柳生三厳 沢庵の調査を命じられる 3
沢庵の調査のために柳生庄を出た三厳。その最終的な目的地は現在で言う兵庫県・但馬国なのだが、その前にまずはちょっとした準備のために大坂へと向かう。
ルートは前回大坂に行った時と同じ道――柳生庄から大和国をほぼほぼ真西に横断し生駒山脈の峠を越えるルートである。標高の高い所ではまだ深く雪の積もったところもあったが笠置の山々で鍛えた三厳にとってはなんてことはない。
こうして三厳は柳生庄を出て二日で大坂城城下町へとたどり着いた。三厳の腹心とも言える忍び・与六郎は山中屋と協力関係を結んで以降ここ大坂で暮らしていた。
「ええと、確か与六郎が住んでいるのはこのあたりだったな……」
与六郎の仮宿は山中屋本店近くの裏長屋にあった。三厳がそこにたどり着いたのは昼過ぎの仕事盛りの頃だった。事前に来るということは伝えてなかったので在宅中かどうかはわからない。
(表の仕事に出ているかもしれないが……だがまぁいい、物は試しだ)
「与六郎。俺だ、三厳だ。いるか?」
三厳は何の変哲もない長屋の薄い戸を叩く。すると中から慌てるような物音が聞こえ、驚いた様子の与六郎が飛び出してきた。
「み、三厳様!?なぜこのようなところに!?」
「なに、ちょっと野暮用でな。それより今は仕事中か?寒いから中に入りたいのだが大丈夫か?」
「は、はぁ。そ、それは構いませぬが……」
唐突な訪問に困惑した様子の与六郎は流されるまま三厳を部屋に入れた。中に入った三厳は「ふむ」と部屋を見渡す。中はなんてことないごく普通のやもめ男の一室であった。少なくともこの部屋を見て与六郎が忍びであると見破る者はまずいないだろう。
「普通だな。表の顔は何になっているんだ?まさか馬鹿正直に忍びだと名乗ってはいないんだろ?」
「もちろんですとも。表向きは伊勢にある商家の名代ということになっております。……いや、そうではなくて!何故こんなところにいらっしゃるのですか!?よもや里の方で何かあったのですか!?」
「あぁすまない、心配させたな。安心しろ。火急の用ではない。実はだな……」
腰を下ろした三厳は与六郎にここに来た経緯――江戸からの沢庵調査指令のことについてざっと話をした。
「なるほど、とうとう和尚が目を付けられてしまったのですか……。それで先日和尚周りの情報をお求めになられたのですね。しかしそれならそうと言ってくださればよかったのに」
「悪い悪い。少々きな臭い指令だったからな。どう動くかは直前まで決めかねていたんだ」
「きな臭い?」
続けて三厳はこの指令に『柳十兵衛』が指名されていたことを説明した。公的な立場を持つ『三厳』ではなく公的にはどこの馬の骨とも知れない『十兵衛』をである。
このかすかながらも大きな違和感は与六郎にも伝わったようで、彼の眉間にも深刻そうにしわが寄る。
「確かにそれは何か裏がありそうですね……」
「だろう?だから極力人目につかぬようにしてここまで来たというわけだ。誰が面倒に繋がるかわからないからな」
「なるほど、わかりました……ですが三厳様ではなく十兵衛様をですか……」
与六郎は江戸からの指令内容に妙に引っかかっているようだった。
「なんだ?何か思い当たることでもあるのか?」
「いえ。思い当たると言うよりは……突拍子もない考えかもしれないのですが……」
「とりあえず言ってみればいい。何が解決の糸口になるかわからないからな」
「……そうですね。あくまで可能性としてお聞きください」
与六郎は少し言葉にするのを躊躇うようなそぶりを見せたのち、覚悟と心配がごちゃ混ぜになったかのような顔で進言してきた。
「あくまで可能性の話ですが……まさか江戸の方々は三厳様を捨て駒、あるいはトカゲのしっぽにでもするおつもりではないでしょうか?」
捨て駒。トカゲのしっぽ。いずれも言うまでもなく組織のために切り捨てられる者のことを指す。そして実は今『柳生三厳』という男はこの捨て駒にちょうどいい人材でもあった。
まず『柳生三厳』は将軍の小姓という立場故に並の武士ではその行動を制限することができない。三厳が適当に「上様からの書状を預かっている」とでも言えばおおよそどこにでも入り込め、仮に力づくで押しとどめようとしても三厳個人の戦力からそれも容易なことではないだろう。
対し『十兵衛』は公的には『三厳』ではない。それはつまり何が不都合が起こったとしても十兵衛一人を処罰すれば済む話で、その責が三厳の関係者である宗矩や忠勝、延いては家光に届くことはないだろう。
この都合のよさは今のような政治的に複雑な場面にこそ真価を発揮する。はっきりと言ってしまえば今の三厳は鉄砲玉――使い捨ての暗殺者にちょうどいい人材だということだ。
与六郎は三厳がそのように使われるのではないかと懸念した。あるいは以前から三厳がこのように使われることを恐れていたのかもしれない。だが当の三厳は首を振ってこの考えに賛同しなかった。
「実を言えばそれは俺も考えた。だが少なくとも今回はそういう意図はないと思っている」
「何か思い当たることでも?」
「確証があるわけではないのだが……江戸からの使者が伊賀の者に指令書を託したことは話したな?」
今回の指令書は途中積雪で身動きが取れなくなった江戸からの使者に代わり、伊賀の平介が三厳の元まで持ってきた。
「もし本当に暗殺目的なら齟齬など起きないように代理など使わないか、あるいは明確にその旨を伝えてきただろう。しかし今回はそれがなかった。それに手前味噌な話だが、隠居中の僧に使うほど俺は安く見積もられてはいないはずだ」
今の三厳は確かに鉄砲玉として優秀だ。だがその一方で将軍に信頼されていたりあやかしが見えたりと替えの利かない稀有な能力を持つ人材でもある。そんな人材を、たとえ政治的に影響力の高い相手だとはいえ現在隠居中の老僧に使うだろうか?
それに『十兵衛』の責任が『三厳』に届かないといってもそれはあくまで制度上の話であり、実際には間違いなくその責について追及されることとなるだろう。心情的にも納得してもらえるはずがない。つまりいくら机上では理想の暗殺者であるとはいえ、三厳ないし十兵衛を捨て駒の暗殺者にするという考えはやはり無理があるということだ。
「それはそうかもしれませんが……ですがだとしたら……」
「ああ。結局『では何故?』というところに戻ってくるだけだ」
むなしい思考の堂々巡りに二人は苦笑交じりのため息をついた。
そして三厳は話を変える。
「もうこの話はよそう。どうせ考えたって俺たちが海千山千の年寄様方のお考えを理解できるはずもないのだから。それよりもお前に頼みたいことがあってここまで来たんだ。もちろん協力してくれるよな?」
「何なりとお申し付けください」
「うむ。では和尚がいる
「出石への道案内ですか?」
「ああ。俺はあそこら辺の地理はさっぱりだからな。もちろん探せば京あたりから街道が伸びているであろうことはわかっている。だが有名な街道では誰の目があるかわかったもんじゃない。先も言った通りこの依頼がきな臭い以上、念には念を入れておきたいからな」
三厳からの頼みに与六郎は頭の中の人物帖を開く。
「……案内できそうな者に一人心当たりがあります。すぐに呼べると思いますが、三厳様は時間は大丈夫でしたか?」
「特に問題はない。強いて言うならまだ宿の手配をしてないくらいだが……」
「それはうちで構わないでしょう。では早速呼んでまいりますので少々お待ちください」
そう言って与六郎は三厳を残して長屋を出て行き、それから半刻と経たないうちに一人の男を連れて戻ってきた。与六郎はその男を但馬の地理に詳しい男・
「お待たせいたしました、三厳様。こちらが但馬まで案内をしてくれる引原時直という者です」
与六郎が連れてきたのは四十歳ほどの仏頂面の男であった。名前は引原時直。若干背は低いもののその体はどっしりと鍛えられており、愛想はよくなかったが与六郎の紹介には合わせて深く丁寧に頭を下げた。
「お初にお目にかかります。引原時直にございます。以後お見知りおきを」
「柳生三厳だ。時直殿も伊賀の者か?どうも見た覚えがないのだが……」
これに時直は首を振る。
「いえ、某は伊賀の者ではございません。仕える主がいないという意味では牢人と称するのが適当でしょう。ただ幸いにも若い頃に幾つか伝手を作りまして、その縁で時折与六郎殿を始めとした伊賀の方々から仕事を貰っております」
ちらと与六郎を見れば頷いたので彼の言うことに間違いはないのだろう。
(しかしそうだとするとこの時直とかいう男、なかなかの実力者なのかもな)
あの与六郎が伊賀の身内でないにもかかわらず三厳に推薦したのだ。その能力は期待してもいいだろう。
「わかった、よろしく頼む。それで話はどこまで聞いている?」
「三厳様が但馬・出石までの案内役を探しているということ。そしてその際あまり目立たぬように参られたいということだけです」
「うむ、ひとまずはそれで十分だろう。では早速訊くが目立たぬように但馬に行くにはどの道を通ればいいんだ?」
三厳からの問いかけ。これに時直は焦らず一呼吸間を置き、逆に質問の許可を求めてきた。
「それを答える前にこちらから幾つか質問をしても構わないでしょうか?前提条件が変わればお返しする答えも変わるやもしれませぬ」
これに三厳は(ほう)と感嘆する。この場面で身分の高い三厳からの質問にすぐに答えず逆に質問をしてくるあたり、かなり場数を踏んでいることが伺える。
(このくらい慎重さがあるからこそ与六郎も信頼しているのだろうな)
三厳は素直に時直のやり方に任せることにした。
「ああ、わかった。答えられる範囲で答えよう。その代わりしっかりと道を選んでくれよ」
「はっ」
時直は仏頂面のまま丁寧に頭を下げた。
「では失礼ながら尋ねさせていただきますが、三厳様は本当に今の時期に出石に向かわなければならないのですか?しばらく待つというのはできないでしょうか?」
時直の最初の質問はいきなり今の時期に出石に行く意味があるのかを確認するものだった。案内そのものを放棄するかのような大胆な質問に三厳は思わず半笑いになりながら答えた。
「無論だが、何かマズイことでもあるのか?」
「マズイと申しましょうか、あのあたりは豪雪地帯です。雪が残っているのはもちろんのこと山にいるときに吹雪けば命の危険に晒されることでしょう。私のお役目が三厳様を安全に出石にお送りすることだというのなら、今この時期の出立を止めることこそ第一であると考えております」
これに三厳は(なるほど、与六郎も信頼して紹介するわけだ)と笑った。
「なるほど、安全に案内する役目だからこそ向かうこと自体を止めるということか。くくく。悪くない。『引く』という選択を提示できるということは悪いことではないぞ」
「では……」
「だがすまないな。私はどうしても出石に行かなければならないんだ。それも余計な第三者が現れるよりも早くな」
江戸の御公儀が沢庵という大僧侶の調査を三厳一人に任せているとは考えにくい。おそらく別経由で調査を依頼された者もいることだろう。しかし江戸の本心がまだはっきりとしていない今、そんな彼らと鉢合わせするのはできれば避けたいことである。
また沢庵は父の友人であり三厳にとっても親交のある人物である。その沢庵の身に何か起こっているというのなら助けになってやりたい。そして助けとなるためにはやはり他の調査員がやってくる前に沢庵と接触する必要があった。
「冬山が危険だということは重々承知している。しかしそれでもなお俺は行かなければならないのだ」
「……承知いたしました。少々お待ちください」
時直はしばし考えてから一つの答えを出した。
「……今回の件、
「姫路?姫路城があるあの播磨の姫路か?」
「左様でございます。与六郎殿、紙を一枚いただいても?」
与六郎から紙を受け取った時直はさらさらと但馬国と播磨国、現在で言う兵庫県を中心とした簡単な地図を描いた。
そしてそこの南北にバツ印を一つずつ、最後にその二つのバツ印をつなぐように縦線を書き加える。
「上の印が出石の近くにある
「ほう、あのあたりに街道があったのか」
「ええ。
あまりこの地域に詳しくない三厳であったが『生野』という地名にはかすかながら聞き覚えがあった。
「生野……生野……何だったかな。聞いた覚えはあるのだが……」
「銀山で有名な所です。街道も元はこの銀山に向かうために整備された古くからある道でした。特に最近は銀の出がいいらしく、それに伴い整備もされてより歩きやすくなったと聞いております」
「ああ、あの銀山、ここにあったのか」
三厳らが話していたのは現代でも名前が残っている生野銀山のことである。ここは平安時代初期から採掘が行われている日本でも有数の銀山で、特に今の家光時代に銀産出の最盛期を迎えていた。この生野銀山にアクセスするように南北に走る街道、それが但馬街道であった。
「この但馬街道は南は姫路、北は但馬北端の竹野にまでつながっております。その少し手前に豊岡という町があり、そのさらに南東に三厳様の目的地である出石がございます」
「なるほど、悪くないな。時間はどれくらいかかりそうだ?」
「天候次第ですのでそこは何とも。歩きやすい時期ならば早ければ三日で踏破できますが、積雪具合によっては歩くことすらままならず最悪数日立往生をくらうこともあるでしょう。ただここ以外の道でも何かしらの雪山越えは行いますので本質的に遅れるということはないと思われます」
そう言うと時直は地図に他の道も何本か描き足した。そのどれもが途中で一つか二つほど峠を経由していた。
「どこを選んでも雪山越えは変わらぬということか……」
その後三厳は幾つか気になったところを質問したが、結果は時直の案が最も妥当であるということを裏付けするばかりであった。
「なるほど、やはりこれが最善か。よしわかった。時直殿の提案通り出石には姫路から北上することにしよう。与六郎、姫路までの船の手配を頼めるか?」
「無論です……が、出立は何時にいたしましょうか?三厳様は山中屋の方々にご挨拶などされておきますか?」
「いや、どこから情報が漏れるかわからない以上無理に会うのはよしたほうがいいだろう。出立に関しては俺はいつでも構わない。時直殿の都合に合わせてくれ」
「私も特に用事などはございません。三厳様の都合通りに、それこそ明日の朝一でも構いません」
「ならば明日にしようか。与六郎、頼めるか?」
「お任せください。朝一で乗船できるかはわかりませぬが、できる限り早い時間に乗れるように手配してまいります」
そう言うと与六郎は早速部屋を出て港の方に駆けて行った。部屋には三厳と時直が残った。
「……ふぅ。これでどうにか出石までの目途が立ったというわけか。いやぁそれにしても時直殿、さすが与六郎が紹介しただけのことはありますな。素晴らしい知見でした。感服いたしましたぞ」
「ありがたきお言葉にございます」
時直は仏頂面をほんの少しだけほころばせ、そして深く丁寧に頭を下げた。
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