多比羅雅行 交渉に挑む 2

 太神山に住み着くあやかし・大ムカデと対峙した三厳と雅行。その圧倒的な力に三厳は撤退すら覚悟したが、岩陰から観察していた雅行が大ムカデには知性があり言葉が通じることを見抜いた。

 言葉が通じるということは交渉の余地があるということだ。ここに解決の糸口を見た雅行は三厳に時間を稼ぐよう依頼する。

「俺が説得している間、攻撃が飛んでこないよう囮になってほしい。頼めるか、三厳?」

「無茶を言う。……あまり期待はするなよ?」

 そう言うと三厳は好戦的な笑みを浮かべながら岩陰から飛び出した。


「さぁこっちだ、化け物ムカデ!仕留められるものなら仕留めてみよ!」

 隠れていた大岩から飛び出した三厳は挑発しながらザレ場(小石が散らばっている山の斜面)を駆ける。何はともあれ大ムカデの注意を自分に向けるためだ。

 これを受けて大ムカデは雅行が隠れている岩と見比べたのち、面倒そうに三厳の方に向かってきた。大ムカデの心情としてはおそらくどちらを追っても大差ないと思ったのだろう。それほどまでに彼と三厳たちの力の差は大きかった。

(だが理由はどうあれ引き付けることはできた。あとはひたすら時間稼ぎだ)

 三厳は山肌のくぼみや転がる花崗岩を利用して大ムカデの側面に回り込もうとする。対し大ムカデはその動きに何かイヤなものでも感じたのだろうか、尾を振って小石の散弾を飛ばしてきた。三厳は近くのくぼみに伏せそれをやり過ごすと、すぐに立ち上がり次の岩陰に向けて駆けていく。じっとしていたらまたあの曳航肢の鞭に襲われかねないからだ。

 そうやって小さな前進を繰り返しつつ、三厳は次の一手をどうするか考えていた。

(さて、やるだけやってみるとは言ったが、あんな化け物相手にどれだけできるか……。とりあえず刀が通じるかどうかくらいは確認しないとな)

 三厳は走りながら適当な石を一つ拾い上げ、折を見て大ムカデの外殻に向けて投げてみた。もしかしたら意外と柔らかいのではないかと淡い期待をしての行動だったが、投げた石はカツンと乾いた音を立てて弾かれただけだった。もちろん外殻には傷の一つもついていない。

(……ダメだな。あの殻に刃は通らない。狙うなら殻と殻とのつなぎ目か、足の関節部か……。どちらにしても簡単に狙えるところではないな。はぁ、弓矢の一本くらい持って来ればよかった)

 だがないものねだりをしても仕方がない。三厳は懐から竹筒を取り出すと中に入っていた液体を口に含み、それを刀身に吹きかけた。竹筒に入っていたのはお清め用の白酒である。これで三厳の刀には簡易的ではあるが退魔の力が宿った。あの巨体にどれだけ効果があるかは不明だが、まぁ何もしないよりはマシだろうと思ってのことだ。

(さて、やるだけやってみますか)

 できる限りの準備を整えた三厳は次の大岩に向けて駆け出した。


「……そろそろか」

 三厳が飛び出してからしばらくしたのち、雅行は自身が隠れていた大岩に手をかけた。

 三厳の奮闘により大ムカデは当初の位置から大きく移動していた。それは雅行の隠れている大岩が間合いから外れるほどで、今は視線すら向いていない。雅行はこの隙に再度大岩によじ登る。三厳が囮となってくれている間に説得して、交渉の場についてもらおうというのが彼の目論見であった。

 岩の上に立った雅行は咳ばらいを一つしたのち声を張る。

「オホン……あー、聞いてくれ、大ムカデよ!某たちは別に貴殿が憎いわけではない!ここが都に近いから立ち退いてくれと言っているのだ!貴殿が話を聞いてくれるなら、私たちは争う必要はなくなるんだ!」

 雅行の声に大ムカデは一瞬顔を向けるが、丸腰の彼を見て脅威ではないと思ったのか、すぐにウロチョロと動き回る三厳の方に視線を戻した。

(止まらぬか……。まぁいきなり上手くいくとは思ってないさ)

 それでも雅行はあきらめず声を張る。

「聞こえているのだろう、大ムカデよ!貴殿も長く生きているのならば、この争いがいかに無意味かわかっているはずだ!どうか気を静めてほしい!さすればこちらも剣を納めようぞ!」

 だがこれに対する大ムカデの返答は一瞥もせずに尻尾で小石を飛ばしてくるだけだった。飛んでくる石を見た雅行が「おっと」と岩陰に引っ込むと、石つぶての散弾がガガガと周囲の地形を削る。

「まったく、少し尾を払っただけでこの威力か。三厳はよくこんな化け物に向かって行けるものだ」

 雅行は散弾が収まったことを確認すると再度岩の上に乗り、説得を続ける。しかしその反応はでも『なしのつぶて』の方であった。

(矮小な人間の言葉など聞く耳なしか。やはりここは三厳に頑張ってもらうしかなさそうだな)

 三厳が一矢報いればあの大ムカデも少しは人間の話を聞いてくれるかもしれない。それを期待しつつ雅行は言葉を投げかけ続けた。


 さて、その三厳であるが、彼は大ムカデが雅行に向かって小石を飛ばしたのを見るや、自身も手ごろな石を拾って大ムカデの顔目掛けて投げつけていた。

「おいおい!確かに俺は取るに足らない相手かもしれないが、無視してもいいほどの小者でもないぞ!」

 三厳がそう叫んだのは大ムカデの攻撃が雅行に向かないようにするためだ。その効果はあったのか、大ムカデはイラついた様子で顔を三厳に向ける。

「そうそう、攻撃したいのなら俺を。交渉したいのなら向こうとだ。好きな方を選ぶといい」

 しかしそんな勇ましい言葉とは裏腹に、三厳の戦法はひたすら岩陰に隠れながら大ムカデの側面に回るというものだった。さすがの三厳も真正面から戦ってこの大ムカデを倒せるとは思っていなかった。

(まともにやり合おうと思うな。俺はあくまで雅行の言葉が通じるまでのつなぎなのだから)

 相手との実力差がわからないほど三厳も愚かではない。自分がまだ五体満足なのは大ムカデがまだ本気を出していないからで、相手が本気で殺しにかかってくればおそらく百秒も持たないだろう。唯一の勝ち筋は雅行による交渉のみで、ゆえに三厳は彼の声が届くまでの時間稼ぎに徹していた。

 だが見ている限り状況は芳しくない。雅行はここで戦っても無意味だとか、自分たちを退けてもすぐに次の使者が来るだろうといった言葉で大ムカデを説得をしていたがそれが響いた様子はなく、返ってくる反応も基本無視か時折鬱陶しそうに尻尾で小石を飛ばしたりしてくるばかりである。そしてそのたびに三厳は攻撃対象が自分になるように牽制していた。

「だから攻めるのはこちらにしろと言っているだろう。それとも何か?交渉できない理由でもあるのか?」

「キシャアァァァ!」

(うーむ、聞く耳持たずという感じだな。ここはやはり俺が一太刀浴びせた方がいいのだろうか?)

 三厳は囮を依頼されていたが、もう一件、可能であるならば人間の恐ろしさを教えるように頼まれてもいた。人間が取るに足らない相手ではないとわかってくれれば大ムカデも交渉の場についてくれるかもしれないからだ。

 つまり攻勢に出てもいいということだが、言うは易しで行うは難しい。なにせ攻撃するということは刀が届く距離まで近づくということであり、それだけ大ムカデの懐に入り込むということだ。小石の散弾は避けづらくなるだろうし、あの無数の歩脚で捕らえられてしまうかもしれない。リスクの割に見込めるリターンは大きくない。

 だがこのままウロチョロとしていてもジリ貧なのもまた事実。状況を変えるなら体力が十分にある今のうちにしておくべきだろう。三厳はしばし考えたのち、諦めたかのように溜め息をついた。

(仕方がない。少し怖いがやるだけやってみるか。……とりあえずあの足でも狙ってみるかな)

 覚悟を決めた三厳は石を投げて大ムカデの視線を誘導すると、素早くその胴体中央部に近付いた。中央部を狙ったのは末端部よりは動きが鈍いだろうと思ってのことだ。そしてそこに並ぶ無数の足の一つに目をつけて刀を振り下ろす。もちろん狙うは比較的柔らかいであろう関節部である。

「でりゃあっ!」

「ギシュアァッ!?」

 関節部を狙ったのは正解だったようで、振り下ろした手には肉を切る柔らかい感触が返ってきた。ただ残念ながら踏み込みが甘かったのか切断するまでには至っていない。三厳は舌打ち一つしてすぐさま追撃しようとしたが、大ムカデが身をよじって抵抗してきたため無理はせずに近くの岩陰まで戻った。

「キシャアァァァァ!!」

(チッ!日和ったか!だが場所を選べばきちんと刀が通ると知れたのは朗報だ。これで少しは向こうも俺を意識するだろう)

 三厳が傷をつけたのを見て、雅行も合わせて説得する。

「大ムカデよ!某らも矮小ながら貴殿を傷つけるくらいのことはできるのだ!長く戦っても得することなどないぞ!それよりも悪くするつもりはないから、今一度某らと交渉してはくれまいか!」

 だが大ムカデはこれに答えず、しばらくわなわなと震えたのち、「キシャアァァァァ!!」と耳をつんざくような金切り声を上げた。


 三厳からの一撃を受けた大ムカデはしばらくわなわなと震えたのち、耳をつんざくような金切り声を上げる。

「キシャアァァァァァァァァァァ!!!!!」

 三厳はこの叫びを岩陰で聞きながら(これはマズい……!)と戦慄した。様々な相手と戦ってきた三厳は、この叫びが発狂の咆哮であるとすぐに気付いた。どうやら大ムカデは三厳の一撃を受けていよいよ我慢の限界が来たようだ。

 そしてこの咆哮は戦局が変わることも示唆してもいた。

(あんな風に叫んだ奴が次にとる行動は二通り。叫んですっきりとしたことで落ち着くか、はたまた逆に怒りに任せて暴れまわるかだ。前者なら雅行の声が届くかもしれないが、後者なら……)

 岩陰から注意深く様子を窺う三厳。

 対し大ムカデは発狂したのちしばらくじっとしていたが、やがて大きく空気を吸い込むと次の瞬間四方に向けて背すじが凍るほどの鋭い殺気を放出した。

(ぐおっ!なんて禍々しい殺気だ!?)

 膨れ上がった殺気に三厳と雅行の肌は粟立ち、遠くでは野鳥の一団が逃げるように飛び立った。三厳はすぐさま距離を取ろうとしたが足がすくんで思うように動けず、そしてその隙に大ムカデの方が動き出した。

 大ムカデはもたげていた頭部を地面につけると、そのまま高速で8の字に旋回した。全長30メートルにも及ぶ大ムカデの高速旋回。これにより周囲に無数の小石が飛び散り砂煙が舞い、三厳はその場に釘付けとなった。

「ちいっ!面倒な!」

 飛んできた小石の方は岩陰に隠れていたため脅威にはならなかったが、問題は砂煙の方だ。大ムカデの旋回によって巻き上げられた砂煙は三厳の視界を遮り、気付けば数寸先も見えないほどになっていた。これでは次に向かう先がわからない。しかも厄介なことに、十分に砂煙が上がったと見るや大ムカデは旋回を止め、自身の気配を消したのだ。

(大ムカデの気配が消えた!?これはマズいぞ!)

 三厳は最初に大ムカデと対峙した時のことを思い出した。奴は三厳たちが目の前に来るまで自身の気配を断っていた。野生生物特有の気配を消す技術をここで使ってきたというわけだ。

 だが三厳の方も伊達に鍛えているわけではない。相手が本気を出してきたことで共鳴するように研ぎ澄まされた三厳の五感は、側面から聞こえてきた鋭い風切り音を聞き逃さなかった。

 ヒュオン!

「くっ!こっちからか!」

 音に反応し大きく飛ぶ三厳。そこに大ムカデの曳航肢による鞭のような攻撃が叩きつけられる。相変わらず骨すら砕きかねないほどの鋭い攻撃であったが、今回もまた三厳は紙一重でこれをかわした。

 三厳はその後の二撃目三撃目も順調にかわしていたが、同時にその攻撃に違和感も感じていた。

(この感じ、何か狙っているのか?)

 大ムカデの連撃は確かにすさまじいものであったが、そこにはがむしゃらというよりは冷静に何かを狙っているかのような不気味な息遣いが感じられた。

 とはいえ曳航肢の鞭は強力なため避ける以上のことはできない。そうこうしているうちに三厳は隠れられるような大岩のない、小さな石が広がる開けた場所へと連れてこられた。

(しまった!これは誘導されたのか!?)

 自分が不利な場所へと連れてこられたと気付く三厳。どうにか元居た場所に戻ろうとするが、ここで大ムカデが渾身の一撃をふるう。

 これまでの比ではない圧倒的は迫力で迫る二本の曳航肢。これだけはくらってはいけない。そう直感した三厳は足場が悪いと知りつつも大きく飛んでこれを避けた。

 だがこれこそが『詰みの一手』であった。


 足場が悪い中、大きく飛んで曳航肢の鞭を避けた三厳。しかしこれこそが『詰み』であった。

 キィィィィン――――――!

(これはっ!?)

 不意に訪れた今日一の殺気。それを感じ取った次の瞬間、土煙の中から大ムカデの巨大な頭部が現れた。

「キシャアァァァァァ!!」

 大きく開かれた口が三厳に迫る。

(これが本命か!逃げ……ダメだ!踏ん張れない!)

 大きく飛んで着地した後のため回避行動のとれない三厳。せめてもと、とっさに刀を盾にするがそれでも勢いを完全に止めることはできず、大ムカデの右の牙が三厳の左腕を大きくえぐった。

「ぐふぅっ!?」

 肉が削れ、焼けるような痛みが三厳の左腕を襲う。三厳の受けた傷は致命傷ではないが、刀を握るには支障が出るような傷であった。

 これではまともに戦えない。三厳は苦痛に顔をゆがめながら、とにかくこの場から離れようとしたが、大ムカデの攻勢は続いていた。大ムカデは盾のように向けられた三厳の刀に噛みつき、そのままその頭を高くに上げたのだ。

「ちょっ、おまっ、待てっ!?」

 大ムカデは刀に噛みつきそのまま頭を持ち上げる。すると刀を握っている三厳も必然宙に浮く。1メートル、2メートル、3メートルとどんどん地面が遠のいていく。

 後にして思えば刀なんぞにこだわらずさっさと手を放してしまえばよかったのだが、それは唯一の攻撃手段を失ってしまうことでもある。そのため三厳はなかなか決心できず、気付けば彼の体は地面から二丈(約6メートル)ほどの高さにまで持ち上げられていた。

「くそっ!このっ!」

 三厳は体をよじり、なんとか刀を取り戻そうとする。しかし大ムカデはこれにびくともせず、逆に頭を振って三厳を振り落とそうとした。もちろん三厳は耐えようとしたが痛めた左腕では握力が足りず、数度振り回されたのちとうとう刀から手が離れた。

 このとき三厳がいたのは地上からおおよそ6メートルのところ。現代で例えれば一般的なビルの三階の高さに相当する。そこから三厳は固い山肌へと落下したのだ。

「う、うわあぁぁぁぁぁっ!?……ぐはぁっ!?」

 三厳はどうにか空中で体勢を立て直し受け身を取ったが、落ちた先はクッションになるような緑も何もない、礫が広がる固い山肌だ。頭と首こそ守ったものの、背中と左手には無数のトゲ付きの木づちで叩かれたかのような痛みが広がった。特に左手は先の攻撃とも相まってもはや感覚すらなくなっている。

(これは……ちょっと洒落にならないな……!)

 おそらく三厳史上最大の窮地である。しかもこれが底ではない。三厳がふと見上げると、頭上では大ムカデが刀を口にくわえたまま三厳を見下ろしていた。そして三厳と目があうや、表情筋などないはずの大ムカデがにやりと笑ったように見えた。

「な、何をする気だ……。ま、まさか!?おい、やめろ!」

 しかし三厳の叫びもむなしく大ムカデは刀を加えた口元に力を籠める。すると刀は一瞬たわんだのち、パキンと中央から二つに折れた。

「あ、あぁっ……!」

 折れた刀は大ムカデの牙の間をするりと抜けて落下し、まるで墓標のように地面に突き刺さった。これを見て三厳は心の底から自身の敗北を悟った。

(おしまいだ……。俺の、負けだ……)

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