柳十兵衛 山で釣りをする 1

 十兵衛が不敵ににやりと笑う。

「私が餌となりましょうぞ」

「餌……それはつまり……」

「ええ。私が一人山に入り山賊をおびき出すのです。そう、まるで釣りのように。いうなれば『山釣り』ですな」

 十兵衛の案に対し平左衛門は渋い顔をする。しかし反対まではしなかった。近しいことは平左衛門もまた考えていたからだ。

 十兵衛たちの目的は山賊とあやかしの関係を調べること。しかし市井の情報だけではその見極めは困難だった。故に遅かれ早かれ山に入る提案はするつもりであったが、しかしその餌に十兵衛本人がなるというのならそれはさすがに一言言わなければならない。

「しかしそれなら十兵衛殿が一人餌になる必要はないでしょう」

「襲われた人たちは皆一人でいたところをやられたと言っていました。それならば必然私も一人でいるべきでしょう。あぁ、もちろん本当に一人で山に入るつもりはありませんよ。平左衛門様には少し離れたところから怪しいところがないか監視についてもらいます」

「それなら別に逆でもいいではないですか。私が餌で十兵衛殿が後詰めに。あるいは詰め所から適当に一人借りてきて二人で監視するという手だってあります」

「いやいや。平左衛門様と私とでは隠れる技量に差がありすぎますよ。監視がばれて山賊が逃げてしまっては元も子もありませんからね。やはりここは適材適所。隠密に長けた平左衛門が後ろに控え、荒事に慣れている私が前に立つべきでしょうぞ」

「むぅ……」

 平左衛門が閉口する。確かに適材適所という点では十兵衛の案は筋が通っていた。おそらく被害も最小限で済むことだろう。だが平左衛門はどうしても十兵衛の精神面について懸念せずにはいられなかった。案を語る十兵衛の口調。それはまさに武者働きをしたがっている若い侍のそれであったからだ。

(わざわざ自分を鉄火場に置きたがる。若さ、あるいは剣で功を立てることにこだわっているといったところか。諫めるべきなのだろうが事実腕は確かだからなぁ……)

 悩む平左衛門。しかし結局うまい反論が思いつかなかったため、ため息をついてこの山釣りの案を飲んだ。

「はぁ。わかりました。ですがあまり無理はなされるな。あくまで目的は今回の山賊騒動にあやかしが係わっているかを見極めること。場合によっては引くこともあると心に留めておいてくだされよ」

 平左衛門の忠告に十兵衛は「わかっていますとも」と返したが、その表情にしてやったりの相が出ていたのを平左衛門は見逃してはいなかった。


 作戦はいたって単純だ。今までの被害者と同じように近道として、あるいは道迷いのふりをして山中に入る。これを山賊が出てくるまで繰り返す、ただそれだけだ。

 餌は十兵衛一人。だが実際は十数間(約30m)後方から隠れて平左衛門が監視を行う。平左衛門は有事の際に駆け付けるだけでなく場合によっては隠れたまま十兵衛から離れ山賊を尾行する役目も担っていた。

 計画がまとまると十兵衛たちは原田に話を通し必要な衣類等を調達してもらった。当たり前だが折り目正しい大小持ちの格好では山賊が襲いに来るはずもない。十兵衛は少し使い古された菅笠すげがさ合羽かっぱ脚絆きゃはんといったいかにもお江戸を目指す田舎牢人という格好に、平左衛門は草木に紛れやすい濃緑色の羽織に着替えた。また十兵衛は刀を一本改めて用意してもらった。もちろん十兵衛は自前の刀を持ってはいたがこしらえが上等すぎて牢人の持つそれには見えなかったためだ。こうして用意されたのは、鞘は所々剥げており柄の巻きもだいぶ擦れていた銘もない刀。ただ元がいいのか振り心地は手になじみ悪くはなかった。少なくとも破落戸程度なら問題なく使い物になるだろう。十兵衛はそれを一本腰に差し準備を終えた。

 余談だが仕度の際原田が「似たような囮作戦は我々も行いましたが成果はありませんでした」と忠告めいたことを言っていた。だが詳しく聞けば餌は一人であったが後ろに素人の監視がぞろぞろと三人も付いていたという。これなら出し抜かれたとしても仕方がないだろう。対して平左衛門は本職の隠密である。平左衛門は意に介さず「まぁやるだけやってみますよ」とだけ答えた。


 翌朝。準備を終えた十兵衛と平左衛門は本庄を出たのち中山道に沿って北上。次の宿場町である倉賀野くらがの宿が見えるところまでやってきた。だが目的はこの倉賀野ではない。二人は反転して再度本庄へと向かう。ただし今度は街道を通ってではなく無理矢理山中を通ってだ。

 この山釣り作戦で地味に厄介だったのが、どこから山に入るかということだった。資料では襲われた人たちのほとんどが江戸へと向かっていた。つまり逆に江戸方面から山に入っては山賊は現れないかもしれないということだ。もちろん推察だが可能性は少しでも上げたい。なので二人は一度北上し江戸へと下るふりをして山に入る案を取った。この移動のため山釣りは日に二回が限度であった。


 こうして始まった山釣りであったが一日目二日目三日目と何の成果もなく終わった。もちろん確率論としては成果なしで終わるほうが普通である。しかし、ある程度骨折り損を覚悟していたとはいえ血気盛んな十兵衛にこの結果は堪えた。この日の宿、とある村の惣堂に腰を下ろした十兵衛は思わず愚痴を吐く。

「まったくじれったいですね。さっさとかかってくれればいいものを」

「まぁまぁ。待つのも釣りの醍醐味。釣りと言ったのは十兵衛殿ですよ?」

「はぁ……どうも私に釣りは性に合わないみたいですな」 

 そして四日目の朝。この日は朝から厚い雲が空を覆っていた。雨はまだ降ってはいないがやがて降るかもしれないし、このまま降らないかもしれない。すっきりとしない天気に十兵衛はため息をつく。

「気が滅入りますね」

「しかし釣りは晴れの日よりも曇っていた方がいいと言いますぞ」

「せめてそうあってほしいものですよ」

 冗談めいた会話を交わしながら十兵衛は今日の草鞋をきつく締め直した。

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