前島平左衛門 交渉する 3

 名誉を重んじるこの時代、敵対している相手に簡単に道を譲っては武士の沽券に関わってくる。しかしそれはそれとして睨み合ってばかりでは物事は進まない。そんな実情から現場レベルではいろいろな厄介ごとを飲み込んだ『内々の処理』が行われることが多々あった。


 今行われている江戸の平左衛門と尾張の藤兵衛とうべえの談合もまさにそれであった。

「では牢人の件の後処理はこちらにお任せを。ただし尾張を出るまでは監視をつけさせてもらいます」

「それくらいは仕方がないですね。それで我々は三ケ日みっかびに牢人調査に向かえばいいのですね」

「お頼み申します。なに、気負う必要はないですよ。別に敵の首魁を討ってほしいというわけではないのですから」

 こうして十兵衛一行と尾張の監視者たちの間で密約が結ばれた。十兵衛らが藤兵衛らの調査を手伝うことで拘束・取り調べを免除してもらうというものだ。

 ただ藤兵衛が言った通り、彼らは別に十兵衛らに厄介ごとをすべてを解決してほしいわけではない。むしろ過剰に頼ればそれは借りとなってしまう。欲しいのはあくまで共に問題に挑んだという実績、そしてそれを根拠としたスムーズな事務処理の遂行である。

 藤兵衛たちにとって十兵衛たちは協力して問題に当たったから敵ではない。敵ではないから無理に調べる必要もなく、上に報告する必要もない。十兵衛たちにとっても藤兵衛たちは敵ではないので警戒する必要がなくなる。監視の目こそついてはいるが協力した仲であるため変なことはしてこないであろう。やがて十兵衛らは尾張を抜け、その頃にはもう互いに無関係となる。こうして誰も面倒なことをしないで済む平和な世界が出来上がるというわけだ。


 両者は面倒事には巻き込まれたくないという点で一致していた。故に話はとんとん拍子でまとまった。

「ふむ。大筋は問題ありませんが、一度十兵衛殿たちに確認してきてもよろしいでしょうか?反対などはなされないでしょうが一応念のために」

「どうぞどうぞ。私も少し彼らに伝えてまいります」

 平左衛門は一度十兵衛らの元に戻りここまでの話を伝える。

「申し訳ございません、十兵衛殿。友重殿。尾張を抜けるために少し野暮用を済ませなければならなくなりました」

 だが十兵衛らにこの交換条件を気にする様子は見られなかった。面倒事を嫌うのは彼らもまた同じである。

「まぁ牢人らと一戦交えてしまいましたからね。こればかりは仕方がないですよ。むしろその程度で済んだのだから重畳なほどです」

「まったくです。そんな子供の使い程度で尾張を安全に越せるというのなら安いものですよ」

「そう言ってもらえるとありがたいです」

「あー、一応怪異改め方として訊いておきますが、今回その敵の首魁とやらは討たなくてもいいのですよね?」

「ええ。今回の協力は我々は敵対していないということを証明する一種の儀式のようなもの。向こうだって余計な借りなど作りたくないでしょうからね」

「それは残念。久しぶりに手ごたえのありそうな相手だと思ったのに」

「十兵衛殿。それはさすがに慢心が過ぎますぞ」

 十兵衛の威勢のいい軽口を友重が笑いながら咎めた。急な話であったがむしろ無駄な争いをせずに尾張を抜ける目途が立ったことで余計な緊張がほぐれたようだった。


「それでその三ケ日にはどう向かうのですか?一度御油ごゆまで行ってから本坂を逆走で?それともこのまま北に?」

 新たな目的地・三ケ日は――現在地が曖昧なため若干推定だが――ここから北東に四里ほどのところにある本坂通ほんさかどおり上の宿場だ。まっすぐ向かってもいい距離であるが、少し遠回りをすれば整備された街道を使うこともできる。

「まだそこまで話を詰めてはおりません。まぁ土地勘は向こうの方が上ですからね。素直に向こうに任せましょう」

 そういう話の流れだったため十兵衛たちは自然に尾張の方を見た。するとあちらの様子がどうもがおかしい。見れば尾張の方では何やら口論らしきものが起こっていた。

「……何か言い争ってますか?」

「そのようですね。激しく対立しているという風ではないですが……」

 少し離れたところに立つ尾張の面々。彼らはどうも意見がまとまっていないらしく、何人かがしきりに意見を述べてはなだめられてを繰り返していた。

 何か問題があったのかと心配げに視線を送る十兵衛たちであったが、それに気付いた藤兵衛が何でもないという顔で近寄ってくる。

「此度の件、平左衛門様方らには異論はありませんでしたかな?」

「ええ。こちらの方は。しかしそちらは……」

 平左衛門が暗に尾張の様子を尋ねると藤兵衛が食い気味でそれを制した。

「いえいえ、お気になさらずに。ただ少し……確認をしているだけですので」

「はぁ、左様で……」

 そう言われれば平左衛門もそれ以上問い詰めれない。そもそも互いに首を突っ込まないがための話し合いだ。ならばと平左衛門は素直に話題を話を詰める方に持っていく。

「……ところで具体的には三ケ日で何をすればいいのでしょうか。加えてどのようにしてそこに行くのかも。さすがに何も知らされないままついていくというのは、こちらとしても少々不安でして」

「あぁそうですね。ではご説明いたしますと、まず平左衛門様方は一度御油宿へと向かってもらいます」

 後ろの言い争いなどまるで素知らぬ素振りで藤兵衛はつらつらと今回の計画について語りだした。


「平左衛門様方にはこちらの指揮の下、一度御油宿へと行ってもらいます。そして今日のところはそこで一泊し、翌日から本坂通に沿って三ケ日へと向かってもらいます」

「一泊ですか。やろうと思えば山中を突っ切ることもできましたが、それはよかったですか?」

「ありがたい提案ですが、平左衛門様方には本坂の街道の検分も行ってほしいのですよ」

 平左衛門が検分と聞いて少し怪訝な表情を見せると、藤兵衛は「いえいえ、たいしたことではありませんよ」と軽く手を振った。

「たいしたことではありません。ただ本坂の道中にて三厳殿――失礼、十兵衛殿の目を使い何かしらの仕掛けがなされていないかだけ確認していただければそれでいいのです」

「仕掛けというと、あやかしか何かのということですな」

「ええ。知っての通り牢人徒党の首魁は蜘蛛のあやかしの力を持つとかなんとか……ならば周囲に罠の一つや二つ仕掛けておいても不思議ではないですからね。なにせ蜘蛛ですから。いやはや、あやかしが見える者がそちらにいらしたのはこちらとしても僥倖でした」

 あやかしが見える者は少なからず存在するが、それが見えつつ役儀の前線に出せる者は数が限られている。十兵衛のような人材は尾張から見ても貴重な存在だった。故に利用できるときに利用しておきたいのだろう。

「ただ仕掛けを見つけてもよほど危険なものでなければ場所だけ記録して手は出さないでください。下手に処理をすればこちらの動向が向こうに伝わるやもしれませんからね」

「道理ですな。ではそのように。して三ケ日についてからは?確か調査の協力がどうとか言っておられましたが……」

「はい。なに、難しいことを頼んだりはしません。皆様には我々が忍び込ませた間者から情報を受け取ってほしいのです」

 藤兵衛曰く、三河と尾張は牢人が集結しだしたという情報を得た時から頻繁にその地に調査員を送り込んでいたそうだ。彼らは旅人だったりとある店の奉公人だったり、時には牢人そのものに扮して連中を見張っていた。そうして集めた情報は十数日に一度密会し、まとめて受け渡すようになっていた。そしてその密会予定日が明後日だというのだ。

「御油、三ケ日でそれぞれ一泊。そして明後日の朝に情報を受け取り再度御油へと戻る、という感じですな」

「情報の受け渡しですか……それは安全なのですか?」

「さすがに何の危険もないとは言いません。事実帰らなかった間者も幾人かおります。ですが今のところ情報の受け渡し場所で襲撃されたということはございません」

「ふむ……」

 ここまで聞いて平左衛門は思案した。敵地近くでの諜報活動。危険といえば危険なのだが、裏の仕事もこなしてきた平左衛門からしてみれば比較的安全な部類に入る任務だと言える。おそらく十分に注意を払えば無事に切り抜けられることだろう。尾張を面倒なく越える駄賃と考えれば安いくらいだとも言えた。

「……承知いたしました。その依頼、お受けします」

「ありがとうございます。それではまずは御油宿へと向かいますので出立の準備をしてお待ちになってください」

 こうして改めて二人は互いに面倒事を避けるための交換条件に合意した。


 改めて合意をした二人は再度自分たちの陣営へと戻り、説明と御油宿へと向かう準備を行う。

 といっても十兵衛たちはもとより交換条件を受けるつもりでいたし格好も始めから旅装束のそれである。今更特に用意するような気構えもなく、必然のんびりと尾張側の準備を待つ形となった。

「……何やら手間取っているようですな」

 横目でこっそりと尾張の様子を見ていた友重が呟いた。尾張の方は――江戸の目を気にしてか――表立った言い争いこそ見られなくなったが、やはりこっそりと何かの押し問答をやっているようだった。

「まぁ向こうの本来の役儀は今切付近での監視だったでしょうからね。引継ぎとかでいろいろとあるのでしょう」

「あぁなるほど。確かに向こうからすれば我々の登場は予想外だったでしょうからね」

「ええ。なので同行するのは種長とあの藤兵衛殿の部下・久助とかいう者の二人くらいですかね。それ以外は本来の業務に――監視に戻るでしょう」

 あくまで推察だが、種長らは普段と変わりないつもりで尾張へと続く道を監視していたのだろう。そんな折に偶然通りかかったのが平左衛門たちだ。酒井忠勝の家来というだけでも厄介だというのに同行者を照会してみれば江戸柳生の嫡男と門弟筆頭までいる。三人だけとはいえこれだけの実力者が固まって尾張に向かっているとならば見過ごすわけにもいかない。こうして急遽動ける者、忠勝の格に押し負けない者で組んだ追跡班が彼らだったのだろう。

「尾張柳生の者がいたのも偶然でしょうか?」

「おそらくは。確か尾張柳生の利厳殿を推挙したのが先代の隼人正様だったのでその縁で手伝いでもしていたのでしょう」

「あぁ私も覚えがありますよ。私も上様の御小姓になる前に父上の伝手で与力の仕事に同行したことがあります」

 十兵衛らがそんな話をしていると向こうも話がまとまったのか、やっとこちらへとやってきた。

「お待たせいたしました。こちらが皆様方と同行する者です。以降の指示は彼らからお聞きになってください」

 しかしその人選を見て十兵衛らは驚いた。

 尾張からの同行者は三人。一人は『鳰の種長』こと古賀種長。二人目は藤兵衛の家来である新田久助。そして三人目として尾張柳生の嫡男・柳生清厳が十兵衛らに同行することが決まった。


 この選出を見て平左衛門は藤兵衛に小声で問い詰める。

「……柳生の二人を一緒にさせるおつもりですか?」

 だが藤兵衛はすでに腹をくくったのか涼しい顔をしている。

「おっしゃりたいことはわかります。ですが清厳殿にどうしてもついていきたいと言われましてな。お気持ちは推察できましょう?」

「それは……わからないとは言いませんが……」

 これにはさすがの平左衛門も口ごもった。時代は何より名誉を重んじる時代である。成り行きとはいえこれから牢人らがたむろする鉄火場へと赴こうとしている江戸柳生の柳十兵衛こと柳生三厳。それを安全なところから見送るなんて真似を尾張柳生の柳生清厳が受け入れられない気持ちはわからないでもない。

 しかしそれはそれとしてあまりにも危険すぎる。万が一のことが起きれば事は両柳生家だけの問題ではなくなるからだ。先程の言い争いはこのリスクについてのことだったのだろう。

 だが尾張側はそれを理解したうえで清厳を送ることを決めたようだ。今はもう誰も清厳を止めるようなそぶりを見せる者はいない。むしろ尾張としての名誉を清厳に預けている風にすら見えた。その様子を見て藤兵衛は満足そうに呟いた。

「それにですな、今でこそこうですが江戸と尾張がいつまでも睨み合っているなんてことはないと思うのですよ。遅かれ早かれ雪解けは来る。今回の二人の邂逅がその雪解けの一助になるやもしれませんよ」

 平左衛門は思わず「そんな馬鹿な」と言いそうになったのを寸でのところで飲み込んだ。平左衛門は藤兵衛よりも年若いが人を見てきた数なら桁が違う。家の確執というのはそう簡単に払拭できるものではない。

 だがその意見を押し通すほどの権限は今の平左衛門にはない。下手に意見しても逆に反発すらしてくるだろう。ならばと平左衛門はせめて波風が立たぬように口をつぐみ、そして道中に何事も起こらぬことを静かに祈るのであった。

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