柳生三厳 太神山へと向かう 1

 旧友・多比羅雅行の依頼を受けてあやかし退治を手伝うことになった三厳。二人はそのあやかしたちが集まっているという近江・太神山たなかみやまへ向けて里を出た。


 三厳と雅行の二人は里を北から出るとそのまま道なりに北上。途中坂崎家の残党らと戦った山道を抜けて、やがていつもの笠置街道へと出た。ここから東に進めば何度も立ち寄っている伊賀・上野であるが今日の目的地はそっちではない。二人は笠置街道を西に、現在で言う京都方面に向かって歩き始めた。

「うぅ、早朝とはいえ足元がよく見えないなぁ……」

 笠置街道は谷間の川沿いを進む街道である。そのため早朝は日が差し込まず足元も見えぬくらいに薄暗い。加えて季節は十二月。周囲の山々に緑が少ないせいか夏場と比べると何とも物寂しく、それが道行く者の不安を煽る。

「……あそこの大岩、人が隠れるのにちょうどよさそうだ。まさか待ち伏せなんかされてないだろうな?」

 無駄に警戒する雅行。里で三厳の話を聞いて自分も坂崎家残党との騒動に巻き込まれかねないと知った彼は、道中倒木や大岩が見えるたびにそのようにそわそわしていた。そしてその都度三厳は呆れたように溜め息をつく。

「安心しろ。今のところこの街道沿いで誰かが襲われたという話は聞いていない。それに仮に飛び出してきても適切な距離を取っていれば対処はできる。それでも気になるって言うのなら『遠見』でも使って調べればいいじゃないか。お前も陰陽寮の術師なんだろう?」

「簡単に言ってくれる。俺の遠見なんて師匠らの足元にも及ばんのだぞ」

「自信を持って言うことじゃないだろう……。まったく、普段からあやかしとやり合っているというのにどうしてそうも腰が引けているんだ」

「馬鹿を言うな!妖怪あやかしならば術でどうにかなるが人間だと効かぬ者もいるだろう!結局普通の人間が一番恐ろしいんだよ!」

「そういうものなのかねぇ……」

 わかるようなわからないような理屈で駄々をこねる雅行に苦笑しながら三厳たちは街道を西進していった。


 さて、一行の目的地は近江南部――滋賀県南部に連なる山々のうちの一つ、太神山たなかみやまである。この太神山と柳生庄は地図の上ではそれほど距離は離れていない。しかしその間には鷲峰山じゅうぶざんや三ヶ岳、猪背山いのせやま矢筈ヶ岳やはずがたけといった標高500メートルを超える山々が立ち並んでおり、一般的にはこれら山塊を右回りか左回りで迂回する必要がある。

 右回りの場合は笠置街道を西に進み山城国(現京都府)の山城まで行ったのち宇治まで北上。そこから近くを流れる宇治川・瀬田川に沿って進めば目的の山に近付くことができる。対し左回りなら伊賀上野まで行ったのち伊賀、甲賀、甲南と進み、その後現代でも信楽しがらき焼で知られる信楽に向かうのが一番早い道だろう。

 しかし今回三厳たちはこれら二つとは違う順路で太神山へと向かうつもりであった。笠置街道を西に進んでいた二人は半里ほど歩いたところで北へと延びる山道の前で足を止めた。

「おぉここだ。ここを登っていけば和束わづかへと着く」

「ふぅむ。この道のことは知っていたが、実際に足を踏み入れるのは初めてだな」

「まぁ特別用事がなければ訪れることのない村だろうからな。では行こうか」

 そんな会話をしたのち三厳たちは街道沿いの脇道、和束村へと続く山道に足を踏み入れた。

 和束村。現代で言う京都府南部の町・和束町に相当する村で、古くから茶の産地として知られている地域である。そんな村を何故三厳たちが目指すのかと言うと、この村には奈良時代中期に整備された官道が通っていたためであった。現京都府木津川市にあった恭仁京くにきょうと、現滋賀県甲賀市にあった紫香楽宮しがらきのみやとをつなぐ恭仁京くにきょう東北道である。これは近江南部の山々を縦断するように走っていたため、ここを通ればかなりの時間の節約となることだろう。

 ただこれほど都合のいい道でありながら地元民以外でこの道を使う者はほとんどおらず、三厳も存在は知ってはいたが今日まで足を踏み入れたことはなかった。その理由はこのあたりが政治的に非常に複雑な背景を持っていたためである。


 先に述べた通り和束を通る官道は奈良時代に整備された道であり、ということは必然周囲の土地は当時の奈良政権の管理下にあった。そして以後時代が平安、鎌倉、室町と移り変わるに従い、その所有権もその時々の権力者へと移っていく。鎌倉時代に入るころにはもう東海道や笠置街道も整備されており官道自体の価値はだいぶ低くなっていたが、それでも京の都に近く歴史もあるということで多くの有力者たちがこの土地の所有者となった。

 その中にはもちろん徳川幕府もいたが、後水尾天皇の皇后であった徳川和子まさこが懐妊した際に祝いとしてこのあたりの土地の権利がまとめて朝廷に寄進されていた。

 つまり長々と話したが、要は現在この一帯は朝廷所有の領地・禁裏御料きんりごりょうになっているということだ。そのため幕府側の三厳からしてみれば何とも言えぬ居心地の悪さを感じざるを得ない。

「改めて聞くが本当に足を踏み入れても大丈夫なのだろうな?今の西と東との緊張状態なら些細なことでも大事になりかねないのだぞ?」

「心配性だなぁ。俺の同伴者として目立たぬようにしておけば大丈夫だと言ってるだろう。向こうも一々連れの素性まで調べはせんよ。そんなに心配なら村に顔を見せに行く間、村の外で待ってるか?」

「顔を見せる?顔見知りでも住んでいるのか?」

「違う違う、挨拶回りだ。和束も端とはいえ一応は御料内の村。そこを陰陽寮の者が黙って通ったと知られれば後々面倒なことになる。手間ではあるが顔の一つでも見せに行かねばならぬのだよ」

 三厳はなるほどと相槌を打った。三厳もまた将軍の御小姓だったり領主の息子といった肩書を持っているため、何か行動する際の挨拶回りや根回しの重要性については理解していた。

「それでどうする?外で待っているか?」

「いや、ついていこう。村の外で姿を見られたら説明が面倒だし、それに陰陽寮の使いが一人きりでは格好もつくまい」

「言ってくれる。同伴するのはいいが下手なことは言わんでくれよ。……おっ、見えてきたな。あれが和束村だ」

 三厳たちが丘陵を越えると眼下には人家と茶畑が広がっていた。


 和束に入った三厳たちは早速村の名主なぬしの屋敷を訪ねた。名主の老人は陰陽寮からの使いと聞いて驚きつつも、変にまごつくこともなく屋敷内に招いてくれた。ここらへんの話が早いのは御料内の村という自覚があるためだろうか。ともかく挨拶は形式ばったやり取りで滞りなく進んでくれた。

「いやはや、せっかくの都からの使いだというのに、ろくなおもてなしもできずに申し訳ない」

 愛想よく腰の低い名主に対し雅行は柔和な笑みで返す。

「いえ、急に来訪したのは我々の方ですのでお気遣いなく。それよりも村の方は問題ありませんか?妖怪、あやかし、気の乱れ。あるいは単なる牢人問題であっても何かあればお聞きしますよ」

「あやかしや牢人ですか?」

 雅行が牢人のことまで尋ねたのは三厳のためを思ってのことだろう。だが名主の老人は一瞬キョトンとしたのちに首を振った。

「いやぁ、このあたりではその手の話はあまり聞きませんね。やはり都の御威光のおかげでしょうか。まったくもって頭が上がりませんよ。ははは」

 老人の言い回しには若干おべっかが含まれていたが、何かを隠しているという風ではなかった。おそらく本当に心当たりがないのだろう。

「それは重畳。平穏そうで何よりです。……それでは私どもは先がありますゆえ、そろそろお暇させていただきます。何かありましたら気後れなく何なりとおっしゃってくださいませ」

「はい。術師様方もどうかお気をつけて」

 挨拶を済ませばもう用はないため三厳たちは早々に村を出た。そして少し歩いたのち適当な岩に腰掛けて休憩と昼食を取ることにする。三厳は携行用の固い雑穀餅を噛み割りながら和束村で聞いた話を思い出す。

「ふむ。あの村では特に情報は出なかったな」

「ああ。まぁ和束と太神山とでは距離があるからな。妖怪の噂が入ってなくてもそう不思議ではない」

 雅行の言う通り和束ではあやかしの話は聞けなかった。しかし三厳はそれではないと首を振る。

「ん?……あぁ違う違う。俺が言ってるのは坂崎家残党のことだ。手掛かりが得られるとしたらここだと思ったのだがな」

「なんだ、そっちの話か」

「そっちも何も俺の目的は初めからこっちだ。ただここで何も聞けないとなると、ここから先は期待できそうにないな……」

 道の先を見て溜め息を漏らす三厳。ここから先はさらに山奥となり、さらに柳生庄から離れていく。

「……気落ちするのはわかるが、こっちのお役目も忘れないでくれよ?」

「わかってる。やることはしっかりとやるさ。それにまだ全く情報が得られないと決まったわけではないからな」

 しかしそれから先の集落でも三厳は残党たちに関する情報は得られなかった。

 いや、それだけならまだよかっただろう。三厳たちは複数の集落を回ってみたが、彼らは残党どころかあやかしについての情報すら得ることができなかった。


 山間の旧官道を進む三厳たち。彼らは途中原山、湯船といった村々に立ち寄っては挨拶回りと情報収集を行っていた。しかしいくら聞き込みをしても有益な情報は出てこない。牢人については言うまでもなく、あやかしの情報ですらだ。

「牢人ですか?いやぁ、こんな山奥にまで足を延ばす牢人なんていないでしょう。ならあやかしはどうか?うーん……一昔前なら出たと聞いておりますが、この近辺で最近あやかしが出たという話は聞きませんね。お役に立てず申し訳ございません」

 いくつか村を回ったが二人に返ってきた答えは概ねこのような返事ばかりであった。湯船の村を抜けたのち、三厳はこれについて雅行に尋ねてみた。

「ふぅむ。残党に関してはもう仕方がないとはいえ、ここまで来てもあやかしの情報が出ないのは少し妙だな。疑うわけではないが、本当にあやかしが出たのか?」

 この質問に雅行は少し考えたのち返答した。

「それは間違いないと思う。一応は陰陽寮の正式なお役目だ。嘘偽りが通るような場所ではない」

「だがあやかしの噂は全く聞こえてこないぞ」

「ありえない話ではない。あまり積極的に動かない妖怪の場合、周囲の集落よりも先に陰陽寮の遠見の方が見つけることはままある。このあたりは人の往来も少ないしな」

 三厳はこれに「ふぅむ」と思案する。確かに陰陽寮の力を鑑みれば話の筋は通ってなくもない。しかしそれならそれで自分が呼ばれた理由がわからなくなる。

「被害が出ていないのなら放っておいてもいいのではないのか?下手に刺激して暴れられた方が厄介だろう」

「場所によってはそうしただろう。だが今回はその場所が悪い。太神山は多くの寺院と縁のある歴史ある山だし東海道も近い。妖怪たちには立ち退いてもらわねばならないし、場合によっては始末することも考えなければならないだろう」

「始末ねぇ……。あまり気分が悪くなるようなことはしたくはないのだが?」

 そう言って三厳は腰の刀を軽く撫でた。確かにあやかしの中には人に害をなす恐ろしい化け物もいるが、大半は人畜無害の連中である。(そのような罪なき相手を切れと言うのか?)三厳が試すような目を向けると、それを受けた雅行は素知らぬ顔で肩をすくめた。

「俺だって穏便に済むならそれに越したことはないと思ってるさ。もちろん柳生家との仲を険悪にしたいわけでもない。……ともかく先に進もう。判断するのは現場を見てからでも遅くはないだろう?」

「……まぁそれが道理だな。次の村は朝宮とか言ったか?」

 二人は改めて官道を進み、やがて七つ頃(午後四時ごろ)に朝宮村に到着した。


 朝宮村にたどり着いた三厳たちは名主に挨拶をしたのち、今夜の宿として借りた村はずれのお堂に腰を下ろした。日はまだ高かったが冬の山中ということを考慮して早めに草鞋を脱ぐことに決めたのだ。

「ふぅ。冬場とはいえ一日歩き通すとさすがに汗をかくな」

 旅装束を解き、名主の家でもらった雑炊をすすりながら二人は明日以降のことを話し合う。

「とりあえず今日は道なりにここまで来たが、明日からは道を外れて北西へと進むのだったな?」

「ああ。明日以降は村の西を流れている信楽川に沿って歩いていく。しばらく歩くとまた別の川――加河川と合流するから、そこからはその川に沿って進むんだ」

 旧官道は東へと続いており、このまま道なりに進めば近江・信楽村に入る。しかし三厳たちの目的地はここより北の太神山であり、そこに近付くには先程雅行が述べた道程――信楽川に沿って北上したのち加河川沿いの道に移るのが一番確実であった。

「道はいいとして宿に当てはあるのか?ここまでの集落もだいぶ寂れていたが、ここからさらに官道から外れるのだろう?」

「そこも問題ない。二つの川が合流するあたりに小さな神社があって、そこで休めることになっている。最悪下流に行けば別の村もある」

「ふむ。となると後は本当にあやかしがいるかどうかか……」

 三厳たちはここ朝宮村でも名主の元を訪れ話を聞いていた。しかしここでも他の村と同様にあやかしに関する情報は得られなかった。太神山まであともう数里というところにまで来たにもかかわらずだ。

「いるに決まっている!……そう、たまたまこちらの『目』が良すぎただけなのだ!」

 ここまで来るとさすがに雅行も若干自信なさげにしていたが、そこを突いて空気を悪くするほど三厳も馬鹿ではない。どうせ明日になればすべてがわかるのだ。

「わかったわかった。判断するのは実際にこの目で確かめてから、だろ?」

「くっ。そ、そうだ!だから今日はさっさと寝るぞ!明日は忙しくなるんだからな!」

 そう言って早々に横になる雅行。三厳はそれを見て噴き出しそうになりつつも、自身も横になってこの日を終えた。


 翌日、三厳たちは足元が十分見えるくらいの時間になるまで待ってから朝宮村を出立した。今日は旧官道から外れ、村の西を流れる信楽川に沿って北へと進むことになっている。さすがに官道と比べると荒れた道だったが、一晩休んだ甲斐あって三厳たちは特に手こずることなく進んでいった。

 そうして一刻ほど歩いたのち不意に雅行が前方を指さした。

「お。三厳、あのカツラ並木が見えるか?あれを抜ければまもなく加河川との合流地点だ」

 雅行の言う通り、群生していたカツラの木々を抜けると二つの川が合流する少し開けたところに出た。そして視界が開けたということは遠くまで見えるようになったということだ。ここに来てようやく三厳は目的地である太神山周辺の山々を直接目にすることができた。

 を視界に収めた三厳は思わず言葉を失った。

「うぉ……。噂には聞いていたが、本当に地獄みたいな光景だな……」

 三厳たちの眼前に現れたのは緑がほとんどない、花崗岩の地肌が剥き出しになっている荒れ果てた山々であった。

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