柳生三厳 太神山へと向かう 2

 古い官道に従い近江の山間いを越えていく三厳たち。二人はやがて目的地である太神山が見えるところにまでやってきたが、彼らの前に現れたのは緑のほとんどない荒れ果てた禿山はげやまであった。


 その山はひどく荒れていた。背の高い木々は一本もなく、灰白色の岩石がそこら中に転がっており、剝き出しの山肌にはいくつもの土砂崩れの跡が生々しく残っている。それを目の当たりにした三厳は圧倒された様子で呟いた。

「おぉ……噂には聞いていたが、本当に荒れ果ててるな……」

「ああ。俺も東海道から見たことがあるが、近くで見ると禍々しさが段違いだな……」

 二人はしばし足を止め、その無常の山に見入っていた。

 ここで二人が目にした山について少し説明をしておこう。二人の目的地であった太神山であるが、この山は単独峰ではなく同名の『田上山たなかみやま』という山群の主峰を指していた。つまり太神山たなかみやまの周囲にはもっと裾野の広い別の田上山たなかみやまが広がっているというわけだ。そしてこの田上山は古来より良質な木材が採れることで有名だった。

 在りし日の田上山は成熟したヒノキが生い茂っていたそうだ。そして麓にはおあつらえ向きに当時の都へとつながる大戸川や瀬田川といった川が流れていた。これら要因が重なりこの地で採られた材木は下流の寺院等で多く使われた。その歴史は古く、飛鳥時代の藤原京の造営にもここのヒノキが使われていたという。三厳の時代から見ても千年近く前の話である。

 これは逆に言えばこの地の木々は千年近く伐採され続けていたということだ。そして当時の人々に大規模な植樹の概念はない。結果としてこの時代――江戸時代初期にはもう田上山のヒノキはすっかり刈り尽くされてしまい、禿山の代名詞として人口に膾炙されるまでに至っていた。

 三厳もこの山については噂程度には知っていたが、実際に一山丸々刈り尽くされたその姿は想像をはるかに超えており、ただただ絶句するしかなかった。

「……ひどい有様だ。まるで小さい頃に聞かされた地獄みたいな景色だな」

「わかるよ。住んでる人もいないようだし、妖怪が居着くにはちょうどいい場所なのだろう。……とりあえずまずはこの地の神社に顔を出そうか。何か情報が聞けるかもしれないしな」

 目的の山をその目に収めた三厳たちは改めて歩き出し、近くの集落・富川とみかわへと向かう。富川は信楽川と加河川、二つの河川の合流点にある集落で、水運に携わる者が多いらしく玄関先に修理中のいかだや綱が積まれている家が多々見られた。ただ季節のせいか村の活気はそれほど高くない。

「どうも物寂しい村だな。無人の家も多いみたいだ」

「本格的な冬が来る前に下流の方で稼いでいるのだろう。まぁ俺たちが用があるのは神社だけだから関係はあるまい」

 寒村を抜け二人が神社を訪ねると折悪く宮司は不在で、代わりに年老いた禰宜ねぎ(宮司の補佐役)が三厳たちを出迎えた。


「これはこれは、陰陽寮の方がここまで足を運んでくださるとは、まこと恐悦至極にございます。宮司はあいにく留守のため、わたくし古賀季直すえなおがお相手いたします。年老いた身ですので至らぬところがありましたら申し訳ございません」

 深く頭を下げた季直につられて雅行も丁寧なお辞儀で返す。

「連絡もなしに訪れたのはこちらですので、どうぞお気遣いなく。ちなみにこちらの宮司様は何時頃に帰ってこられるでしょうか?」

「宮司でしたら村の者と共に、下流の水運仲間への年納めの挨拶に行っております。おそらく今日明日中に帰ってくることはないでしょう」

 宮司と水運業に何の関係があるのかと思う人もいるかもしれないが、この時代神職だけでは食っていけないため市井の商売に参加する神官はそれなりにいた。ここの宮司もその口なのだろう。これは特に珍しいことではなかったため雅行は気にせず話を進めた。

「そうですか。ならば季直殿にお聞きしますが、先程申し上げた通り某たちはこの先の太神山に住む妖怪について調査しに参りました。この妖怪について季直殿は何かご存じではないでしょうか?」

「多少は覚えがあります。二月ほど前より田上山に住み着いた妖怪変化についてですよね?」

 どうやら心当たりがあるようだ。ここに来てようやくあやかしの尻尾を掴んだ三厳と雅行は互いに顔を見合わし頷いた。

「おそらくそれでしょう。詳しくお聞きしてもよろしいですか?」

「承知いたしました。とはいえ某も語れるほどは存じておりません。わたくしどもはただ川の流れの中に異形の気配を感じ取っただけなんです」

「川?と言いますと太神山の麓を流れる加河川でしょうか?」

「左様にございます。川仕事をする方々のために毎日の川の具合を確認するのもわたくしどものお役目ですので」


 季直の話によると二月前の十月ごろ、彼らがいつものように川の様子を確認していると普段は清涼な流れの中に禍々しいあやかしの気配を感じ取ったとのことだった。

 その後いろいろと調べた結果、季直らはその気配が上流の田上山より流れ出ていることを突き止めた。しかし彼らはあやかしに対抗する手段を持っていなかったためそれ以上深入りをせず、近くの他の神社に相談するにとどめていたそうだ。

「普通水の流れは悪しき気配を断つものです。にもかかわらず川から気配を感じるということは、それだけ強力な妖怪変化が気配の根元にいるということ。ゆえにわたくしどもではどうにもできず、ただ周囲の親しい神社に相談だけしておりました。それが巡り巡って陰陽寮にまで届いたのでしょう」

「なるほど。ちなみに被害のほどは?」

「幸いにもそやつは里には下りてこないようで、今のところまだ明確な被害は出ておりません。とはいえそれもいつまで続くかどうか……」

 心配そうにうなだれる季直を見ながら雅行は「ふぅむ」と考える。

「被害はなし。噂があまり広まってなかったのはそのためか。……そういえば某たちは妖怪はとある屋敷を占拠していると聞いて来たのですが、それについての心当たりはありますか?」

 この質問に季直は一瞬きょとんとしてから首を振った。

「屋敷ですか?いえ、わたくしどもは気配を感じ取っただけで、その大元がどのようなところをねぐらにしているかまではわかりませぬ」

「ふぅむ、屋敷云々は陰陽寮の遠見で見えのか?……季直殿、その太神山近辺に妖怪が居着くような建物はあるでしょうか?」

「そのあたりならば炭焼きや木こりのための小屋がいくつか建っておりました。ですがご覧になられたでしょうがあの山はもう、ろくな木も生えていない禿山。雨が降れば土砂災害の恐れもあるということで、どれも打ち捨てられて長いものにございます」

「つまりは空き家ということか。妖怪たちには尚更都合がいいな。……どうする、三厳?」

 必要な話はあらかた聞き終えた雅行が隣の三厳に尋ねると、ここまで黙って聞いていた三厳は言うまでもないだろうと肩をすくめて返答した。

「どうもこうも、俺たちはその妖怪とやらを追い払うために来たのだ。山に向かう以外に道はなかろう」

「そうだな。まだ日も高いし早々に向かうのもいいかもな」

 雅行は頷いて同意すると季直に礼を言って立ち上がった。


 太神山に向かうために神社から出た雅行はまず空を見上げた。探索に使える時間を確認するためだ。

「思っていたよりも日が高い……。これなら三刻くらいは歩いて回れるな。季直殿、太神山まではどのくらいでしょうか?」

「そうですな……周囲の田上山までなら半刻程度。太神山山頂まで行かれても二刻はかからないくらいでしょう。もちろん道中何もなければの話ですが」

「さすがに山頂まで行って帰ってくるのは難しいか……。まぁいい。行けるだけ行ってみよう。それでは季直殿、某たちは少し山の方へ行ってまいります。日が落ちるまでに戻ってくるつもりですが、もし戻ってこなければお手数ですがこれを陰陽寮の方まで届けてください」

 そう言うと雅行は片手に乗るくらいの白い紙を結んだものを季直に手渡した。季直も横目で見ていた三厳もそれが何かわからなかったが、おそらく陰陽寮で使われている符号か何かなのだろう。受け取った季直は何か重要な役目を任されたのだと悟り神妙に頭を下げた。

「どうかご無理はなさらないでくださいませ。お二人の無事の御帰還を心より願っております」

「うむ、善処しよう。それでは行ってくる」

 こうして三厳と雅行は季直の願いを背に太神山への道を歩き出した。


 富川を出た三厳たちは加河川をさかのぼり、半刻もかからぬうちに田上山の麓にまでたどり着いた。

「ふむ、存外簡単に近づけたな」

 近くまで来てわかったことだが、田上山は荒れ果ててはいたが植物が全く見えないわけでもなかった。岩陰には地衣類やコケが生えており、日当たりのいいところでは荒れ地に強いイネ科の雑草が膝丈くらいまで伸びていた。とはいえ緑豊かとは言い難く、地滑りによってあらわになった花崗岩質の山肌は世の無常を思わせる。また足元には細かい礫も多く、それが滑るせいで二人はなかなか標高を上げられずにいた。

「これは人が住むようなところではないな……」

 何度か足を取られたのち、剥き出しの岩を手掛かりにして進めばいいと気付いた三厳たちは以後そこに手をつき岩石の間を縫うようにして進んでいった。

 さて、このようにして田上山を進む三厳たちであったが、彼らはその道中あやかしたちの視線をひしひしと感じていた。といってもそれは恐ろしい化け物のそれではない。三厳たちに視線を向けていたのは小型のあやかし――長年生きたことで妖力を身につけたタヌキやイタチといった小動物由来のあやかしたちであった。

 おそらく彼らはこのあたりに住み着いており、急に縄張りに入ってきた三厳たちを警戒しているのだろう。一応彼らもあやかしと言えばあやかしだが、特に害はないだろうということで三厳たちは捨て置いていた。

「……何と言うか小物ばかりだな。先程覗いた小屋にもたいした奴はいなかったし、本当にここに討伐しなければいけないほどのあやかしがいるのか?」

「確かに今のところ何もないが、あの禰宜が嘘をついているとも思えん。とりあえず山頂付近まで行ってみよう。太神山の山頂付近には寺があるから、そこが無事ならば問題ないと報告しても大丈夫だろう」

 雅行の提案に従い二人は指針を山頂に向けて改めて歩き出した。

 正直なところ、この時彼らは油断していた。なにせ危険なあやかしの気配がなく、滑りやすい足元の方が恐ろしいくらいだったからだ。それゆえに前触れなくその瞬間が訪れたその時、二人の驚きはまさに青天の霹靂のような衝撃であった。

 キィィィィン――――――!

「っ!?こ、これは……!」

 きっかけなど何もなかった。ただある場所で一歩踏み出したその瞬間、二人は唐突に身の毛もよだつような明確な殺意を向けられた。

 キィィィィン――――――!

「な、何だこれは!?」

 背すじが凍り、耳鳴りまで覚えるような圧倒的な殺気。それは町の破落戸が冗談半分で言う「殺す」とはわけが違う、一般人と比べれば段違いの強さであるはずの三厳たちですら蛇に睨まれた蛙状態となってしまうほどの、圧倒的な力を行使するという意思表示にも似た殺気であった。

 キィィィィン――――――!

 その物言わぬ圧力はすさまじく、二人の額には十二月だというのにうっすらと汗が浮き出る。心拍数が上がり、耳鳴りは頭が痛むほどでもはや立ってるだけでも息苦しいかった。ついには足元がおぼつかなくなり思わず倒れそうになるが、二人はすんでのところで踏ん張ってそれを耐える。

「くっ、マズい……これはマズいぞ……!わかるか、雅行……!」

「ああ……!どうやら俺たちは向こうの縄張りに入ってしまったみたいだな……!」

 キィィィィン――――――!

 二人はすぐさま自分たちが化け物の縄張りに――陰陽寮が討伐を依頼し、下流の宮司らが恐れた太神山の化け物の縄張りに足を踏み入れてしまったことを悟った。


「……くっ!油断していた!まさかこれほどとはな!」

 そう吐き捨てた三厳は周囲を警戒しながらゆっくりと体勢を低くする。雅行も同じように頭を下げて近くの岩陰に隠れ、すぐさま陰陽術の一つである護身の九字を切った。二人は唐突な殺意に困惑しつつも、身を隠しながらその気配の主を目で探した。

 しかし見える範囲に殺気の主はおらず、また探しに来るような素振りも見られない。相変わらず押しつぶされるような重い空気はあるものの、とりあえず直近の命の危機はないだろうと悟り三厳はふぅと重い息を吐いた。

「……狩りには来ないな。殺気を飛ばしただけか?」

「おそらく。たぶん俺たちが奴の縄張りに入ってしまったので、その警告だろう。……それにしては強力すぎたがな」

 雅行もまた安堵しながら手を握ったり開いたりして五体の無事を確認していた。それほどまでに二人に向けられた殺気は強烈だった。改めて周囲を見渡せばそこかしこにいた動物たちの気配も消えている。どうやら先の気配の正体が依頼された討伐対象で間違いないようだ。

 こうしていよいよ本当に化け物がいたことを知った三厳は改めて雅行に尋ねた。

「どうやら相当な化け物のようだが、さて、どうしようか?」

 実のところこのような気配を感じ取った場合はすぐに引き返すのが最善である。確かに人間は多くの生物よりも強い。しかし上には上が、どうあがいても勝ち目のない相手というのは存在するのだ。そんな相手に出会った場合、逃げることは決して恥ではない。

 しかし悲しいかな今回二人は陰陽寮のお役目としてこの地に来ている。勝てない相手に挑むのは蛮勇だが、お役目をほっぽり出して相手の姿も見ずに尻尾を巻けば臆病者だとそしられかねない。ゆえに三厳は再度念を押すように尋ねた。

「どうする?戻るのも一つの手だぞ?」

 これに雅行はぎゅっと目を閉じ、十分に時間をかけて覚悟を決めたのち、絞り出したかのような声で返答した。

「……進もう。せめて相手の正体くらいは見抜かなければ陰陽寮に帰れもせん」

「承知した。ただし無茶はするなよ」

 正直三厳はこの雅行の判断が正しいかどうかはわからなかった。それでも友が進むと言っている以上自分もできることをするだけだ。三厳は自分でも九字を切ったのち雅行の前に立ち、左手をいつでも抜刀できるように腰の刀に添えた。


 前進することに決めた三厳たちは中腰になり、前に三厳後ろに雅行の陣形で殺気が飛んできた方へと歩を進める。二人は転がっている岩陰に隠れながらそろそろと前進するが、これは少しでも相手に見つからないようにするためだ。ただし効果のほどは定かではない。

(こちらの存在自体はもう気付かれているのだろうな。あとは向こうがどう動くか、相手の機嫌次第だ)

 殺気を飛ばしてきた以上向こうが三厳たちに気付いているのはほぼ間違いないだろう。問題はそれがどこまで正確か、そしてどこまで近付いても大丈夫なのかだ。どうにか限界が来るまでに相手の正体くらいはその目に収めておきたい。そう思いながら二人はとりあえず先程殺気を飛ばされたところから一町(約100メートル)ほど進んだ。幸か不幸かここまで化け物の姿は見えていない。ただし感じる圧力はいまだ健在、向こうも警戒を解いてはいないようだ。

「……後ろの方は問題ないか?」

「大丈夫だ、問題ない。そっちはまだ行けそうか?」

「行くだけならまだ行ける。問題はどこで出会うかだ。足場の悪いところではあまり会いたくないな」

 三厳は慎重に前方を確認する。視界に見えるのは灰白色の岩石ばかりで化け物の姿はない。足場は平坦だったが、薄くコケが生えているため滑らないように注意する必要がありそうだ。三厳は最後にもう一度周囲をざっくりと見渡し怪しいところがないと確信すると「行くぞ」と小さく呟き、それに雅行も「ああ」と短く返した。

 そうやってさらに半町(約50メートル)ほど進んだ頃だった。ここでも三厳は岩陰に隠れて進行方向の確認をする。今回も一見すると不審なところがなかったため雅行に進行の合図を出そうとしたが、ちょうどその時次に隠れるつもりでいた眼前の岩がぐらりと揺れた。よく見れば周囲の他の岩も連動するように動いている。

 三厳たちは一瞬土砂崩れかと警戒したが、すぐにそうではないと気付いた。彼らが岩だと思っていたものは生き物の――化け物の体の一部だったのだ。

「まさか、こんな近くにいたのか!?」

 三厳たちが驚愕し立ちすくむ中で化け物は自身の体を持ち上げ、その巨大な正体をあらわにした。

 岩石のような硬質の節にそこから伸びる幾本もの脚。頭頂部には鞭にも似た太い触角がついており、その根元には八つの単眼。そして口元には毒牙と巨大な顎肢が見えている。

 キィィィィン――――――!

「くっ!これは……ムカデか!?」

「馬鹿な!?見えてるだけでも十丈(約30メートル)はあるぞ!?」

 キィィィィン――――――!

 二人の眼前に現れたのは全長30メートルを超える大ムカデであった。岩にも似た外殻を持つ大ムカデは威嚇するように牙をカチカチと鳴らしながら、まるで品定めでもしているかのように三厳たちを見下ろしていた。

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