大場又三郎 黒田重信を調べる 1

 十兵衛が下男に重信の話を振ったほぼ同時刻、又三郎はまさにその黒田重信の屋敷にいた。

 重信の屋敷は小田原城から見て北東のところにあった。さほど大きな屋敷ではなかったが手入れが行き届いているのか不思議と足を踏み入れてから心が軽くなったような気がする。

 奥座敷に通された又三郎が少し待つと、やがて武士というには少々ふくよかな男が入ってきた。

「お待たせいたしました。小田原城城代・近藤石見守家来・黒田重信にございます。怪異改め方――の名代の方ですね?」

「はっ。大和柳生家家来・大場又三郎にございます。此度は怪異改め方・柳十兵衛の名代として参上いたしました」

「これはこれは、お噂はかねがね。どうぞ楽になさってください」

「はっ」

 許しを得て面を上げた又三郎は改めて自分の対面に座る相手を見た。

 黒田重信。小田原唯一の陰陽術師。しかしそうと知らなければ彼は単なる地方武将の一家来にしか見えないだろう。それくらい見た目は普通の人物であった。外見から見るに年齢は三十代後半ほど。純粋な武士ではないためか全体的に筋肉が少なく、ふくよかな体型をしている。またその体型と落ち着いた態度から心身共に健康そうに見えたが、よくよく見れば目元や頬に疲労の痕跡が見えた。おそらくは連日の異変のためであろう。

(立場上心労も酷いだろうからな。……だが彼自身が黒幕である可能性もある。あまり隙は見せられんな)

 特異すぎる小田原の怪異。その原因が不明な今、重信ですら完全に白とは言い切れない。十兵衛の見立てでは可能性は低いと言っていたが、全くないというわけではない以上いやでも警戒してしまう。柔和な笑みの下にあるものを勝手に想像して又三郎は思わず背すじを震わせた。


 又三郎が震えたのは事前の十兵衛との会話のせいでもあった。実は良兼の屋敷にてこんなやり取りがあった。

「あのぉ、十兵衛殿。万が一重信殿が悪人だったとして私はどうすればよいでしょうか?」

「どうする――とは?切るかということか?それならまだ証拠も何もないから気にしなくてもいいぞ」

 又三郎は首を振る。

「いや、そうではなくて……こう何かないのですか?術を跳ね返すような術なんぞは。もし相手が悪人だったとしたら何かしてこないとも限らないじゃないですか。傷をつけたり、記憶を奪ったり、操ったり……ともかくそういったものを防ぐ術はないんですか?」

 それを聞いた十兵衛は鼻で笑った。

「ないない。いや確かにそういったまじないはあるが俺には使えない。それに考えてもみろ。相手は陰陽寮の出だぞ。俺の半端な呪いなど効かない上に見つかれば不審がられるだけだ」

「と、ということは何の用意もせずに黒幕やもしれない相手の前に立てと?」

「安心しろ。これほど念入りに小田原を害しているんだ。今回の黒幕は名代に手を出すようなうかつな奴ではないさ」

 はははと笑う十兵衛に又三郎は顔を青くする。もちろん十兵衛の道理はわかる。あやかしも見えない名代の自分なんぞにうっかり手の内を見せたりはしないだろう。だがそれと無抵抗を納得しろというのはまた別の話だ。又三郎は(どうせなら何も知らされずに行きたかった……)とうなだれた。


 そんなやり取りがあったため又三郎は今自分が無力であることを、今怪異的な力を使われてはどうしようもないことを自覚している。

(あぁ、くそ!平常心でいろ!逆に怪しまれるぞ!)

 落ち着こうとする又三郎。しかし普通であろうとしても逆に体には強張こわばりが出てしまう。だがそれを見た重信は違う解釈をしたようだ。

「どうかお気になさらずに。先入観の恐ろしさは私もよく理解しておりますので」

 どうやら重信は十兵衛の「先入観なく見て回りたい」という話を信じたようだ。又三郎はこれ幸いと調子よく話を合わせる。

「ご理解いただき恐悦至極にございます。十兵衛様は場合によっては箱根の方も見に行くやもと言っておられましたので、下手をしましたら直接ご挨拶に伺うまでに三日四日はかかるかもしれません。重ね重ねになりますが、無礼は承知の上でご理解いただきたいと十兵衛様もおっしゃっておりました」

「ほぉ、箱根まで。さすがは新陰流の柳生家の御子息。若いのに広く気をかけておられる」

「おや。うちの殿をご存じで?」

「ええ。直接お会いしたことはありませんがお噂は常々。剣の名声はもちろんですが今の陰陽頭おんみょうのかみは宗矩殿の遠縁ですしね。私はあまり話したことはありませんでしたが……」

「あぁ、そう言えば確かに」

 あまり中央の人事に明るくない又三郎であったが今の陰陽頭である幸徳井友景こうとくいともかげが柳生宗矩の遠縁であることは知っていた。

「ではその縁で十兵衛様をお呼びになられたのですか?」

「いえ、誰を呼ぶかまでは私では決められませんでしたので。なので怪異改め方の十兵衛殿がお越しになられたと聞いた時は私の方も不思議な縁だと思いました。よくよく考えれば呼ぶのは『陰陽術師以外で』と頼みましたので十兵衛殿がお越しになられることは予想できたことでしたね」

 ここで「ん?」と思った又三郎が一歩踏み込む。

「ん?『陰陽術師以外で』とお頼みになられたのですか?すみませんが理由をお聞きになっても?こちらもどのようにして選ばれたのかは聞かされておりませんでしたので」

「あぁ、そうだったんですか。それは……此度の件は陰陽の知識では解決が難しいと思ったためです」

 要領を得ないという顔をする又三郎に重信は話を続ける。

「私が陰陽寮の出だということはご存じでしょうか?」

「はい。お噂で聞いた程度ですが」

「その陰陽寮で私は日々陰陽五行の修学に励んでいました。古い術式から最新のものまで。時には八卦・風水・暦法・鍼灸術なども学びました。傲慢だと思われるかもしれませんが知識だけならそこら辺の野良術師が束になってかかってきても負けることはないでしょう。ですがお恥ずかしながら此度の件はその私の知識をもってしてもその原因が全くわからないのです。わからないということを、こうも自信をもって言うなど厚顔の極みだということは理解しております。ですが断言いたします。これは原因は陰陽の類ではありません。故に陰陽術以外の専門家が必要だったのです」

 重信の力強い言い回しに又三郎は思わず言葉を失った。重信の言い分は、要は自分がわからないのだから他の陰陽術師を呼んでも意味がないということだ。これだけ聞けばなんと傲慢かと思うはずなのだが、力強く言い切った重信を前に不思議と嫌な感じはしなかった。にじみ出る強い自負と自信が又三郎を圧倒した。

(見かけによらずなんと力強い人だ……これほどの自負と自信。このような人が黒幕なわけが……いや、ダメだ。証拠も何もない。俺の頭ではわからない……!)

 重信の強い気に圧された又三郎はもはや何が正しいのかもわからなくなり、ただ「そのお心、確かに十兵衛様にお伝えいたしまする」と言って頭を下げるしかなかった。


 その後しばらくして重信の屋敷から出た又三郎は誰も見ていないのを確認してから大きく息を吐いた。

「はぁっ~。ようやく、ようやく終わった……なんなんだ、あの強い存在感は……!?」

 時刻を確認すれば重信との面会は半刻にも満たない。しかし又三郎の体感では一刻以上重信の前に座っていた気がする。それほどまでに重信の圧が強かったのだ。

(いつから相手に飲まれていた?まさか術か何かをかけられていたのか?いや、だが……くそっ、わからない……!)

 重信との邂逅で又三郎は彼の陰陽術師としての自負と自信に圧倒された。そのまま思わず彼に傾倒しそうにすらなった。だがそれは本当に自分の意志だったのだろうか?不思議なまでに感銘を受けたのは何かしらの術を使われたせいかもしれない。

 だが一方で本当に重信の頼もしい自信に心打たれた可能性もある。人の強い思いに心動かされるのはさほど珍しいことではない。おそらく事前に黒幕の可能性を聞かされてなかったら素直に信じていたことだろう。

 どちらが正しいのだろうか?だがそれは力なき又三郎がいくら考えたところでわかるものではなかった。又三郎は久しぶりに自分の無力さに歯噛みした。

(くそっ!俺の方が先入観に惑わされてどうするんだ!?俺は俺が何を見たのかすらもわからないのか!?)

 又三郎は自分の判断ですら信用できなくなった。そんな状態で十兵衛の元に戻り報告する気にはなれない。せめてもう少し重信の情報を集めなければ……。

「誰か、重信殿の話を訊ける相手は……」

 と、ここで又三郎は小田原に住む叔父のことを思い出した。十兵衛の補佐のつもりで来ていたためにすっかり忘れていたが、そもそも又三郎が十兵衛の付き人に選ばれたのはこの叔父という小田原での伝手があったためである。

(叔父は確かこっちに来てもう十年以上経ってたはず。顔もそこそこ広いから訊けば何か知れるやもしれぬ。ならば善は急げだ)

 又三郎は自身の迷いを振り払うかのように叔父の住む長屋方面へと駆け出した。

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