柳生三厳 沢庵の調査を命じられる 2

 沢庵たくあん宗彭そうほう。御年五十を越える臨済宗の僧であり、その人柄や知識の深さから当代一の禅僧とも評されている人物である。彼の特筆すべき点は多々あるが、今回問題の起因となったのは彼が権力に流されるような人ではなかったという点、そして彼を慕う者が数多くいるという点であった。

 沢庵は一時大徳寺の首座にまで上り詰めていた人物である。大徳寺とは京でも一二を争う規模の寺院であり、その規模と歴史故に禅だけでなく茶の湯文化や建築、庭園文化といった古くからの日本文化にも深い関わりがあった。そんな寺の首座である。名声目当てに沢庵に弟子入りしようとする者は後を絶たなかった。その中には当時隆盛を極めた豊臣家の重鎮や皇族の姿もあったという。

 だが沢庵は自分はまだ修行中の身だと称し彼らの弟子入りや余分な贈り物をことごとく断った。その一方で気難しいというわけではなく、説法を説くこと自体や寺院修繕のための寄進等は素直に受け取ったという。自身の名利にこだわらず、あくまで一禅僧として真摯に振舞う姿勢。そこから説かれる説法はわかりやすくそれでいて真理を突いている。そんな沢庵に多くの者が魅了され友誼を結んでいた。

 三厳の父・宗矩もそんな沢庵の友人の一人で、その縁で三厳も沢庵との親交があった。

(そんな和尚もとうとう目を付けられてしまったか……)

『元大徳寺首座・沢庵宗彭に法度違反の疑いあり。謀反等の動きがないか至急かつ内々に調査せよ』

 江戸から届いた指令書には沢庵の身辺調査を行うようにと書かれていた。


(とうとうこの日が来てしまったか……)

 江戸からの指令に三厳は始めこそ驚いたが、ほどなくしてこれも仕方がないことだと納得もした。

 沢庵の権力におもねらない姿勢は徳川の時代になっても健在だった。それは現在の幕府の方針――公家諸法度や寺院諸法度といった法を用いて幕府以外の権力を制御しようとする方針に真っ向から対立していた。加えて沢庵の顔の広さである。各種寺社勢力はもちろんのこと、徳川と敵対しうる豊臣方の重鎮や有力公家たち、さらには徳川古参の中にすら彼を慕う者はいた。法による支配が通用しないだけでなくその人脈は多岐にわたり影響力も強いというのだから、江戸からすれば目の上のたんこぶと言う他ない厄介な存在だ。

 故にこんな日もいつか来るであろうと宗矩は警戒し、柳生庄へと発つ三厳に沢庵のことを気に掛けるようにと命じていた。そしてその日がとうとう来たというわけだ。

(しかしいつかは動きがあるとは思っていたが、なぜこの時期なんだ?江戸で何かあったのか?)

 書状内では紫衣事件についてまでは触れられていなかったが、その文脈から江戸側が焦っている様子が見て取れた。特に三厳が気になったのは次の一文であった。

『なお相手方には法力・陰陽術等に精通している者が控えている恐れあり。故にその道に通じた怪異改め方・柳十兵衛やなぎじゅうべえを遣わすこととする』

 書状の宛名は柳生三厳であったが、江戸が沢庵の調査に指名したのは怪異改め方の柳十兵衛の方であった。


 少々ややこしい話になるが『柳十兵衛』とは柳生三厳の両名りょうめいである。この両名とは簡単に言うと公的な立場を持った別名のことで、つまり『柳十兵衛』と『柳生三厳』は公的には別人ということになる。

 だがそれを考えると先の指令は少しおかしい。なぜなら『柳十兵衛』を送るということは『柳生三厳』が持つ公的な立場や権限を使うことができないということだからだ。

 『柳生三厳』なら柳生庄の領主にして将軍家の剣術指南役である宗矩の息子、あるいは将軍・家光の小姓といった並の武士なら平伏するような肩書きを使うことができる。対し『十兵衛』の怪異改め方は非公式な役職のため他者に対する権威は全くと言っていいほどない。またあやかしに対抗する力だって、(ややこしい話だが)体は三厳本人なのでその能力に変わりはない。

 にもかかわらず江戸の御公儀方はあくまで『柳十兵衛』として沢庵の元に行けと指示を出している。

(さて、これは江戸の気まぐれか。それとも何か裏があるのか……)

 何か言葉にできない嫌な感触を覚えた三厳は注意深くその一文を読み返す。

『なお相手方には法力・陰陽術等に精通している者が控えている恐れあり。故にその道に通じた怪異改め方・柳十兵衛を遣わすこととする』

 これは明らかに沢庵側が抵抗してくる可能性を示唆している。やはり三厳のあずかり知れぬところで江戸と寺社とで何かがあったようだ。故に万が一に備え法力や陰陽術に対処できる三厳にこの話が来たのだろう。

 しかしそれならばなおのこと『柳生三厳』が向かうべきではないだろうか?知られている名前で近づいた方が相手も間違って攻撃してくることもないだろうし、万が一何かが起こったとしても抗議もしやすいだろう。そういった利点を無視してなお『柳十兵衛』を送る理由とは……。

(あるいは江戸の本当の目的は……)

 三厳はそれらしい理由を幾つか思い浮かべる。しかしそのどれもが情報不足で確証を得られるほどではない。

(……やめておこう。情報の少ない今、無理に考えることもあるまい)

 三厳はこれ以上考えても無駄だと首を振り、他の部分に目を移した。


 このようにきな臭い指令書であったが三厳にとって都合のいい所もあった。それはこの調査に日時や期限の指定がなかったということだ。

 これはおそらく当時の交通状況や天候等を鑑みて、下手に期日を指定しない方がいいと江戸側が判断したのだろう。もちろん書かれていないとはいえいずれ報告する時は来る。だがそれはおそらく暖かくなって雪が融け交通が回復した頃――四月から五月頃になるはずだ。そしてその猶予はそのまま三厳が慎重に事を運ぶ猶予となった。

 三厳は書状を持ってきた平介に声をかけた。

「平介殿。書状の使い、誠ありがとうございました。ところで平介殿はすぐに伊賀に戻られるのでしょうか?余裕があるのならば少し頼みたいことがあるのですが……」

 これに平介は深く頭を下げた。

「あらかじめ主より三厳様の手足となるようにと言いつけられております。御用があるとおっしゃるならば何なりとお申し付けください」

「それは頼もしい。では早速明日にでも大坂の与六郎よろくろうの元に行ってほしいのです。ご存じですよね、与六郎のこと?」

 与六郎とは三厳の腹心とも言える伊賀の忍びの一人である。現在彼は大坂にて廻船問屋の鴻池山中屋と協力関係を結び、情報収集等の任務の指揮を執っていた。

「もちろんにございます。何なら今すぐにでも行けますがいかがなさいましょうか?」

「頼もしい申し出ですがまもなく日も暮れます。私も与六郎への手紙を書きたいため一日待ってもらえますか。とりあえず今日は部屋を用意させますのでゆっくりとお休みになってください」

 三厳は平介を一日待たせ、その間に与六郎への手紙をしたためる。こういった時のために用意していた情報網だ。存分に使わせてもらおう。

 翌日、手紙を持たせた平介を大坂へと走らせた。彼が戻ってきたのはそれから六日後のことであった。


「遅くなりまして申し訳ございません。こちらが与六郎様より預かってまいりました返書にございます」

 大坂より帰ってきた平介は数日前にしたように油紙で丁寧に包んだ書状を取り出し三厳に手渡した。開けば確かに見慣れた与六郎の筆跡である。

(さて、これで何かわかるといいのだが……)

 三厳が与六郎に求めた情報は大きく三つ――京一帯の雰囲気。朝廷や寺社の動き。そして沢庵周辺の情況であった。なお余計な先入観を与えないために与六郎には調査依頼のことは伏せておいた。

 これに対し与六郎は以下のように返答した。


・一つ。朝廷が何か大きな法度違反を行ったという噂があり、その噂の調査のために多くの人員が京に入ってきている。

・一つ。調査対象は朝廷だけではなく、僧侶や商人、武士や牢人らも御公儀に対する反抗の意思がないかを調べられている。

・一つ。これらの調査に対する反応は一様ではなく、朝廷や寺社内であっても江戸の意向を受け入れようとする恭順派と自らの権力を守るべきだとする強硬派で意見が割れている。


(やはり京は荒れているようだな)

 どうやら三厳の予想通り現在京周辺は政治的にかなり複雑な状況下にあるようだ。ただ報告によると意外にも沢庵周辺はそれほどでもないらしい。


・一つ。沢庵和尚は現在但馬たじま国・出石いずしの寺にて隠遁の日々を過ごしている。訪ねてくる者は少なく、特に雪が降るようになってからは人足はさらに遠のいた模様。


 但馬国・出石とは現・兵庫県北部の豊岡市出石付近を指す。ここは内陸部ではあるものの日本海側にあるため冬は大雪に見舞われることが多かった。調査の手がまだ伸びていないのはそのあたりが関係しているのかもしれない。

(あるいは俺の報告待ちか。どちらにせよ俺は腹芸は得意ではないからな。他の者がいないうちにさっさと調べてしまおうか)

 距離も大雪も三厳からしてみれば大した障害ではない。ならば他の者の手が回る前にさっさと沢庵に会って話を聞いた方がいいだろう。

 なお与六郎からの報告書には最後に次のような忠告も書かれていた。


・一つ。以上のように現在情勢が不安定なため、下手に動けば何かしらの疑念を向けられる恐れあり。しばらくは柳生庄に篭っていた方がよろしいと思われます。


 これに三厳は苦笑した。残念ながらこれからずっぽりと首を突っ込む予定である。

(まぁ与六郎には依頼のことは伏せていたから仕方がないか)

 こうして与六郎からの報告書を読み終えると三厳は下男を呼んで旅の仕度をしておくようにと命じた。また平介に対しては「もし再度江戸からの使者が来たら『万事順調』とだけ言うように」と言い含めてから伊賀へと返した。


 それから数日後の小春日和の日、三厳は旅仕度を済ませて屋敷の門の前にいた。

 見送りには源助ら下男たち、そして代官の頼元が来ていた。なおその頼元は数日前からずっと不機嫌そうな顔をしていた。柳生家に忠義厚い代官・頼元、彼としては三厳がまた里から離れるのが面白くないらしい。

「……どうしても行くというのですね、若様」

「し、仕方がないでしょう、江戸からの命令なのですから。それに確かにまだ雪は残っておりますが壊れた家屋の片付けなどは済ませましたし、もう私なんぞがいなくとも大丈夫でしょう」

 だが三厳がこう言うと頼元はさらに眉間にしわを寄せた。

「私なんぞとは何ですか!?三厳様が変わりなく里におられるだけでも里の皆は安心して暮らせるというものなのですよ!これはもう三厳様が里の平穏を守っていると言っても過言ではありますまい!」

 三厳は(いや、そこまでではないだろう)と思いつつも、それを言うとさらに厄介なことになりそうだったため口には出さなかった。

「わかりましたわかりました。ですが和尚は父の、そして私にとっても友人です。頼元殿もお知り合いでしょう。だからこそやはりここは私自ら調べに行かなければならないんです」

「……わかっておりますとも。殿(宗矩)もそのようにお考えになられるであろうことも。ですが里に三厳様が必要なのもまた事実。なるべく早く戻ってこられることを願っておりまするぞ」

「承知いたしました。ではそれまで里を頼みましたぞ、頼元殿」

 こうして三厳はぶすっとした顔の頼元らに見送られ里を出た。目的地は沢庵が暮らす但馬国・出石。そのためにまずは与六郎のいる大坂へと向かった。

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