柳十兵衛 三ケ日へと向かう 1

 余計な詮索なく尾張を抜けるための交換条件として出された牢人徒党の調査――それに向かう江戸と尾張の混成班、その班員が確定した。

 人数は六人。江戸方からは十兵衛、友重、平左衛門の三人がそのまま全員参加。尾張方からは『鳰の種長』という異名を持つ忍びの古賀種長たねなが。山根藤兵衛の家来である新田久助ひさすけ。そして尾張柳生・柳生利厳の長男・柳生清厳きよよしがついてくることとなった。

 出来上がった班を見てみれば忍び二人に(江戸と尾張の違いはあれど)新陰流の剣士が三人と、調査というには非常に攻撃的な班であった。だがこれから向かうのは実質敵地であると考えるとある意味妥当な構成とも言えた。

 こうして互いに選出者の顔を確認したところで新田久助が前に出る。

「今回この班を指揮する久助だ。皆各々互いの立場等で想うところがあるだろうが、我々はもう一個の班である。私心なく役儀に励むことを期待する」

 各自返事をしつつ十兵衛は(おや)と思い、ちらと種長の方を見た。てっきり種長が指揮を取ると思っていたからだ。その視線に気付いた種長は軽く肩をすくめた。

「私は名目上の地位はそれほど高くはないんですよ。今回の牢人調査は非公開とはいえれっきとした役儀ですからね。故に代表は久助殿がお勤めになられます」

「と言っても現場での指揮は種長殿にお任せすることになるのですがね。私はあくまで名目上の代表です。さて、この時点で他に訊いておきたいことはありますか?」

 この問いに全員が沈黙で答えると久助は「ではまいりましょうか」と出発の音頭を取った。

 こうして十兵衛ら――江戸と尾張の混成班は東海道と本坂通の交点となる宿場・御油ごゆ宿へと歩み出した。


 御油宿は現在の愛知県豊川市付近にある宿場である。東海道と本坂通とが交わる宿場であり、そして宿場自体も尾張まであと十里ほどの所にあるため尾張にとってはちょっとした要地であった。藤兵衛が調査を依頼したのもそういった背景があったためだろう。そんな御油宿の門が見えてきたのは時刻が五つを過ぎた頃だった。

「危うく日が暮れるところでしたね。宿は大丈夫ですか?秋は陽が落ちるのが早いからか宿が埋まるのも早いですからね」

「ご安心を。公儀の顔が利く宿屋が数件ございますので泊まれないということはないはずです」

 そんな会話をしつつさらに宿場に近づくと、先頭を歩いていた種長が手で軽く制止の合図を出した。どうしたのかと視線の先を見れば門前には険しい顔をした与力が数名立っており、宿場に入ってくる者たちの顔をじろじろと検分しているところであった。

「あれは……何かあったのでしょうか?」

「何かも何も、おそらく十兵衛殿たちを襲った牢人らの報告を受けての警戒でしょうよ」

「あ、なるほど。そりゃあ報告もされてますよね」

 牢人襲撃の件、始め十兵衛たちは白昼の東海道上で襲われた。そこには目撃者も多くいたためその噂が周囲の宿場に伝わってても不思議ではない。

 そんな警戒されている状況で彼ら門番に目をつけられればそれはもう面倒なことになるだろう。だが幸いにも今回はそんな心配をする必要はなかった。

「ここは私にお任せください」

 そう言って前に出たのは久助だ。久助がそのまま先頭に立ち門に近づくと見張りの与力の一人がハッとした顔で声をかけてきた。

「久助殿!もしや久助殿も牢人の噂を耳にされてこちらに来られたのですか?」

 その与力はどうやら顔見知りのようで、かつ久助の仕事を知る者だったようだ。

「その噂とは牢人一行が往来で旅人を襲ったという話か?」

「ご存じならば話は早い。どうも現場がここと吉田との間だったらしく不審な者がいないかと目を光らせているところです。久助殿は道中怪しい者をお見かけになられませんでしたか?」

 種長の予想通りやはり与力たちは牢人の襲撃を警戒していたようだ。

「ふむ。そのことなのだが、詳しくは言えないがとりあえずおおよそ片はついたと言っておこう」

 久助の返事に与力の男が目を丸くする。

「えっ?片がついたとは、どういうことでしょうか?」

「詳しくは言えないと言っただろう。まぁあとで詰め所へと行って簡単な説明くらいならするさ。それよりも悪いが一人使いっ走りになって宿を取ってきてはくれないか?」

「宿ですか?」

「ああ。できれば私と後ろの者全員が収まる一室を借りたいのだが……」

 そう言って久助が後ろの者たち――つまりは十兵衛たちをちらと見ると与力の男は再度驚いた顔をした。

「これはまた大所帯ですね。いったいどのような方々で?」

「すまないがそれも言えぬのだ。だがまぁ彼らの身分は私が保証する。怪しい者ではない」

 与力の男は職業柄疑いの目を十兵衛たちに向けるが久助にそう言われてはそれ以上の追及はできない。与力は喉に何か詰まった風に「……へぇ、わかりました」と言って疑念を飲み込んだ。

「えっと、それで宿でしたね。心当たりなら何件かございますが、何か希望等はございますか?」

「特にない。強いて言えば余計なもてなしなどいらず、一泊できればそれでいい。では頼んだぞ」

「はっ」

 与力が二つ返事で駆けていき、そして戻ってくるまでにさほど時間はかからなかった。与力は見つけた宿屋の仔細を説明し、久重がそれで納得すると「こちらです」と先導し案内し始めた。


 与力が見つけた宿屋は通りの入り組んだところに建つ小さな宿屋だった。寂れてるというほどではないが決して流行ってはいない。あるいは与力なりに何かを察して、あえて人目に付きにくい宿を選んだのかもしれない。

「こちらになります。ここの二階に二間ありまして、その境のふすまを取り除いて一間として使ってもいいとのことです。料金は普通に二間分となりますが……」

「構わんさ。世話をかけたな。荷物を置いたら詰め所の方に向かうと伝えておいてくれ」

「はい、確かに伝えておきます」

 頭を下げた与力は本来の業務へと去っていき、そして案内は宿屋の女将が引き継いだ。女将は早速十兵衛らを二階の一室にまで案内した。

「こちらが皆様方のお部屋となります。右手前が三畳、左奥が四畳半でご希望通りふすまを取っ払ったため一間としてご利用できます」

 通されたのは女将の言う通り合計七畳半の長い一間だった。六人が泊まるには少々手狭ではあったが一晩くらいなら問題ないだろう。まず尾張の三人が手前に陣取り、そして江戸の三人が奥の方に収まった。その際に種長が低い声で「窓は開けるなよ」と忠告する。これは窓を開ければ外に逃げることが可能になるためだ。一応協力関係になったとはいえ監視自体の手を抜くことはないようだ。

 こうして全員が各々腰を落ち着けたところで久助が軽装となり一人立つ。

「種長殿。ここは任せてもよろしいですかな?私は詰め所に言って軽く今回のことを話しておきます」

「お任せください」

「では……友重殿。申し訳ありませんが御同行をお願いしてもよろしいですかな?」


「それでは怪しまれない程度にここの番方に少し事情を話してきます」

 そう言って久助、そして友重は宿を出た。

 尾張の久助と江戸の友重が並んで歩くという光景は少し奇妙な感じがするが、状況を考えると実はこれが最も妥当な組み合わせだった。

 というのも当時の武士の作法として、武士が一人で往来を歩くというのはあまり行儀のいいものではなかったからだ。急用や私的な時間ならまだしも、今回は役儀として報告に向かうため作法通り誰か一人は傍らに置いておきたい。だが種長は監視のため平左衛門らから離れることができず、清厳は単純に幼すぎる。先程の与力も牢人騒動のためかさっさと持ち場に戻っていってしまった。ならば誰か手の空いている者はいないのかと周囲を見渡す久助。そんな中目に留まったのが友重だった。

 友重は江戸の者ではあるが今は協力関係であるし、それに十兵衛らの手前おかしなことをする心配もない。また連れて行けば残る十兵衛らに変なことをさせないためのちょっとした人質代わりにもなるだろう。残る二人と違い顔がバレる心配もなさそうだ。久助は、もちろんそんな打算は口には出さずに友重に尋ねる。

「友重殿。これから報告へと向かうのですが、尾張の与力のふりをしてついてきてはくれませぬか?」

 久助の提案に友重は少し困った顔をしたが、断るよりは協力した方が後々役に立つだろうと考え承諾。そして尾張の某という偽名を与えられて詰め所まで同行した。

「着きましたね。なに、臆することはないですよ。口を開くのは基本私だけでしょうから」

 そう言って久助と友重は詰め所に入り御油の番方代表らに挨拶をし、そしてこれまでの経緯を報告した。

 白昼の牢人の襲撃。里山への逃亡。その後牢人らを屠ったこと。もちろん十兵衛たちのことは伏せているため説明の所々には穴があるのだがどうもこの久助はかなり口が上手いようで、虚実を混ぜることで番方らに違和感を持たせることなく話を信じ込ませた。


 こうして滞りなく報告を終えた久助らは半刻と経たないうちに詰め所を出た。外の空気を吸うと友重はふぅと一息吐く。事前に久助が言っていた通りしゃべったりする場面こそなかったが、さすがに逃げ場のない実質敵地ど真ん中での変装は相当緊張したようだ。

 そんな友重を久助が労う。

「お疲れ様でした。すいませんね、こんなことまで手伝わせてしまって」

「いえいえ、お気になさらずに。必要とあらば協力もしますよ」

 江戸と尾張は対立している。とはいっても敵対行動を取ることがないとわかっている以上いつまでもピリピリと緊張している必要もない。その点ではこの久助はだいぶ柔軟な方らしく、友重を二心なく労うくらいには江戸方に打ち解けていた。

(油断しているのか、それとも大物なのか……ともかくこれは好機だな。あの種長とかいう者の目が届かぬうちにいろいろと聞いておくか)

「久助殿。差し支えなければ十兵衛殿たちに何か食事を買って帰りたいのですがよろしかったでしょうか?」

 友重の提案。この半分は久助から話を聞きだす時間稼ぎのための方便であった。

 この頃の宿屋は素泊まりが基本で食事まで出てくるような店は稀だった。加えて立場上十兵衛らは尾張の者が持ってきた食事はあまり口にはしたくないはずだ。故にここで友重が食事を買って帰ろうとすることは自然な行為であった。そういう事情から久助も特に疑いなく頷く。

「ええ、構いませんよ。それなら向こうの通りに行きましょうか。向こうは宿屋が多く並んでおります故まだ棒手振りたちがうろちょろしているはずです」


 久助の先導で通りに出るとそこには久助の言った通り日暮れ前にもう一稼ぎしようとしている物売りたちが多く見られた。二人は適当な売り子を呼び止め田楽や団子、草餅などを買う。そして宿への帰路、友重は何気ない世間話を装って久助に質問してみた。

「それにしても種長殿は我々についてきても大丈夫だったのでしょうか?」

「と言いますと?」

  久助は乗ってくれた。ならばと友重は自然を装って話を続ける。

「いやぁ、平左衛門様曰く種長殿は『鳰の種長』と呼ばれるまでの水練の名手だとか。ならば今切の方でも重用されていたのではないかと思いましてね」

「あぁなるほど。おっしゃる通り種長殿は現場でもかなり頼られているお方でした」

「ではなぜ?」

「それはそちらに平左衛門殿がいらっしゃったからですね。種長殿曰く『平左衛門殿もかなりの腕前の忍び。今動ける者で彼を牽制できるのは自分しかいない』とのことでした」

「ほぉ、それはそれは。平左衛門様が忍びの心得を持っていることは存じていましたが、それほどまでだとは」

 この感想は友重の本心でもあった。平左衛門が忍びであることは知っていたが、どうやら想像以上に一目置かれている存在らしい。まぁ老中・酒井忠勝の配下なのだからそのくらいの実力があってもおかしくはないのだが。

「しかしこちらの力量を警戒しているというのなら、清厳殿は連れてこない方がよかったのでは?」

「う。それはまぁそうなのですが……」

 友重の指摘に久助は苦笑する。確かに清厳は礼儀正しく役儀への意気込みも高い。また剣術だけなら並の大人でも太刀打ちできないだろう。

 しかしどれだけ背すじを伸ばしてみたところで彼が子供であることは否めない。役儀に関しては未だ年長者の介助が必要であり、独自に動くような権限も有していない。それどころか――そんなことをするつもりはないが――万が一十兵衛らに人質として捕らえられてしまえば尾張側は一気に不利な状況となってしまう。つまりこの政治的に難しい班にわざわざ連れて来るような者ではないということだ。

「私も始めは反対をしたのですがね。ですが彼も幼いとはいえ柳生家の長男。気持ちはわからないでもないでしょう?」

「それは……まぁそうですが……」

 これは先に平左衛門と藤兵衛がした問答と同じものだった。尾張の柳生家長男として江戸の柳生家長男には負けられない。その意気を汲みたい気持ちはわからないでもない。

「それに連れて行かねば腹を切るとまで言われれば流石にこちらが折れるしかないですよ」

「そ、そんなことを言ったのですか?」

「ええ。しかもあれは口先だけではない――本当に切りかねない雰囲気がありました。まだ幼いというのに立派なものですよ。果たして今口先だけでなく本当に腹を切れる武士がどれだけいるのやら」

「……だから同行を認めたと?」

「まぁ経験を積ませるのも大人の役目ですからね。なぁに、清厳殿も年こそ幼いですが場数は踏んでますからね。そこらへんはきちんと弁えてますよ」

 そうあっけらかんと笑う久助に対し友重は(そうだといいのだが……)と内心で苦慮をする。

 江戸柳生との確執のために腹を切るとまで言い出す清厳。それは武士としては見上げたものではあるが、同時に時代にそぐわぬ狂気じみた純粋さを感じ取った。その純粋さが十兵衛と触れ合ううちにどう変化するのか……。

 友重は苦慮をするがその答えが出るよりも先に足は宿へと戻ってきた。

「着きましたね。女将に頼んで餅を温め直してもらいましょうか」

「あ、そうですね。私も頼みましょうかな」

 友重と久助は温め直した食事を持って部屋に戻る。その後それを食べたり今日明日のことを確認してからやがて就寝。こうして一行は一日目を終えたのであった。

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