多比羅雅行 交渉に挑む 1

 いよいよ太神山の探索を始めた三厳と雅行。二人は緑少ない荒れ果てた禿山を進んでいくが、そんな彼らの前に現れたのは全長30メートルを超える大ムカデであった。


「な、何だこの馬鹿でかい大ムカデは!?こいつが目的のあやかしか!?」

「間違いない!だが……だがなんて禍々しい妖気なんだ!」

 突如目の前に現れた大ムカデに驚愕する三厳と雅行。その全長はおおよそ十丈(約30メートル)。彼らの時代であってもこの大きさは茫然としてしまうほどの規格外の化け物である。

 しかしあまり見入ってもいられない。なにせこの大ムカデは先程まで擬態しており、三厳たちが目と鼻の先まで来たところでその正体をあらわにしたのだ。つまり今三厳たちは完全にこの大ムカデの間合い内にいる。距離にして約六間(約11メートル)。一息で鋭い毒牙が届く距離である。

 当然三厳たちは自分が相手の間合い内にいることを承知していた。そのため一刻も早く近くの岩陰に身を潜めたかったのだが、大ムカデの放つ耳鳴りを覚えるほどの殺気に、彼らはまるで蛇に睨まれた蛙のように体を動かせずにいた。

 キィィィィン――――――!

(くそっ!上手く体が動かない!これはマズい!非常にマズいぞ……!)

 焦る三厳たちに対し、大ムカデは蛇のように鎌首をもたげながら八つの黒い単眼で三厳たちを見下ろしていた。明らかに自分の方が強いと理解している振る舞いである。そしてそのまましばらく品定めでもするかのように二人を見つめたのち、やがて三厳の方に狙いを定めたのか、大ムカデはその恐るべき顔を向けてぐっと力を込めた。

(来る!)

 三厳が膨れ上がる殺気を感じ取った次の瞬間、大ムカデはその巨体をしならせて弾けるように三厳に飛び掛かってきた。

「シャアッッッッッッ!!」

 大きく開いた顎肢が最短距離で三厳に迫る。だが死線が目前まで来たことでようやく三厳の体も動いてくれるようになった。

「くっ、くっそぉっ!!」

 なりふり構わず思いきり横に飛ぶ三厳。その脇を大ムカデの毒牙が紙一重で通り過ぎた。

 間一髪の回避、しかしまだ油断はできない。三厳は追撃を警戒し、そのままの勢いで剥き出しの礫が広がる山肌をごろんごろんと数度転がる。その後比較的大きな花崗岩近くまで来た三厳はそこに逃げるように飛び込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「大丈夫か、三厳!!」

「なんとかな!」

 返事をしつつ声のした方を見れば雅行も同じように大きな岩の陰に隠れていた。おそらく三厳が襲われている隙に上手く立ち回ったのだろう。

(……それでいい。あんな化け物、ただの陰陽師が相手できるものではないからな)

 雅行はあくまで陰陽術師である。対処できるのは実態を持たない悪霊や呪い、あるいは気の弱い下級あやかしくらいで、あんな物理的な化け物は完全に門外漢であろう。ゆえに下手に前に出られるよりは、ああして隠れていてくれた方が三厳としては安心していられる。

 ただ問題なのはあの大ムカデは三厳にとっても相性のいい相手ではないという点だ。岩のような外殻に刀は通じないだろうし、仮に関節部で切ったとしてもあれだけ大きければ生命力も高いはずで、足や胴を切り落としても致命傷にはならないだろう。さすがに頭を勝ち割れば殺せるのだろうが、しかしその頭部は威嚇する蛇のように持ち上げられているため刀は届きそうにない。これで大ムカデの攻撃は簡単に三厳たちに届くのだからやってられない。

 つまるところ八方塞がり。二人にとってあの大ムカデは相性最悪の敵であった。

(くそっ!こうなるとわかっていたら、もっと手勢を連れてきていたというのに!)

 三厳は内心悪態をつきつつ、岩陰から大ムカデを睨みつけた。


 岩陰に隠れた三厳は絶望的な状況に歯噛みするが、それでもどうにか打開できないかと思考を巡らせてもいた。

(くそっ、何か手はないのか?油断している今が好機だというのに!)

 先程攻撃してきた大ムカデは間一髪で回避した三厳に対して追撃してはこず、元の位置に戻ると再度鎌首をもたげて周囲を威圧していた。無理に攻めてこないのは油断か、あるいは強者の余裕か。どちらにせよ本気を出されれば三厳たちに勝ち目はない以上、向こうが本気で殺そうとはしてきていない今のうちに何か手を打たなければならない。

(しかしどうしろというのだ!あんな化け物、手練れが十人くらいいても勝てるかどうかわからんぞ!?)

 考える三厳であったが元の実力差が凄まじすぎて何一つとして手が思いつかない。

 そうして数十秒手をこまねいていると、三厳はふと首筋にひりつくような死の気配を感じた。

(……何か来る!)

 そう感じた刹那、三厳はそれが何かを確認することもなく前に飛んでいた。そしてその判断は正しかった。三厳が飛ぶや否や、彼が隠れていた岩陰に二本の鞭のようなものが叩きつけられた。

(あれは……尻尾か、くそっ!!)

 三厳を襲ったのはムカデの最後尾についている二本の長い曳航肢えいこうしであった。どうやらあの大ムカデはじっとしているように見せかけて、体節の後半部分だけを三厳の死角から近付けていたようだ。大ムカデははこれを鞭のように器用に操り三厳を責め立てる。

(くっ!虫畜生のくせに器用な真似を!)

 ヒュオンヒュオンと禍々しい風切り音を鳴らしながら迫りくる二本の鞭。一般的なムカデの曳航肢は数センチであるが、大ムカデのそれは成人男性の腕を七、八本くらいつなげたような長さと太さをしていた。当たれば人間の骨など軽く砕けるほどの脅威であるが、幸いだったのはそれが本物の鞭ほどの柔軟性はなかったことだ。三厳は比較的直情的なこれらの攻撃をすべて紙一重で避け、やがてまた別の岩陰に飛び込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁっ……。くそっ!このままじゃ嬲り殺しにされるだけだ!」

 剥き出しの小石が広がる斜面を何度も転がったため、三厳の手足にはすでにいくつもの切り傷・擦り傷ができていた。しかしそれにかまけている余裕はない。もたもたしていたら再度追い立てられることだろう。

「雅行、無事か!?無事なら返事しろ!」

「無事だ!こっちに攻撃はなかった!お前は大丈夫なのか!?」

「問題ない!しかしはっきり言ってどうしようもない!!ここはもう引くしかないから、お前から先に逃げろ!!」

 結局三厳が選んだのは逃げの一手であった。だがそれも仕方あるまい。あまりにも生物としての基本性能が違いすぎる。雅行としても、もう相手の姿は確認したのだから陰陽寮生としての面目も立つはずだ。

 しかし雅行の返事は思いもよらぬものであった。

「待ってくれ、三厳!一度、一度あやつと話をしてみたいのだ!」

 これを聞いて三厳は信じられない馬鹿を見るかのように口をあんぐりとさせた。

「話してみたいだと!?何を言っている!気は確かか!?」

「そう言いたくなるのはわかる。だが陰陽寮が俺たち二人を寄越したということは、俺たち二人でどうにかできるということだろう」

「陰陽寮だって間違えることもあるだろう!?」

「わかっている!ただ……思うにあの大ムカデにはある程度の知能があるように思えるのだ。ある程度ものを考える力がある。ならばきっと会話もできることだろう」

「……おいおいおい!本当にお前は正気なのか!?」

 確かに大ムカデの行動には理知的なものを感じなくもなかったが、それと会話が通じるかはまた別問題である。もちろん人間の言葉を理解する妖怪は少なからずいるが、三厳の知っている限りそれはいわゆる哺乳類の動物のみで、あの大ムカデのような虫の類が人語を解したり、ましてや交渉ができるという話は聞いたことがない。

 だが雅行の決意は固いようで、彼は自分を奮い立たせるために頬をパチンと一つ叩くと隠れていた大岩に手をかけた。

「とりあえずやるだけやってみる。ダメならお前一人でも山を下りてくれ」

「お、おいっ!馬鹿!早まるな!」

 思いとどまるよう叫ぶ三厳。しかしその声は届かず、雅行はそれまで隠れていた大岩の上によじ登りそこに立った。

 当然だが大ムカデはすぐに雅行に気付く。大ムカデは頭部の節を回転させ、その恐るべき顔を雅行の方に向けた。暴力的な牙に無機質な八つの単眼、それらと正面から対峙した雅行は小さく「ヒッ」と悲鳴を上げたが、それでも意地で踏ん張り声を張り上げた。

「……そこの者、聞こえているか!某は中務省なかのまつりごとのつかさ、陰陽寮は陰陽頭・従五位下幸徳井友景様の使い、多比羅雅行である!某の声が聞こえているのなら、何かしらの印をしるしたまえ!」


「某は陰陽寮の使いだ!お前は何故ここにいる!某の言葉がわかるなら、何か応えて見せよ!」

 岩の上に立ち名乗りを上げる雅行。これに対し大ムカデは意外にも攻撃などはせずに、黙って雅行を見下ろしていた。

(まさか本当に言葉がわかるのか!?)

 岩陰から成り行きを見守る三厳。そして数秒の沈黙ののち大ムカデは不意に頭部に近い歩脚をわさわさと動かし始めた。するとどこからともなく、関節を鳴らした音にも似た声が聞こえてきた。

「……何用と問ウが、ソレを問イタイのは、コチラの方ダ」

(しゃべっただと!?)

 なんと大ムカデは雅行の問いかけに返答したのだった。

(これは驚いた……!こんなことがあるだなんて!)

 岩の上の雅行も目を丸くして驚く。期待をして話しかけたとはいえ、実際に会話が成立するとさすがにそういう反応にもなった。どういう原理かは全く見当がつかなかったが、ともかく例の大ムカデは自身の歩脚を動かすことで人間の発声と同等の音を作りだせるようだ。

 実に驚くべきことであったが、これは僥倖でもある。

(言葉が通じるというのならまだ手はある……!)

 雅行は口内のねばついた唾を呑みこむと、相手を刺激しないように気をつけながら今回の来訪の理由を告げた。

「……某たちはこの山に妖怪が住み着いたと聞いてやってきた。ここに妖怪が居着くと多くの人が困るのだ。すまないがどこか遠くに移住してはくれないだろうか?」

 これに対し大ムカデはまたも数秒沈黙したのち、先程と同じように歩脚を動かして返答する。

「……ココに人間は居ナイようダガ?」

「確かに今このあたりに住んでいる人はいない。しかし山を越えたすぐのところに街道があり、京の都もそう遠くない。そんな場所にそなたのような妖怪がいては多くの人が不安がるのだ」

「……遠クの者の不安程度で、コの地を去レと言ウのカ?」

 不思議なもので、言葉が通じるとわかると大ムカデの無機質な顔にも感情のようなものが見えてくる。そして今、雅行は大ムカデの中に『不愉快』という感情を感じ取った。

(……これはあまりよくないな)

 確かにこんな荒れ果てた禿山で人間側の迷惑など説いてもピンとは来ないだろう。だが太神山が東海道に近いのもまた事実。それどころか麓の川を少し下れば京のど真ん中に出ることだってできる。そんな場所をあやかしの拠点にするわけにはいかない。都に住む者としては是が非でも彼には立ち退いてもらいたかったが、雅行がそのための言葉を選んでいるうちに大ムカデの方がしびれを切らした。

「解セぬ問答ダ!オ前タチが立チ去レ!」

 大ムカデがいら立ちをぶつけるかのように尾を払うと、それにより周囲の小石が散弾のように飛び散る。小さな石つぶてとはいえその威力はすさまじく、小石は周囲の花崗岩をガリガリと削っては砕けていく。

「マズい!」

 雅行がそれを避けるため慌てて岩から飛び降りると、その下には何か柔らかいものがあった。

「ぐふっ!?」

「三厳!?何故ここに!?」

 それはいつのまにかここまで来ていた三厳であった。


 雅行が一度岩陰に戻るとそこには三厳が来ていた。どうやら彼は雅行を連れ戻すために近付いてきたらしい。

「三厳!?何故ここに!?」

「お前を引っ張り降ろそうとしたらお前の方から落ちてきたんだ!それよりもういいだろう!お前はもう十分やった!あとは都に帰って専門の部隊を派遣すればいい!」

 三厳の言う通り問題の化け物の正体はわかったし、一応の交渉も試みた。初期探査にしては上々の成果だろう。

 しかし雅行は頑固に首を振る。

「三厳、仮に都に戻ったとして、討伐のための部隊を用意することができると思うか?」

「そ、それは……」

 三厳は言葉に詰まる。

 なるほど、あの大ムカデを相手にするならば、それなりの実力者が三十人から五十人は欲しい。しかしこの平和なご時世でそれだけの規模の部隊を動かすのは相当に難しく、下手をすれば幕府から謀反の動きと見られてもおかしくはない。つまり一度引いたとしても必ず解決できるとは限らないということだ。

「……しかし、ならばこちらに手はあるのか!?解決する手段がないのならここに留まることも同じくらい無意味だぞ!」

「やることは変わらん。交渉するだけだ。あの大ムカデが本気を出してくる前にな。……お前も気付いているのだろう?あやつが手を抜いて対応していることに」

 雅行の言葉に三厳は少し苦々しい顔をしてから頷いた。武士の誇りから認めたくはなかったが、あの大ムカデが本気を出していればとっくの昔に三厳たちはこの世にいなかっただろう。

「しかしそれがどう解決につながる?」

「おそらくだがあいつは人間に手を出すと面倒なことになると知っている。俺はそういう妖怪を何人か見てきた」

 雅行曰く、長く生きてきた妖怪は集団としての人間の恐ろしさを理解しているという。

 例えば誰か一人を殺せばその報復のために検非違使けびいしやら三役やら武将やらが人を集めて山狩りなどで迫ってくる。いかに一人一人が弱いと言っても多方向から同時に攻められればどんなあやかしでも苦戦は必至で、最悪命を落とすこともあるだろう。

「その恐ろしさ、あるいは面倒さを知っている妖怪ほど滅多に人を殺そうとはしない。そうする前に威嚇する。殺さない程度に力の片鱗を見せつける。そして交渉する声に応える」

「……つまりあの大ムカデはできることなら事を荒げずに済ませたいと?」

「少なくとも俺の言葉に一度は耳を傾けるくらいにはな」

 三厳は困惑したまま雅行を見た。

 雅行の話には推察が多すぎた。あの大ムカデが本気を出していないのは単なる気まぐれかもしれない。あるいは腹が減ってなかったり寒さでやる気がそがれているだけかもしれない。今度は交渉の余地もなく殺されるかもしれない。妖怪退治の専門家たちに任せた方が確実かもしれない。

 だが見返す雅行の目には強い信念が宿っており、それを否定するだけの材料を三厳は持ってはいなかった。

 やがて三厳はあきらめたように溜め息をついた。

「……はぁ、わかったよ。もう少しだけ付きあってやる。それで俺は何をすればいい?」

「俺が説得している間、また暴れ出さないように適度に交戦し続けてくれ。もちろん節を切り落とすくらいの気概で挑んでいいぞ。あのデカブツに人間は厄介な相手、交渉しがいのある相手だと思わせてやれ」

「要は囮か。簡単に言ってくれる……!」

 相手は自分の十数倍もある大ムカデ。一歩間違えれば必死となる相手に適度に交戦し続けろなど無茶な依頼も甚だしい。だがその無茶っぷりが三厳の琴線に火を着けた。

「……まぁやるだけやってみるが、あまり期待はするなよ?」

「ああ、期待している」

「畜生め」

 三厳はそう言うと好戦的な笑みを浮かべながら岩陰から飛び出し、大ムカデの前にその身を晒した。

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