前島平左衛門 交渉する 2

 十兵衛たちを尾行していた尾張方の若い武士――新田久助にったひさすけは十兵衛たちに向かって拘束・取り調べを行うと宣言した。

「某は山根家家来・新田久助と申す。我々は尾張附家老・従五位下・成瀬隼人正(成瀬正虎)様の命を受けて、ここ東海道の監視をしていた。此度の牢人との刃傷沙汰について詳しく話を聞かせてもらおうか」


 牢人のような不埒者――そのような者を切り捨ててもそれは『切り捨て御免』であり、お咎めなしに去っていく。そんな武士の姿をイメージする人は少なくないだろう。

 しかし実際は戦国の頃から武士の振る舞いには細かい法整備がされており、特に江戸時代に入ると法による支配を望む幕府によって小さな事件であっても司法によって解決するようにとお触れが出されていた。

 つまり今回の久助の申し出、それ自体は至極当然のものだったということだ。


 ではそれに十兵衛たちが素直に応じたかと言えばそんなことはなかった。ここでもまた江戸と尾張という軋轢が摩擦を生む。そう易々と尾張の者に拘束されるわけにはいかない。江戸側の代表として一歩前に出た平左衛門は澄ました顔でこう返した。

「はて。あなた方は尾張の者だとおっしゃってましたがここはまだ三河。国が違うというのにそのような権限があるというのか?」

 平左衛門の指摘通りここは三河の西端付近で尾張の権限下ではない。だが久助もひるまず食らいつく。

「ここは尾張へと続く街道。故に時折こうして越境しての監視を行っているのだ。当然三河の国々は承知の上だ」

「なるほど。確かにここから尾張までは一日二日あれば着く距離だ。ビクビクと気にするのもわかる。ですがまだそちらの話が本当だという証拠はない」

「貴様っ!よもや我らを疑うというのか!?」

 平左衛門の挑発じみた抵抗に、久助をはじめとする尾張側にはわずかにいら立ちの空気が流れた。彼らの顔ににわかに(尾張の者として江戸の者に舐められるわけにはいかない!)という意思が浮かぶ。

 そしてそれは江戸側も同じであった。十兵衛らに自覚があるかはわからないが、彼らの顔にも(簡単に尾張側に屈してはならない!)という気概が見て取れた。


 江戸と尾張。互いの面目をかけて睨み合う両陣営であったが、まず詰めてきたのは尾張の方であった。

「私どもは皆正規の権限を持ってますよ、平左衛門殿。それでもなお信用せずに突破するというのなら、こちらも何かしらの対応をすることになりますぞ」

 そう言って前に出てきたのは最後尾から尾行していた四十代ほどの旅芸人風の男であった。この人物が前に出てきたとき平左衛門は露骨に嫌そうな顔をした。

 顔見知りだと言っていたしやはり忍びなのだろうか?気になった十兵衛が小声で尋ねる。

「あの方はどのようなお方なのですか?」

「あやつは『にお種長たねなが』――古賀種長こがたねながという名の忍びです。先代の隼人正様(成瀬正成。現隼人正・成瀬正虎の父)からの成瀬家の配下で、ここいらではかなりの情報通として知られている男です。私も情報の共有で何度か顔を合したことがあります」

「『鳰』というのは?」

「あぁ、それはあやつが水練の名手であることから付いた異名です(鳰は水鳥の一種)。それと尾行の開始時期から鑑みるに、おそらく今切あたりで奴に見つかったのでしょうね。まったく、面倒な者に目を付けられたものですよ」

 平左衛門がそう言うということはなかなかの腕なのだろう。そんな種長はこちらの会話が終わると「紹介ご苦労」と言って不敵に笑った。小声であったにもかかわらず聞こえていたようだ。平左衛門は小さく舌打ちをした。


 平左衛門たちの舌戦は続いていた。

「……街道の監視をしていたとおっしゃっておりましたが、それにしてはこんな山奥まで追ってくるなんて少々仕事熱心すぎではないですかね?何か別に思惑があるのでないのですか?」

「疑り深いですな、平左衛門殿は。そなたは年寄衆・酒井讃岐守様の家臣。そのような方に万一があってはならないと監視をつけるのはおかしな話ではないでしょう」

「それで五人もついてきたのですか?尾張は存外に暇を持て余しているのですね」

「それはそちらに三厳殿がいらっしゃったからです。それで直澄なおずみ殿と清厳殿がぜひ見ておきたいとおっしゃって。理由は……まぁ言わずともわかるでしょう」

 種長がそう『紹介』すると清厳が一瞬ピクリと反応した。この清厳と、そして山伏の父親風の男がおそらく直澄で尾張の新陰流門下生なのだろう。

「……こちらからも訊いてもよろしいですかな?そも何故ここに三厳殿がいらっしゃるのですかな?確か三厳殿は江戸の公方様(家光)の御小姓だったはず。そんなお方が三河にいればこちらもまた不審に思うものですよ」

「それは……」

 十兵衛はわざと言いよどむ振りをしてから、あらかじめ用意しておいた回答を述べた。

「……お恥ずかしながら、さることありてしばらく小姓の職を休み柳生庄へと蟄居ちっきょすることとなったのです。つい先日決まったことですので尾張のお方がご存じなくても無理はないでしょう」

 十兵衛らは柳生庄へと向かう表向きの理由を失態からの蟄居ということにしていた。これなら急な柳生庄への移動や名目上一つの地域に留まっていても不自然ではないためだ。

 しかしこれに対して久助は皮肉気に笑う。

「ほぉ。蟄居ですか。それはそれは。折角春より『怪異改め方』となられましたのにお気の毒でしたな」

 これに今度は十兵衛たちがピクリと眉を動かす。『怪異改め方』は幕府の非公式な役職だ。そこいらの旗本はもちろん大名ですらその存在を知る者は少ない。にもかかわらず久助はさらりとその名を出して見せた。それはつまり尾張は幕府中枢にも耳目を持っているという一種の挑発であった。

(くそぅ!なめやがって!)

 十兵衛たちの中の「尾張には負けられない」という気持ちにもう一段火が付いた。


 このようにして両者は互いに挑発とあら捜しを繰り返していたが、実はこのとき双方が懸念していることは本質的には同じであった。それとはつまり、これを機に相手が主君の政敵である家光、あるいは義直を追い落としに来るのではないかという懸念であった。

 まず十兵衛たち江戸方であるが、こちらはわかりやすく尾張方に捕らわれた際に冤罪をかけられるのではないかという心配があった。こんな時代である故一度密室で冤罪をでっちあげられればそれを覆すすべはない。そしてその冤罪の責は十兵衛たちだけではなくその主君――宗矩や忠勝、そして家光にまでおよぶかもしれない。もちろんそんな可能性が低いことは承知している。しかし主君・義直のために刺し違えるほどの覚悟でそんな手を打ってくるかもしれない。そんな万が一を考えれば少なくともまだ相手の言うことに従うことはできなかった。

 対し久助ら尾張方も、十兵衛たちが尾張領内で何か悪事を働くのではないかという心配があった。十兵衛一行は新陰流の剣士である三厳と友重・そして忍びの平左衛門からなる。この三人ならば一晩で尾張を混乱させられるだけの事件を起こせることだろう。そうなれば領主である義直は領地監督不十分として改易等をさせられるかもしれない。もちろんそんな可能性が低いことは承知している。しかし主君・家光のためにその身を捨ててまでやってくるかもしれない。そんな万が一を考えればどうしても十兵衛らを完全な監視下に置く必要があった。

 強大な主君とその政敵。その共通点が皮肉にも互いに妥協点を見いだせない原因となっていた。


 しかし物事には常に終わりがある。対立していた十兵衛たちであったがいつしか相手をチクチクと刺せる話題もなくなり、互いに睨みつけたり暴言を吐くくらいのことしかすることがなくなっていた。ある意味で両者の意見が煮詰まってきたとも言える。

 そういったところで平左衛門はこれ見よがしに大きくため息をついて宣言した。

「はぁ。もうこのへんでいいでしょう、こんな茶番は。そろそろいい加減に本題に入りましょうか」

 平左衛門がそう言うと場はスッと静まり、そして今まで尾張方の後方で黙って見ていた年長の武士が平左衛門の前に歩み出た。

「そうですな。それでは本題に入りましょうか。申し遅れました。某、尾張附家老・従五位下・成瀬隼人正家来・山根藤兵衛やまねとうべえと申します」

 そう言うと藤兵衛とうべえは今までの尾張方の無礼が嘘であるかのように丁寧に一礼した。


 実はここまでの江戸・尾張の喧々諤々とした口論はあくまで(半分は)政治的ポーズに過ぎなかった。

 もちろん彼らの主張に嘘偽りはない。十兵衛たちは拘束されたくなかったし、尾張方は江戸方を監視下に置きたかった。それを主張する一方で相手が引かないこともわかっていた。武士としての面目が邪魔をして妥協点を生み出せないというのは武士社会ではままあることだ。

 しかしいつまでも平行線でいるわけにはいかない。問題は解決しなければいけない。そんな時に現場でしばし行われた解決法が『内々に処理する』というものだった。

 この『内々に処理する』とはなんてことはない、要は細かいことは上に報告せず現場の判断で解決するというものだ。そのためにはちょっとばかり法に触れたり提出する書類に手を加えることもある。これを改竄かいざん忖度そんたくと言えば印象が悪いが、この頃は気の利いた通信機器や記録媒体のない時代である。関係者が全員口を閉ざせば咎めれる者は誰もいない。その結果としてスムーズな行政が行われるのだから当時の一種の必要悪であった。

「それで何をすればよろしいでしょうか?」

 平左衛門が『内々』のための交換条件を尋ねる。ここは尾張の勢力圏に近いため彼らの方にイニシアチブがある。藤兵衛は「そうですな……」と呟いて妥協点を提示した。

「平左衛門殿らはここより北、本坂通の三ケ日みっかびあたりに牢人たちがたむろっているのをご存じですか?」

「噂程度には、ですが」

 三ケ日宿周辺の山中に牢人が集結し徒党を組んでいる。浜松宿で聞いていた噂だ。

「確か首魁が蜘蛛のあやかしだとかなんとか……それを打ち倒せというのですか?」

「いえいえ、さすがにそこまでは要求いたしませんよ。今はまだ調査の段階ですからね。我々がしてほしいのはその調査へのちょっとした協力。それと将来的にこの件であやかしの専門家をお呼びしますのでそれを黙認していただきたいのです」

 これを聞いた平左衛門は(なるほど。後者が本命だな)と看破した。

 藤兵衛の本命の要求。それは尾張があやかしの専門家を呼ぶことを黙認するというものだ。一見するとなんてことない要求に見えるが――何度も繰り返すが――尾張は江戸にとって気を許すことのできない政敵である。そんな尾張が特殊な技能を持つ人を集め出せば警戒されるだろうし場合によっては糾弾される恐れもある。それを避けたいがための根回しの依頼だ。

 平左衛門は頭の中で算盤を弾いてから「承知いたしました。殿の方には私からそれとなくお伝えしておきます」と答えた。藤兵衛は丁寧に頭を下げる。

「ありがとうございます。ではこちらも余計な取り調べ等は行いません。牢人の件も適当に処理しておきましょう。ですが尾張を出るまでは監視の者をつけさせてもらいます。それでよろしかったですかな?」

「まぁそれくらいは仕方がないでしょうね。ご配慮くださりありがとうございます」


 両者の交渉は前半に激しい対立からは拍子抜けなほどに簡単に妥結した。

「申し訳ございません、十兵衛殿。友重殿。どうやら少しばかり野暮用を済ませなければならなくなったようです」

「こればかりは仕方がないですよ。どうせ急ぐ旅ではないですし気軽に行きましょう」

 こうして十兵衛一行は尾張方からの余計な詮索を受けない代わりに、三ケ日付近にいる牢人らの調査に向かうこととなったのであった。

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