荘田之平 伊勢の津へと向かう 2

 三厳は坂崎家残党の情報を知っているであろう人物、中川家常いえつねという男を紹介された。しかしこの男、現在伊勢の津にて暮らしているとのことだった。柳生庄で何かが起こりかねない今、三厳が向かうには少々遠方にある。

 故に三厳たちは代理を送ることに決める。選ばれたのは柳生家譜代の一人、荘田しょうだ之平これひらという男であった。

「それでは三厳様、行ってまいります」

「うむ。道中お気をつけて」

 之平は息子の長右衛門ちょうえもん、護衛の松木善祐ぜんゆうと猿田康成やすなりの三人を引き連れて柳生庄を出発した。


 大和・柳生庄から伊勢・津までの旅。その最初の目的地は伊賀・上野である。柳生庄から上野に向かうには里の北を走る笠置街道に合流するのが一番の近道だ。

 というわけで一行は柳生庄を北から出て笠置山ふもとの山道を進む。先頭を歩くのは護衛役の一人、松木善祐であった。

「いい日和だな。これならば上野までは難なくたどり着けることだろう」

 善祐は今回の旅の護衛役に選ばれた四十代半ばの新陰流の剣士である。幼少期から石舟斉や宗矩の下で鍛えていただけあって武人らしい太い首と腕を持ち、肌は日焼けで浅黒く、頬には古い刀傷が一本走っていた。

 また彼は歴代領主の下で戦場を駆け回っていたため一行の中では最もこのあたりの地理に詳しかった。つまりは案内役兼露払いというわけだ。彼のようないかつい男が先導していれば並みの牢人はちょっかいをかけに来たりはしないだろう。

 そんな善祐に相槌を打ったのは二番手を歩く荘田之平だった。

「ええ。天候ばかりはどうにもなりませんからな。これからも秋晴れが続くといいのですが……」

 之平は四十代前半の武士で、長年柳生家に仕えている譜代一族・荘田家の現当主である。里では年貢の管理や日々の業務の記録といった文官寄りのお役目を担っていたが、やはり柳生庄の武士らしく鍛えているのだろう、見た目以上に安定した体幹で不安定な山道をずんずんと進んでいた。

 歩きが危なっかしいと言えばむしろ之平のすぐ後ろを歩く彼の息子・荘田長右衛門の方だろう。彼はたびたび木の根や小石に足を取られながらも前を歩く二人に必死についていこうとしていた。

「……大丈夫か、長右衛門?少し抑えて歩こうか?」

「い、いえ、大丈夫です!すぐに慣れます故お二人は気にせずお歩きください!」

 荘田長右衛門。年齢は十三で、数年前にその才覚を見出されて之平の養子となった少年だ。彼は今回のような長旅は初めてで、加えて年長者に囲まれていることで少々気負っているように見えた。

 それに対し軽口を叩きながらさりげなくフォローしていたのが最後尾を歩く猿田康成である。

「なぁに、若旦那に何かあったら俺がどうにかしますんで、之平様たちは気にせず進んでいって大丈夫ですよ」

 康成は善祐と同じく護衛役に選ばれた二十代後半の新陰流の門下であった。彼は荘田親子のペースで歩くのが退屈なのか時折変な歩幅で歩いたり、根付のヒモをぷらんぷらんと振り回して遊んでいたりと一見すると不真面目な性格かのように見えたが、護衛者らしく周囲や後方の警戒は怠らずに行っており、また元来面倒見がいいのだろう、気を張っていっぱいいっぱいになっていた長右衛門にも気軽に『若旦那』と呼んで話しかけていた。

「若旦那、もう少しで街道に合流するからそこまでは踏ん張ってくださいよ。歩きやすい道に出ればあとは楽ですからね。……ほれ、川が見えてきましたよ」

 山道を抜けた一行は笠置山地の谷間を東西に流れる木津川に出た。この川沿いに整備された道が笠置街道であり、それに従って東に進めば今日の目的地である伊賀・上野である。

「うーん、川の風が心地よい……。さぁあともう一息、行っちゃいましょうか」

 之平たちは気持ち新たに川沿いの道を歩き始めた。


「して父上、その上野からはどのように進むのですか?」

 長右衛門がそう尋ねたのは川沿いの辻茶屋で小休止をしている時であった。上野の町まではあと二里弱。今日はそこで宿をとるとは聞いてはいたが、二日目以降どうするかはまだ聞いていない。

「某は上野に泊まることと、目的地が伊勢の津であるということしか聞かされてないのですが……」

「あぁそういえば詳しく説明してなかったな。実はどの道を進むかは上野に着いてから決めることにしてあるのだ」

「えっ!?まさか行き当たりばったりで進むつもりなのですか!?」

「いや、そうではないのだが……。うーむ、なんと言えばいいのだろう……」

 之平がどこから説明しようかと考えていると、横から煙管をふかしていた善祐が入ってきた。

「津へと通じる道は二つあるんだよ、長右衛門」

 善祐は近くに落ちていた木の枝を拾い上げ、地面に簡単な地図を描いて見せた。

「ここが上野。こっちが目的地の伊勢の津。この上野と津――伊賀と伊勢との間には険しい山々が並んでいて、俺たちはどこかしらでこれを越えなければならない」

 善祐は上野と津の間にギザギザと山を示す線を描き、続けてそこを横断するように二本の線を引いた。

「道は二つ。一つは東海道へと続く大和街道。もう一つが長野峠ながのとうげって峠を越える伊賀街道だ」

 大和街道と伊賀街道。

 大和街道は作中でも何度か出ている街道で、伊賀や柘植つげを経由し、加太越かぶとごえを越えることで東海道の関宿と合流する道である。

 対し伊賀街道とは上野・赤坂から東に進み、長野峠という峠で布引ぬのびき山地を越えて伊勢に入る道である。なおこの街道は藤堂高虎が整備した街道として知られている。彼は本城として津城を、支城として伊賀上野城を有しており、二城を結ぶ官道として大坂の役後に整備されたのがこの伊賀街道であった。

「ふむ、ということはこの街道は上野から津まで直通しているのですね。ならばこちらを進むのですか?」

 話を聞いた長右衛門がそう尋ねると善祐と之平は難しそうな顔をした。

「まぁこっちを選んでもいいんだが……」

「何か問題でも?こちらの方が早く着くのですよね?」

「それはそうなのだが、いかんせんほとんど知らない道なのでな……」

 聞けば之平も康成も伊賀街道を使ったことはなく、最年長の善祐ですら五年ほど前に一往復だけしたことがあるばかりとのことだった。

 なるほど東海道に出たければ大和街道を使えばいい。津まで直行ということは言い換えれば津に用がない者は使わぬ道ということだ。

「仮に使ったとしても大和街道と比べて一日二日早く着く程度だからな。どうしたものかと之平殿と話し合った結果、上野に着いて軽く情報を集めてから選ぶことに決めたのだ」

 善祐の説明に之平は頷きながら続けた。

「具体的に言えば危険性と天候だな。道中に山賊や追い剥ぎが出たという噂はないか、天候は安定しているか。伊賀街道は大和街道よりも天候が荒れやすいと言われておるからな」

「なるほど。では具合がよさそうならば明日以降は伊賀街道を使うと?」

「そういうことになるな。……さて、話はこのくらいにしてそろそろ行こうか。遅くなると町で噂が聞けなくなるからな。今なら夕の七つくらいには上野にたどり着けるだろう」

 之平らは小休止を終え再度川沿いの道を進む。そして見立て通り一行は日の入り二時間ほど前に上野の町にたどり着いた。


 上野の城下町までやってきた長右衛門はその門前で思わず固まった。

「ここが……上野の町……!」

「ああ、そうだ。……あぁなるほど。お前はこれほど大きな町は初めてだったか。上野はこのあたりでも有数の町だからな。圧倒されるのも仕方あるまい」

 之平の言う通り、長右衛門は初めての上野の町に感動していた。

 この時代は生まれた村から一歩も出ずに一生を終える者も少なくない時代である。長右衛門もまた生まれ育った小村と柳生庄しか知らずに生きてきた。そんな彼がいきなり一万人以上が暮らす大都市に来たのだ。思わず立ち尽くしてしまっても無理はない。

 とはいえここはまだゴールではない。旅の序盤も序盤である。之平らは感極まる長右衛門を放ってさっさと歩きだした。

「ほら、気持ちはわかるがそろそろ行くぞ。宿をとって、それから街道についての話を集めに行かねばならぬからな」

「はっ、はいっ!今参ります!」

 正気に戻った長右衛門を連れた之平らはとある安宿の一室を借りた。そして之平と善祐は返す刀で情報収集のために町に出ようとする。

「では少し出てくる。二人は留守を頼んだぞ」

「そんな!父上、某も参ります!」

「長右衛門、これは遊びではないのだぞ」

「わかっておりますとも!決して足は引っ張りませぬ故!」

 しかしそう言う長右衛門の目は、本人に自覚があるかはわからないが、興奮でぎらぎらと輝いていた。はやる気持ちはわからないでもなかったが、善祐はこれでは連れていけないとやんわりと諭す。

「長右衛門、里の外に出たのは初めてなのだろう?ならば相応に疲れが溜まっているはずだ。噂集めは某らに任せてゆっくりと体を休めるがよい。なにせまだ一日目なのだからな。では康成、留守は任せたぞ」

「お任せください。どうぞお気を付けて」

「あっ、父上……」

 こうして町へと消えていった二人の背中を見送りながら、長右衛門は子ども扱いされたことに憤慨した。

「父上らめ、自分たちばかり町に繰り出して!私だってまだまだ歩けるというのに!」

「まぁまぁ若旦那、留守番も立派なお務めですぞ。先も長いのですし、今はのんびりできる役得を堪能しましょうぞ」

「むぅっ!疲れてないと言っておるだろう!」

 しかし体は正直だった。頬を膨らませていた長右衛門は気付けばこくりこくりと舟を漕いでおり、やがてしっかりと横になって寝息を立てていた。やはり初日とはいえ初めての遠出で相応に疲れたのだろう。結局長右衛門はこのまま起きることなく旅の一日目を終えたのであった。


 之平らが柳生庄を出てから二日目。長右衛門は真っ暗な部屋の中で目を覚ました。

 彼はしばらく寝ぼけまなこで周囲を見渡していたが、やがてそこがいつもの自宅ではないと気付くと慌てて飛び起きた。

「えっ!?あれっ!?ここは……!?」

 混乱しながら暗い部屋を見渡す長右衛門。すると部屋の隅で誰かの影がごそりと動き声をかけてきた。

「おや、起きたのかい、若旦那」

「!?」

 長右衛門は一瞬何者かと身構えるが、その声と『若旦那』という呼び方には覚えがある。彼はしばし固まり、そして十秒ほどしてようやく自分が旅に出ていたことを思い出した。

(ああそうだ、私は父に連れられて里を出て、今は上野にいるのであった……)

 うっかりしていたことに気付くと急に恥ずかしくなってくる。彼はとっさに「あ、ああ、康成様ですか……」と自分が寝ぼけていたことを誤魔化すように返したが、しかしそれを見抜いてか康成はにやりと笑う。

「あ、もしかして見知らぬ部屋で起きたから混乱したのか?」

「っ……!」

 今が昼間ならばきっと耳まで赤くした長右衛門が見れていたことだろう。だが幸いにも日はまだ出ていない。長右衛門は素知らぬ顔で無理矢理話題を変えた。

「えっ、えっと……!今何時くらいでしょうか!?」

「ふふっ、あー、多分七つくらいじゃないか?俺は大体いつもこのくらいの時間に起きてるからな」

 七つとは日の出二時間前あたりを指し、今の時期だと午前四時頃を指す。昨日宿についたのが日暮れ前だったのでたっぷり十時間以上は寝た計算になる。よくよく目を凝らせば、父の之平と善祐が寝転がる姿も見て取れた。

「そんなに寝ていたのか……。父上らが返ってきたのにすら気付けなかった……」

「それだけ疲れていたということだろう。里を出たのは初めてなんだろう?なら仕方があるまいさ」

 康成がからかい半分のフォローを入れる。この頃になると長右衛門も康成が軽薄そうに見えて実は目下の者にも気を配っていることに気付いていた。そのおかげか少し落ち着いたようで、寝ていた間のことを訊くだけの余裕はできていた。

「そういえば明日……ではなく今日、どちらの街道に進むかは決まったのですか?私は寝ていたのでわからないのですが……」

「ん?ああ、街道か。それなら朝の天気を見て決めることになったぞ。ただ今の空の具合から見るに、おそらく選ばれるのは伊賀街道だろうな」

 康成が小さく開いた窓の向こうでは瑠璃色の空に砂金のような星々が瞬いていた。之平は天候と安全面が大丈夫そうなら伊賀街道を選ぶと言っていたので、安全面の方は問題なかったのだろう。

 そして六つになり目を覚ました之平は朝の秋晴れの空を見て呟いた。

「ふむ、この天気なら伊賀街道でよさそうだな」


 大和街道と伊賀街道との追分は上野城よりやや東の赤坂にあった。ここから柘植川に沿って北東に伸びているのが大和街道で、服部川に沿って東に伸びているのが伊賀街道である。

 一行が進むのは伊賀街道。そしてその道の先には平均標高700メートルを超える布引山地がそびえ立っていた。

「あれを越えるのですね……」

 遠方の山塊にげんなりとする長右衛門。その背中を之平が景気よく叩いた。

「ほれ、見た目で気負うな。越えるのはあれの低いところであって、別に山頂に登るわけではないのだぞ」

「ですが父上、それでも山越えは山越えですよね……」

「ん?……んー。まぁそうと言えばそうなのだが……」

 これから之平たちが越える長野峠は標高約500メートルの峠である。なお参考として柳生庄の平均標高が約250から300メートルで箱根峠は約850メートル。大和街道の加太越えは平均300メートルと言われている。つまり標高だけ見れば決して楽な峠ではないということだ。

 荘田親子がそのような会話をしていると唯一この道の経験者である善祐が話に入ってきた。

「確かに高さはあるが道は単調だからそれほど気にはならないぞ。それよりも気掛かりなのは空模様だ。あそこは伊勢からの湿った風が吹き込んでくるから天候が変わりやすいんだ。今もほら、薄雲が出てきてるだろう」

「ふむ、状況次第では峠の手前で一泊するのも考えていた方がいいかもしれませんね。そのあたりに一晩過ごせるような集落はありましたか?」

「途中の開けたところに阿波あわ村だとか上阿波村といった村々があるから宿に困ることはないだろう。秋は日が落ちるのも早いからな。そこらで一泊する可能性も十分にあるだろう」

 そんな会話から数刻後、之平たちはその長野峠手前の村・中阿波村に到着した。彼らはここで遅めの昼食を取ることにしたのだが、その際之平と善祐が村人を交えて何かを熱心に話し込んでいた。

「父上たちは何を話しているのでしょうか?」

「おそらく今日このまま進むかどうかじゃないですかね?日はまだ高いですが峠越えですからね。大事を取ってここで一泊するのは悪くないと思いますよ」

 康成の予想通り、之平らの話題は今日の進退についてだった。戻ってきた二人は長右衛門らに今日はここで宿を取ることを伝える。

「私たちの目的は単に津にたどり着くことではない。津に赴き、その地にいる情報提供者から情報を得て、それを柳生庄まで持ち帰るのが我々のお役目だ。故にここは無茶をせず気力と体力の回復に努めようと思う」

 この之平の判断の背景には長右衛門の存在があった。まだ幼い長右衛門を連れて峠越えの強行軍は危険だと判断したのだ。

 ならば連れてこなければよかったのではという話だが、そこは経験を積ませたいのが親心だったのだろう。故に善祐も康成も特に反論はせず、また長右衛門はそのような背景に気付けなかったため、この決定に異論は出なかった。

 こうして之平らは二日目を峠手前で終えた。


 あくる三日目の空は薄雲がかかっていたが、十分に休んだ一行には大した支障にはならなかった。彼らは怪我無く長野峠を踏破し伊勢に入る。その後は山間を縫うように走る街道を進み、やがて津まであと二里程度のところにある前田宿という宿場で三日目の宿を取ることにした。なお彼らが津の手前で一泊するのは、無理に進んでも到着が半端な時刻になるためであった。

「今無理に津に向かっても到着は暮れ六つのあわただしい時でしょうからね。ここからなら朝一で発てば昼前には津に着くでしょう」

 こうして出立から四日目。朝一で前田宿を出た一行は四つ頃(午前十時頃)に伊勢の津に到着した。怪我人もなく疲労もあまりない、理想的な往路であった。

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