木嶋弥彦郎 柳生庄へと向かう 2

 坂崎家残党の一人だった木嶋弥彦郎は、将来性のない残党集団を見限り、彼らの情報を幕府側に売ることで保身を図ろうとしていた。

 そして寛永四年十二月。弥彦郎は大坂の知人に会いに行くと言って隠れ家を出て柳生庄に向かう。だが折悪く三厳が不在だったため思うような交渉ができずに終わり、彼はそのまま仕方なく隠れ住んでいる村に戻る。

 そんな彼を待っていたのは残党たちの頭領格の男・箕輪みのわ孝蔵こうぞうという男であった。彼は弥彦郎の外出に何か不審なものを感じ取ったのだろう、弥彦郎が戻るやさっそく部屋にやってきて「どこに行っていたのだ?」と尋ねてきた。


 箕輪孝蔵。身の丈五尺七寸(約170センチ)を越える偉丈夫で年は弥彦郎より三つ上の三十八。弥彦郎と同じく元坂崎家の馬廻であったが、こちらは弥彦郎と違って文武と礼節に優れ、昔から人望に厚い男であった。

 そんな男が抑揚のない低い声で尋ねてくる。

「弥彦郎。貴様、ここ数日どこに行っていたのだ?」

 場所は弥彦郎が借りている小さな平屋。孝蔵は弥彦郎が帰宅するやすぐに現れ、唯一の出入り口である戸の前に立ち、射竦めるような目を弥彦郎に向けている。

 並の者ならばここで萎縮して何もかもを自白していたことだろう。だが弥彦郎も肝が据わっていた。彼は何気ない世間話をするかのように自然に返答する。

「言ってなかったか?大坂の知り合いのところに行っていたんだ」

 弥彦郎の誤魔化しは見事だった。彼の返事は、何かを疑っていたとしても思わず納得してしまうくらいに毒気のないものだった。

 しかし孝蔵は引き下がらず、まるで何か確信を抱いているかのように詰問を続ける。

「誰に会ってきたのだ?」

「聞いてどうする?お前の知らない奴だぞ」

「ならば宿はどこに泊まったのだ?」

「そんなの一々覚えてなんかねぇよ。……おい、どうしたんだ?随分と突っかかってくるな?土産でも期待してたのか?」

 弥彦郎は冗談めかして返すが、孝蔵は表情筋一つ動かさず変わらぬ猜疑の目で弥彦郎を睨む。元より堅物で面白みのない男であったが今日は特に取り付く島もない。こうなるといよいよ弥彦郎も嫌な予感を首筋に覚える。

「……何なんだ、いったいよ?こっちは長旅から帰って疲れてるんだ。言いたいことがあるんならさっさと言いやがれ」

「……ならばはっきりと言おう。ここしばらくお前の動きが不審だったから警戒しているのだ。俺たちの動きを江戸や柳生家に流しているのではないかとな」

「なっ!?」

 一瞬、ほんの一瞬だけ弥彦郎はたじろいだ。まさかこちらの裏切りが勘付かれていただなんて。しかもこの感じだとかなり確信を持っているようだ。

 だがだからといって『はい、そうです』と素直に答えて無事で済むはずもない。弥彦郎は無理矢理口角を上げて一笑に付そうとした。

「ははっ、馬鹿言ってんじゃねぇよ。そんなことをしていったい何になるってんだ?お前、少し気を張りすぎだぞ?」

「……では本当にお前は大坂より東には行っていないのだな?」

「ああ、当たり前よ!」

「そうか。なら……入ってこい、八太はちた!」

「えっ?」

 孝蔵が声をかけると物陰から一人の青年がおずおずと現れた。彼の名前は八太。残党仲間の一人で、弥彦郎からしてみればいつも孝蔵の腰巾着をしている取るに足らない下男である。そんな八太は軽蔑するような目で弥彦郎を睨んでいた。

「……おい、八太がどうしたってんだ?しかもその格好……旅装束……おい、まさか手前っ!?」

 何かに気付いた弥彦郎が八太たちを睨むが、そんなことなどお構いなしという風に孝蔵が八太に尋ねる。

「八太。もう一度訊くが、こいつは確かに大坂を通り過ぎて東へと向かったのだな?」

「はい。俺は孝蔵様の御命令通り弥彦郎様の後を追っていたのですが、弥彦郎様は大坂を通り過ぎてそのまま大和に。そして柳生の里へと続く山へと入っていきました」

「ほう、柳生の」

「はい。尾行がバレるといけないので柳生の里まではついていきませんでしたが、しばらくしたのち弥彦郎様は大和に戻ってきてそこで一泊。その後帰路につかれました。帰りも大坂は通り過ぎるだけで、一泊どころかどこにも立ち寄っておられませんでした」

 八太の報告を弥彦郎は歯噛みしながら聞いていた。どうやら孝蔵はかなり前から弥彦郎を疑っていたらしく、外出すると聞いて腹心の八太を尾行につけていたようだ。

「さて、申し開きがあるのならば聞くが?」

 そう言いながら孝蔵は腰に下げた刀の鯉口を切り重心をやや低くした。


「さあ、言いたいことがあるのならば聞くぞ」

「くっ!?」

 鯉口を切り抜刀の構えを取った孝蔵。彼の殺気を帯びた剣気を受けて弥彦郎の額に冷や汗が浮かぶ。もはや口八丁で切り抜けられるような雰囲気ではない。こうなればなりふり構わず逃げなければならないが、唯一の出口には今まさに孝蔵が立ち塞がっている。

(マズい!これはマズいぞ!)

 狭い部屋の中で後ずさる弥彦郎。何か使えそうなものがないかと部屋の中を見渡すが、元がやもめ暮らしの簡素な部屋なため武器になりそうなものは何もない。それを見越して孝蔵はさらにもう一歩、ずいと間合いを詰めた。

「さあ、覚悟はいいか?」

 もはや絶体絶命の窮地。だがここで弥彦郎は自分が旅装束のままであったことを思い出した。彼は急いで纏っていたみのを解き、それを孝蔵の顔目掛けて視界を塞ぐように投げつけた。

「おらっ!」

「くっ!往生際の悪い!」

 孝蔵はそれを腕で払おうとしたが不運にも留め具のヒモが腕に絡まり一瞬体勢が崩れる。弥彦郎はその好機を見逃さず体当たりで彼を押し倒した。狭い部屋の中でほこりが舞い、怒声が響く。

「はあっ!」

「ぐぉっ!?このっ……!」

 隙を突いて孝蔵を押し倒した弥彦郎であったが、そのまま組み伏せられるほど甘い相手ではないことは承知していた。ならば今は何よりここから離れることを優先するべきだろう。弥彦郎は立ち上がりざま孝蔵の顔面に一発蹴りを入れたのち、すぐに出入口へと向かうが、そこに八太が立ち塞がる。

「ま、待てっ!」

 八太は手を広げて通すまいとしていたが、腰の引けた若造に臆するような弥彦郎ではない。こちらも問答無用で体当たりをすれば八太は驚くほどあっけなく三和土たたきに転がった。

 押し倒した弥彦郎は壁に手を当ててすぐさま立ち上がる。彼の前にはもう邪魔をする者はいなかった。

(よし!逃げられる!)

 しかしそう思った次の瞬間だった。ふいに耳元でヒュッと風切り音がしたと思うや、体を支えていた左腕にまるで雷でも直撃したかのような衝撃が走った。そして弥彦郎はガクリと体勢を崩す。

(な、なんだ!?何をされた!?)

 何が起こったのかわからなかった弥彦郎であったが、殺気を感じてちらと背後を見れば、そこでは孝蔵が曲がった鼻も気にせずに必死の形相で刀を振り下ろしていた。

(切られたのか?畜生め!)

 左腕のあたりがじんじんと痛むからその周辺を切られたことは何となくわかった。だが正確な被害を確認しているような余裕はない。何故なら今まさに目の前で孝蔵が流れるように突きの構えを取っていたためである。

 怜悧な切っ先に込められた殺気は仲間に向けられるようなものではない。孝蔵は疑いようなくこの場で弥彦郎を殺そうとしていた。

「くっ、くそがぁっ!!」

 弾けるように外に飛び出す弥彦郎。そこに孝蔵の強烈な突きが繰り出されるが、彼の凶刃は弥彦郎のすねを軽く削ぐにとどまった。孝蔵は小さく「ちっ」と舌打ちをしたのち、すぐさま弥彦郎を追う。

 対して外に飛び出した弥彦郎は勢いに任せて二、三度転がって距離を取る。そして立ち上がろうと左手を前に出すが、ここでようやく彼は自分の被害に気付くのであった。

「えっ?あ、あれ?俺の手が……う、うわぁっ!?お、俺の左手がぁっ!?」

 見れば弥彦郎の左手は手首より先がすっぱりと切り落とされていた。鋭利な断面。赤みがかった筋肉に白い骨。とめどなく流れる血。それを見た弥彦郎の叫びが村の中にこだました。


「う、うわあぁぁぁぁぁぁっ!!??お、俺の左手がぁぁぁぁぁっ!!??」

 今更ながら左腕を切り落とされたことに気付いた弥彦郎。彼の叫びが隠れ家のあった村中に響き渡る。これにより外に出ていた一般の、残党とはかかわりのない農民や武士たちが弥彦郎らの騒動に気が付いた。

「なんだなんだ、さっきから騒々しい」

「あれは弥彦郎か?最近見ないと思ったら帰ってきてたのか」

「お、おい!血が流れてるじゃねぇか!?いったい何があったんだ!?」

 村人たちは弥彦郎を見るや呆然と立ち尽くしていたがそれも仕方のないことだろう。普段事件などないのどかな農村にて、いきなり見知った男が血まみれになって飛び出してきたのだか。わけが分からず立ちすくんだとしてもおかしな話ではない。

 そんな中迷わず動いているのはただ一人――家から出てきた孝蔵は迷わず弥彦郎に近付きその凶刃を振り下ろした。

「はあぁぁっ!」

「うぉぉっ!?くそっ!!あ、危ねぇっ!!」

 迫る凶刃。だが火事場の馬鹿力だろうか、弥彦郎はこれもどうにか飛び退いて避ける。結果左肩を大きくえぐったものの致命傷を避けることはできた。

 そしてこの一連の流れにより周囲の村人たちも孝蔵が弥彦郎を殺そうとしているのだということに気付いた。

「きゃぁぁぁぁっ!?」

「な、何をしておられますか、孝蔵様!?」

 色めき立つ村人たち。だが孝蔵に止まる気配はない。どうやら多少の悪評は覚悟のうえで弥彦郎を仕留めるつもりらしい。

 このままではいずれ殺されるのは必至。ならばと弥彦郎は一か八か、あらん限りの声でこう叫んだ。

「た、助けてくれ!こいつは殿のかたきを討とうと江戸に喧嘩を売ろうとしている危険な奴なんだ!どうにかしないとお前たちも江戸との戦に巻き込まれるぞ!」

「なっ!?このっ……!」

 叫ぶだけ叫んだ弥彦郎は近くの大八車の陰に身を隠す。孝蔵はそれに追撃しようとしたが、その前に別の侍たちが立ち塞がった。

「待て、孝蔵殿!今の話、どういうことか説明してもらおうか!」

「……説明も何も、そこに隠れている奴の虚言にすぎぬ。さあ、どいてもらおうか」

「虚言かどうかはさておき、同胞同士で沙汰もなしに一方的に殺すというのは間違っているだろう。一度刀を納めろ、孝蔵殿。もし調べたうえで道理がそちらにあれば、俺たちももう止めたりはせん」

「……」

 孝蔵は刀を構えたまましばし固まった。孝蔵の殺気は目の前の武士たちですら切り伏しかねないものであったが、さすがにそれをしてしまえばこの村全体が敵になる。

(本格的な冬が近い今、この土地からの支持を失うわけにはいかないからな)

「……承知した。ただし俺は他人の同意など関係なくそこの者を切るつもりだし、それを邪魔立てするというのなら貴殿らとて容赦をするつもりはない。それは努々忘れるなよ」

 そう言うと孝蔵は弥彦郎に対する殺意を全く隠さぬまま刀を納めた。


 さて、ここで少し弥彦郎らが隠れ住んでいる村ついて説明しておこう。

 孝蔵や弥彦郎をはじめとした旧坂崎家残党たちは大和や伊勢、大坂などに拠点を持っていたが、幕府の密偵から隠れたり越冬の必要性から先に上げたような賑わう街から離れ、各々縁故のある村へと引き下がっていた。彼らは複数の村に分かれて潜伏していたが、その中で最も割合が大きかったのが現在弥彦郎や孝蔵などが暮らす石見国・津和野つわの(現島根県津和野町)の下田亀しもたがめ村であった。

 彼らが石見国・津和野を選んだのは、この地がかつて坂崎直盛が治めていた土地であるためだ。もちろん坂崎事件後すぐに新しい領主が入ってきてはいたが当時の直盛の治世を覚えている人は多く、そのため旧坂崎家家臣であってもあまり偏見なく受け入れてくれる土地であった。

 ただしそれもあくまで不審な動きをしないことが前提である。津和野の人たちが彼らに優しくするのは昔馴染みであったり判官贔屓からくるもので、当たり前だが武力を用いて江戸と戦うなどと言えば追い出されるのは必至だろう。ゆえに孝蔵たちは仇討ちの悲願を胸の奥底に隠しながら下田亀村に身を潜めていたのだ。

 そんな背景があるからこそ、今回の件について村の名主・小牧こまきなにがしは心底苦々しい顔をしていた。

 場所は名主屋敷の奥書院。そこに齢七十を越える小牧翁と孝蔵とが一対一で向き合っていた。

「さて、おおよそのあらましは聞いた。そのうえで改めて訊くが、孝蔵殿が、その……かつての殿に忠を尽くそうとしているとな。して、それはまことか?」

 回りくどい言い方であったが、これは要は『お前は本当に江戸に喧嘩を売っているのか?』という質問だ。これに孝蔵は背すじをまっすぐ伸ばしたまま答える。

「まことにございます。某らは亡き殿の汚名を晴らすために日夜人目のつかぬところで活動しておりました」

 これを聞いた小牧は顔に刻まれたシワをさらに深くした。

「……なぜ馬鹿正直に答える。誤魔化しさえすれば、こちらも深くは追及しなかったものを」

「かつての主君のための仇討ち。某は正しいことをしていると考えております。ならば取り繕う必要もないかと」

 これまで仇討ちのことを隠していた孝蔵であったが、一度疑われてしまった以上そういった目で見られることは避けられないと思い、公表して理解してもらう方に考えを改めた。

 だが小牧にはその思いは届かなかったようだ。

「現実を見ろと言っているのだ!この若造が!」

 苛立たし気に床を叩く小牧翁。老齢とはいえ怒ると一瞬だけだが戦国時代を生き延びた気概が感じられた。それだけに孝蔵からすれば口惜しい。

「いかがでしょうか、小牧様。小牧様もどうか我らの仇討ちに協力してはくれないでしょうか?」

「協力だと?何を言っている!江戸に弓を引けばそれは二百家近い武士の家々を敵に回すも同義!そのような馬鹿な真似をお前は何故しようとするのだ!?」

「それはもちろん殿の仇討ち……」

「違うだろう!」

 孝蔵の言葉を床を叩いて遮る小牧。

「……違うだろう。お前が望んでいることはそんなことではない。お前が望んでいるのは力による地位の取得。戦場での武者仕事。お前は単にかつての主君への忠にかこつけて、あの闘争の時代に戻りたいだけだ!」

「……」

 孝蔵は名主の言い分に反論せず、ただ軽蔑するかのような目を彼に向ける。小牧はこれに一瞬ひるむが、ここで押し負ければ名主の名折れだと胆力を込めて睨み返した。


 こうして二人はしばらくの間、目による攻防を繰り広げていたが、そこに慌てた様子でこの家の中間の男が入ってきた。

「た、大変です、小牧様!大変なのです!」

「今取り込み中だ。あとにしろ」

「それがその、治療をしていた弥彦郎殿が逃げました!」

「なにっ!?」

 小牧が目線を切って中間の男に向ける。

「逃げただと!?あれほどしっかり見張っておけと言っただろう!」

「も、申し訳ございません!あれだけの重傷ゆえ、ろくに動けぬと思い込んでおりました!」

 どうやら弥彦郎は治療先で逃げたらしい。厄介な展開になったが、孝蔵はこれは使えると判断した。

「……某らが追いましょうか?」

「なんだと!?」

「ですから某らが内々に弥彦郎を追おうかと申しているのです。奴の口から余計な話が漏れると困るのはこちらも同じ。それとも誰か追手に出せる人がいるのですか?」

 小牧の顔のシワがまた一段と深くなる。村からすれば彼らに頼りたくはなかったが、かといって長い泰平の弊害で追手に出せるような腕っぷしのいい人材は村にはいない。彼はしばし考えたのち孝蔵に訊く。

「目的は何だ?」

「話が早くて助かります。ならば是非某らと共に仇討ちに……とは言いますまい。ただこの一冬ばかりこの地に留まることを許してほしい。もちろん互いに知らぬ存ぜぬで」

「お前たちが謀反を企んでいるのを見て見ぬふりをしろと?」

「ええ。その代わりこちらも『村の人たちは何も知らなかった』と答えます」

「……」

 小牧翁はそれらしく黙考するが、実のところ選択肢はほとんどなかった。最悪の展開はこの村全員が幕府に反旗を翻そうとしていたと見做されることである。それさえ防げるのならば……。

「……いいだろう。十日以内に弥彦郎を捕らえて来れば、春先までは知らぬ存ぜぬでいてやろう。ただしそれができなければ、わかっておるな?」

「もちろんです。では早速腕利きの者を追手に出しましょう」

 こうして追っ手を差し向けた孝蔵。この時彼は三日くらいで捕らえることができると考えていた。だがこれに関しては弥彦郎の方が一枚上手だった。彼は修験者に化け、寮病院りょうびょういんを転々とすることで孝蔵らの監視の目を欺いた。

 予定が狂い少しばかり頭を悩ませる孝蔵たち。このままでは村から追い出されてしまう。進退窮まった彼らは仕方なく弥彦郎によく似た顔の浮浪者を見つけ出し、その首を持っていくことで誤魔化した。

「抵抗してきたため、やむを得ず殺してしまいました。一応首だけは持ってきましたので、どうぞご確認ください」

「うっ!こ、これは……!」

「若干腐れてますが顔は見えるでしょう。さぁもっと近くで……」

「い、いや、もう結構!お前たちがよくやったことは十分わかった!それでは約束通り春先まではお前たちのことは聞かなかったことにしよう!」

 小牧が騙されたのか、それとも無関係な者の首を持ってくる孝蔵たちに恐れをなしたのかはわからないが、ともかくこうして孝蔵たちは厳冬期を越すための隠れ家を維持することができた。


 そうして時は流れ翌年三月、豪雪地帯である津和野にも春の兆しがやってくる。孝蔵は約束通り仲間を引き連れて村を発とうとしていた。

「結局江戸からの兵はやってきませんでしたね。弥彦郎の奴、途中でくたばったんでしょうか?」

「油断は禁物だぞ。向こうも春が来るまで待っていたという可能性もある。まぁなんにせよここから離れる俺たちにはもう関係のない話だがな」

 荷物をまとめた残党たちは行商人や修験者の振りをして各々東へと向かう。彼らの行き先は大きく二つ。一つは江戸で宗矩や酒井忠勝を狙う組。もう一つが柳生庄を狙う組である。ちなみに孝蔵と八太は共に柳生庄組であった。

「全員御公儀の目には気を付けるように。それと道中弥彦郎を見つけたらついでに殺しておけ。あいつはもう生かしておいても何の役にも立たない奴だからな。では皆の者、また無事に会おうぞ」

 こうして寛永五年春、坂崎家残党たちは改めて動き出したのであった。

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