荘田之平 伊勢の津へと向かう 1

 坂崎家残党に不穏な動きあり。その知らせを聞いた宗矩は柳生庄にも警戒するようにと手紙を書く。かくして数日後、この件は三厳にも伝えられ同時に宗矩の罪――坂崎事件の真実も告げられた。

 宗矩の手紙による告白、および柳生庄代官・小沢頼元よりもとから当時の事を聞いた三厳はあまりの無情な話にしばし言葉を失った。

「なんと……そのようなことがあったのか……。だがなるほど、それならば坂崎家が我ら柳生家を恨んでいたとしても仕方のないことだ。まさかあの事件にそのような裏があったとはな……」

「はい。まこと痛ましき事件でした。……殿は三厳様にはお話ししてなかったのですね」

「その頃は俺はまだ柳生庄にいたし父上らもこのことについては話したがらなかったからな。だがその気持ちも今ならわかる。御家を思って泥をすすった勘兵衛様とやらのことを思えば嬉々として語りたい話ではないからな」

 最近領主としての自覚が出てきた三厳にとって勘兵衛の覚悟は決して他人事ではない話であった。

(御家のためならば主君すら切る、か……。俺で言えば父上を切るというとこなのだろうか?仮にそのような場面になったとして、俺に切れるのだろうか?)

 しばし考えこむ三厳であったがすぐに馬鹿げた考えだと思いなおし首を振った。そんな仮定に意味などないし、今考えなければならないことはそれではない。

「それで平四郎へいしろう様の様子に変化はあったのか?」

 平四郎とは現在柳生庄で暮らしている坂崎直盛の嫡男・坂崎平四郎のことである。坂崎家残党が接触を図るかもしれないから気をつけろというのが宗矩からの忠告であった。

「いえ。殿の手紙が来てからすぐに監視をつけておりますが特に変わった動きはないとのことです。またそれ以前に不審な者が訪ねてきたということもないとのこと」

「そうか。里の身内を疑うのは気が引けるが、事が事だからな。引き続き警戒し何かあったらすぐ知らるように」

 この指示に頼元は「承知いたしました」と頭を下げた。


 坂崎平四郎。今年で四十五となる坂崎直盛の嫡男で、現在は宗矩預かりの武士として柳生庄にて暮らしている。その出自故か柳生庄の武士としては珍しく宗矩の門下には入っておらず、里の者とは距離を取って日がな読書や蚕の飼育をたしなんでいた。

 三厳は入れ替わるように江戸に出ていったため彼との面識はほとんどなかったが特別悪い噂は聞いたことがなく、その点については頼元も同意した。

「平四郎様は里の者と積極的に交流なさる様子はありませんでしたが、普請だったり里で何かが起こったときには迷わず手を貸してくれる良識あるお方です。殿を恨んでいるというような話も聞いたことがありません」

「ふぅむ。そうなると下手に探って不信感を与えてしまうのは悪手だな。やはりまだこの件は伏せておいた方がいいか」

「それがいいでしょう。せっかく善良な関係を築けているのです。それを崩してしまっては元も子もない」

 三厳たちは今回の件を平四郎に伝えるのは少し待つことにした。まだ何も起こってない段階で十年以上も前の話を掘り返すこともないだろう。

 だがその一方で彼の周辺に対する警戒は継続しなければならない。もし残党らの目的が坂崎家の復権だとしたら平四郎ほどに必要な駒はないからだ。

「理想は残党と会わせないことでしょうな。奴らが何かあることないことを吹き込むかもしれないし、本人の意思とは無関係に担ぎ出すかもしれない。そうなれば誰にとっても不幸な結末にしかならないでしょう」

「だとすれば必要なのはやはり情報か。奴らが今どこで何をしているのかがわかれば対処はだいぶ楽になる。しかしどこから調べたものか……」

 残党らの目的が単なる関係者への復讐なのか、それとも坂崎家復権まで考えているのか。組織立って動いているのか、個々人で動いているのか。江戸に向かっているのか柳生庄に向かっているのか……。それらがわかれば警戒の負担はかなり減る。

 だがその情報を得るためにどこを調べればいいのか、三厳たちはまるで見当がつかなかった。そもそも事件自体が十年以上前である。余程敏感に気にしている者でなければ旧家臣らの行方なんて誰も知らないだろう。

「父上もまだ話を聞いたばかりという風だったからな。さて、どうしたものか……」

 しばらく悩んでいた二人であったが、やがて頼元が一つの案をひらめいた。

「そうだ!山中屋を頼ってみるのはいかがでしょうか?」

 山中屋とは大坂に店を構える廻船問屋・鴻池山中屋のことである。三厳は少々縁あってこの山中屋と非公式な協力関係にあった。だがここで名前が出た理由までは三厳にはわからない。

「なんでまた山中屋に?事件が起こったのは江戸ですし、出羽守の領地は津和野つわの(現島根県西部)でしょう?」

「いえ、確か出羽守は一時大坂に居を構えていたはずです。それに山中屋は元は武士の家系。ならば武士に関する噂も多少は入ってくることでしょう」

 実は坂崎直盛は以前は『宇喜多うきた詮家あきいえ』という名で大坂を中心とした西国で暮らしていた。『宇喜多』の姓で気付いた人もいるだろうが彼は豊臣五大老の一人、『備前宰相』とも呼ばれた宇喜多秀家ひでいえの親族で彼の配下だったのだ。しかし直盛はある時秀家と対立、それを機に出奔し徳川家康の下につく。その後関ヶ原で東軍として戦果を上げ、その際に『坂崎直盛』に名を改め津和野の領地を拝領した。

「ですが元領地の津和野にはもう別のお方が入っておられますし、江戸もあんな事件を起こしたのですから大手を振って歩けるような場所ではない。ならば坂崎家の家臣だった者が向かう先は……」

「少しでも縁のある大坂、というわけか……。なるほど。当たってみる価値はあるかもだな。よし。では早速与六郎よろくろうに接触するようにと言っておこう」

 与六郎とは大坂における伊賀忍者の諜報活動を取り仕切っている、三厳の幼馴染の忍びである。山中屋との情報交換は主に彼を介して行われていた。そんな彼に調査の依頼を出したところ、返事は十日と経たぬうちに返ってきた。


「与六郎からの返事が来たそうだな」

 下男から知らせを聞いて日課の鍛錬を切り上げ座敷へとやってきた三厳。そこでは頼元が先んじて返事の手紙を読んでいるところであった。

「はい。恐れながら先んじて拝見させていただきました」

 どうやら使いから報告の手紙を受け取ってそのまま読んだようだ。その使いの者は庭で足を洗っているという。

「構わん。それで首尾は?」

「残念ながら山中屋は役に立ちそうな情報を持ってないとのことです。ただ代わりに旧家臣の動向を知っているというお方を紹介していただきました」

「ほう。誰だ?」

「元出羽守の小荷駄こにだ役、中川家常いえつねという者です」

 山中屋から紹介されたのは元坂崎家の小荷駄役・中川家常という者だった。小荷駄役とは戦場に兵糧や武器を運ぶ、現代で言う兵站業務をつかさどる役職のことである。彼は身分は低いものの直盛がまだ宇喜多秀家の下にいた時から付き従っていたそうで、その経歴故に坂崎家の中でも顔が広い方だったという。

 そこまで聞いて三厳は「ちょっと待て」と少し不審げに目を細めた。

「……それは大丈夫なのか?それだけ長いこと仕えていたというのなら、むしろこちらを恨んでいる側ではないのか?」

 情報は欲しいが今はまだ危険な交渉をする段階ではない。そこを心配する三厳であったが、頼元はこれに首を振って大丈夫だと返す。

「そこは問題ないようです。というのも、この者の正体は備前様(宇喜多秀家)の間者――つまり元から出羽守を監視するために配下についていたとのことです」

 話によるとその家常という男は本来は秀家の配下だったそうだ。だが秀家が当時部下だった直盛から謀反の気配を感じ取り、それを見張るために彼を間者として送り込んだのだという。信用できない部下に監視を送るのは戦国時代では間々見られた光景だ。そして家常は直盛が出奔した後も情報を得るために正体を隠して付き従っていたとのことだった。

「つまり元より出羽守の部下ではないから恨みなどはないということか。だが本来の主人だという備前様は……」

「ええ。備前様は関ヶ原で西軍だったために失脚。仮の主人であった出羽守も例の事件で亡くなってしまったため、今は親戚の小物屋に身を寄せて隠居生活をしているとのことです」

「なるほど。しかしそんな面倒な身分で話をしてくれるのか?何が目的だ?」

「それが相手方の要求は保身とのことです。今回の件で何かあったときはお目こぼしをお願いしたいとのこと」

「保身?……そうか、確かに今を平穏に生きている者からすれば、残党の振る舞いはいらぬ火の粉をかけられているようなものだからな。連座で処罰にでもなったら目も当てられない」

 主君が不遇の死を遂げたとはいえ所詮は十一年前の事件。恨みの感情がとうに風化した者もいるだろう。少し薄情な気もしたが、わが身が可愛くなるのもまた人情。ならばありがたくその感情を利用させてもらうだけである。

「ふむ、ならば一度会ってみるとするか。場所は大坂か?」

「いえ、伊勢(現三重県)の津だそうです」

「津か……。微妙に遠いな……」

 三厳は頭の中でざっと地図を広げたのちに眉根を寄せた。柳生庄から津までは普通の者なら四日から五日、三厳の足でも二日から三日はかかる。しかも途中どこかで伊賀と伊勢とを分ける山々を越えなければならないため天候次第ではさらに日が必要になるだろう。柳生庄が狙われているやもしれない今、三厳がそれだけの期間里を離れるのはあまり賢明な判断とは言えなかった。

「伊賀の忍びに名代を頼んで……いや、今彼らは京で手一杯か……」

 この頃はちょうど沢庵和尚もかかわっている紫衣事件の沙汰が京都で議論されている最中だった。この判決次第では幕府と朝廷の在り方が大きく変わってしまうため、現在周囲の諜報機関のほとんどが京都に張り付いているらしい。

「さすがに今の段階ではまだ伊賀の忍びには頼れぬな。しかしそれだと誰を送ればいいのか……」

 今回の件は江戸やら宗矩やらがかかわってくるだけに半端な者は送れない。悩む三厳であったが、そこに頼元は一人の家臣の名前を挙げた。

「三厳様。荘田しょうだ家の之平これひら殿などいかがでしょうか?之平殿なら例の事件も存じておりますし、きっと卒なくお役目をこなしてくれることでしょう」

 荘田之平とは古くからこの地で暮らし柳生家に仕える一族、荘田家の現当主である。堅実かつ忠に厚い性格で、加えて坂崎事件の真相も知っているとのことだ。なるほど彼ならば宗矩の恥も飲み込んで役目を果たしてくれることだろう。

「之平殿か……。ふむ、確かにあの方ならばそつなくこなしてくれそうだ」

 そうと決まれば早速三厳たちは之平を呼び出した。急な呼び出しであったにもかかわらず之平はしっかりと折り目正しい上下一式で参上し深々と頭を下げる。

「それで三厳様に頼元様、内密のお話だそうですが、一体何用でしょうか?」

「はい、そのことなのですが……」

 三厳らはこれまでに得た情報を之平に開示した。柳生家を恨んでいる残党がいるとなかなかにショッキングな話であったが之平は眉一つ動かさず静かに耳を傾け、そして津への使者となる件についても反論一つすることなく頭を下げて了承した。

「承知いたしました。某は当時柳生庄におりましたが、出羽守様の件での殿の無念は聞き及んでおります。その無念があらぬ形にならぬよう、しっかりとお役目を全うすることを誓いまする」

 こうして坂崎家残党の情報を聞きに行く役目に之平が選ばれた。


 さて、津への使者は古参家臣の荘田之平に決まったわけだが、当然彼一人を津に向かわせるわけではない。この時代の旅は山賊だったり牢人だったりといろいろと危険があるため護衛は必須である。

「では同行者は誰にしましょうか。誰か手の空いている者がいたかな?」

 幸い腕に覚えのある者には事欠かない。三厳が誰にしようかと悩んでいると、そこに之平が割って入ってきた。

「三厳様。まこと勝手ながら一人連れていきたい者がいるのですが、よろしかったでしょうか?」

「おや、護衛の当てがあるのですか?」

「あ、いえ、護衛というわけではないのですが……仔細なければ某の愚息・長右衛門ちょうえもんを連れていきたく存じ上げます」

「長右衛門?」

 三厳は頭上に「?」を浮かべる。名前を言われてパッと顔が思い浮かばなかったためだ。はて、之平にそのような息子がいただろうか?その様子に之平が苦笑して返す。

「三厳様が覚えてなくとも仕方ありません。長右衛門は数年前にうちに養子に来た者で、三厳様が里に戻られた際に一度紹介したきりでしたからね。里より東の大保おおぼ村出身で年は今年で十三。剣の腕はあまりよくはありませんが読み書きに長じた利発な者にございます」

「あ、あー……そう言われれば前に一度そのような者を紹介されたような、されなかったような……」

 実は之平の言う通り三厳は一度長右衛門を紹介されていた。だがそれは里に帰郷してすぐの頃で他にも覚えるべき顔が多かったこと、その後しょっちゅう里を留守にするせいで顔を合わせる機会がなかったこと、そしてたまに戻っている時も門下の者とばかり交流するせいで目立たぬ長右衛門のことをすっかり忘れていたのだ。

 これには頼元ですら本気で呆れるような溜め息をついて苦言を呈した。

「……三厳様。それはさすがに上に立つ者としていただけませんよ」

「わ、わかっておる!これからは気を付けるさ。……それよりもその長右衛門とやらは同行させて大丈夫なのか?先程述べたように今回の件は根が深い。話を聞きに行くだけだといえど決して安全と言い切れるものではないぞ?」

 慌てて話を元に戻す三厳。だが実際これは重要な点であった。山賊や追い剥ぎなどが現れるこの時代の旅は決して安全なものではない。特に今回は旧坂崎家家臣という明確な敵対勢力も存在する。なんなら山中屋からの紹介とはいえその中川家常という者もどれだけ信用していいかもわからない。だが之平はそれも承知の上だと返した。

「無論危険なことは承知しております。ですが長右衛門はまだその怖さすら知らぬ未熟者。未熟者故に機会のあるうちに少しでも世間を経験させておくべきだと某は考えております」

 荘田家は柳生家家臣の中でも古参の一族。そこを継ぐやもしれない人材ならば、今のうちにいろいろと経験を積ませておきたいという之平の思いはわからない話ではない。

「承知しました。之平殿がそうおっしゃられるのなら、これ以上は野暮ですな。ただ問題があるといけないので護衛は二人にしますが、それはよろしかったですよね?」

「もちろんにございます。お心遣い、まこと感謝の極みにございます」

 こうして二日後、柳生屋敷の門前に津までの使者に選ばれた四人が集まった。面子は古参家臣の荘田之平とその息子・荘田長右衛門。それに加えて三厳が見繕った新陰流の門下、松木善祐ぜんゆうと猿田康成やすなりの二人が護衛につく。四人はそれぞれ挨拶をし装備を確認し合うと、三厳に出立の旨を伝えた。

「それでは三厳様、行ってまいります」

「うむ。道中気を付けてくだされ」

 之平ら四人は三厳や頼元に見送られながら一路伊勢の津へと旅立った。

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