悶する 1

「それでこんな時間にまでなってしまったというわけか」

 日もほとんど落ちた頃、良兼屋敷内の自室で横になる又三郎に十兵衛はあきれるように呟いた。

「いやぁ、やもめな叔父を見てたら他人事とは思えなくってですね。ついずるずると……」

 又三郎が帰ってきたとき十兵衛は門前まで出てその帰りを待っていた。状況が状況だけになかなか帰ってこない又三郎を心配してのことだ。そしてふらつく又三郎を見かけた時は慌てて駆け寄りもした。「おい!どうした!?大丈夫か!?」と抱きかかえたところで酒の匂いを感じてそのまま怒鳴りつけたのが半刻ほど前の話だ。

「まったく。叔父のところにいるというのなら連絡ぐらい寄越せ。無駄に肝が冷えたぞ」

「ははは、す、すみません……それで重信様から聞いた話なのですが……」

 赤ら顔ながらも報告をしようとする又三郎。しかし酔いはまだ残っているようで、肘を使って体を起こすだけでもかなり億劫そうであった。それを見て十兵衛はため息をつく。

「はぁ。もういい。特に急ぎの報告はないんだろ?なら今日はもう寝てろ。詳しい話は明日聞く」

「よろしいのですか?確かに急ぎの話はありませんでしたが……」

「いいも何も酔った奴からの報告なんて聞けるわけないだろうが。それにもうすぐ日も完全に暮れるしな。俺ももう今日は軽く飲んでから寝ることにする」

 そう言って自室へと引き返す十兵衛を又三郎は横になったまま見送った。

(うぅ、しまったなぁ。まさか初日からこんな失態をするとは……)

 十兵衛が去り一人残った又三郎は天井を見上げながら反省していた。

(やはり程よいところで止めておくべきだった。しかし意外にいい酒だったからな。飲まずに悪くしてももったいない。全く叔父上も医者に止められていたと言っていたのに、あれほども貯めていただなんて。あぁ、あとあの貝の奴が美味すぎたのもよくなかった。味付けはどうだったかな……江戸でも再現できればいいのだが……って違う!そんなことを自省するのではない。……はぁ。全く自分の薄っぺらさが恥ずかしくなる)

 又三郎の酒気の残るため息は暮れ六つの鐘に溶けていった。


 やがて日が暮れるが又三郎は未だ寝付けずにいた。飲んだ割に眠気は全くやってこない。仕方なく横になりながら明日の報告の下準備として今日のことを振り返る。

 改めて振り返ればいろいろと思い起こされたが、やはり又三郎の脳裏に一番焼き付いていたのは重信の自信と自負に満ちた姿であった。目を閉じれば今でも思い出せる。又三郎はその姿に圧倒され、そして今も惹きつけられていた。

(我ながら本当に不思議だ。初対面なうえに警戒もしていた。にもかかわらず俺は重信殿の言葉に感銘を受けた。存在感に圧倒された。いったいあの時の私はどうしていたのだ?)

 自分でも唐突だと思うほどの感情の動き。又三郎はもしや何か術を?と思ったが軽く診た十兵衛は特に術をかけられた形跡はないと言っていた。

(ではあの時の私は何を感じ取ったのか?……いや、『あの時』だけではない。私は今もまだ重信殿の存在感に惹かれている。助力して共に小田原の怪異を祓いたいと思っている。だがこれは……どこまでが私の本心なのだ……?)

 もしかしたら今自分が感じている思いは自分のものではないかもしれない。その不気味さにぶるりと震えた又三郎は掛け布団代わりの胴服をがばっと頭からかぶった。


 翌朝。いつの間にか眠っていた又三郎は庭の活気に目を覚ました。重たい頭を起こして窓から外を見ると、庭では十兵衛が良兼家の家来数名相手に剣術を教えていた。又三郎は慌てて着替えて外に出る。

「お、おはようございます、十兵衛様。起こしてくだされば受け役くらい手伝いましたのに」

「おはよう、又三郎。なに、立ち話がてらに癖を直してやってただけだ。ちょっと人が集まって来てしまったがな」

 見れば教わっていたのは家の重鎮というわけではなく血気盛んな若い家来たちだった。十兵衛が彼らに「すまないがもう行かなければ」と言うと彼らはあっさりと十兵衛を解放した。本当に立ち話程度のつもりだったようだ。

「酒は抜けたようだな。それじゃあ顔でも洗ってこい。俺は先に部屋に行ってるぞ」

 そう言って去る十兵衛の背後では家来たちがさっそく教わった太刀筋を確かめていた。心地よい風切り音は彼らが楽しんで剣を振っていることがわかる。又三郎はそんな彼らを横目に見ながら井戸へと向かった。

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