柳十兵衛 出石へと向かう 1

 案内人の当てができた翌日の早朝、三厳、与六郎、そして時直の三人は大坂湾を望む波止場へと来ていた。目的は姫路までの船である。今回の目的地は但馬国北部の出石という村――そこに向かうために一度海路で姫路まで行き、そこから時直の案内で但馬街道を北に進むというのが今回のルートであった。

 その船の手配を与六郎に任せた結果、与六郎は朝一で出航できる船を見繕ってくれた。それに合わせて波止場へとやってきた三厳たちであったが、冬の早朝にもかかわらず波止場は荷物を積み下ろしする人足たちの怒声でにぎわっていた。

「おぉい!早く積み込め!」

「足元暗いから気を付けろよ!」

「こっちだ、こっち。遅れるな!」

 慌ただしい朝の波止場。三厳らは彼らの邪魔にならないように道の端をそろそろと進んでいく。

「この寒い中、すごい活気だな……」

「寒いからこそああやって大げさに動いてるんですよ。それに朝一の出港さえ終えてしまえばあとは比較的楽ですからね。ある意味今が一番活気がある時間帯なんです」

「なるほど、そういうものなのか……」

 三厳はぼんやりと応えながら袖の中でかじかんだ手を揉んだ。


 波止場には様々な問屋の集積所や休憩所が並んでいた。伊勢屋。加賀屋。兵庫屋。佃屋……。その中にはもちろん山中屋の屋号もある。だが三厳らは今回その山中屋の集積所前を通り過ぎた。実は今回乗る船は山中屋の用意したそれではなかった。手配をした与六郎曰く、ちょうど折悪く山中屋に姫路まで行く予定の船がなく別の店に応援を頼んだそうだ。

「それで今回代わりに世話になるのは何て店なんだ?」

吹田ふきた屋という店です。山中屋と比べれば規模は小さいですがいろいろと融通の利く問屋です」

 三厳は少しばかり記憶を探るが聞いたことのない店であった。

「初耳だな。いつ頃から付き合うようになった?」

「一月ほど前にちょっと縁ができましてね。それ以降小さな貸し借りをし合うような仲になっております。ただ深い関係ではありませんので――例えば向こうは私が忍びであることなんぞは知らないため、わざわざそちらに報告するほどのことではないと判断いたしました」

「なるほど。まぁこっちでの活動はお前に任せているから好きにするといい」

 伊賀の忍びによる大坂での情報網。その管理については現在与六郎に一任されている。なので文句はないのだが、しかし気になるところがないわけでもない。

「だが山中屋の方はこのことを知っているのか?言ってしまえば競合相手になるのだろう?」

 与六郎が情報網を広げることに異論はない。だがそれで山中屋との関係が悪化してしまえばそれは本末転倒だ。これに与六郎はそれも大丈夫だと自信を持って返した。

「問題ありません。私たちと山中屋との関係はあくまで互いに無理のない範囲で情報をやり取りすることです。今回のように都合が合わなければ別の協力者を探す。それは向こうも承知済みです」

「ほう。意外と淡白な付き合いをしているのだな」

「このくらいが互いにボロが出なくてちょうどいいんですよ。それに向こうは今を時めく商家。無理難題を言われて困るのはこちらの方なのですから」

 山中屋の顧客には大坂城の高官や有力な大名などもいる。彼らと真っ向から争ってもこちらに勝つ見込みなど露ほどもない。だからこそ自分たちは細く長い付き合いを目指すべきなのだと与六郎は語る。

「幸い山中屋は余計なしがらみのない情報の価値をわかってますからね。いいお付き合いをさせてもらってます」

(ふむ。与六郎もいろいろと考えているのだな)

 そんな会話をしながら波止場を進んでいた三厳たちは、やがてある店の荷下ろし場へとたどり着いた。山中屋ではない、見覚えのない問屋の荷下ろし場であったが与六郎は見知った様子でそこにいた一人の男に声をかけた。


吉春よしはる殿、おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」

 話しかけられた男――いかにも海の男という格好をした吉春と呼ばれた男は与六郎に気付いて白い歯を二ッと見せた。

「おや与六郎殿、お早いですな。こっちの準備はもう間もなく終わりますぞ」

「いやぁすいませんね、急な話で」

「なに、気にすることはない。持ちつ持たれつってやつですよ。……それでそちらが昨日言ってた客人さんかな?」

 吉春と呼ばれた男は与六郎の後ろに控えていた三厳たちに目を向ける。

「ええ。乗せてほしいのはこちらの二人です。詳しくは申せませんが身分は私が保証します」

「ふぅん……まぁ貰うもんは貰いましたし文句は言いませんよ。では『お侍さん』方、ついてきてください」

 そう言うと吉春は歩き出し、与六郎も目で彼についていくのだと合図を出した。その道すがら与六郎はこの吉春という男について語ってくれた。

「今回乗せてもらう船の船頭、吹田屋の吉春殿です」

「船頭……あれがお前が言っていた『縁のできた者』か?」

「はい、その一人です。仕事に関しても信頼に足る相手です。ただ向こうは私が忍びということも三厳様の御身分も存じておりませんので、そこのところはご注意ください」

 三厳はわかったと頷くと一歩後ろを歩く時直に振り返り小声で話しかけた。

「時直殿。面倒をおかけしますが、これより俺のことは『十兵衛』と呼んでもらえますかな?」

「『十兵衛』様ですね。承知いたしました」

 怪異改め方・柳十兵衛。どうせいつかは名乗る名前だ。ここから切り替えてもいいだろう。

 こうして三厳改め十兵衛がささやかな準備を終えた頃、前を歩いていた吉春が大坂湾に浮かぶ一艘の船を指差した。

「あれがこれから姫路へと向かう船となります」

「ほう、あれが……」

 それはこの時代では中型船規模の弁才船であった。積載量は百石ほど。中央には立派な帆柱が立ち、船上には屈強な櫓掻きたちの姿が見える。なるほどこれなら一日で姫路まで行くことも可能だろう。

 そうして船を眺めていると吉春の部下らしき男が近付き声をかけてきた。

「頭。荷物の積み込みは終わりました。もう何時でも出られます」

「ほう、思ってたよりも早かったな。よし、じゃあお前らは先に船に行ってろ。こっちはまだ野暮用がある」

 吉春は部下を船に送ると与六郎へと向き直った。

「それじゃあ与六郎殿、最後に改めて契約の確認をさせてもらいますよ。依頼はそちらの二人を播磨・姫路まで届ければいいんですよね?」

「はい。金は先に払った分が前金で、残りはこちらに戻ってきたときにお支払いいたします」

「承知。ただし航海中も含め面倒事までは引き受けない。それでよろしかったですな?」

「問題ありません。ではよろしくお願いいたします」

 こうして改めて契約は成立――十兵衛と時直は小舟に乗って吹田屋の船へと乗船した。

 船に乗り込むと事情を知っていたのだろう、船員の一人が十兵衛たちに「こっちに来い」とついてくるように促す。言われるまま案内されたのは貨物が詰め込まれた船倉で、船員曰く航海中はここにいるようにとのことだった。

「お前たちの場所はここだ。わかっているとは思うが航海中は極力ここから動くなよ。変な動きをしたら切り捨てても構わないことになっているからな」

「承知した。……さすがに小便なんかの時は動いても構わないよな?」

「……当然だ。まぁその時は近くの船員に声をかけてくれ。誤解してあんたたちを切りたくないし、あんたたちも誤解で切られたくはないだろう?」

「道理だな」

 十兵衛と時直は素直に積み込まれた麻袋の山の陰に腰を下ろした。麻袋は少々魚くさかったが文句を言える立場ではない。

 そうしてしばらく待っていると甲板から先の吉春の声が聞こえてきた。

「出航だぁ!」

 早朝の大坂湾にて十兵衛たちの乗る廻船がゆっくりと動き出した。

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