柳十兵衛 黒田重信を調べる 1

「えっ?辻斬りですか?すみませんがちょっと心当たりはないですね」

 良兼の屋敷に戻った十兵衛は適当な下男を捕まえて先程のことを訊いてみた。ここ最近で下手人が捕まっていない辻斬りがあったか。あるいはそういう事件は珍しくないのか。下男の反応はいかにも寝耳に水といったものだった。

いさかいからのちょっとした刃傷沙汰程度ならまぁたまに聞きはしますが、辻斬りほどの凶行はさすがに聞きませんね」

「ならそのようなことをしそうな輩などは知らないか?噂程度でもいい。怪しい風体の牢人ろうにんがいたとかな」

「牢人ですか……箱根より先ではたむろっていると聞きますが、江戸から箱根までの区間は御政道の目も厳しいですからね。こっちじゃあまり見かけませんよ」

 下男の言うことはもっともだった。牢人とは主君の死や改易などにより仕える先を失ってしまった武士のことを指す。彼らは未仕官故に金に困っている者が多く、そこから悪事に手を染めてしまう者も少なくない。そのため為政者側はその動向には常に目を光らせていた。

 特にここは小田原だ。不審な牢人などあっという間に監視下か丁重に去ってもらっていることだろう。


「ふむ。では牢人以外ではどうだ?大悪人とはいかずとも公儀の足を引っ張ってくる程度の連中でもいい」

 下男は少し考えるがやはり首をひねる。

「うーん、ちょっと思いつかないですね。『小田原住み』の奴らだってそこまではしないでしょうし……」

「ん?『小田原住み』とは?」

 不意に現れた聞きなれぬ単語。十兵衛が訊き返すと下男はあぁと言って説明をした。

「あぁ。『小田原住み』とはここ小田原に来てから石見守様の家臣となった者のことです。殿はここ小田原以前に上野や遠州にいたことがありましたが、その頃より殿に仕えている者に対して小田原に来てから殿が召し出した者、小田原在住だった者を『小田原住み』と呼んでおります。家臣としては新参者ですが地元の連中ですからね。半端に顔が効く分デカい顔をしている面倒な連中ですよ」

「ほぉ。ちなみに良兼様はどちらの方で?」

「殿は古参の方ですね。父君の代の頃より石見守様にお付きになっておりました」

 下男は少々自慢げに答えた。暗に自身の主君が長く仕えているという忠臣の自負があるのだろう。それ故にぽっと出の地元の者が顔を効かせるのをよく思わない気持ちもわからないではない。

 だがそれでもその『小田原住み』とやらが辻斬りほどの凶行を行うかと訊けば、それはさすがに下男も首を振る。

「そりゃああの方らは地元の風習だとか自分の方が顔が効くとかでしょっちゅう口を挟んできますが、それでも同じ御公儀同じ家臣ですからね。むしろ地元愛とでも言うんですか?小田原で何かあったときに真っ先に飛び出していくのはあいつらの方ですよ」

「つまり小田原を危険に晒したりはしないと?」

「さすがにそこまで下郎じゃないでしょうよ」


 国替え・転封てんぽうの多かったこの時代、古参と新参の家臣が反目ないし一種の縄張り争いを行うことは珍しいことではなかった。だが実際にそれが国を二分するまでに至った例は数えるほどしかない。結局現場では鞘当て程度の憂さ晴らしと妥協によって緩やかな均衡が保たれていた。下男の言いぶりにもその不思議な信頼感とでも言おうか、独特の距離感を感じた。

「言うほど仲が悪いというわけでもないようですね?」

「……そりゃあ嫌な相手でも毎日顔を合わせればそれなりの間柄にはなりますよ。殿だって平時は色々と言いはしてますが役儀となれば分別なく協力してます。ただ……ここ最近は何故かギクシャクしてますね。大っぴらではないですが互いが互いを見張っているような、そんな息が詰まる空気が漂ってますね」

 その原因は言うまでもなくこの小田原を包み込む異質な雰囲気がためだろう。それ自体を彼らが見ることはできないが、その雰囲気は確実に彼らの日常を蝕んでいる。

 あの辻斬りの気配もそれによるものなのだろうか?感じ取れるほどの突発的な破壊衝動。だとすればもうあまり猶予はなさそうだ。早く原因を見つけ出しこの小田原を覆う雰囲気を掻き消さなければ。そのために今十兵衛がしなければいけないことは……。


 と、ここで十兵衛はふとひらめく。

「ちょっと尋ねるが、他の家臣が『小田原住み』かどうかはわかるか?そう、例えば……陰陽術師の黒田重信殿などはどうだ?」

 急に重信の名前が出てきたことに下男は不思議がったがそれでも答えてくれた。

「重信様ですか?あの方なら『小田原住み』ですよ」

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