大場又三郎 黒田重信を調べる 2

 又三郎の叔父はかつてとある家に仕えていたが十数年前に大きな怪我を負いお役目から退いていた。折悪くその数年後に妻を亡くし、それを機に家督を長男に譲り自分は小田原に移って半隠居の身となっていた。

 そんな叔父の家は小田原の西の方にあった。向かうと叔父は丁度家の前に出て空を見上げていた。雨模様でも気になっていたのだろうか。又三郎が声をかけると叔父は思わぬ客人に驚きつつもうれしそうな顔を見せた。

「おぁ、又三郎か!久しいな。どうしたんだ急に」

「いやぁ、殿の使いで近くまで来ましてね。ついでにちょっと顔を出そうかと思いまして」

「ははは、この叔父孝行者め。よしよし上がっていけ。大したものは出せないがな」

 久しぶりに会った又三郎に対し叔父は上機嫌で背中をバンバンと叩き家の中に招き入れた。

「役儀か。急ぎの用事か?」

「役儀ではありますが特に急ぎでは。ちょっとした調べものですよ」

「そうかそうか。じゃあ問題ないな」

 そう言うと叔父は部屋の隅をごそごそと漁り、どこに隠してあったのかと思うほどの量の酒を並べてにやりと笑う。

「医者が控えろなんて言うせいで無駄に溜まっちまったんだ。片付けるのを手伝ってくれや」

「仕方がないですね。それではちょっとだけ……」

 調子のよさは家系だろうか、こうして叔父宅にて昼間から安酒での酒盛りが始まった。


「しかしまぁちょっと剣が上手かっただけのお前が今や大和柳生家の家来だからなぁ。覚えてるか?確かあれはお前がまだ十の頃だったか……」

「いやいや叔父上。あまり昔の話はしないでくださいよ……」

 酒盛りは思いのほか盛り上がった。やもめの叔父が久しぶりの来客に羽目を外したというのもあるが、途中で貝の剥き身の棒手振りが来たのもいけなかった。相模湾で今朝採れた新鮮な貝を醤油に漬けたもの。叔父が「これが旨いんだよ」と言って買って出してきたのだが、これがまさに美味で塩辛いのが酒によく合った。ここ数日で最も心安らいだ時間ですらあった。

 だがいつまでもこうしているわけにはいかない。又三郎は機を見計らいふと思い出した風を装って本題に入った。

「そういえば今小田原には黒田何とかという評判の陰陽術師がいるらしいですね。ちょくちょくこっちには来てましたが初めて聞きましたよ。やはり評判通りの腕前なんですか?」

「ん?あー、重信殿か……」

 尋ねると叔父は少し眉間にしわを寄せた。又三郎は何かまずいことを言ったかと危惧したがどうやらそうではないらしい。

「なんだお前。重信殿を調べに来たのか?」

「それは……はい。そうにございます。よくわかりましたね」

 叔父は自嘲気味に鼻で笑った。

「お前が素直に顔を見せるなんてな性格じゃないことくらい良く知っている。金の無心か誰かの使いか。まぁ役儀に励んでいるのならそれで何よりだ。それで重信殿のことだったな?」

 叔父は御猪口に酒を注ぎ足してから「あくまで噂程度でしか知らないが」と前置きをして話し始めた。


「まぁ評判のいい術師だよ。役儀でだけでなく普通に町の人たちの相談を受けてまじないだのなんだのをしてくれる。実際どれくらい効いているかはわからんが、少なくとも術で悪いことが起こったっていう話は聞かないな」

「へぇ。市井の人も相談に行くのですか」

「今は陰陽術がちょっとした流行となってるんだ。あいつらは天運や地脈が見れるからな。太平の世になってからは一等怖いのは弓矢や槍じゃなくってもっぱら干ばつや洪水といった天災だ。特にここ小田原は大地震の伝承も多く残っている。そこに陰陽寮出の陰陽術師が来ればそりゃあ人気も出るさ」

「噂通り評判はいいみたいですね」

「市井ではな。何かあったら殿様をすっ飛ばして重信殿に相談に行く者もいるくらいだ」

 ちくりとした物言いに又三郎が反応する。

「妬む者もいると?」

「……まぁいないとは言わないさ。効果が見えないものだし、特に重信殿は『小田原住み』だしな」

「『小田原住み』?」

 叔父は『小田原住み』および古参と新参家臣との軋轢を簡単に説明した。

「だがまぁ仕事ができる奴が評価されるのは道理だからな。はっきり言えばただのやっかみさ」

 そうばっさりと言ってのけたのは叔父自身が小田原に居ついている者のためだろう。古参家臣と小田原住み。彼らの評価は評価する側の人間によって大きく変わる複雑なものであった。


 又三郎はもう少し踏み込んで訊いてみることにした。

「重信殿の話、もう少しお聞きしてもいいですか?」

「やれやれ、役儀の顔になりおって。話が聞きたきゃ酌の一つでもしてみたらどうだ?」

 言われた通り又三郎が酌を取ると叔父は一口つけてから「で?何が聞きたいんだ?」と訊いてきた。

「それでは単刀直入に聞きますが、重信殿がここ小田原を混乱に貶めようとするとは思いますか?」

「小田原を混乱に?重信殿がか?」

 叔父は一瞬呆れたような顔をしてからはっと鼻で笑った。

「そりゃあないな。なにせする理由がない」

 断言する叔父であったが又三郎はしつこく訊いてみた。

「知られていないだけで理由ならあるかもしれませんよ。ほら、例えば古参家臣との確執があったとか」

「うーん……確執がなかったとは言い切れないが、それならその個人を狙うだろうよ。重信殿だって小田原で食ってるお人だ。自分の畑を荒らす馬鹿はいないさ」

「では城代の石見守様への恨みなどは?」

「それもないだろうな。聞いた話だが石見守様は御高齢のため今はもうほとんど人前に姿を現さないそうだ。会うことがなければ恨みようもないし、それ以前に恨んでいたのならとっくの昔に小田原はおかしくなっているだろうよ」


 叔父の意見は今現在小田原に怪異があることを知らない者の意見である。だが一理あるところもある。

(そうだ。そもそもなぜ敵はこんな広範囲をゆっくりと侵しているのだ?黒幕が重信殿であろうとなかろうと、狙う相手がいるのならそこ一点を狙えばいいことだし、害するにしても相手が対処してくる前に一気呵成に責めるが定石。呪いの都合か。それとも機を窺っているのか?)

 真剣に考えこむ又三郎。そんな又三郎の空の御猪口に叔父は新たに酒を注いだ。

「そう深刻に考えるな。まだ何も起こっていないのだからそれでいいじゃないか。……まぁ気を揉むのもわかるがな。江戸の上様はまだお若い。西では太閤様(豊臣秀吉)を覚えている人もまだ多いし、尾張の左中将様(徳川義直)も腹では何を考えているかはわからない。そんな中で東西を分ける小田原が崩れれば天下も崩れるだろう。だが今はもう太平の世だ。公儀として心配するのはわかるが考えすぎては心の毒だぞ」

 そう言って叔父は貝の剥き身を一つひょいとつまんで食べた。

 本来又三郎も叔父と同じく物事を気にしない質である。しかし今の又三郎はただ御猪口の水面に移った自分をじっと見つめていた。

(小田原が崩れれば天下が崩れる、か……)

 叔父はおそらく本気で言ったわけではないだろう。しかしその不吉な予言は妙に又三郎の胸中に染み込んだ。

(くっ!不吉な!)

 それを祓うかのように又三郎は注がれた酒を一気に煽った。

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