柳十兵衛 小田原を調べる 2

 又三郎を見送ると十兵衛も手早く着替えを済ませて町に出た。小田原を包む雰囲気を肌で感じて調べてみたかったからだ。先入観なく小田原を見て回りたいというのはあながち嘘でもなかった。

 暇な下級武士を装って一人市中を歩く十兵衛。サイカチの防風林が植えられた通りから海岸線に沿って適当に歩いてみたのだが、通り数本歩いただけで改めてこの雰囲気の異常さを感じることができた。


(しかしまぁ本当に不思議な雰囲気だ。小田原の人や又三郎が感じないということは怪異なんだろうが、原因の見当がまるでつかない)

 怪異改め方に就く際にいろいろと勉強した十兵衛であったがそれでもこの雰囲気は特異な点が多い。

 まず特筆すべきなのは異様な雰囲気の均一性だろう。こういった事象は原因付近が最も気配が濃く、そこから距離が離れるにつれて薄くなるものである。しかし今の小田原には明確なそれが見えない。広く浅く小田原全体を覆っているのだ。もちろん濃淡のムラ自体はあるのだがそれが時間や移動による拡散のそれと判別がつかない。それはつまり気配の濃淡差で出所・原因を探ることができないということだ。

 範囲も異質であった。小田原内ならどこでも――武家屋敷通りから店の多い大通り、町人の住む長屋だけでなく小田原城内にまで気配が蔓延している。一方で小田原外ではその気配はほとんど感じ取れなかった。それはつまりこの原因は小田原内ならどこにでも存在しているが、小田原外だとほとんど存在していないことを意味している。原因に土着性があるのか?それとも強力な術式で無理矢理とどめているのか?あるいは単に今が拡散が始まる直前なだけなのか?

 この手の狂気は原因を取り除けば勝手に霧散するものであるが、その原因そのものの見当がつかなければ対処のしようもない。十兵衛はこんがらがる頭を力任せに掻いた。


 考えがまとまらぬまましばらく歩いた十兵衛は一度落ち着くために海岸沿いの小高い丘に立った。魚見かあるいは防災のための丘だろうか頂上からは相模湾が一望できた。湾内では幾隻かの小舟が網を打っていた。

(舟か……江戸のと似ているな……)

 もともと江戸の漁体系は駿河湾や相模湾のそれを参考にしていたため似ているのは当然であったのだが、そうとは知らない十兵衛は単に江戸との類似点から懐かしさのようなものを感じ取っていた。

(変わらない、か……そうだ、変わらないんだ。落ち着いて考えれば何かしらの形は見えてくるものだ……!)

 落ち着いた十兵衛は改め方の指導係の言葉を思い出した。

『三厳様。おそらくあなたはこれから先多くの怪異に出会うでしょう。しかし焦ることはありません。どんな異質なものでも、複雑そうなものでもその本質はきちんと分類できるものなのですから。五行か、あるいは陰陽か、あるいはそれ以外かもしれませんがともかく理解が及ばぬということはありません。もしわからなければそれは知識の問題か心の平静の問題です。よく学び、そして落ち着きなさい。それがあなたを導くでしょう』

 遅ればせながらも落ち着くことのできた十兵衛は改めて現在の状況と可能性を分析し始めた。無理に考える必要はない。無理に臆する必要もない。ただ流れに身を任せて要点を打て。

 十兵衛はふと父・宗矩の言葉を思い出した。

『影を見ず、本質を見抜け』

(まったく。俺もまだまだだな)

 苦笑する十兵衛。やはり剣でも思想でも父・宗矩はまだまだ先にいるようだ。

 やがて十兵衛はおぼろげながらも一つの可能性を見出した。


(一応思い付きはしたが、これであってるのか?)

 思いついた十兵衛自身も半信半疑な可能性。それはここ小田原で「ささやかな悪意が何度も大量に発生している」というものであった。

 順を追って説明しよう。十兵衛はまずここ小田原を覆う雰囲気の全体的な均一さに着目した。薄さと言ってもいい。本来気配はムラが生じるものなのだがここのそれは見分けにくいほどに濃淡差がなかった。十兵衛はこれをそもそも初めから放出された気配が少量だったと仮定した。原因である悪意がささやかであったために漏れ出る気配が少量であり、故に濃淡差が発生しにくく、故に出所がつかみにくかったのだろう。

 もちろんこの考えにも穴はある。少量だとすぐに霧散して現在のように狂気が広範囲に滞留しないからだ。それを補うための考えが「何度も大量に発生している」というものだ。

 短い期間内に複数の場所でささやかな悪意が発露させる。漏れ出た悪意は少量で広がりも薄いが、それがいくつも重なることで一つの大きな塊として観測される。これなら発生源が異なるためその原因を特定することが難しく、また時間経過による霧散が起こっても悪意が追加されれば一つの大きな塊は維持されているように見える。この考えなら小田原の現状の多くを説明することができた。それでもなお十兵衛の顔は固い。

(これでもまだはっきりしないことは多い……)

 この考えですら原因そのものについては推測すらできていない。一定の期間内に、複数個所で同系統の悪意を発生させる。しかも濃淡差がわからないほどのささやかな悪意だ。明確な悪意ではない。巨大な悪意でもない。言うなればちょっと「魔が差した」程度の悪意だ。そんなささやかな悪意を――一度や二度ではなく――何度も発生させることのできる原因があるのだろうか。少なくとも今の十兵衛は思いつかなかったようで、十兵衛は困ったように頭を掻きむしった。


 その時であった。唐突に十兵衛の背後から殺気を感じたのは。


「っ!?」

 慌てて振り向く十兵衛。その右手は刀の柄にまで及んでいる。しかし振り返った先に怪しい人影はなかった。

 正確には道には普通に日常を過ごしている町人しかいなかった。煙管をふかしていたり、子供をあやしていたり、夕食の支度をしていたり、世間話をしていたり、そんな平凡な人たちしかいなかった。しかし確かにあの一瞬この平穏な日常には似合わない、誰かを切ってしまいたいという狂人めいた殺気を感じ取った。

 あえて例えるなら辻斬りの狂気が近かった。しかしそれらしい報告は耳にしていないし、またこんな日の高いうちから狂気を出すとは考えにくい。十兵衛を狙った刺客?それにしてはあまりにも殺気が駄々洩れであった。では素人の突発的な凶行か?だがそれも残り香もなく殺気が消えたことが不可解だ。結局のところ何もわからないと言う他なかった。

「誰が、何の目的で……」

 苦々しく市井を見渡す十兵衛。その右手は未だ刀の柄に添えられていた。

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