(第十話) 木嶋弥彦郎 柳生庄へと向かう 1
寛永五年(1628年)三月三日。現代ではひな祭りとして知られているこの日は正確には『
この風習は柳生庄でも定着しており、里の人々は村の中央を流れる川・打滝川に各々が作った人形や木の皿を流す。現代でも流し雛や
柳生三厳は代官である小沢頼元を連れて、やや高いところからその賑わいを眺めていた。
「ふむ。存外盛況のようだな」
「ええ。まぁ皆冬の間暇でしたからね。それに昨年は大雨で川に近付けなかったですから、その分もまとめて祈っているのでしょう」
三厳は「そういえばそうだったな」と相槌を打つ。去年の三月はすでに柳生庄にいたに前回の節句の記憶がないのはそのためだったか。
「さぁさぁ三厳様も、どうぞ昨年の分までお流しになってくださいな」
「わかってるさ。そう急かすな」
三厳は村民に無駄に気を遣わせるのも悪いと思い、人が途切れた折を見て川に近付き持ってきた盃を流した。使い古された漆塗りの盃は一分と経たぬうちに下流に流され見えなくなる。
「……早いものだ。もう見えなくなった」
「厄なのですからさっさと流れてくれた方がいいに決まっております。特に去年はいろいろと惨事が重なってしまいましたからな。きっとこれで良い流れがやってくることでしょう」
「ふふっ、そうだといいのだがな」
三厳はこういった市井の
頼元が言ったように去年の柳生家はいろいろと不運な巡り合わせが重なった。
まず柳生家と親交のある禅僧・沢庵和尚が幕府に目をつけられたことに始まり、各地で新陰流を名乗る牢人の増加、そして坂崎家残党が登場する。これを受けて宗矩は謹慎を言い渡され、年末には三厳自身も腕の骨を折る重傷を負った。まさに踏んだり蹴ったりの年だったと言えるだろう。
だがそんな流れも年が明けた頃から変わってきた。まず一月初めの頃、三厳の旧友の陰陽術師・多比羅雅行から依頼していた調査の報告が届いた。彼には坂崎家残党が使用していた謎の丸薬の調査を依頼していたのだが、その制作者が判明したとのことだった。
「それで例の薬を作ったのは誰だったのだ?」
「はい、報告によりますとどうやら伏見に住んでいた在野の調伏師だそうです」
「やはり調伏術か。それに伏見……。確か出羽守はあのあたりに屋敷を持っていたな」
三厳の言葉に頼元が頷いた。
「はい。おそらくは出羽守が健在だった頃から懇意にしていた術師かと。その者は死者の体の一部を使って薬を作ることに長けており、また他の術師仲間に『古い友人から割のいい依頼が入った』と漏らしていたとのことです」
「なるほど。ほぼ確定と見て間違いないようだな。それでその者は確保したのか?」
「いえ、それが……実はこの者、去年の八月に何者かによって殺されておりまして……」
思わぬ返答にがたりと腰を浮かす三厳。
「それは真か!?……八月。残党らが動き始める少し前か」
「ええ。ですので報告では口封じに殺されたのではないかと書かれております。無論確証のある話ではありませぬが……。ですがもしそうならばむごい話ですな……」
嫌な予感に二人は思わず言葉を失う。利用するだけ利用して手にかけるとは全く酷い話である。特に口惜しいのがそれが合理的であるという点だ。彼らがしっかりと口封じをしたために三厳らはこの術師から話が聞けなくなった。胸糞悪い話であったが彼らにとってはまさに最善手だったということだ。
「ただ雅行殿は、制作者がいなくなったということは今以上に丸薬が増えるということはないということだとも申しております。残党らは今ある分だけで戦うしかない。長期戦になれば補給の見込みがある分こちらの方が有利になるだろうとのことです」
「その報告が唯一の救いだな」
三厳が不機嫌そうに頬杖をついたのが一月初めの頃だった。
続く二月には宗矩の謹慎が一部解け、月に三度程度であるが家光の剣術指南に出られるようになった。これは三厳が残党の一部を倒したこと、冬の間残党らに動きがなかったこと、そして何より家光が宗矩の登城を望んだためにこうなったそうだ。
これは柳生家としてはかなり大きい。なにせこれで他の旗本からのタダ飯食らいの
だが頼元は油断は禁物だと忠告する。
「ですが安易に考えてはいけませぬ。寵愛と破滅はあざなえる縄のごとし。禍根の根幹を叩かなければ本当の安寧はありませぬぞ」
「わかっている。残党らを討たねばこの話は終わらないということはな。俺の腕も治ったことだし、これからさ」
またちょうどこの頃に三厳の左腕も完治した。冬場ということで若干直りが遅かったが骨は無事つながり、落ちた筋肉も数十日と経たぬうちに依然と同等なまでに戻っていた。
そして季節は三月、雪解けの時期。長い冬を耐えた三厳たちはいよいよ攻勢に打って出る。そんな彼らがまず取り組んだのが
「ふむ。相変わらず発見の報告はなしか」
「申し訳ございません。出来る限りの人を割いて探してはいるのですが……」
弥彦郎――この男は去年の十二月に柳生庄を訪れた坂崎家残党の一人であった。彼は初め三厳を訪ねてきたのだが折悪く不在。代わりに柳生庄で預かっていた坂崎直盛の嫡男・平四郎の元に行き交渉を持ちかけてきた。
『残党の居場所を教えるから、俺を柳生家で雇ってくれないか?』
弥彦郎の目的は仲間を売るから代わりに自分を雇ってくれてというものだった。これを不審に思った平四郎は返答を保留。弥彦郎は素直に引き下がったが、別れ際「また来る」と言って去っていったという。
それから早三か月、未だ彼の再訪はない。
「またすぐ来るような口振りだったというのに結局音沙汰なしか。気が変わったか、あるいは何か事件に巻き込まれたか」
「仲間を売るような発言をしておりましたからね。それが露見して処刑された可能性もあるやもしれませぬ」
「それは困るな。数少ない手掛かりだというのに」
交渉をどうするかはさておき、弥彦郎は残党らの動きを知る数少ない手掛かりである。どうにか接触をしたいものだと三厳たちはヤキモキしながら弥彦郎確保の吉報が来るのを待っていた。
さて、そんな三厳たちを悩ませていた弥彦郎であったが、彼はこの時、
(いい日和だ。大和の雪も融けてきた頃だろうし、そろそろ柳生の里に向かうとするか)
見上げた空は快晴。天候に詳しい修験者仲間によるともう冬の峠は過ぎたらしく、これからは日に日に暖かくなっていくとのことだ。動き出すにはちょうどいい頃合いである。自分にとっても、追手にとっても。
(そろそろここも見つかるやもしれないからな、さっさと柳生のところに行って匿ってもらうか)
そう考えながら弥彦郎が荷造りをしていると、それに気付いた修験者仲間が声をかけてきた。
「おや、
「ええ。雪も融ける頃ですし、東で暮らしている友人を訪ねに行こうかと」
「それは喜ばしいことだ。どれ、そんな体では荷物をまとめるのも大変だろう。それくらいはやらせてくれないか?」
修験者仲間がこう言ってきたのは、実はこの時弥彦郎は左手首より先を失っていたためである。片手ならば荷造りが大変なのも道理。弥彦郎は一瞬悔しそうな顔をしたのち、笑顔を取り繕って「ではお願いできますか?」と荷造りを任せた。
荷造りが終わるまでの間、弥彦郎は壁にもたれかかって自身の左腕を眺めていた。手首より先がなくなったまるで経筒のような左腕。その断面は刃物によってすぱりと切り落とされており、傷口を真新しい桃色の肉が生々しく覆っている。不思議なもので時折ないはずの指先が痛み、その痛みを覚えるたびに弥彦郎はこの傷をつけた相手に対して憎悪を燃やすのであった。
(くそが、くそが、くそが!絶対に許さないぞ、
復讐心に燃える弥彦郎。そんな彼に荷造りを終えた修験者仲間が声をかける。
「おーい、荷物はまとめておいたぞ。……おいおいどうした、そんな顔をして。傷口が痛むのか?」
「い、いや、なんでもない。あぁ荷物ありがとうな。縁があったらまた会おうぞ」
どうやら気付かぬうちに人に見せられない表情になっていたようだ。弥彦郎は慌てて誤魔化し、振り分け行李を肩にかけた。
「もう出るのか?」
「ああ、旅日和を逃したくないからな」
弥彦郎はそう言ったが、その本心は一刻も早く追手から逃げたいという思いであった。ここで言う追手とは一時期彼も所属していた坂崎家残党のことである。そう、弥彦郎は仲間を売ろうとしたことがバレて残党たちから追われていたのだ。
裏切ろうとしたことがバレて追及され、そして左腕を落とされる。本来ならそのまま殺されてもおかしくはなかったのだが、いくつかの偶然が重なってなんとか逃げおおせた弥彦郎。ただし今一度捕まれば今度こそその命はないだろう。そこで目をつけたのが柳生庄である。彼は改めて残党らの情報を売ることで柳生の里に匿ってもらおうと画策していたのだ。
(柳生庄……。向かうのは二回目だな。今度こそ交渉がうまくいくといいのだが……)
弥彦郎は北風が入り込まぬよう襟周りをキュッと締め、東へと続く道を歩き始めた。
木嶋弥彦郎。備前のとある漁村の出身で年は今年で三十五。坂崎直盛の元馬廻で現在はどの藩主にも仕えていない、どの組織にも属していないただの牢人である。
彼は一時期江戸に復讐心を燃やす坂崎家残党集団に属していたが、それとは数か月前に縁を切っていた。今ではもう参加していたこと自体が恥ずべき過去である。
(まったく、我ながら馬鹿な連中とつるんでいたもんだ……)
元より弥彦郎は直盛の仇討ちなどに興味はなかった。そんな彼が残党らの誘いに乗ったのは、これがきっかけでどこかの城に仕官できるのではないかと期待したからだ。
なにせ江戸に弓引く行為、何の後ろ盾もなしに行っているとは普通は思わない。きっと駿河の大納言か尾張の大納言が裏で糸を引いているはず。そんな彼らに少しばかりいいところを見せれば、きっとそれなりの地位が手に入るだろうというのが弥彦郎の魂胆だった。
だが蓋を開けてみればその期待は脆くも崩れ去る。なんと残党らは本当に何の後ろ盾もなしに江戸と戦おうとしていたのだ。
「おいおい、正気か?どうやって俺たちだけで江戸をひっくり返そうってんだよ!?」
「私たちだけではござらぬ。江戸御公儀の奸計によって泣くに泣けぬ思いをした者は数多くいる。彼らもみな我らの仲間だ」
「そいつらと連絡は取ったのか?連携して動く手筈は整っているのか?」
「こちらの動きが知られてはマズいためそんなものはしてない。だが我らが一番槍となればきっと機を見て動いてくれるだろう。そうすればまた戦乱の世が始まる。そこで今度こそ我らの正しさを証明して見せようぞ!」
(おいおい、冗談じゃねぇぞ、この馬鹿野郎どもが!?)
集まった残党たちは復讐にかこつけて暴れることしか考えてなく、その後の身の振り方などは全くの関心の外だった。
これが老い先短い古兵が死に花を咲かすためにやっているのならまだわかる。だが実際は十代二十代の若い奴らでさえそのような思想なのだから救いようがない。
(ダメだな。こいつらには先がない)
弥彦郎は残党たちを見限り、そして保身のために彼らを売ることにした。売る相手はもちろん柳生の一族である。
そして昨年の十二月某日、弥彦郎は仲間たちにバレないように大坂に住む知人に会いに行くと嘘をついて隠れ家を抜け出したのであった。
そこから先は知っての通り、出立から数日後、柳生庄にたどり着くも三厳は不在。代わりに向かった平四郎のところでも色よい返事が聞けなかった彼は、平四郎に丸薬を譲るなど少しだけ揺さぶりをかけてから残党らの隠れ家へと戻った。
弥彦郎が脱退を決意しつつ彼らの元に戻ったのは、まだ彼らにその意志はバレていないという驕りと、交渉材料として彼らの動きを監視する必要があったためである。
だがこれが失敗だった。戻るや否や、彼の家に一人の偉丈夫が訪ねてきた。
「弥彦郎。貴様ここ数日どこに行っていたのだ?」
「こ、孝蔵……。どうしたんだよ、そんな怖い顔をして……」
やってきたのは残党たちの頭領格・箕輪孝蔵という男であった。
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