柳生三厳 沢庵の調査を命じられる 1

 利勝らの会合からやや時が過ぎた二月下旬の某日。この日の柳生庄は一面深い雪に覆われていた。それは雪化粧なんて生易しいものではない、外に出ることすらままならないほどの積雪である。故にどの家も固く戸を閉めており、里は時が止まったかのようにしんと静まり返っていた。

 そんな一面銀世界の中を歩く二つの影があった。一人はこの地の領主の息子である柳生三厳であり、もう一人はその下男の源助げんすけという男である。二人は笠や蓑といった防寒装備を身にまとい、現代で言うラッセルのように交互に足元を固めながら雪に覆われた里を進んでいた。しばらく無言で進んでいた彼らはやがて一軒の家にたどり着く。三厳はふぅと大きく息を吐いてからその戸を叩いて中に声をかけた。

「杉次郎、いるか?私だ、三厳だ」

 三厳が声をかけると慌てるように戸は開かれ中から驚いた顔の初老の男性が顔をのぞかせた。

「み、三厳様!?なぜこのようなところに!?何かあったのですか!?」

「何かというかこの大雪だからな、何もないか各家を見て回っているのだ。どうだ息災ないか?」

「あぁなんと三厳様自ら……!はい、私どもは幸い怪我無く過ごせております。蓄えの方も問題ありません」

「うむ、無事ならいい。邪魔したな。では俺は次の家に行くから何かあったら遠慮なく言うのだぞ」

「はい!三厳様もお気をつけて!」

 戸を開け放ったまま見送ろうとする杉次郎に(寒いだろうからさっさと戸を閉めろ)と手で示して三厳はその場を後にする。戻ると源助は早くも次の家に向けて雪を固めて道を作っていた。

「杉次郎のところは問題なかった。次は誰の家だ?」

「弥彦にございます。あそこは独り身ですからね。怪我などしていたら大変でしょう」

「うむ。皆無事だといいのだが……」

 三厳はまだ無事を確認していない村人たちを思いつつ、白い息を吐きながら雪をかき分け進んでいった。


 三厳らの雪中行軍――そのきっかけは数日前に柳生庄を襲った今季最大の寒波であった。それにより里には一晩で腰丈ほども雪が積もり、幾つかの家屋を押し潰し麓へとつながる道も閉ざされてしまった。人的被害こそ出なかったものの村人は皆固く戸を閉め陰鬱な空気が里全体を包み込んだ。

 元より柳生庄は標高の高い所にある。厳寒期にこのような被害が出ることも珍しい方ではない。三厳も幼少期は柳生庄にいたためそれは知っていた。知ってはいたがある程度大人になり領主の息子という自覚もある今、その被害を目の当たりにして彼は当時とは全く違う感情を抱くこととなった。

「何か俺にできることはないだろうか……」

 一夜にして静まり返った里を見て居ても立ってもいられなくなった三厳は、宗矩の代わりに里を収めている代官の小沢頼元よりもとに相談した。

「頼元殿。此度の雪害、私に何かできることはありませぬか?」

「おお!若様からそのようなお言葉が聞けるとは、ご立派になられてそれがしは嬉しい限りにございます!」

 柳生家に忠義厚い頼元は三厳の想いに感涙するが今はそういう話がしたいのではない。

「……そういうのはいいから、とにかくできることはないのか?力仕事でも何でも構わないぞ」

「うぅむ……そのお心にお応えしたいのは山々なのですが幸いにも人の方に被害は出てませんし、壊れた小屋ももう使われていない古いものばかりでしたし……。そうだ!若様自ら里の家々を訪ねて行って問題ないか訊いて回るというのはいかがでしょうか?」

「直接訪ねるのか?それだけでいいのか?」

「それだけでも十分なのですよ。稀にあることとはいえこれほどの積雪、皆外に出られずに不安を抱えていることでしょう。そんな中領主の一族である若様が気に掛けてくださっていると知るだけでもだいぶ心は楽になるというものです」

「なるほど、そういうものか。そうだな。私も皆が無事か気になるし、少し行ってみようかな」

「何か不足しているものがあればすぐにおっしゃってください。食料や燃料といった備蓄の具合は私の方で工面しておきますので」

「うむ、任せたぞ」

 こうして三厳は頼元の薦めに従い下男一人を連れて里を回ることにして今に至るというわけだった。


「ふぅ。ようやく最後か……」

 雪積もる里をぐるりと見て回った三厳と源助。最後の家は柳生庄の北の外れ、少しばかり高台となっているところにポツンと一軒建つ家であった。三厳らは斜面で滑らないように気を付けながら進み、最後の家の戸を叩く。

猫婆ねこばあ、いるか?三厳だ」

 三厳が戸を叩き声をかけると中からややしわがれた声で「いるよ。入っといで」と返ってきた。三厳と源助は頷き合い、言われた通り戸を開けて中に入った。

 中に入るとまず目についたのは猫だった。それも一匹や二匹ではない。六畳ほどの小屋の中に十匹以上、棚の上や駕籠の陰に三厳らが来たことなど気にも留めない様子で丸まっている。そして部屋の中央、小さな角火鉢のそばにはこの家の主である猫の顔をした老婆――通称・猫婆がいた。この『猫の顔をした』とは比喩表現ではなく、彼女は本当に猫の顔をしているのである。猫婆は俗に猫又と呼ばれるあやかしの老婆であった。猫婆は三厳を見るとそのしわの多い顔でにやりと笑った。

「久しいねぇ、七坊しちぼう。里に帰ってきたとき以来じゃないか」

 『七坊』とは三厳の幼名・七郎にあやかった呼び名だ。子供扱いではあったがこの猫婆は百をゆうに超える高齢で、宗矩ですら『新坊』と呼ぶほどだったため三厳も特に咎めようとはしなかった。

「相変わらず猫のたまり場だな、猫婆。食い物とかは足りているのか?」

「外がこんなんだからねぇ、みんな集まってきちまうのさ。餌に関しては問題ないよ。こいつらも私がそれほど甘くないってことをわかっている。腹が減ったら勝手に外に出て何か狩ってくるさ。それよりも冷えただろう。ほれ、お前たち、場所を開けな」

 猫婆が声をかけると火鉢周りにいた猫たちが若干不満気ににゃあと鳴いてから三厳たちのために場所を開けた。猫たちに譲られた場所に座った三厳たちは小さな火鉢に手をかざす。いつの間にか芯まで冷えていたその手はじんわりと温められ、そして少しかゆくなった。

「はぁ……あったまる……」

「そりゃあそうだろう。こんな雪の中で一軒一軒回って行ったんだ。若いからってあまり過信するものではないよ」

「知っていたのか」

「そういう耳だからね。まったく、あの代官も無茶をさせる。七坊も素直に聞くんだから危なっかしい」

「む、案を出したのは頼元殿だが俺も納得して賛同したんだ。あまり悪しく言わないでやってくれ」

 三厳がそう言うと猫婆はやれやれとでも言いたげな表情を見せた。

「気付いてなかったのかい、七坊。これはあんたを持ち上げるためのあの代官の策だよ」

「持ち上げる?どういうことだ?」

「あの代官はあんたに――というよりは里の皆に七坊を敬ってほしいと思っているんだよ。なにせ主の息子なんだからね。なのに七坊は里のお役目は代官に任せっきりだし、屋敷を留守にすることも多いときたもんだ」

「うぅ、それは……」

 三厳は領主・宗矩の息子であるが実務の方は経験豊富な頼元に一任していた。また猫婆の言う通り帰ってきてからも大坂に行ったり船に乗ったりと里を留守にすることも多かった。確かにこれでは村人目線では頼りがいのある領主には見えないだろう。そしてそれを柳生家に忠を尽くす頼元が気に掛かけていたようだ。

「あの代官も今時珍しくよく忠を尽くす奴だ。大事にしてやんなよ」

「覚えておくさ……」

「ふふふ。……さて七坊、もう十分あったまっただろう。ならそろそろ屋敷に戻った方がいいよ。あんたに客が来るはずだ」

「客?こんな雪の中、誰が来るというんだ?」

「ははは。生き急いでいる馬鹿は雪だろうと嵐だろうとやってくるものさ。ともかく客は来るよ。どんな目的かまではわからないがね」

 そう言うと猫婆は自分の隣で寝ている猫をやさしく撫でた。それを受けて三厳は立ち上がる。こういった時の猫婆の忠告はまず間違いないからだ。

「わかった。すぐに戻るとしよう。頼元殿への報告は任せていいか、源助?」

「お任せください」

「よし。それじゃあ猫婆、何かあったら遠慮なく言ってくれよ」

「はいはい。七坊も無理をするんじゃないよ」

 こうして三厳らは無数の猫に見送られながら猫婆の家を後にした。


 源助を頼元の屋敷に送り一人屋敷へと戻った三厳は残っていた別の下男に客は来ていないかを確認した。

「俺が出ている間に誰か訪ねてきた者はいるか?」

 これに下男は首を振る。

「訪ねてきた人ですか?まさか、この雪ですよ」

「それはそうなのだが、一応門の方に注意を払っておいてくれ」

「はあ。承知いたしました」

 不可解そうながらも頷く下男。

(まぁこの雪ではそうもなろう。だが猫婆の助言が外れたことはないからな。故におそらくもうそろそろ……)

 三厳がそう思ったあたりで屋敷の門がドンドンと叩かれた。これに待機していた下男が対応し、少ししてから三厳のもとにやってきた。

「若様。伊賀の佐小次郎さこじろう殿の使いと名乗るお方が訪ねてまいりました。客人は『これを見せればわかるはずだ』とも……」

 伊賀の佐小次郎とは柳生家が懇意にしている伊賀の忍びの一人である。加えて下男が報告とともに持ってきたのは一個の古い根付であった。それはつぶれた六角柱のような外観をしており表面には幾つかの梵字が彫られている。三厳はこれに見覚えがあった。

「これは……確かに佐小次郎殿のものだ。よし、すぐに客を奥座敷へと通してくれ。……いや、先に体を温めてやった方がいいか?おい、この火鉢を奥座敷へと運んでおけ。それと湯や代わりの蓑なども用意しておくように」

「はっ」

 こうして指示を出したのち、三厳は少し待ってから佐小次郎の使いとやらが待つ奥座敷へと向かった。


 三厳が奥座敷に向かうとそこには一人の男が待っていた。見た目は三厳よりも数歳年上のようで、その顔に覚えはなかったが向こうは知っているのか三厳の顔を見るなりほっと安心したかのような表情を見せた。

「お待たせいたしました。柳生三厳にございます。聞けば佐小次郎殿の使いだそうで」

 これに男は丁寧に頭を下げる。

「お初にお目にかかります、三厳様。某は伊賀の佐小次郎の使いとして参りました、平介ひらすけと申します。此度は急な来訪にも関わらず手厚くもてなしいただき感謝の限りにございます」

「お気になさらないでください、平介殿。それよりもこの雪の中での急な来訪。何かあったのですか?」

「そのことですが、此度某は江戸からの書状を預かってまいりました。」

「江戸からの?一体どういうことですか?」

「はい。それはですね……」

 平介の話はこうだった。まず江戸から三厳への使者が出たという。その使者は何かしらの書状を携えて柳生庄へと向かっていたそうだ。

 ところが今は冬の盛りである。標高の高い所では積雪で通行不可になっているところも少なくなく、その使者も鈴鹿山脈を越える手前で立ち往生をくらってしまった。こうなるともう選択肢は雪解けを待つか、通れるところを探して遠回りをするか、あるいは海路を行くくらいしかない。

「ですがどうもその書状は急ぎのものだったらしく、使いのお方は悩んだのち身銭を切って伊賀の忍びにこの書状を託したとのことです」

「なるほど。それで選ばれたのが佐小次郎殿であり平介殿だったと」

「左様でございます。そしてこちらがその書状にございます」

 平介は油紙で丁寧に包んだ書状を懐から取り出し三厳に差し出した。開けばなるほど、三厳も何度か見たことのある上等な紙を使った江戸からの指令の書状であった。

「ちなみに平介殿らは中身の方は御存じで?」

「いえ、某は存じません。ただ主・佐小次郎様は使いのお方より内容をお聞きしたと聞いております」

「なるほど」

(では言うほど切羽詰まった指令ではないということか?まぁそれも確認すれば済むことか)

「では改めさせてもらいます」

 三厳はごくりと唾を呑み書状を開き、そしてそこに書いてある指令を見て驚愕した。

「……これは、何ということだ!?」

「いかがなされましたか、三厳様」

「……すみませんが聞かないでくれますか。これは言えるようなことではありませんので」

「申し訳ございません。浅慮でした」

 平介を嗜めたのち三厳は改めて書かれている指令を黙読する。何度読んでも変わらぬ内容に三厳も観念したかのように溜息をついた。

(とうとうこの日が来てしまったか)

 書状には以下のように書かれていた。

『元大徳寺首座・沢庵たくあん宗彭そうほうに法度違反の疑いあり。謀反等の動きがないか至急かつ内々に調査せよ』

 三厳の知人でもある沢庵和尚の身辺調査――それが江戸から三厳に言い渡された指令であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る