柳十兵衛 清厳を連れて柳生庄へと向かう 4
平左衛門らを宿に置いて十兵衛と友重が向かったのは
見るからに歴史ある佇まいをしているその屋敷は表向きはこの地の
「変わらないな、この屋敷も」
十兵衛は緊張と
「おぉ七郎(十兵衛の幼名)殿!これはこれは、すっかり立派になって……!石舟斎殿の若かりし頃を思い出すな!」
「お久しぶりにございます、爺様。いやはや私などまだまだ先代らには及ばぬ身。どうぞこれからもよろしくお願いいたします」
「ほほほ。あの聞かん坊が礼節まで覚えて、ますます将来が楽しみだ。さあさあ、長旅で疲れたでしょう。酒と肴を用意してあるから存分に食らっていくといい。他の馴染みの者も呼んであるから彼らにも顔を見せてきなさい」
「はっ。お心遣い感謝します」
長老は気を利かせて周囲の他の縁故の者も呼んでいた。これで他の家に挨拶に向かう手間が省けたが、逆に言えばもてなしの宴に参加せざるを得なくなった。十兵衛と友重は互いに目配せをし(これは今日は帰れそうにないな)と頷き合った。
屋敷の広間にはすでに多くの者が集まっていた。皆この地の柳生家と縁のある忍びたちだ。彼らは皆十兵衛たちを歓迎してくれたが、集まりの都合上そのほとんどが年上で十兵衛にとってはあまり落ち着いて飲める面子ではなかった。
「おぉ、宗矩殿の
「ほほほ。私を覚えておりますかな?随分と幼い頃でしたので覚えてないやもしれませぬな」
「ところで三厳殿はいい人はできましたかな?要らぬ世話かもしれませぬがいい娘をご紹介できますよ」
年長者からの絡み酒にうんざりする十兵衛であったが、柳生家にとって彼ら伊賀忍者とのつながりはとても大事なものである。十兵衛は(これもまた柳生家の将来につながることだからな……)と慣れない愛想笑いを浮かべながら彼らの酒に付き合った。
ここで少し柳生家と伊賀忍者、そして幕府御公儀との関係性を説明しておく。
まず幕府であるが、この頃の江戸御公儀は常に西国監視に多くの労力を割いていた。中央集権化の徹底を目論む幕府はそれの障害となりうる勢力――尾張の義直や駿府の忠長、京周辺の朝廷や寺社勢力、豊臣縁故の大名や牢人、さらには海の向こうの海外勢力まで気に掛けていた。
だが気に掛けているだけでは情報は集まらない。必要な人材を配置して初めて情報は集まるのだ。そこで注目されたのが伊賀の忍びたちであった。彼らは情報収集の専門家である上に彼らの本拠地である伊賀という国は北に行けば京に、西に行けば堺に、東に行けば尾張へと続いているまさに今の幕府にはうってつけの存在であった。
こうして幕府は伊賀忍者との協力体制を強化しようとする。しかしなかなかその仲介役となる人物が見つからなかった。
まず名前が挙がったのはあの有名な伊賀者・服部半蔵であったが、この頃の半蔵は家康の頃より数えてもう四代目で、すでに伊賀本国とのつながりも薄く不適切とされた。また初代半蔵が率いた伊賀衆もこの時代ではもう三河や江戸といった伊賀国外で生まれた者が多く、またすでに江戸周辺の警備や諜報活動といった重要なお役目を任されていたためやはり適任ではないとされた。
次に検討されたのが伊賀近くの伊勢国・津を治めていた大名・藤堂高虎であった。高虎は伊賀上野城の建設にもかかわっていたりとこの地に縁が深く適任かに思われたが、今度は格が大きすぎることが問題となった。ただでさえ多くの大名旗本が一目置いている藤堂高虎だ。今以上に発言権を大きくしてしまえば、現老中の土井利勝などなら大丈夫であろうが、若い家光や次の世代の老中らが彼の意見に飲み込まれてしまう恐れがあった。こうして高虎までも不適切となったわけだが、では次に誰がいるかとなったときに名前が挙がったのが柳生宗矩であった。
宗矩は伊賀に近い柳生庄出身で、また柳生家は以前から伊賀の忍びと懇意にしている。剣術指南役というお役目であったがその視野は広く情報の重要さも理解しており、実際大坂の役などでは伊賀の忍びの情報を使い家康や秀忠を案内していた。
こういった点を踏まえて江戸御公儀は宗矩に伊賀との仲介役を打診、宗矩は了承し以前より持っていた伊賀忍者との繋がりを惜しみなく使い情報を集め期待に応えた。一武芸者とは思えぬ緻密な情報収集と分析は江戸御公儀内にて高く評価され、そして今の宗矩の評判につながっている。つまり言ってしまえば現在の宗矩の評価、柳生家の評判の一端は伊賀の忍びたちが担っていたというわけだ。
ところでこう書くと宗矩ばかりが得をしているように感じるかもしれないが実際はそうではない。伊賀の忍びたち、彼らは彼らで旗本である宗矩を経由することで自分たちの価値を幕府に認めさせていた。というのも戦国の頃より忍びという仕事は武士と比べて一段低い存在とみられていたからだ。もちろん多くの武将は彼らのもたらす情報の重要性を理解してはいた。しかし一方で、例えば戦国時代のある武将の日記によると「今日は夜間に敵地を調べるという忍びのような働きをさせられた。こんな仕事をさせられるとは屈辱でしかない」という旨の記述があったりする。褒賞に関しても武士なら武功を上げれば土地・知行が与えられるが忍びの場合はその場限りの金銭で、それは武士というよりはむしろ有能な出稼ぎ農兵程度の扱いだったと言えた。
それに加えてこの太平の世である。忍びのような形のはっきりとしない武力組織など本来幕府にとっては危険物以外の何物でもない。良くてお取り潰し、最悪一族郎党皆捕らえられるという未来もあったかもしれない。それを回避できたのは家康に仕えた服部半蔵、そして徳川家の剣術指南役として信頼を得てきた宗矩の働きが大きかったことは想像に難くない。
そんな持ちつ持たれつの関係性が柳生家と伊賀忍者の間にはあり、十兵衛もこのことはよく理解していたがための此度の挨拶回りであった。
数刻後、日が沈み星がくっきりと見えるような頃になってようやく酒宴はお開きとなった。
「いやぁ久方ぶりに顔を見れて満足だ。宗矩殿にもよろしく言っておいてください」
「はい。ではお気をつけて」
集まった者たちは皆気持ちよさげな足取りで各々の家に帰っていった。ちなみに全員夜道だというのに明かりも持たずに帰っていったのだが、これは全員が夜目の利く熟練の忍びであるためだ。十兵衛は変なところで彼らの実力に感心した。
見送りを終えた十兵衛が広間に戻ると、そこでは屋敷の下男たちがせかせかと後片付けをしていた。壁の一角に寄りかかりながらそれを何気なしに見ていた十兵衛に友重が話しかける。
「じゅ……三厳様。爺様が今晩は泊まっていくといいと申されておりますが、如何なされますか?」
「そうだな……」
日は沈んでいたが取った宿までは帰れない距離ではない。しかし自分の状態を鑑みれば泥酔というほどではないがまだ少し酔ってはいる。この姿を新左衛門らに見せるのは少し都合が悪い気もした。
「そうだな。せっかくだからお言葉に甘えさせてもらおうか。悪いが泊まる方向で手はずを整えてくれるか?」
「ではそのように」
慌ただしく去る友重。それを見送ってから十兵衛はひそかに確保していた
「……ふぅ」
ようやく落ち着いて飲めた久しぶりの地元の酒。その懐かしい舌触りに十兵衛は安堵にも似た吐息をこぼした。
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